最後の漫才
廊下から足音が聞こえてきた。今度こそきっとハナケンだろうと思った。しかも、その足音が近づくにつれて、徐々に音の数も増えていった。どうやら他の連中も釈放されたらしい。ハナケン率いる三年A組のクラスメイトは教師への文句をぶつぶつと喋る塊と化し、その塊は廊下からザワザワしながら一気に教室に入ってきた。やっと三年A組も他のクラスのような賑わいを取り戻した。
「疲れたね〜説教長すぎだよね。卒業式前なのにね。あ、梓じゃん! おはよ〜」
「あ、都、おはよ〜。明里も、彩香も、くみちゃんも、ちなっちゃんもおはよ〜。みんな大変だったね」
「もう本当に嫌になる。肩凝ったもん。だるすぎて」
最初に梓を見つけて挨拶したのが、元チア部の野田。その次の矢田も和桐も結城も肩が凝っている橋本も、みんな元チア部。やっぱり部活で養った友情はすごいなぁと思った。
と、そんなことをぼ〜っと考えてる内に、ハナケンが教室に入ってきた。
「ただいま〜めちゃくちゃ怒られた〜でも、泣かなかったぜ!」
ハナケンはそうふざけながら言うと、オレに近づいてきて、自分を指差しながら「えらい〜?」と、まるで幼稚園児みたいに可愛らしく笑ってみせた。どうやらそんなに重い罪にはなっていないようだ。
「やめろや〜気持ち悪いなぁ〜……ハハ」
「でも高橋はかなり泣きそうだったぞ」
ニヤニヤしながらハナケンが言った。
「う、うるさいなぁ〜……別に泣きそうだった訳じゃねぇし!」
「ほぉ〜……じゃあ、その腫れぼったい瞼は何なのかな〜」
「これは……あの……あれだよ。その……」
高橋はハナケンにバレないように、オレに助けを求めてきたが、急には言い訳は思い付かなかった。
「これぞまさに、『墓穴を掘る』だな」
坂木が自分のメガネを煌めかせながら口を挟んできた。
そう言えば坂木と高橋は『紅葉の名コンビ』として知られているが、二人とも同じ二神中だったのに、それまでは仲がそれほどいいって訳じゃなかったらしい。
「なぁ高橋、今日で最後なんだしさ、坂木との最後の漫才、見せてくれよ」
そう。二人はただの仲良しコンビではなく、お笑いコンビなのだ。
あれは一年生だった頃の夏休みだっただろうか。水泳が苦手だった坂木が、学校のプールを使って秘密の特訓をしていると言う噂が学校中で流れた。我が紅葉高校のプールは、かなり昔に事故で死にかけた生徒が出てから、水泳部が使う時以外は閉鎖しているのだが、坂木は当時『紅葉の新星』と呼ばれていた桃井と一緒に朝早くから泳いでいたのだそうだ。桃井もそれが悪いことだとは知りながらも、クラスメイトの熱意に負けて、指導していたらしい。
それを偶然見てしまったのが、当時の生徒会長、高橋の二つ上のお兄さんだった。
たまたま大学受験のための夏期講習に朝早くから学校に来ていて、プール脇の自転車置き場に自転車を置いた時、目の前のプールからバシャバシャと言う怪しげな音が聞こえたので、そぉっと覗くと、それが坂木と桃井だったのだ。桃井は高橋の家によく遊びに行っていたから、顔をチラッと見ただけで分かったのだそうだ。
その後、水泳の朝練が終わった二人を待ち伏せて、生徒会室に連れていき、その後、ちょうど真上の生徒指導室で、坂木と桃井の必死の答弁も虚しく、みっちりと叱られたのだそうだ。 その夜、生徒会長の兄からその話を聞いた高橋は、それを聞いてピンと来たそうだ。
当時、秋の文化祭に向けて、ステージ発表でお笑いをして人気者になってやろうと目論んでいた高橋だが、ネタが思い付かないと共に、相方もいなかったので、坂木とコンビを組むのと共にこの水泳事件をネタに、文化祭で披露しようとしたのだ。早速次の日に坂木の家を桃井から教えてもらい、交渉をしに行ったそうだ。結果はもちろんノーだったのだが、夏休みが終わっての二学期の初日、坂木がいきなり重大発表をしだしたのだ。
「オレ、高橋とコンビ組んで漫才やるから」
もちろん一同はポカーンとしていた。それもそのはず。坂木はクラスでも地味な方で、ガリ勉と呼ばれてもおかしくないくらい勉強をしているやつだったのだ。それがいきなり漫才だなんて。その後、坂木は初恋が実ったような嬉しさに溢れている高橋のもとに歩みよった。
「あれをネタにされたら困るから、オレがちゃんとネタ考えてきたから。お前は台本を覚えりゃいいだけだから。頑張ろうな」
こうして高橋と坂木の漫才コンビがスタートしたわけだが、肝心なコンビ名がまだ決まっていなかった。そこで、クラスで案を出してもらい、その中から決めることにした。案として出てきたのは、やっぱり水泳事件に関連した『水しぶき』や、坂木の容姿を鮮明に捉えた『めがねざる』、更には『スカートめくり』等の高橋の昔の趣味を取り入れたものがあった。その中から選ぶと決めていたが、あまりにも悪ふざけが多かったので、一番まともだと思った『水しぶき』にすることになった。
そして文化祭当日、演劇部のミュージカルの後というちょっとしんみりした雰囲気の中、『水しぶき』の二人は、大爆笑をとったのだった。その後も昼休みに漫才を披露したりして教室を笑いで包み込んだ。そして去年の冬、高橋の「今のオレらはのっている」の一言で、とうとう素人テレビ漫才大会に出場することになった。意気揚々と予選会場に向かったが、結果は惨敗。やはり文化祭の大爆笑のレベルでは全国ネットは早すぎたようだ。オレは挑戦しただけでもすごいと誉めたが、それ以来漫才は一切しなくなった。思い切って言ったはいいけど、本当にやってくれるのだろうか。
「えぇ〜……まぁ、坂木が良かったらな」
「えっ、いいの? まじかよ! ありがとうな」
「まっ、最後だしな。潤にそこまで熱く言われたら、やるっきゃないでしょ。おい、坂木?」
高橋の呼び声に、元柔道部の内原と喋っていた坂木がビクついた。
「全部聞こえてたよ。はぁ〜まじでやるのか〜」
坂木が嫌みたらしく言った。
「まぁ最後なんだし。頑張ろうで! よし、潤、今いる3年全員集めてきて!」
「えっ、オレが?」
「潤から頼んだんだからそれくらいしろよ」
「……分かった」
オレは渋々教室を後にし、隣のB組から順番に宣伝してまわった。そのおかげもあってか、百人くらいの観客(卒業生)がA組に集まった。入れなかった人々は廊下側の窓から無理やり体を乗り出してまで二人を見ていた。二人が台みたいなやつに乗ると、自然と拍手が起きた。
「え〜、じゃあ……今までで一番面白いネタしま〜す」
高橋が意気揚々と言った。
「ちょっ、高橋! 何でハードル上げたん!?」
坂木がお返しに、間髪入れずに軽く突っこんだ。
「いや、せっかくだから渾身のネタを披露しようと思って……まぁ任せろって」
「頼むよ〜? ……もう」
「え〜、そんなこんなで始まった漫才なんですけれども……」
「えっ、もうこれ始まってんの?」
「当たり前じゃん。てかさ、オレ達今日で卒業するわけですが、何か『これは鮮明に覚えてる』って思い出、ある?」
「う〜ん……やっぱり、修学旅行かな」
「例えば?」
「じゃあ……やっぱあれかな。夜の秘密会議かな」
「ほうほう。あの好きな人とかの話で盛り上がるやつね。みなさんも多分やったんじゃあないかな〜と思うんですけれどもね。修学旅行の裏のメインイベントでございましてですね、色々と恋の話だとかを暴露していく会議でして。ボクも実はそれに参加していまして。すっかり暴露しちゃいました。ねぇ〜。えっ、気になりますか。まぁそいつは秘密という事で」
「なんだ〜秘密かいな〜」
「えぇ。で、その時に一緒にいたあちらの神崎君なんですけども、なんと、会議中にいきなり勢いよく布団に潜り込んで、何だかよく分からないですけどモゾモゾと動いてですね。……な〜にしてたんでしょうねぇ」
あのときは確か、梓とメールをしていて……まさか、勘違いしてるのか?
「ぉ、おい! オレは別に疚しい事なんか、してないぞ!」
思わず叫んでしまった。
「おや? 別に疚しいだなんて誰も言ってないですけどねぇ。まさか神崎君……」
「ぇ、ぁ、いやっ、その……」
教室中に笑いが起きた。オレを使って笑いを取るなんて……後で覚えてろよ。
あの時オレは、確かに梓とメールをしていただけだ。梓、勘違いなんかしてないだろうなぁ。最悪の事態を想像して、恐る恐る梓の方を見る。すると、梓もこっちを見ていたようで、パッと目が合った。その目は、確かに疑いの目であった。やっちまったぁ〜と思い俯くと、周りからピンクの声援が飛んだ。恥ずかしい。実に恥ずかしい。なんだか体が変に熱くなったような気がした。
「で、そっからどうなったん??」
坂木の一言でまた教室中が二人の方に集中した。
「まぁまぁ、そいつは置いといて。てか、なんかボクもね、恋がしたくなってしまいました。ね。坂木君、相手役、頼める?」
「えっ? まぁいいけど……」
ミニコントが始まった。
「ねぇねぇ、坂木君、ちょっといいかな」
「ん、どしたん?」
「私、実は……坂木君のことが、ずっと好きだったんです。付き合って下さい」
高橋が何かを渡すジェスチャーをする。
「え、何? これ」
「ダイエットDVD」
「よ〜し、明日から早速ダイエット頑張るぞ〜! ……って、失礼やな! もっといいものプレゼントせんと」
「これだめ? じゃあ……私、坂木君のことが、ずっと好きだったんです。付き合って下さい」
「え、何? これ」
「父の形見の腕時計。けっこう高いらしいわよ」
「おぉ〜! これはなかなか高級感漂ってて……って、もらいづらいわ! いいものだけれども! もっとこう……もらいやすい感じで」
「もらいやすい感じで。分かった。……私、坂木君のことが、ずっと好きだったんです。付き合って下さい」
「え、何? これ」
「シャー芯」
「良かった〜シャー芯無くて困ってたんだよね〜……って、それはないでしょっ! 消耗品! まぁ確かにもらいやすいけれども」
「じゃあ……シャーペン本体にする?」
「もうええわ! ……どうも、ありがとうございました〜」
教室中が拍手で包まれて、文化祭の再来のようだった。その輪の中心にいる高橋と坂木の二人は、顔を赤らめながら携帯のカメラの、その騒々しいシャッター音の嵐に応じていた。
しかしそれもつかの間、ビシッと決まっている担任の如月先生が現れた。
「そろそろ席に着け。他のクラスの奴は自分のホームルームに帰るんだ。さぁ早く」
さっきまでの盛り上がっていた教室は、先生の一言でいとも簡単にシ〜ンとなった。