【ろくろ首】(4)
高度成長期に都市部に集まった地方労働者たちを受け入れて、急速に膨れ上がった県営のマンモス団地。市の中心まで、電車で一本というアクセスの良さも手伝って、1980年代ころまでは活況を呈していた。
ところがバブル景気の崩壊による労働者の離散と、建物の老朽化によって、団塊ジュニア世代には親の代から慣れ親しんだマンモス団地を後にするものが多かった。
後には、戦後第一世代の70以上の高齢者が取り残され、その穴を埋めるように外国人労働者たちが入居した。
霜山松子、山田小梅、原川竹子の三婆は、ともに70代後半、昭和40年代の古き良き時代に青春を過ごした世代である。
アポロの月面着陸や、大阪万博で沸き返る世の中で、若い頃から団地の世話役として活躍してきた。そして、やがて自治会の組織が確立した後も、常にこの三婆が団地を取り仕切ってきたのである。
一時は若い世代に交代を要請する声もあったが、30年前のバブル崩壊で団地は活気を失い、自治運営に積極的に参加する若い世代はいなくなった。
結局、ほかに頼む人もなく、松竹梅の三婆の地位は揺らがなかったのである。
「昔は、もっと活気があったもんよね。ねえ、まっちゃん」
「また、たけちゃんの愚痴が始まった。今だって、昔みたいにはいかないけれど、結構入ってる人多いわよ。まあ、確かに、昔と違って、お互い挨拶を交わす気安さはなくなったけどね」
「そうさねえ、ポストにはチラシが溜まってるし、階段や駐車場にもゴミが目立つし。壁も色が剥げて、すっかりネズミ色。かといって、今更、県が改修にお金を出すと思えんし」
三人の会話はいつもこの繰り返し、かつての良い時代の思い出と、今の現実の愚痴への繰り言である。そして、未だに残る喫茶『クレーム』で日長一日、人生の残りの日々を消費していた。
『クレーム』と言う客商売にふさわしからぬ名称も、実はこの三婆にちなんでいる。この喫茶店、もともとは『クレープ』と言った。
三婆の幼馴染が開店したよしみで、彼女たちはたびたび自治会の活動と称して利用した。そうすると、三婆に相談や頼みごとをしたい団地の住人も集まって、いつの間にか喫茶『クレープ』はなかなかの繁盛店になった。
もちろん、住人の相談事とは、ほとんどが不満や文句、修繕の依頼などである。
「隣の住人の音がうるさい」とか、「階段の手すりが壊れて危ない」とか、「頻繁にポスティングされるピンクチラシを禁止して欲しい」とか。
つまり、クレームである。彼女たちが処理するのは、そういう住民のクレームであり、いつのまにか喫茶『クレープ』は団地のクレーム受付所となった。それに、店のマスターも冗談がわかる人間で、とうとう店の名前まで『クレーム』に変えてしまったのである。
さて、松竹梅の三婆に『クレーム』で同席している若き女性。名前を、逢坂結女乃と言った。
自称、小説家。だから、このたいそう立派な名前も、本名なのか、ペンネームなのかは定かでない。
いつものように自分たちの話を延々と続ける三婆たちに、加わるでもなく、ただジッと下を俯いている。
俯いているから、長い前髪が前に垂れて、顔を半分隠している。そして、その髪の毛の下で、出されたコーヒーのプラスチック製のストローをひたすら噛み続けていた。もはや、原型をとどめないくらい噛み砕かれたプラスチックの管に、彼女の壊れたかけた心が垣間見えるようだった。
ふと、三婆の一人、松子が今日の要件を思い出したように口にした。
「そういえば、昨日のボク、ちょっと遅くなくて」
「昨日のボク」のくだりに、心なしか反応したように見える結女乃。
「ああ、そうだった。すまんなあ、今日の主役はあんただった」
小梅が結女乃に見せたわずかな気遣いに、彼女は下を俯いたまま、手を振って「いえ、いえ」をした。
だが、それもつかの間、また自分たちの話に戻って、昔話や愚痴に興じる松竹梅三人婆。
そして、おもむろに店内に鳴り響く、
カラン、カランという入店を知らせる鐘の音。
「す、すいません!お、遅くなりました」
汗だくになりながら、顔を上気させた旗屋欽之助の登場である。




