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前夜プチパーティ

 

 黒板の横の日めくりカレンダーには、二月二十八日、木曜日と書かれている。ふと窓の外を覗くと、もうすぐで桜のシーズンを間近に控えると言うのに、冷たい突風が吹き交っている。ぬくぬくとした教室の中では、『未来へ夢を羽ばたかせ』と言わんばかりに担任の先生がキラキラした目付きでこれからの未来を語っている。

 ――もう明日で卒業か。 意外と早いもんだな。

 我が紅葉高校の卒業式と言うやつは、中学の頃のように、合唱だとか、いわゆる『在校生に送る言葉』みたいな群読と言うものが無い、意外とあっさりした卒業式で、なんだか「本当に卒業するの?」と思うくらいなのだ。

 と、そんな先生と生徒の温度差がある教室の中から黒板の方を、ただただ何気なく眺めていると、隣の西岡さんがあらぬ方向を向いているのが分かった。何があるのだろうと思いつつも他の方向をきょろきょろと見ていると、西岡さんがツンツンと肩をつついてきた。西岡さんにそんなことされたことなんて今まで無かったし、何より今は一応授業中という事で、軽く無警戒だったので、ついビクッ! っとしてしまった。恐る恐る左を向くと、隣の西岡さんが軽く微笑みながら親指である男子を指していた。

 西岡さんは今年はじめて同じクラスになった女の子で、短めで少し茶色がかったつややかな髪を耳にかけている。大人しいのに目力が強いというギャップを備え持っているというのが特徴で、それを気にしてか、いつも前髪で目を隠そうとしている。休憩時間には何度か話したことがあり、クラスの中でも字が綺麗なベストスリーに入っているので、いつもノートを写させてもらっていたりする。どうもオレの顔を見る度に顔を背けるので、オレとしては話しづらいオーラが漂っているように感じる。そんな西岡さんは、クラスの中では以外と目立っている方で、俗に言う“隠キャラ”とは少し違うような気がする、ちょっとミステリアスな女の子なのだ。

 西岡さんが指差す方を見てみると、ちょっぴりふっくらしている男子が、こっちを向いてニコニコしていた。

 ――ヤツだ。花田健斗、通称ハナケンと呼ばれているやつだ。ハナケンは、ちょっぴりふっくらしているくせに身のこなしが俊敏で、意外と体育が得意で、しかもこのクラスで一番のお調子者と言う事で、意外とモテる。

 そんな何かありげなハナケンを指さして何があるのかと思いながら西岡さんをもう一度見ると、西岡さんは先生に見つからないように、そっとオレの膝の上に小さなメモ用紙のような紙切れを置いた。オレは何かがあるような気がしたし、西岡さんから無言で『読んでみて』と言うテレパシーみたいなのを感じたので、その紙切れを読んでみる事にした。


 ハナケンで〜す!! 

 ――冒頭からテンション高いなぁ〜


 皆、卒業おめっ! 

 ――なんでもかんでも略しすぎ! 


 と言うことで、今日の九時頃、中庭で前夜祭プチパーティーやるんで、参加できるやつは、↓ に名前書いてねぇ♪

 ――展開が早すぎるだろっ! 


 とか一人で勝手に脳内でツッコミしつつも、何のためらいもなく【参加者名簿】と書かれた四角い枠に、『神崎潤』と記した。

 ……あれっ、これフリガナもふらないといけないのか。なぜこんな安っぽい書類にフリガナが必要なのか。まさか卒業間近なのにまだクラスメイトの名前すら覚えてないのか。そんな大して話題にならないような小さなことに少し疑問を感じながら、さっき書いた漢字の上に、『かんざき じゅん』と記した。

「こら、神崎。どうした? 下ばかり見て」

 また細かい事にグチグチうるさい担任がオレを注意する。

「あ、なんでもないですよ」

「それならいいが……もうすぐ卒業だぞ。気を引き締めんか! かの有名な遣隋使、小野妹子おののいもこは、煬帝ようだい国書こくしょをうっかり盗賊に盗まれてしまったらしいと言うのをこの前テレビでやってたぞ。先生はな、話はそれたけどな、お前も気を引き締めんと小野妹子のように失態を犯してしまうぞ!」

 三年A組の担任である如月きさらぎ先生は、ハナケンいわく、“顔がイチゴ大福”だそうで、体育教師並みに威厳のある声で叫んでいるのに、どこかやんわりとしている社会の教師で、ことあるごとに歴史上の人物を用いて説教をする。

「すいませ〜ん」

「分かればよろしい。……え〜……どこまで話したかな。あっ、そうだ、思い出した。え〜、君たちは未来の日本を支えていかなければならないわけで……」

 毎日こんなやりとりを繰り返しているので、だいたいのペースはつかめていた。そんなワンパターンな担任がまた熱く語り始めたので、オレは仕方なくそっちに集中した。それにしてもこの先生は、顔はいいのに時々何となく間の抜けたような事を言い出すことがあるんだよな。「そう言うのも結構見るんだぞ」って。怒ってるのかどうかはっきりしないんだよな〜。


 ――その日の夕方、オレは一旦家にカバンを置いて、集まり等にはかかせない(校則違反だが)、『お菓子』を買いに、自転車で近くの駄菓子屋を訪れた。


 ガラガラガラ……


 そこは昔からある駄菓子屋で、よく小さい頃には小銭を小さい手で握りしめながら店内をまわっていたものだ。

あまりにも久しぶり過ぎて、駄菓子屋のおっちゃんが心配だったが、ピンピンしていたので少し安心した。

 オレはとりあえず、ポテチやら、ジャガイモの棒みたいなやつやら、出来るだけ大人数で食べられるものを手に取り、最後にいつもの、【スルメの串刺し 二十円】をプラスチック容器から抜き取った。 スルメの串刺しってのは、小さい頃によく買って食べていたもので、唯一自分だけの食べ方がある代物だ。それは、必ず駄菓子屋の近くにある公園の、銀杏の木の下にある巨大岩に座って食べると言うものだが、今となっては巨大岩もちょうどいい椅子みたいになっている。

「はい、全部で四百二十八円だから……四百円ね」

「えっ、おっちゃん、いいの?」

 おっちゃんは恐る恐る店の奥の部屋を見渡して、にこっと微笑んだ。

「……ばあさんが寝てるから。今のうち、今のうち」

 ばあさんと言うのは、ここらでは有名なケチばあさんで、値引き交渉しても絶対に値引きはしてくれない。普段はこの店で働いていて、たまに今日みたいに息子であるおっちゃんに店を任せる時もある。

「そっか。ありがとっ!」

 ガラガラガラ……

 オレは勢いよく店の引き戸を開け、自転車にまたがった。

「ありがとさ〜ん」

 その声を確認すると、オレはペダルを踏んで、目的地である学校に向かった。


 三分ほどこぐと、見慣れた公園が見えた。

 ……ここでちょっとひと休みするか。

 まだまだプチパーティーまで時間はあるし、久々に行ってみたくなって、公園の入口の柵の近くに自転車を置き、岩まで歩いて、その岩にドカッと座った。

 少し肌寒い公園には、オレ以外に全く人影がなかった。最近の小さい子はテレビゲームの方に走っていて、公園で走り回ることは少ないらしい、と昨日、ニュースでやっていた。オレがまだ幼稚園に通い始めた頃は、ギリギリではあるが、テレビゲームで遊ぶよりも外で鬼ごっこやケイドロや、キャッチボールをすることの方が多かったのを思い出す。

「……よくここで幼なじみとキャッチボールしてたなぁ」

 オレには幼なじみが一人だけいて、女の子だが、男の子のように皆でケイドロや鬼ごっこをするのが好きな人なのである。

 キャッチボールも得意で、その女の子は抜群にコントロールが良くて、いつも皆の前で空き缶を遠くからゴミ箱へ投げ入れていたほどだ。

 と、そんなことを思い出していると、どこからか一人の人影が見えてきた。セーラー服を着ていて、少し高めの位置に結わえてある短めのポニーテールの、見慣れた女子高生がオレに近づいてきた。暖かいような、冷たいような、その間のような中途半端な温度の風が、黒髪で短めのポニーテールを軽く揺すった。その人影の手には、先ほどオレが行っていた駄菓子屋の袋が握られている。どこかで見た事のあるその人影はオレの姿に気づいたようだ。人影の正体は……クラスメイトの梓ちゃんだった。

「あれっ? 潤くん?」

「梓ちゃん? ……えっ、どしたん?」

「いやっちょっと駄菓子屋によって買い物してから学校向かおっかな〜って思って」

 そう言いながら、梓ちゃんはちょっと微笑んで見せた。

「まさかオレと全く同じ考えとはね。さすが幼なじみ」


 ……はい、実はこの方が、オレの唯一の幼なじみ、上岡梓うえおか あずさなのだ。

 

 オレと梓ちゃんは三歳の同じ春の日にいわゆる“公園デビュー”を果たした。それからオレらはよく公園で遊ぶようになり、幼稚園でもよく一緒に過ごした。小学校では“六年連続同じクラス”と言う隠れタイトルを獲得した。

 しかし中学校では頭の良さの違いで同じクラスにはなれず、常に成績上位の梓ちゃんと、常に成績下位のオレというなんとも情けない関係となってしまった。

 高校受験では偶然にも同じ高校を志望していて、受験勉強も受験会場まで行くのも一緒だった。

 高校に入ってからは、オレは自転車通学、梓ちゃんはバス通学となって、一緒には通学する事は無くなったが、家を出る時間が偶然一緒だったので、毎日のように姿は見えた。だが、お年頃なオレらは目を合わせる機会が徐々に少なくなっていった。


 少し時間がたったところで、オレは梓ちゃんに何か喋りかけないといけないと思い、色々と話題を考えて、三分くらい経った時に、一つの答えにたどり着いた。

「良かったら、今日の前夜プチパーティ、一緒に行かん?」

「あ、うん。良いよ良いよ! 今から歩けばちょうどいいし……行こっか!」

 オレと梓ちゃんは、公園を後にした。まだまだ時間に余裕があるのだが、歩いて二時間はかかる学校まで二人で歩くことになった。

 普段は自転車で風を感じながら登校するので、なかなか新鮮さを感じた。梓ちゃんは自転車に乗ってきてはいなかったので(いつもバス通学だしね)、オレは二人分の荷物を自転車の籠に入れて押して歩いた。

「あ、そうだ。彼氏さんとは上手くやってんの? ……確か、もうすぐ二年だろ?」

 梓ちゃんは、下を向いて、なんとなく良い答えを探しているように見えた。

「……えぇと、て、てかさぁ……ぅ……ぁあのですねぇ……もうまさるとは結構前に別れたんだ。言ってなくて、ごめんね?」

 梓ちゃんは下を向いたまま頭の上で手の平を合わせて謝ってきた。正直驚いた。あんなにラブラブだったのに。

 大を直接は見たことは無いが、写メールで何度か見たことあるので、だいたいの顔は思い浮かぶ。いかにもニックネームが“白馬に乗った王子様”みたいな、綺麗な顔だったのを思い出す。軟弱で温室育ちだという事も梓ちゃんから聞いた事がある。

「ぇ……なんで? ホンマになん?」

「本当だよ」

 そう言うと、梓ちゃんはその経緯を教えてくれた。

「実はね、高一の時に知り合って、高二の春に告白されるまで、全然そんな感じの感情は無かったんだ。本当だよ?」

 オレは、ただただ梓の話を聞くしか出来なかった。

 なおも梓の話は続く。

「それは付き合ってからも変わらなかった。でも、あたしって、昔から断れない性格でしょ? だから、大の積極さって言うか、しつこさに負けちゃって……」

 梓は唇のハシッコを強く噛んだ。

「好きでもない人と付き合うのはその人にとってもあたしにとっても良くないとは思ったんだけど……やっぱり長い間一緒にいると気付かれるのね……」

「気付かれる? 何を?」

「先月くらいからやけに大が優しいと言うか、よく気遣うようになって。『なんで?』って聞いたら、あたしの気持ち見透かされちゃっててさ」

「それで、『本当は好きじゃないんじゃないの?』って聞かれたから、勇気出して全部言っちゃたってわけか」

「うん。……そのあとはメール送っても無視されてさ……いわゆる自然消滅ってやつなのかな?」

「それって梓ちゃんがフったことになるんじゃない?」

「あっ……そっか。それもそうだね」

 梓ちゃんはかすかに微笑んで見せたが、あきらかに無理した表情だった。梓ちゃんは昔から優しくて、人を傷つけるのが一番嫌いだった。なのに、好きでは無かったけど一応付き合ってた元彼氏を傷付けてしまった。それがなんだか喉につっかえて取れないのだろう。今まで人と付き合った事のないオレには分かりにくい苦しみだが、なんとなく気持ちが分かるような気がした。

 つむじ風が、びゅぅっと吹いて、赤や茶色、それに銀杏の若い緑の葉を巻きながら飛ばしていった。 あたりはオレンジ色から、徐々に紺色と灰色を合わせたような色に変わってゆく。


 ……そう言えば、オレの隣に女の子がいるってのは中学の低学年以来だなぁ。

 それまではあまり恋愛に興味無かったし、男友達大勢とワイワイ騒ぎながら日々を過ごす方が楽しいと感じていた。男女関係を強く感じたのは、たしか高三の十月くらいからかな。

 それまでワイワイやっていた友達が、突然『彼女』だとかそっちの方向に向かって行って、『彼女』とか言うやつが似合わないと思っていたオレは、なんだか自分だけ置いてきぼりな気分だった。

 そんな中、突然現れたのが、かおりだった。

 ある日、と言うより、クリスマスのちょっと前の、凍えるように寒い日に、近くにある天王山高校に通っている昔からの友達である拓也からメールが届いて、週末に一緒に遊ぶ事になった。

 その時に一緒に遊んで、しかも最終的に二人きりで色々と話せるくらいまで仲良くなったのが、香だった。

 拓也からの紹介で知り合ったのだが、一回遊んだきりまるで糸が引きちぎれたかのように、関係がほとんどなくなってしまった。メール等はたまに交わすくらいで、その内容も下らないことばかりで、一向に恋に発展しそうにない。オレと香の間には、お互いに距離ができてしまったのだ。やっぱり、その場限りの関係だったのだと、今頃になってやっと気付いたところだった。

 ちなみに、香は大の幼なじみで、よく会話にも出てきた人物だった。

 最近までは受験勉強もしなくてはならなかったので、プライベートを有効に使うことが出来るようになったのも、大学の入試試験が終わった、ついこないだくらいだった。

 そんな中、梓はしっかりオレを応援してくれてて、不気味なほど熱心に話を聞いてくれた。

 やっぱり、人は他人なくしては前に進むことは出来ないってことかな。

 ……なんて思ってみる。


 そんなことを考えている内に、学校に着いた。辺りはもう一番星を見つけられるとかそんなレベルの問題ではなく、下手すれば星座だって観察できるくらいまで暗くなっていた。

 時計を見てみると、前夜プチパーティの始まる予定時刻より、一時間ほど早かった。

 こんなに早いと、仕事熱心な体育教師に見つかると思い、部室の裏に潜むことにした。

「集合時間よりかなり早く来ちゃったから、ちょっとここで待っとこうか」

「うん」

 何となくだが、梓ちゃんとの距離がさっきから数センチづつ、徐々に近づいているような気がする。……気のせいか。

 ――ふと、三年A組の教室の方向を見る。

 その三年A組の教室のちょうど奥には、前夜プチパーティが行われる予定の、中庭がある。

 オレは、三年A組の教室を見ながら、あと十二時間後にはあそこにいるんだよな。なんて思って、ちょっと不思議な気分になった。 


 それから数分。ようやく仕事熱心な体育教師の車のライトが消えて、照明の無い古びた景色のグランドに、月明かりだけが灯っている。

「……よし、そろそろいくかっ!」

「うん! なんだかドキドキしてきた。ホントはこんな事しちゃいけないもん……」

 梓ちゃんがそんなこと言うもんだから、オレまでだんだんドキドキしてきた。

「大丈夫だって! 多分、もう何人か来てるはずだよ」

 そう言ってオレは、グランドへと続く道のフェンスの、破けて穴になっているところを指差した。そこはちょうど人が一人入れるくらいの穴になっていて、怪しげな人影が三つ、明かりの中に浮かび上がった。おそらくハナケン、高橋、坂木の悪戯大好きトリオだろうと思われる。

「……な?」

「……あ、本当だ」

 怪しげな人影がこちらを指差して、無言で手を振ってきた。

「行こうか」

「……うん」

 さぁ、最後の思い出作りの始まりだ。

 オレと梓は校舎と校舎の間にある中庭に向かって密かに歩きだした。


 中庭に向かって伸びているレンガ作りの通路は、それぞれが一階の各教室と繋がるように放射状に広がっており、中心にはちょっとした会話が楽しめるように、机と椅子が置いてある。 本当にこれが公立高校の中庭なのか? と疑問を持つほど芸術的なデザインだ。

 そんな中庭では、個性的なガーデニングがいくつもしてある。

 我が紅葉高校には、年に一回、それぞれのクラスが手入れしている庭の綺麗さを競う『ガーデン・コンテスト』というものがあり、毎年春先に開かれる。その時に施されたガーデニングが並べるように置いてあるのだ。

 昔からの友達である拓也が通っている天王山高校では、遠足に行って新しいクラスメイトと親交を深めるらしいのだが、この学校ではそれがなく、かわりにガーデン・コンテストがある。

 我が紅葉高校は、環境に優しい緑豊かな学校を目指しており、その一貫であるガーデン・コンテストは、『緑いっぱいの紅葉高校』をテーマに、各クラスで自分たちでガーデニングをするというものだ。新しいクラスになってからだいたい6月の上旬までで中庭に割り振られている自分たちの庭に造園し、その美しさを競う。その際、教員は一切手を加えてはならない。クラスメイトとの交流である『企画』からはじまり、生徒会から与えられた資金を使って『買い出し』に行き、『配置』や『飾り付け』などを自分たちで分担してしなくてはならないので、けっこう大変で、その分やりがいもある行事だ。

 今年度は、なんと我が三年A組がグランプリに選ばれ、中庭のど真ん中に三年A組の作った庭が飾られている。

 そんな中庭の中心では、もうクラスの大半が揃っていて、何やら静かに、そして怪しげに、準備が始まっていた。

「……よぉ! お二人さん、なかなか遅かったな」

 ……ハナケンだ。少し小声で喋りかけてきた。

「いや、実は部室の裏であの体育教師が帰るのをずっと待ってたんだ」

 と、そこで一瞬沈黙が流れた。

「……ぇ、部室の裏って……まさか!? えっ!? まさか!?」

 ハナケンのわざとらしい言葉に、オレも梓ちゃんも何かに勘づいたようで、チラチラと横にいるお互いを見てしまい、ついには梓ちゃんと目が合ってしまった。オレは焦りながらも必死に身の潔白を証明しようとした。

「ちぃがうよぉ! ちょっと話したぐらいさ……なぁ?」

「……あ、ぅ、うん。何もないよ! 何もない!」

 ほんまかいの〜 と言わんばかりに目を細めて軽くニヤける群衆達。オレも梓ちゃんも、互いに顔をチラチラと見合って、その度に小さく背ける。

 なんとなくぎこちない時間がオレと梓ちゃんの間に流れた。

 とりあえずオレらはまず、今年から作られたオープンテラスみたいなやつに座って、定番のお菓子交換をすることになった。このオープンテラスもどきは、今年から出来た建築科の生徒が、卒業記念に作ったものだ。

 なぜ今更ながら建築科が出来たのかは謎だが、近年、田舎だった近所が、急に開発を進めて、巨大ショッピングモールが立ち並ぶようになったのが原因かもしれない。

『そんなに開発してもおばあちゃんしか来ませんよ〜って言ってやりたいよなぁ……』

 なんてことをしょっちゅうハナケンが言うもんだから、よく話題になって、それで盛り上がったりしたもんだ。

 そんな中、いつの間にか話題は何故か鬼ごっこの話へと変わっていった。なぜいまさらながら鬼ごっこの話なのかと言うと、ある1人のクラスメイトを見ていた悪戯大好きトリオの一人、話題提供係の高橋が、突然『鬼ごっこ必勝法』について語り出したからだ。

 で、そのクラスメイトってのが、鈍足短足おデブちゃんの木下のことだった。

 木下は、顔がいったんもめんで体はジャイアンと言う、かなり強そうな体つきだが、俊敏な動きがまるで苦手な、クラスメイトで一番描きやすいキャラなのだ。そのかわり勉強はすごく得意で、悪戯大好きトリオの点数を足しても勝てないほどだ。(悪戯大好きトリオの点数が低すぎるだけかも知れないが)

 高橋が口を開きだした。

「あのさぁ、これはオレの個人的な意見なんだけど、木下の靴の裏にローラースケートつけて走れば、皆と同じレベルで鬼ごっこ出来るんじゃねぇ?」

 すると、悪戯大好きトリオの頭脳派ツッコミ役、メガネの坂木が後に続いた。

「ローラースケート……懐かしい単語使いますねぇ〜。でもさ、それ絶対ローラーの部分がミシミシ言ってさ、見ていて怖くなるよな」

 男子四,五人が一斉に想像し始めた。やっぱり想像しやすかったようだ。皆が一斉にクスクス笑いだした。

「やっぱ最高だわ、木下!」

 高橋が大声で笑い出した。静まりかえった学校の敷地内でその笑い声が響き渡ると、近所の住民に見つかってしまいそうで、高橋は慌てて口を手で押さえた。

「お前馬鹿だろ!」

 思わずオレの口から言葉が飛び出た。

「……ははっ、悪ぃ悪ぃ」

「……ったく〜」

 視線の先に居る木下を見つつ、ため息をひとつ吐いた。

 ……木下は何もやってないのに人気者だからいいよな〜。

 なんて思ってちょっと後ろを向くと、ベンチにちょこんと座った梓ちゃんが見えた。 オレは梓の方に怪しさ満点の忍び足で近づいて行った。ゆっくり、ゆっくり。気付かれないように……。背中に近づいた時、バンッと両肩を叩いて驚かそうとしたが、梓の携帯の画面が見えて躊躇ちゅうちょした。

 画面には、同じようなメールが、十件ほど並んでいた。

『梓、そろそろ答えが欲しいな。僕は君に会いたいんだ。今度会わないか? そうだな……映画とかはどう? それとも食事がいい? ねぇ、どう?』

 梓ちゃんはそのメールを見ながら携帯をぎゅっとにぎって、悩ましげに肩を落としている。さすがのオレでも空気を読んでその場を逃れようとした。こういう恋愛関係の類は苦手なのだ。だけど……やっぱり放って置けなかった。オレは梓の横に同じようにちょこんと座った。それと同時に、オレの口が勝手に動きだした。

「あ、潤くん。どうしたの?」

 梓はさっと携帯を隠した。

「あのね、梓ちゃん。……あの、さ、さっきからどうしたん? 何かあったんならオレに言ってみぃや。言ってみたらちょっとは楽になる……かもよ?」

 ダメだ、やっぱアドリブじゃなくてちゃんと手に下書きを書いておけば良かった! 冷静になれよオレ! めちゃくちゃ棒読みじゃん! 

「えっ……そうかな? 普通だよ。大丈夫だから。今日は皆で楽しまなきゃ意味ないじゃん! ねっ?」

 梓ちゃんは、無理矢理な作り笑いをして、なんとかこの居心地の悪い空気を変えようとしていた。

 何、無理してんだよ……。

 オレは、ちょっとがっかりと似た、何か不思議な気分になった。幼なじみって、何でも言えるから幼なじみなんじゃないかなって思ってたのに……。

「そっか。……ならいいけど」

 オレは下を向いてしまった。梓ちゃんを励まそうとしたのに、逆にオレが励まされてるじゃん……。本当は、もっと話題広げて笑い合って、その場をしのぎたかった。その方が、梓の笑う顔が見れると思ったから。けど、それって本当に心から笑った顔なんかじゃないんだよな。

 ……って何考えてんだろうな。オレ。


 しばらく長い沈黙が続く。梓ちゃんの携帯が何度も着信を知らせていた。その度に梓ちゃんはため息を吐いた。それもそのはず。いままでメールを送っても返ってこなかった相手から、急に、数分に一通の割合でどんどんメールが届いたら、だれだって戸惑うだろう。この状況を打破するために、なんとかしたかった。でも、どうしていいか分からなかった。夜空を見上げると、雲の合間から何千、何万と輝く星達が、オレたちを見守っていた。夏の大三角形や冬の大三角形みたいに、春にも大三角形見られないのかな……。どうでもいいことだけど、なんとなく知りたくなった。後で調べておこう。何かに役立つかもしれないし。


 その時だった。オレの頭の中にある細い神経と神経が繋がったかのような感じがした。

 オレと、梓ちゃんと、大――。


 ……三角形だ。

 ……違うか。

 ……何考えてんだろ。別に何とも思ってないのに。ましてや幼なじみだし。


 オレは、やっぱり今すぐに知りたくなって、夢中で携帯を開き、『春の大三角形』を調べはじめた。検索画面に『春の大三角形』と打ち、検索ボタンを押した。検索結果を見ると、二千件ほど出てきた。以外と関連性のある記事が多いんだなぁと思うと、すぐにちょうど良いページが見つかる様な気がしたさっきのオレを、ちょっと恨んだ。

 しかし、意外にも一番上に表示されたページにちょうど良い記事が載っていたので、これを梓ちゃんに見せる事にした。

「梓ちゃんっ! これ見てよっ!」

「えっ、あっ、びっくりした〜……何?」

 しばらくお互い黙り込んでいたので、オレの言葉に少し驚いたようだ。梓ちゃんがオレの携帯を覗きこんだ。それと同時に、オレはすぐに小さい子供が嬉しそうに自分の描いた絵を説明しているかのように語り始めた。

「春の大三角形。ほら、夏の大三角形とか冬の大三角形は有名だろ? 春にも同じように、大三角形があるんだ」

 梓ちゃんは興味津々で文章を読んでいる。

「東の空を見上げると、獅子座のデネボラ・乙女座のスピカ・牛飼い座のアークトゥルスの三つの星で、出来てるんだ」

「へぇ〜わざわざ調べたの? すごいね!」

 オレは胸を張った気分になった。

「いつか見てみたいなぁ〜」

 梓ちゃんがそんな事言うから、思わず口から言葉がこぼれた。

「じゃあ行こうよ! あそこに登ったら、何か見えるかもしれない!」

 オレは、さっきまで隠れていた部室を指差した。

「えっ? 今から?」

 ……ええい、こうなったら勢いに身を任せよう! 

「うん。今から!」

 オレは梓のセーラー服の袖を掴んで、部室まで連れていこうとした。

「おっと〜、お二人さん、どちらまで?」

 ……ハナケンだ。またもや、ハナケンだ。この状況でハナケンは……まずいな。変なちょっかいかけられたら面倒くさい事になる。

「あぁ、ちょっと梓ちゃんと部室行ってくるんだけど」

 なんとか冷静に振り切ろうとしたが、ハナケンの絡みからはそう簡単には逃げられない。

「おっと、部室ですか。はは〜ん……まさか……?」

 ハナケンがニヤけた。ハナケンの後ろにも、何人かニヤけている。

「んな訳ないから!」


 そんなこんなでクラスメイトからの視線を浴びながら、オレらは部室へと向かった。


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