もしもの話
ラジオが終わった。録音したやつなので、その後のCMは全てカットされている。そのため、番組終了と同時に、またシーンとした三月の真夜中に戻った。春の真夜中と言っても冬や夏の真夜中とあまり変わらないが、どっちかと言うと、まだ冬の冷たい風が耳をかすめる。その冷たい風を遮るかのように、梓がしみじみと語り始めた。
「なんか……『卒業』って感じだね。……意味分かんないけど」
「……うん。オレら、卒業するんだな」
「……昨日まではさ、そんなこと意識してなかったんだよね……あ、考えはしてたけど。でもやっぱりしっくり来なかった。でもね、さっきのKAIさんとか、塩谷美咲さんの歌を聴いて、あぁ、卒業するんだなぁ〜って思っちゃって」
「……うん。意外と塩谷美咲さんのも感動したしな」
「あたしね、梅任川恵美の『卒業フォトグラフ』が大好きな曲の1つでね、初めて買ったCDも梅任川さんの曲なんだ〜」
「へぇ〜やっぱりいい曲多いもんねぇ〜」
「しかも歌詞がいいのよ、歌詞が!」
「え、梓ってそんなに熱いキャラだっけ?」
「あっ……ついついね。好きなこと話す時って、な〜んか熱くなっちゃうんだよね。ごめんね」
「謝ることないって! オレはそう言うの、いいことだと思うよ!」
必死でフォローして、やっと梓の機嫌を取り戻したが、お互いその後に話が繋がらず、ぎこちない沈黙が始まった。
とうとうボロが出たなぁ……けっこうノリで押し通せたから、このままいい雰囲気になれると思ったけど、甘かったな。
そんなオレは、ある言葉を思い出した。
――潤ってさ、最後の最後にヘマしてさ、詰めが甘いよね。
これは、卒業式前夜プチパーティーに誘ってくれた、あのハナケンにも言われ、さらに、出会ったその日に香にも言われた言葉だった。事実、体育のソフトボールでは、ピッチャーをしていて、同点で向かえた最終回に押し出しでサヨナラ負けしたし、人生ゲームでも、無人島ばかり買ってなかなかゴール出来なかった。
『詰めが甘い』
その言葉が、ずっしりとオレにのしかかった。 オレがいくら後悔したって、この沈黙が終わるわけではない。しかも、梓までもが、地面に置かれたカリフォルニア・ポピーを眺めてため息をついている。
――あ、そうだ。
オレはカリフォルニア・ポピーのオレンジの花弁を見て、瞬間的に何かを思い出した。
――なんで梓はここにいるんだ? 大との決闘の話はどうなったんだ? そもそも、駅前で話し合うだけって話じゃなかったのか?
さっきまであれほど頑張っても、話題に悩んでたのに、聞きたいことが次々と浮かんできた。しかし、心配の方も同じように次々と浮かんでくる。これらを聞いてしまって、嫌な思いはされたくはない。かと言って、このまま黙ったままと言うのも……
複雑な心境が頭の中で交差して、思わず目を閉じて、眉間にシワを寄せる。 なおも沈黙は続く。梓は、ぼ〜っとしていて、意味があるのか無いのか分からないが、ずっと駅の方角を真顔で眺めている。
――やっぱり梓はなんだかんだ言っても、まだ大の事が好きなんだろうなぁ……
気付くとオレは、カリフォルニア・ポピーを見ながら、マイナスの想像ばかりしていた。梓のお母さんが言っていた、キスシーンを勝手に想像してみる。
――大と梓がベンチに仲良く座って、お互いがお互いの悪い所を言いあっている。そしてその後、二人は和解して、これからもお互いに支え合っていこうと言う事で、ゆっくりと唇を近づける。いや、あのキスは無理矢理かもしれない。あいつの事だから、あり得なくはないよな。
……とうとう想像しちゃったよ。でも、なんかモヤモヤするなぁ。最後の「オレのこと忘れろ」は何なんだ?変な想像ばかりしていたオレは、いつしかその真実が知りたくなっていた。そんな時、1つの格言を思い出した。
『思い立ったが吉日!』
いつ言ったのか忘れたが、確かにオレの記憶の中に残っていた。“座右の銘”と言うのがあるが、オレの座右の銘は絶対これだと思った。特に意味は無かったが、心の中で小さくガッツポーズし、梓に話しかけるチャンスを伺った。梓は相変わらず駅の方角を眺めて、たまに溜め息をついている。オレは、そんな梓をチラチラ見つつ、最初になんて話しかけるか考えた。しばらく考えた。でも、出て来なかった。やっぱ、台詞は作るもんじゃなくて、自然に出てくるもんだよな。しかし、それはただただ思いつかなかった言い訳にしかすぎなかった。オレは、勇気を振り絞って、梓に聞いてみることにした。
「……あのさぁ、」
沈黙が長すぎたのか、梓の体がビクっと動いた。
「あのさ、今さらなんだけど、それ……どしたの?」
オレの指差す方には、蛍光灯で光って見えるオレンジのカリフォルニア・ポピーがある。
「えっ……あぁこれ? なんか大が買ってきてくれたらしくて。あたし、花とか育てるのあんまり得意じゃないから、どうしたらいいのか分かんなかったけど、とりあえず貰っといたの。色も綺麗だし」
「へぇ〜でもさ、なんでカリフォルニア・ポピーなんだろうね」
その時だ。梓が、ちょっと不思議なものを見るような顔で、こっちを向いた。
「……なんでこの花がカリフォルニア・ポピーだって事、知ってるの?」
……しまった! そう言えばオレは通りすがりで全く話は聞いてない設定だった!
「……えっ? あぁ、オレさ、実は、さ……小さい頃、花屋になりたくて。それで……色々な本読んでさ。それ、見てすぐに分かったよ! あ、カリフォルニア・ポピーだ。……ってね!」
オレはとっさに浮かんだ嘘を次々と並べた。正直、小さい頃からプロ野球選手になるのが夢で、だからこそ毎日のように、この公園で梓とキャッチボールをしていた。それが急に花屋になりたかったとか言っても、絶対に信じてもらえないと思っていた。が、しかし……
「えっ、そうなの? 小さい頃からキャッチボールばかりしてたから、てっきりプロ野球選手にでもなりたいのかと思ってたよ〜」
……ぴったり当たってるや。しかしまぁ……バレずに済んだ! オレは、軽く苦笑いしつつ、心の中では安堵して小さく息を吐いていた。
「あぁ、プロ野球選手兼お花屋さんみたいな感じで!」
「そりゃ無理だよ〜球場の中で、みんなユニフォームなのに、一人だけエプロン姿なんて……」
なんとなく頭に浮かべてみる。
『バッターは、四番、ファースト、神崎……』
球場が一気に歓声に包まれる。オレはネクストバッターズサークルで何回か素振りをし、グリップに滑り止めスプレーをかけて、ゆっくりと打席に向かう。ピッチャーをじっとにらめつける。足場をスニーカーでならしながら、自慢のエプロンを思い切りきつく縛る。……ちょっときつく縛り過ぎたようで、もう一回やり直す。そして、バットではなく、固そうな桜の木の枝をしっかり握っている。これは……無しだな。
「やっぱり何かおかしかったよ」
オレは想像した感想をすぐに梓に発表した。
「笑えた?」
「笑えた!」
「やっぱり無理なんだよ。プロ野球選手兼お花屋さんは」
「いや、あえてプロ野球選手の格好をしたお花屋さんかもしれない!」
梓は、さっきまでのオレと同じように、頭の上にムクムクムク……と雲を浮かべて、想像の世界に入っていった。しばらくすると、急に笑い出して、なんだか微笑ましかった。
「どんな感じ?」
「えっとねぇ……まず、電光掲示板に昨日の売り上げが高い順に発表されていくの。一番、前から二段目、薔薇。二番、一番はしっこ、桜……みたいな! で、野球のボールを花束で打ち返して、当たった花が買えるの。オバチャンが必死に鬼の形相しながら花束を振り回してさ……!」
「それめちゃめちゃ面白いな! あったら行ってみたいなぁ〜!」
梓とは小さい頃から『もしも話』をよくしていて、公園で銀杏を拾いながら『もしもこうだったら〜』と言うフレーズで始まっていた。『もしも1億千万円貰えたらどうするか』とか、『もしもショートケーキのイチゴが銀杏だったら』とか、今となっては意味が分からない内容ばかり話していた記憶がある。
――1億千万円って。そんな単位無いし。
――ショートケーキのイチゴが銀杏って。デザートにならんし。
オレがこんな、意味の分からないが懐かしい記憶を辿っていた時、梓は何か迷っていそうな顔をしていた。
「ねぇ……潤?」
「ん? どしたん?」
その時、梓はとんでもない事を言い出した。
「もしも……もしも、あたしが潤を好きだったら、どうする?」
梓はニヤニヤとモヤモヤが混ざったような表情で語りかけた。オレは、一瞬だけ時間が止まったような気がした。
「……ん?」
上手いことその場を逃れようと、何でもないような顔をした。
「だから、小さい頃よくやったやつだよ! ほら、十秒以内に答えないと罰ゲームだよ!」
……忠実に再現しすぎ!
十秒以内に答えないと罰ゲームと言うのは、小さい頃決めたオレらのルールだった。まぁほとんど頬っぺたをつねるとか、デコピンだったが。早くも梓の右手は、デコピンの構えをしていたので、オレは小さい頃みたいに、本能で焦って答えるしかなかった。
「……ぇえ? いや〜まさかねぇ。まぁ〜……いいんじゃ、ない? 分かんないけど」
「……え、本当?」
梓は真面目な顔でオレをじっと見つめている。その瞳は、まるで光が灯ったかのように、希望に満ちている。オレは、さすがに変な期待を持たせたりしたらいけないと思い、目を反らした。
「まぁ……もしもの話だろ?」
その瞬間、梓は夢から目覚めたような顔をした。
「……そうだよね。もしも話だもんね」
さすがに鈍感で有名なオレでも分かるような反応の仕方だ。オレはちょっとそれも意識しつつ、フォローする。
「まぁ……別に嫌いじゃないし。いいやつだと思うし。何より、一番分かってそうだし。オレの事をさ」
また梓の瞳に光が灯り始めた。本当に分かりやすいやつだな。
「そっか……」
梓は置いてあるカリフォルニア・ポピーを持って、そのまま抱きしめていた。