【ろくろ首】後日談(4)終話
「なれど・・・、法師様は、今でもかの者のことをどんなにか、お恨みのことでしょう」
かつての想い人、そして今は盲の法師、その人に自分の正体を知られるのが怖かった。
しかし、おぼろは突き上げる嗚咽のようにその言葉を発せずにはいられなかった。
その一言を聞いた法師の顔に、明らかにハッとした色が刷かれた。だが、すぐにその色を消して、穏やかな口調でおぼろの問いに答えを返した。
「お客人、それは煩悩です。仏様は、私たちは煩悩で悩み苦しむと教えられます。にくい、うらめしい、腹がたつ。その心は人に向けるものですが、それ以上に我が身を焼くのです。だから、私はかの者のことを、ひらすら忘れようと努めました。
しかし、法話にかこつけ、見も知らぬお客人にまで、かの者のことを語るのは、少しも心が離れておらぬ証拠でしょう。
この境涯にして、なお知らされるのは誠に人間は煩悩を離れて片時も生きられぬことです。
たしかに、恨みや怒りの気持ちはあります。しかし、それ以上に強いのは恋慕の心です。何を隠そう、ここは私がかつてかの者と寝食をともにした場所です。そして、未練がましく、またいつか訪うてはくれぬかと、ここに寝起きしている有様なのです」
「ならば、憎い以上に恋しいとおっしゃるのですか」
「はい。しかし、この眼では、春の菜花の化身のようなあの人の姿を見ることはかないません。せめて、光のついえたこの目の代わりに、心の一隅を照らす灯とするまでです」
「わ、私にも、その心の灯は見えましょうか」
「さて、分かりません。少なくとも、私のような愚鈍なものには、目あきの時にはとても叶わなかったでしょう」
「ならば、私もあなた様のように、眼の光を消せば・・・」
言うや、ガスッと鈍い音が響いた。つづいて、おぼろの苦しげな呻きが草庵の静かな空気を震わせた。
「そ、そなた、お客人、大丈夫か・・・」
法師が案じて声をかけた。
おぼろは、その両目をを庭の石に強くぶつけて潰したのであった。
それからしばらく、法師は傷ついたおぼろを己が草庵で介抱した。おぼろの眼球は潰れなかった。だが、表面の傷ついた彼女の両目は光を失った。
その後、都の辻に盲た法師と尼僧が立つようになった。
法師は、柔和な面で『寒苦鳥』の法話を説いて周り、盲聖と人々の口に上った。尼僧は、片時も離れず彼に付添い、何くれとなく世話をした。
この二人、清九郎とおぼろは、その後も互いの名乗りはあげなかったろう。しかし、それで十分だったのだ。
幾星霜を経て、やっと二人のたどり着いた、そこは心の光の世界だったのだから。
・・・
山田小梅は語り終えると、
「どうじゃ、ボウズ。心に響いたかの」
「はい、感動しました」
涙ながらに旗屋欽之助は答える。
「ゆめちゃんはの、最後この二人のように生涯を終えたいのだと思う。しかし、青野という相方はもう行方知れずだしのお。
だから、賀茂野とか言う作家の家が売りに出されるたびに、不動産屋の若い衆相手に、『朧の寒苦鳥』をなぞらえて気晴らしをしとるのかも知れん。
まあ、あんたがゆめちゃんの清九郎になるのも一興じゃよ。そうしたら、ゆめちゃんも貯金はたいて、あの家を買うかも知れん」
「い、いえ、僕はまだ目は潰れたくないです」
「そうか。それとの、あのなんとか言う嬢ちゃん。ゆめちゃんがまた会いたがっておったぞ。『いつでもいいからお越しください。首を長あくして待ってますの』とか、言うておったな」
欽之助は、思わずぶるると身を震わせて、心の中で叫んでいた。
(そんなこと!主任に聞かせられるわけないじゃないか!)
【ろくろ首】編・終わり




