【早月夜行】(142)
「で、高山巡査」
美次航平が高山恭平(恭平)呼びかける。
「そ、その、勘弁してください。今日は、キョーヘイでお願いします」
高山恭平は苦笑いしなから言う。無償で出演しているとは言え、現職の警察官がこのような目立つ舞台に立っていることが公になれば、何かと煩く言う口もある。
「すまん、じゃあ、キョーヘイ君、あの大屋夫妻のその後はどうなんだ?」
大屋勝乃があの日2階から落ちた。その時階段の上にいた梨田佑璃は、勝乃を下に突き落とした第一容疑者だった。
佑璃には、その時の記憶はない。勝乃も意識不明で、当時の詳しい状況は聴きとることは出来なかった。ただ、状況だけが、佑璃の凶行を推定させていた。
「そのことですね。まだ、北岡からは何の連絡もないですか?」
高山は、直接の捜査関係者ではなかったが、担当刑事の北岡からいろいろと聴かされているらしかった。
「本当は、オレの口から言ってはいけないので、オレから聴いたことは黙っておいてもらえませんか?」
「ああ、構わんとも」
「じゃあ、いいますね。実は、大屋勝乃が意識を取り戻しました」
「そうか!で、どうなんだ?」
自分に大いに関係あることなので、佑璃も食い入るような目で高山を見つめた。
「それが、勝乃自身、当日のことはまるで覚えていないんです。事務所に詰めていて、電話を受けたところまでは覚えているんですが、その後のこととなるとサッパリです」
「自分が都合悪いから全部忘れたフリしてるんじゃないの」
佐山みゆきが横から腹立たしそうに会話に加わる。
「いや、実際に面談を行った北岡の話だと、勝乃は店に押し入ったり、暴れたり、人を傷つけたりするタイプじゃないそうです。非常に育ちが良くて、品もいい、どちらかと言えばおっとりした女性だそうです」
「だが、私はあの場にいたから分かるが、おおまさたちの彼女に対する恐れ方は尋常ではなかった。そんな大人しい女性に、大の男たちがあそこまで怖がるだろうか」
「はい、実は、あの大屋勝乃はいままで、何回も問題を起こしていまして、死人こそ出ていませんが、大怪我を負わされた人間も一人や二人じゃありません。それで、すぐに身柄を確保して取り調べるのですが、本人に全くその自覚がないのです。結局、どの事件も本人の責任能力を問われて不起訴になっています」
美次航平の顔が険しくなった。
「つまり、二重人格だと?」
「分かりやすく言えばそうなります。それで、検察も起訴に乗り気でないのですが、ただ、主人の大屋政之氏によれば、今の勝乃は『なにか憑き物が落ちたよう』だそうです。いままでは、どんなに優しそうに笑っていても、どこかに狂気みたいなものを漂わせていたのが、それが感じられない、普通の女になったようだ、と言っていました」
(異界とのリンクが切れたんだわ)
佑璃だけは何が起きたかが分かっていた。
「じゃあ、梨田君を訴えるとか言っていたのは」
「はい、もうそんな気はないようです。それと、迷惑をかけた店の補修もできる限りのことはしたいと言っていました。つまり」
「つまり、これで全部手打ちにして欲しいと言うことだな」
美次航平の顔にやれやれと安堵の表情が浮かんだのとは反対に、みゆきは怒りをあらわにした。
「それじゃ、こわい思いをさせられた主任や、乱暴をされた私はどうなるの?それで、ぜーんぶ終わり、それでいいわけ?ねえ、主任?」と振られて、佑璃は、
「え?わ、私は皆さんがそれでいいなら、特に」
「え!」
あまりにお人好しの佑璃に呆れたのか、みゆきは、
「もう、このお人好しの、大間抜け!」と怒りの矛先を変えた。
(だって、これは、半分は私のせいでもあるし、それで丸く治ればそれでいいじゃない)
半妖の少女や、異界の牛鬼のことを言えない佑璃にとって、人間界のことを人間界のルールで解決できれば、それに越したことはなかった。
そんなみゆきや佑璃の思いを、美次航平がすべて引き受けるように言った。
「いずれにしろ、もう何の心配もいらないわけだ。あとは、ライブに集中するぞ」
「それも、一次を通ればですけどね」と、みゆきはつい尖った言い方をした。
その時、軽い振動が高山の携帯にメールの着信を伝えた。
「あ、結果がでたようです。オレ、戻ります」
そして、ステージに戻りかけたが、ドアのところで振り向いて、
「一次、通るといいですね。オレ、あなたの歌を聴きたくなりました」とニッコリ佑璃に笑いかけた。




