2人だけど1人の我慢大会
◆◇田宮亜美◇◆
急に激しい腹痛に襲われトイレへ行こうかと考えた。だが、今私がトイレに行ってしまったら、救護班には不良と役立たずの2人だけになってしまう。これから忙しくなるであろう時に職務を放棄するわけにはいかない。しかも隣の藤峯はつい先程仕事を放棄してトイレに行きやがった。幸い忙しくなる前に彼は戻ってきたが、こんな責任感皆無の男と同じに思われたくはない。そんな意地が、私をこの場に留めていた。
「田宮さんも、今のうちに行って来たら?」
トイレから戻ってきた藤峯が開口一番そう言った。私は呆れた。女である私を直球でトイレに促すという無神経な発言。腹痛も相まって、私は余計に苛立ちを覚えた。
「いいえ。大丈夫です」
顔も見ずに、素っ気なく私はそう答えた。
「でも、顔色が悪いよ」
「大丈夫です」
「少しの間ならボクと隼人クンで何とかできるからさ、無理しなくてもいいよ」
まるで私がトイレに行きたくてしょうがないと決め付けている論調に増々腹が立ち、彼を無視することにした。それに今トイレに行ったら藤峯に借りを作るような形になってしまう。それだけは絶対嫌だった。腹痛は治まるどころか激しさを増すばかりだが、今は耐えるしかない。
***
◆◇藤峯シンヤ◇◆
何で……何でトイレに行かねえの。何意地張ってんのこいつ? 一体何と戦ってんだよ!?
腹痛はより激しさを増し、思わず屈んでしまいたくなるほどだ。彼女も同程度、もしくはそれ以上の痛みを感じているはずだが、彼女は自らの立ち位置から微動だにしない。しかもそのうち彼女はボクの言葉を無視するようになった。
どうやら彼女はトイレに行くことが職務を放棄することと考えているみたいだが、それは断じてそれは違う。こういう時の為に、救護班は3人体制なんだろうが。変な意地張ってないでさっさとトイレに行きやがれ。
「ほ、本当に大丈夫だから、トイレに――」
「いいえ。先輩に迷惑かけたくありませんから」
今絶賛迷惑被ってるよ! おまえ腹痛がどれだけ人に迷惑をかけているのか考えたことがあるのか!
そんな理不尽な怒りを覚えつつ、彼女から伝搬する痛みに喘ぐ最中、救いの手が差し伸べられた。
***
◆◇田宮亜美◇◆
「顔色悪いけど大丈夫?」
そう藤峯に優しい声を掛けたのは、ゴリちゃん先輩の親友、夏木凛花先輩だった。
「え? ああ、ボクはまあ、大丈夫なんだけど……」
そう言いながら、藤峯は私に視線を向けた。ふざけんなてめえ。私に恥をかかせるつもり?
「あらホント。アンタも大丈夫?」
そう尋ねる凛花先輩の声は、藤峯の時と同じくらい優しかった。私は藤峯と同程度に扱われたことが腹立たしかった。
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
私は凛花先輩の目を見て、誠心誠意を込めて言った。藤峯と違って私の気持ちを汲んでくれたのか、凛花先輩はそれ以上追及して来なかった。それと、凛花先輩が来たお蔭で緊張が少し解け、腹の調子が戻ってきた。
「それで夏木さんはどうしてここに?」
この藤峯という男は何処まで無能なんだ。救護班に来たということは、怪我したからに決まってるだろう。藤峯如きが気兼ねなくスクールカースト上位の彼女に話し掛けるのもまた腹立たしい。
「今消毒液とバンドエイドを準備します」
「いいのいいの。私は鬼瓦のことを見にきただけだから」
凛花先輩は鬼瓦を見上げた。鬼瓦はキョトンとした目で凛花先輩を見下ろす。
「自分っすか?」
「まひるから色々聞いてたから、実際に会って見たくてね」
凛花先輩は鬼瓦の顔を無遠慮に見つめ続けた。私は何時鬼瓦が凛花先輩に暴力を振うのか気が気じゃなかった。
「……確かに、怖い顔」
そして凛花先輩はクスリと小さく笑った。
「ア゛ア゛! 初対面で失礼じゃないですかゴラア!」
鬼の咢が今にも頭を噛み砕いてしまいそうな勢いで、私は体を震わせることしかできなかった。
「コラコラ大声出さない」
藤峯は無謀にも鬼瓦の頭を叩いた。私は彼の短い人生が今日で終わるのだと思った。
「申し訳ないっす。どうも怒鳴っちまう癖は治らなくて……」
「ハハッ! まひるから聞いてたとおりだ。っていうかさ、私の方こそ不躾でゴメン」
「ななな夏木ちゃん大丈夫か!?」
そこに背の高い(といっても鬼瓦に及ばないが)男が乱入し、掘りの深い精悍な顔に焦燥した表情を貼り付けながら鬼瓦と凛花先輩の間に身を割り込ませた。
彼はゴリちゃん先輩の幼馴染、辻亮平だ。サッカー部のエースにして部長。人当たりの良い剽軽な性格で、女好きであることを除けば完璧超人のスクールカースト最上位。ゴリちゃん先輩のことをしょっちゅうゴリラ呼びしてからかっているが、それは好きな子に意地悪したくなるという類いの行為であることは誰の目にも明らかだった。
「んなに慌てなくても大丈夫よ。ちょっと鬼瓦とじゃれ合ってただけだから」
「じゃれ合うってレベルの声じゃなかった気がするけど……」
「……辻君、もしかして親指怪我してない?」
藤峯がまたもや気軽な声で辻先輩に声をかけた。最下層が最上位に気安く話しかけるなんて、烏滸がましいにも程がある。だが、辻先輩は特に気にした様子はなかった。
「え? ああ、さっき綱引きで擦りむいちまったみてえだな」
「待っててください。今消毒液とバンドエイドを――」
そう言って定番の医療品を後ろの箱から取り出そうと腰を屈めた所、引いていた腹痛が再び私に牙を剥き始めた。痛みに耐えつつその2つを探すが、整理した場所をど忘れしてしまい見つけ出すことができない。
「消毒液とバンドエイドはここっす。先輩こっち来て下さい」
そうこうしている内に、鬼瓦が件の医療品を長テーブル上の救急箱から取り出した。そうだ、すぐに治療できるようにと、あらかじめそっちに入れておいたのだった。
「えー……俺はそっちの2年のカワイ子ちゃんに治療してほしいなー」
「ア゛ア゛! 自分じゃ不服なんですかゴラア!」
「ヒィッ……お願いします!」
そして大人しく鬼瓦の治療を受ける辻先輩。
「えっと……だ、大丈夫?」
「大丈夫です」
気遣う藤峯の声が、不快で不快で堪らなかった。