不毛な恋
◆◇夏木凛花◇◆
「その好きじゃないんだけどな……」
まひるを自宅へと帰るよう送り出した後、私は誰も居ないトレーニングルームにて独りごちた。
「夏木ちゃん」
部屋の隅で待機させていた辻が私の元へと近付いてきた。そういえば辻もいたんだった。彼の存在を完全に忘却していたことを少し申し訳なく思った。
「アンタ。まひるの傍に居てやらなくていいの?」
「今は夏木ちゃんの傍に居るよ」
「何よ。今が大チャンスなのに。アンタ馬鹿ね」
辻はまひるに好意を持っていて、それは誰の目に見ても明らかだった。まるで小学生のようにまひるをからかい続ける辻に周囲はやきもきしていた。でも、私は違う。
私は、いつかまひるを彼に奪われるのだろうと思っていた。だから彼と接する時、どうしても冷たい態度になってしまった。彼はそんな態度を取り続けてきた私の隣に、無言で傍に居続けてくれた。
「私の言った好きの意味……分かった?」
私は辻の顔を見ずに言った。
「あれで分からないのはまひる位だ」
辻は呆れ気味の笑い声を上げた。辻の優しさが、逆に辛い……
「……きっと、あれは一時的な気の迷いだったのよ」
この想いを自覚したの何時からだっただろうか。遥か過去のような気もするし、つい最近のような気もする。
「若気の至りってやつ? 私男嫌いだから、その反動で捻くれていた私がさらに捻くれちゃったのよ」
男に告白されたことは何度かあった。でも嬉しくなかった。困ってしまった。だから私は男が苦手だった。
「だからきっとこの想いは、只の勘違い――」
「それは違う」
辻が私の言葉を遮った。
「夏木ちゃんは五里ちゃんの事が好きだった。そう言う意味で、ちゃんと好きだった」
止めて。
「その気持ちに嘘偽りはない。夏木ちゃんは間違いなく五里ちゃんの事が――」
「止めて!」
今度は私が辻の言葉を遮った。
「アンタに、何が分かるって言うの? 私の気持ちをアンタなんかが、どうして分かるっていうのよ!」
「ずっと見てたから!」
滅多な事では声を荒げない、辻が叫んだ。
「夏木ちゃんのことをずっと見ていたから。だから分かるんだ。お前は間違いなく、五里ちゃんが好きだぜ」
いつのも飄々とした様子からは信じられない位に真剣な眼差しで、辻は私のことを見つめていた。
「もしかしてアンタ……私の事が好きだったの?」
「……ああ」
辻は深く、深く頷いた。
***
◆◇辻亮平◇◆
俺が夏木ちゃんに抱いていた好意を肯定すると、彼女は明らかに戸惑った様子を見せた。
「いやでも、まひるは?」
「あいつのことは、そういう意味では好きじゃねえよ」
こう言ったらあいつは怒るが、五里守のことは仲のいい男友達としてしか見ていない。だが何故か、周囲にはそれが照れ隠しに見えていたようだ。
「でも、まひるにしょっちゅう絡んで……」
「夏木ちゃんに絡む切っ掛けにしてただけだ」
夏木ちゃんが、俺のことを余り好いていないのは何となく感じ取っていた。だから俺は卑怯にも、五里守をダシに夏木ちゃんと絡もうとしていたのだ。
「でも、私が好きだって雰囲気は微塵も……」
「そりゃ隠していたから」
ある日、彼女が五里守のことを愛おしそうに見つめていることに気付いた。それが同性の友人に向ける類いの視線ではないことに、俺だけが気付いた。
「俺の気持ちはお前にとって迷惑だろうから」
好きだったけど、困らせたくはなかった。だからこそ、何も言えなくなった。言うつもりなんて無かった。でも、自分の気持ちを否定する彼女を見ていたら、まるで彼女に恋した自分まで否定されたようで、想いが零れてしまった。
「俺はお前が好きだけど、お前が好きなのは俺じゃないってことを誰よりも理解していた。それでも俺の気持ちは変わらなかった」
不毛な恋だった。決して振り向かれることのない恋。そんな恋を、彼女は今までどれだけ経験してきたのだろうか。それを想うと、余計に彼女の事が気になってしまうのだ。どうしようもない。
「……ハッ! 私達どうしようもないね」
「ああ。本当に、どうしようもないな」
そして俺と夏木ちゃんは互いに顔を合わせ、自嘲っぽく笑った。
「……夏木ちゃん。高校生最後の思い出として、一つお願いがあるんだ。怒らないで聞いて欲しい」
「何? 言ってみな」
俺は彼女にそのお願いを伝えると「バッカじゃねえの」と一笑に付された。でも、俺の愚かな願いを、彼女は了承してくれた。




