カリフォルニア・ポピー
――梓、まだ帰ってこないのかな〜……。
いつまでたっても梓が帰って来る気配はない。
「まさか……こりゃあ、梓を捜しに行かないと」
どうやら修学旅行の甘い思い出に浸りすぎたようだ。ラジオは途中から録音して、続きは帰ってから聴く事にした。
「まぁ〜着替えはいいか。面倒くさいし」
基本的に家に帰ると全てが終わったような気分になって、ついダラダラするので、スイッチを入れるのに時間がかかってしまった。そうこうしている内にやっとスイッチが入ったオレは、もしもの時の為に、胸ポケットに鉄板入りの御守りを入れて、ハンカチ・ちり紙はズボンの小さいポケットに入れて、懐中電灯は……やっぱり辞めにして、自転車の鍵を探した。
……あれっ?どこに置いたっけな?
……あ、そうか。付けっぱなしだった。
やっぱりなんとなく頭にスイッチが入ってないことを自覚したオレは、玄関に向かって階段を下りた。玄関につくと、何時間か前に履いていた通学用の軽いスニーカーが脱ぎっぱなしになっていたので、それにもう一度足を入れた。まだ充分に靴に収まってない足を、つま先をトントン言わせながら微調整していく。
自転車置き場まで行き、この前リサイクルショップで買った約五千円の自転車にまたがり、ライトをつけた。……と思ったら、今度の自転車は自動で光るタイプだった事を思い出して、一人で苦笑いした。梓に見られて無くてよかった。見られていたら、きっと馬鹿にされていただろう。
駅までは徒歩で約百五分。
自転車で行くと、約四十五分。
自転車での爽快感、プライスレス。
……何を考えてんだ、オレは。
自転車に乗る時の必須アイテムと言えば、やっぱりウォークマンだ。最近はアメリカの会社の音質がいいやつを愛用している。前の壊れたウォークマンをみかねた梓が一緒に選んでくれて、(と言うか勝手についてきて)お小遣いを貯めて、やっと去年の誕生日に買った代物だ。オレはスイッチを入れると、お気に入りのアップテンポな曲をチョイスした。
最近知ったのだが、修学旅行の時に聞いたKAIが、なんとこの前メジャーデビューしてCDを発売されたらしい。なんでも、あのラジオをたまたま聴いていた某有名プロデューサーの一言で決まったらしい。運命って、時にその人の人生を丸っきり変えてしまうんだな。……何言ってんだオレは。
オレは修学旅行から帰ったとたん、動画公開サイトでなんとかKAIの動画を探し、録音し、ウォークマンに入れた。それを今でも毎日の通学で聴いている。
オレは前奏が流れ出すのとほぼ同時に、月面着陸した人と同じくらい慎重にペダルを踏んで、決戦の場へ走りだした。
真夜中って本当に街全体が眠っている。もう三月なのに、“涼しい”よりも“肌寒い”に似た風が吹いている。自転車に乗ったオレはそれをもろに受けて、きっと鼻と耳が真っ赤になっていただろう。……そこまではいってないか。梓は寒がってないのかな。急に心配になってきた。
それにしても、さすがリサイクルショップの自転車。ライトをつけるとコイルが擦れる音がうるさくて、意外と耳障りだ。あまりに耳障りなので、消してやろうかと思ったが、警察に呼び止められて説教を聞いてる暇なんてない。ここはとりあえず迷惑そうに見てくるギャラリー達を無視しつつ、心の中で『ごめんなさい』を連呼した。
そんな四十五分間の旅は、駅に近づけば近づくほど、その様子は急変し、オレの住む住宅街の昼間よりも明らかにこちらの方がにぎやかだった。駅までの四十五分間を最近はやりの歌手のアルバムの曲達と過ごしたオレは、駐輪場に自転車を置いて、駅前広場に向かった。
――それから三十分。梓の姿はどこにもなかった。
駅前広場は探した。駅の中も探した。電車の時間も調べて、大の家の方まで行ってないことも分かった。なのに……なんで居ないんだ? もしかして……もう帰っちゃった? かなり家でダラダラしちゃったからなぁ〜。その間に話が終わっちゃったのかもしれないな。
その時、国語が苦手なオレが最近やっと覚えたことわざが目の奥の方で浮かんだ。
『思い立ったが吉日!』
ちょっくら、梓の家まで行ってみるか。……いや、いきなり行ったりして嫌われたりしないかな。そんな感じで、かなり考えた。が、今のオレに時間はない。携帯で時間を確認すると、午前〇時三十分だった。もう明日になってしまった。
オレは本能で自転車にまたがった。そして、梓の家に向かって必死でこいだ。必死で必死で、いつチェーンが外れてもおかしくないくらいこぎ続けた。そんなオレに、厳しい冬の風(もうすぐ春なのにな……)がキバをむく。……夜はまだまだ冬だな。
急いでいて耳にかけ忘れたイヤホンが、首からぶら下がっているコードの先っぽでぶつかり合っている。
曲がり角を曲がる時、何度も壁にぶつかりそうになりながら、とにかく梓の家を目指した。
――着いた。
なんだか分からないが、凄く達成感を感じた。自転車に乗っていて、電車と競走した時に、間違って勝ってしまったみたいな達成感だった。こんな達成感は、香と知り合った時に勇気出して連絡先を渡した時以来だった。
『上岡』
そう書かれた木のプレートの下にある、ボタンを押す。小さい頃、ベルの模様が施してあるこのボタンの模様がどうしてもどうしてもラッパに見えて、梓の家に遊びに行く時、お母さんに『かぁちゃん! ご近所に、ご迷惑に、なるでしょが!』とか言ってたらしい。
……変な思い出を思い出してしまった。オレは苦笑いを浮かべながら、懐かしいピンポ〜ンに浸っていた。
――は〜〜い。あ、潤くんじゃな〜い! ちょっと待ってて! 今作ったお菓子持ってくるから。あ、ケーキ食べれたよね? え、ダメだっけ? まぁどっちでもいいよね! んじゃ、ちょっと待ってて! ……ブチッ!!
――懐かしいなぁ〜あのマイペース加減はレベル高すぎだな。
「潤くん、久しぶりねぇ〜お母さん元気?」
「あ、はい」
「これ、良かったら食べて!」
……あれ? これ、どっからどう見てもドーナツだよね? ケーキって聞いてたけど。
あまりにも変な間が出来てしまい、それに気付いたのか、梓のお母さんが口を開いた。
「あ、ケーキと間違えちゃった。まぁ、いいよね!」
「あ、はい。いただきます」
……懐かしい味だなぁ〜。このなんとも素朴な味はたまんないね。
「どう? 久々に作っておいたやつなんだけど」
「めちゃ美味いっす!」
オレはドーナツを無理矢理飲み込んだので、一瞬息が出来なかった。
「そう? 良かった。で……こんな遅くにどうしたの? まさか……家出なの? え、家出なの? それはやめた方がいいわよ? 今すぐお家に帰らないと。ね? あっ、ちょっと待ってね。今電話するから……」
「ち、ちょっと待って下さい! 家出なんてしませんから!」
……梓のお母さんの必殺技、『早とちり』が炸裂した。
「あら、そうなの。じゃあ……どうしたの?」
「あの、あの……梓ちゃん帰ってますか?」
オレの声は細かく震えて、両手は背中の後ろで血が出るくらいギュッと握って緊張しているのが見て分かるくらいにまでなっていた。
それとは全く反対に、梓のお母さんは口のはしっこが後ろに引っ張られるくらい笑みを浮かべた。
「あの子ったら一回帰ってきて、もう出かけないのかと思ったら、もう一回出て行ってね。
ちょっと気になったから窓からこっそり見たら、男の子とちゅぅぅぅって! あれって彼氏だよね! 絶対そうよね! なんだかびっくりしてたみたいだったけど……あれって突然だったからかな?」
梓のお母さんは、着ているシャツの袖口を使い、両手で口元を押さえた。
ジェスチャー付きの説明、どうもありがとうございました。オレは急に脱力感に襲われて気分が落ちた。肩を落とすってこう言う事なんだな。本当に肩が落ちそうになるのをこらえつつ、目が死んだまま梓のお母さんに別れを告げた。
……オレは何でこんなに脱力感に襲われて気分が落ちちゃってるんだ? 別に、好きでもないんだから、こんなに落ちる必要ないのに。まさか、好きなのかな。……いや、まさかねぇ〜まさか……それは無いな。あは、あはは、ははは、ははは……はぁ〜あ。
オレの目は未だに死んでいて、多分細い垂れ目になっていただろう。足は金属の棒と化し、ポケットに入れた温もりを失った両手で、なんとか持ち上げるようにして自転車まで歩いた。
オレは自転車に乗って、さっきの四十五分間の旅とは全く反対の気分で自転車を走らせた。
キコキコ言わせながらダラダラと蛇行運転するオレ。目の前にある自動販売機についついすがり付きたくなるくらい心が弱っていた。最近の自動販売機って声が出るやつが多い。最も、オレはそう言うのは恥ずかしくてなかなか買えないのだが、今日は特別。なんてったって、卒業前夜ですから。何もかも卒業してしまおう。オレは小銭をポケットから探し出すと、それを一枚づつ穴に入れていった。
『いらっしゃいませ。暖かいお飲み物はいかがでしょうか?』
機械の声が辺りの静まりかえった雰囲気に響き渡る。それがあまりにもミスマッチで、やっぱりどうにかして消したいと思ったが、どうにも出来ず、ただただ辺りを異常に気にしながら飲み物を選び始めた。
「えっと……ミルクセーキ、ミルクセーキはありませんか〜〜? っとぉ〜」
オレは野球場での弁当屋さんになりきった気分でミルクセーキを探した。
――最近のマイブーム、ミルクセーキ。
それは、まるでミキサーで液体化したプリンを温めなおしたような飲み物で、冬になったらミルクティーの次くらいに飲まれる飲み物だ。
……と言うのはオレの勝手な想像だが。
まぁ最近は暖かくなってきたとは言え、まだ夜風は冷たいので、ミルクセーキに頼らざるを得ない状況にある。オレは自動販売機から取ったミルクセーキをポケットの中に入れて、一つため息をついた。
「公園でミルクセーキ飲んで帰ろ」
そう思ってまた自転車に跨った。
――だんだん公園についている真っ白い蛍光灯に近づいてきた。
この辺には、公園は一つしかなく、いつもは夜になると少年球児が素振りをするために公園に集まる。しかし、こんな夜中なので、少年球児の姿はどこにもないはずだ。そう考え、するめを食べていたあの岩に座って、ゆっくりとミルクセーキを飲もう! 今日だけは自分の世界に入っちゃおう! そう思って、ゆっくりと公園内に入った瞬間、オレの死んだ魚のような目は、生き返ったのを通りすぎて、飛び魚のように飛び出そうになった。
「……大?」
混沌の暗闇から少しずつ姿を現したのは……大だった。大が、ベンチに腰掛けている梓の目の前に立っている。
その時、大の左手が、持っていた黒のリュックサックの方に伸びた。
――なんだ? 何が出てくるんだ?
それはまるでスローモーションだった。大の手がリュックサックからゆっくりと出てくると同時に、頭を左右に動かしながら辺りを見渡す。大事そうに出し、梓にそれを渡した。
――あれっ?
月光で輝く銀色のナイフを予想していたオレは、マンガみたいに口をポカーンと開けて立ちすくんだ。梓に向かって差し出した物、それは……
「これ……何? どうゆうこと?」
「これ? 花菱草。別名、カリフォルニア・ポピー。え〜と、花言葉は、「私の願いを叶えて」てんだよ。本当は、これを梓に渡して、元の関係に戻れたらなぁ、と思ってたんだけど……梓がこんなオレを呼び出すって事は、新しい男でも出来たかな〜って、なんとなく予想出来たんだ」
「そっか。……ぁ、ありがとう……」
梓は、そのオレンジの小さな花弁を不思議そうに見ながら、大を心配そうに見つめる。
「……じゃあな! もうオレのことは、忘れろよ!」
「ぇ、ちょっ、ちょっと! これどうすんの……」
梓から放たれた言葉は、もう大の耳には入らなかったようだ。梓は、横に置いたカリフォルニア・ポピーを見ながら、下唇を噛んでいた。 その時、大は梓に向かって強引に鉢を押しつけ、それと同時にポケットに手を突っ込んで、うつむきながらその場を去った。梓が持っているカリフォルニア・ポピーだけが妙に明るくて、不思議な空間がそこにはあった。
オレは、大がゆっくりと落胆しながら公園を出て行くのをこっそりと確認して、一つ深呼吸をした。その場に自転車を置き、かかとが潰れた靴をきちんと履き、何事もなかったかのように歩き出した。
とは言っても、何事も無いのにこんな時間にこんな場所にいるはずがない。まして、オレは今、自分の部屋で寝る支度をしている設定だ。何かの理由をつけなければならない。と、その時、オレの頭の上で電球が光り、ほんの数分前の出来事が蘇った。 それは、梓のお母さんと話し終わって、帰り際に言われた発言だった。
『あ、潤くん! もし帰りにあの子にあったら、あの子に、いくらなんでも帰り遅いから、早く帰ってきなさい! って言っておいて! 会ったらでいいから! ねっ! お願いねぇ〜〜』
――これだ! これしかない!
オレは心の中で、何度も練習した。
『あ、梓! お前の母さんが早く帰ってこいって言ってたよ!』
……なんかぎこちないな。まぁいっか。オレはいつもこんな風にO型の血が騒いで、大雑把になる。
あ、梓!お母さんが早く帰ってこいって言ってたよ!
あ、梓!お母さんが早く帰ってこいって言ってたよ!
あ、梓!お母さんが早く帰ってこいって言ってたよ!
………………
…………
……
とりあえず、足を進めよう。オレは一歩一歩踏みしめ、偶然を装いながら梓のもとまで歩いた。梓は、カリフォルニア・ポピーの鉢を地面に置いて、疲れきった亀みたいにずっと下を向いている。オレの姿はまだ見つかってないようだ。
こう言うのって慣れてないんだよな……
オレは頭が真っ白になり、かける言葉を度忘れして、しどろもどろになりながら話しかけた。
「あ、いたいた!」
……今のは、ちょっとわざとらしかったかな。オレは少し後悔しながらも、ま〜いっか。のO型の精神で乗りきった。
「梓、お母さんが早く帰ってこいって言ってたよ!」
梓がびっくりしながらオレを見た。
「えっ……潤!?」
梓の顔は、絵文字で表しやすいくらい分かりやすい表情だった。
「……え、こんな時間に……どうしたの?」
「どうしたのって、梓のお母さんに頼まれたんだよ。あれからどうせ後は寝るだけだったから、家でラジオ聴きながらくつろいでたら急に梓のお母さんから電話来て。梓の帰りがあまりにも遅いから、めちゃくちゃ心配して、早く帰らせてって言うことで、若いオレが呼び出されて。んで近所にいるだろうと思ったから、探してたんだ。そしたら梓がここにいたってわけ」
「えっ? そんなに遅いの?」
「……ほれ。もう明日だよ」
オレは時計を梓に向かって差し出した。針は確かに、一時十二分を差している。
「な? もう帰らないと」
梓は『信じられない!』と言う表情を浮かべながら、苦笑いした。
「嘘だ〜〜!『塩谷美咲の気まぐれライブ中継!!』見逃した〜! あぁ……今日はKAIの新曲が初披露される日だったのに〜」
――来た! オレの見せ場! 実は……ちゃっかり録音してました! 家でラジオを聞いていたけど、駅に向かわなくてはいけない時間になったので、聞くのを止めて途中までしか聞けなかったから、途中から録音しておいたのだ。
「録音なら、してるよ。途中からだけど」
「本当に? ……さすが潤だね!」
そう言って梓はオレに軽くハイタッチを求めてきた。オレはちょっと照れながら、梓の左手に向かって右手を走らせた。
「早速聴かない? オレも途中からは聴いてないから」
「うん!」
今の梓は、無理してない、自然な笑顔を保っている。それが何故だか、嬉しかった。
オレは片方のイヤホンを梓に渡した。
『……のですが! なんと! 今日はKAIさんが新曲をリリースすると言うことで〜早速ライブ中継をしに来ちゃいましたっ!!』
「いよいよ始まったね!」
「だな! どんな曲なんだろうな〜」
『それでは早速歌っていただきましょう! 曲はKAIで、『ノスタルジック・メモリー』です。どぞ』
前奏が始まった。なんとなくだが、この曲は卒業ソングらしい。弾き語り特有のメッセージ性の強い歌詞と、なんとなく切ないアコースティックギターのメロディが、絶妙なハーモニーを生み出す……ちょっと言いすぎたかな? まぁそれくらいいい曲だった。
曲が終わった。今回もKAIさんらしく、盛大な世界観と言うより、凝縮された世界観が描かれていて、これならヒットするだろうと直感で感じた。
『……はい、ありがとうございました。えっとですね、ぇ〜、この曲の発売なんですが……ちょっと待って下さいね。今ちょっと、パソコンでホームページ開いてます……』
――そんなんせんでも今から本人に聞いたらいいじゃん! この番組を聴いていると、ついツッコミを入れたくなる。お笑い芸人を目指している皆さん!この番組でツッコミの練習してみてはいかがですか? ……なんつって。
「そんな事してないで本人に聞いたらいいのにね!」
梓まで同じ事考えてる。
「やっぱり梓も思った?」
「潤も? ……面白いなぁ〜」
それでもラジオは続く。
『ぇ〜、ぉ、ありました! 何々〜? ……ぁ、今日です。えぇ、今日ですね。価格の方ですが……普通に千円ですね。卒業シーズンにぴったりの曲、いかがでしょうか? ……え、あと2分もたせろって?? じゃあ……ここで一曲! 塩谷美咲で、卒業フォトグラフです。どぞ。』
――適当だ。やっぱり適当だ。だけど、塩谷美咲さんが即席カバーした『卒業フォトグラフ』は、なかなか上手かった。さすが、音楽番組の司会者だ。(関係ないか。)
『……お前は、おいらの宿敵、そのもの〜……はい、ありがとうございました! それでは今日はこのへんで! シィーユーネクストターイム! バイバーイ!』