【ろくろ首】(9)
チャリン、チャリン。
「あ・・・、あ〜あ」
口惜しそうに自販機の下を覗き込む旗屋欽之助。
時は、喫茶『クレーム』で山田小梅ら三婆、そして逢坂結女乃と会った翌日。
場所は、美次建設のレストルームの自動販売機の前。
小銭で重くなった財布を軽くしようと、律儀に10円ずつコイン投入口に入れていた欽之助。そのうち手元が狂って、10円玉の何枚かを転がしたのだ。あっ、と思う間もなく、うち1枚がコロコロっと転がって自販機の下の手の届かない場所に入った。
たかが10円が口惜しくて、何とか取り出せないかと、長い得物がないかあたりを見回していると、
「よ!何をやってるんだ。ハタキン」と先輩社員の丸川尚二が声をかけてきた。
「な、なんでもないです」
10円くらいでいじましい奴、とからかわれるのが嫌さに、欽之助は10円を諦めることにした。そこで、残りの10円を投入するも、悔しいことにちょうど、あと10円が足りない。
100円入れたら財布が軽くならないし、どうしようかと思案していたら、
「ほれ、10円奢ってやる」と丸川が10円を足してくれた。
「マル先輩、有難うございます」
飲み慣れたコーヒー缶のボタンを押しながら欽之助が礼を言った。
「相変わらず律儀な奴だなあ。10円くらい気にするな。ところで昨日はどうだった?」
丸川が回してくれた案件である。
「あ、すいません。報告が遅くなりました」
素直に欽之助は詫びを入れた。
「ああ、それより、おばちゃんたちに、散々いじられたんじゃないか?」
「はは、それはそうですけど、今回お客さんになる小説家さんには会ってきました」
「どんな子だった?本当に若い子だったか?」
丸川、ここで意味深なことを言う。
「ええ、25、6の若い娘さんでした。あんな若くて20万部のヒットってすごいです。しかも、彼女、それまで引きこもりで家族から仕送りを貰って細々暮らしていたんです。それが、趣味で書いた小説が一躍ヒットして・・・」
「ふうん、見た目はどうだった?」
「ええ、引きこもりが長かったせいか、肌は荒れてましたけど、ノーメークでもとてもきれいな人でしたよ」
「ノーメークねえ」
「あのさ、例の『朧の寒苦鳥』、お前、初版がいつか知ってるか?」
「え、そう言えば、あまり気にしなかったなあ」
「ウィキとか見ろよ、一発だろ」
「だって最近でしょ。それがどうしたんですか?」
「あのな」
少し声を低くして丸川が言う。
「もう、30年前なんだ」
「え・・・」
あまりに意外な丸川の情報に、欽之助は瞬間声を失った。
「じゃ、じゃあ、あの人は嘘をついてるんですか?」
「さあな、だが、このサイトに逢坂結女乃の写真が出てる、ほら」
そう言って丸川は自分のスマートフォンで、逢坂結女乃という人物の写真を見せた。
そこには、美人作家として名を馳せた女性の、往年の姿が映っていた。
「きれいな人ですね」
「まあな、この美貌も手伝って、本が出た当時は、一躍時の人さ。もっとも、俺は生まれる前だから知らないけど、お袋に聞いたら、その当時は結構テレビとかで見かけたそうだぜ」
「でも、30年前じゃ、もう50も半ばだし、僕の会ったのは全くの別人、ってことですよね」
「そうだなあ。ま、あのおばちゃん連中に担がれたか?」
だが、何か気になるのか、何度も欽之助がスマートフォンの写真に自分の顔を近づけたり、遠ざけたりしている。
「ハタキン、何やってんだ、お前?」
「いやあ、この通った鼻筋と言い、切れ長の目と言い、僕の会った人と随分似てるなあ、って」