想い溢れて
◆◇藤峯シンヤ◇◆
校内を駆け巡り、まひるさんを探したが、その姿を見つけることは叶わなかった。メッセージを送ったり直接電話を掛けたりしてるが、そのいずれも無視され続けている。
――イヤ!
彼女に拒絶されたのは大層ショックだったが、それ以上に彼女から流れ込んできた感情――自己嫌悪と罪悪感が、不安で仕方なかった。
「藤峯先輩……どうしたんですか」
息を切らして廊下の隅で休憩していると、田宮さんが心配そうな顔で話しかけてきた。
「田宮さん。まひるさんを見なかった?」
「五里ちゃん先輩? いえ、見てませんけど……何かあったんですか?」
何かはあった。でも、それが何であるかは分からない。少なくても穏やかな事ではないことは間違いない。
「いや、ちょっと逃げ回る彼女を探してたんだ」
「五里ちゃん先輩が藤峯先輩から? どうして」
「何かまひるさんの機嫌を損ねちゃったみたいで……まひるさんが何処に行きそうか、何か心当たりはない?」
田宮さんは斜め下に視線を落としつつ顎に手を当てるという、考え中のポーズを取る。
「うーん……ちょっと思い当たらないですね」
「そっか。もしまひるさんを見かけたら教えてくれないかな?」
「それはいいですけど……」
田宮さんと話してるうちに、息も大分落ち着いた。ボクはまひるさん探しを再開しようと立ち上がった。
「じゃあ、見かけたらよろしくね」
「先輩待って!」
ボクは背後から田宮さんに、恐怖と羞恥心の入り混じった震える声で引き留められた。振り返ると、彼女は興奮で頬を紅潮させつつ、少し怯えた目でボクのことを見つめていた。
能力が発動していなくても、彼女が何をしようとしているのか、何を言おうとしているのか分かった。ボクは彼女を無視することなんて出来なかった。
***
◆◇夏木凛花◇◆
++++++++++
>藤峯
まひるさんが行方不明
>藤峯
何かあったみたい
>藤峯
彼女を探して欲しい
<私
了解
<私
心当たりはある
<私
アンタはアンタの役目を果たしな
++++++++++
「夏木ちゃん!」
藤峯へのメッセージを送り終えたところで、廊下の向こうから辻が駆け寄ってきた。
「藤峯からのメッセージ見た?」
「見たわ。相変わらず人騒がせな……」
呆れた声でそう言ったが、内心はかなり不安だった。今日、私の元にまひるから連絡は来ていない。何か問題が起こると、まひるは真っ先に私に連絡を寄越すのだが、今回はそれがなかった。以前にも一度、こういうことがあった。
「こういう時こそ頼れっつーの……」
まひるは本気で困ったことが起きた時、人に頼らず、独りで抱え込んでしまう人間だった。普段はあれだけ図々しい癖に、こういう時は妙に臆病で、助けを求めることができない。損な性格だと思った。
「今女子に聞きまくってるんだけど、校舎の外に走っていくのを見かけたって奴が何人かいる。どうしよう。俺達の足じゃ五里に追いつけねえだろうし」
辻は焦っているのか、若干早口だった。
「落ち着け。まひるは多分あそこよ」
***
受付にて私と辻を含め計480円を支払い、奥へと足を踏み入れた。室内にはダンベルやプレス機、エアロバイクといったトレーニング機器が所狭しと並んでおり、何となくツンとした汗臭さを感じた。
ここはS市市民体育館の有料トレーニングルームだ。そのトレーニングルームの片隅にて、ランニングマシンの上で独り走るまひるの姿があった。利用者はまひる以外誰も居なかった。
私は辻を入り口近辺で待たせてから、ハムスターが滑車を回すように、マシンの上でひたすら走り続けるまひるの隣に行った。まひるは脇目も逸らさずに、一心不乱に走り続けている。私は無言でまひるの隣に立ち続けた。
やがて目標距離を走り終えたことを知らせる音楽が鳴った。走行距離には5000メートルと表示されていた。まひるは走る速度を少しずつ緩め、マシンの上から降りた。私と目を合わせずに前を横切り、休憩用のベンチに座る。私は隣に腰を下ろした。
「まひる……何があった?」
私は少し厳しく、問い詰めるような調子で声を掛けた。
「黙ってちゃ分からねーよ。話せ」
弱っている人間に対する言葉では無いかもしれない。でもこれぐらい強引に行かないと、この子は話してくれないのだ。
「おばあちゃんに酷いこと言っちゃった……」
ようやく口が開かれたが、普段の彼女からは信じられない位に、弱々しい声だった。
***
◆◇藤峯シンヤ◇◆
2人っきりになれる場所に行きたい。そう田宮さんに言われて、ボク等は体育倉庫まで来ていた。
「こうして一緒に体育倉庫に入るのは2度目ですね」
「そうだね……」
相変わらず、ツンと鼻を刺すようなカビ臭い匂い。少し開かれた窓から光と共に、文化祭で賑わう声が入ってくる。外の賑わいは、窓を境に別世界から聞こえてきているように感じた。
「ここで先輩と色々と言い合いましたね」
「そうだね」
「あの時は凄く酷いことを言いました。ごめんなさい」
「気にしてないから、大丈夫だよ」
「でも、先輩のお陰で、私は少しだけ前を向けたんです」
「うん」
「少しだけ、自分に自信を持てたんです」
「うん」
田宮さんは俯けていた顔を上げ、潤んだ瞳でボクを見つめた。そして――
***
◆◇夏木凛花◇◆
「何て言ったの?」
まひるは首を横に振る。
「大丈夫。私はまひるの味方だから」
まひるは声を震わせながらゆっくりと、赦しを乞うように告げる。
「……おばあちゃんの事が、足枷だって」
言葉に出した途端、まひるの目からポタポタと涙が零れた。
「あんなに大事にしてくれてたのに、一緒に頑張ってきたのに、それなのに酷いこと言って、おばあちゃんを傷付けちゃった……」
まひるは膝に顔を埋めて声をくぐもらせた。生まれる前の雛のように体を丸め、殻の中に篭ろうとする。
「おばあちゃん……わたしの事キライになっちゃったかなぁ」
涙交じりの、震える声で彼女は呟いた。
「まひる……私はまひるが好きよ」
***
◆◇藤峯シンヤ◇◆
「藤峯先輩……好きです」
瞳を潤ませ、羞恥と恐怖と、そしてほんの少しの期待が入り混じった感情を抱きながら、田宮さんは告白してきた。彼女から溢れ出る想い。でも、ボクはその想いに応えることはできない。ボクの内に秘めた思いを、真っ直ぐに告げた。
「ボクはまひるさんが好きだ。だから……あなたと付き合うことはできない」
田宮さんの潤んだ目から涙が溢れ、頬をつたう。
「分かってました……望みなんて無いって分かってました」
「ゴメン……」
ボクが謝罪の言葉を告げると同時に、彼女は口を抑えて泣き始めた。
こういう時、なんて声を掛ければいいのだろう。
気持ちは嬉しいよ。
もっといい男がいるよ。
ボクなんかを好きになってくれてありがとう。
どれもこれも優しいと見せかけた、彼女を突き放して傷付ける言葉だ。
だとしたら、言うべき事なんてなにも無いのかもしれない。
「ちゃ、ちゃんと話を聞いてくれて。ありがとう……ございます」
彼女のすすり泣く声と外の賑やかな声がやたら対照的で、その能天気な声に苛立つと同時に、どこか安心した。
どうか彼女が、次の恋では幸せになって欲しいと、心から思った。
***
◆◇夏木凛花◇◆
「私はまひるの事が好き」
弱々しいまひるを見ていたら、秘めた想いが溢れてしまった。だが、もう止められなかった。
「誰よりも大好き。世界で一番好き」
溢れ出た想いを彼女にそのままぶつける。
「私みたいな偏屈な女ですら、まひるのことが大好きなのよ。まひるのおばあちゃんが、まひるの家族が、まひるのことを嫌うなんて在り得ない」
きっとこの想いは伝わらない。でも、この想いは彼女をきっと元気付けることができる。そう信じて、私は彼女に告げた。
「ありがとう……わたしも凛花ちゃんのこと大好き」
まひるはとても嬉しそうに笑った。




