プロローグのプロポーズ
◆◇五里守まひる◇◆
恋はマラソンによく似ている。
体力だけでなく精神力が大きなウェイトを占めていること。かけひき・ペース配分・位置取りなどの要素があること。ランナーズハイのように恋をすればするほど気分が高揚していくこと。
マラソンの目標がゴールテープならば、恋の目標は告白だ。そして今日、わたしはゴールテープを切った。
「わたしと付き合ってください!」
わたしはマラソン終盤、いや、それ以上に胸を高鳴らせつつ告白した。
マラソンと違い、ゴールテープを切った先に待ち受けているものが何かは分からない。早ければ勝ち、遅ければ負けという単純なものでもない。今はただ、目の前に立つ想い人の審判を待つのみだ。
初恋だった。今まで陸上にかまけてばかりだった自分が初めて、それも陸上に全く縁の無い男子に恋をした。初恋は実らないと聞くが、私はこの恋を絶対に実らせたい。ゴールテープを切った先に進みたい。恋人同士になりたい。あようくば……けけ、けけけ結婚とか!!
「じゃあ……」
彼が口を開いた。男子にしては高め。早朝のランニング中に聞こえる小鳥たちの囀りのように、とても心地のいい声だった。
「ボクと結婚してください!」
「ハイ喜んで!」
わたしは即答した。
「ふつつかものですがよろしくお願いします」
恋愛マラソン初心者のわたしは唐突なプロポーズを何一つ疑問に思わずに受け入れた。人生初めての恋は実るだけに飽き足らず色々と成長過程を素っ飛ばし、告白したその日に大樹へと成長を遂げたのだ。
~FIN~
***
「いや終わんな!」
わたしが話し終えた直後、教室内に響く少女のがなり声。
「まさかそれで話しは終わり? ハイ喜んで! じゃねーよ。ここは居酒屋かホストクラブか?」
「凛花ちゃん声おっきい」
「叫ばずにはいられねーよ。告ったら逆にプロポーズされた? なにその超速展開。短距離走じゃあるまいし、タイムが短ければいいってもんじゃないのよ」
2年の終業式の日、わたしは想い人に告白した。最初は彼に告白する気なんて無かった。
忘れ物を取りに自分の教室へと戻る途中、わたしはどこか寂しげに佇んでいる彼の姿を発見した。
勇気を出して声をかけると、彼の前髪の隙間から愁いを帯びた蒼い瞳がわたしに向けられる。するとわたしの1年間溜めつづけた思いが突如爆発。わたしは彼に告白していた。
そしたらなんと、彼から「結婚してくれ」と逆にプロポーズされたのだ!
わたしはカンマゼロ秒にも満たない早さでプロポーズを受け入れた。そしてこれから始まる結婚生活に心を躍らせていた。
「つーかまひる。アンタ休み中そいつとデートした?」
「一度も……」
……だが春休みの間、彼から連絡が来ることは一度も無かった。
「でも、わたしも彼も連絡先交換するのすっかり忘れてたんだからしょうがないよ」
「でも、折角同じクラスになったそいつに避けられているんだろ?」
「ぐふぅ……」
3年のクラス替えにて、わたしは初めて彼と同じクラスになった。わたしはそれが嬉しくて嬉しくて堪らなくて、この喜びを分かち合おうと玄関口に張り出されたクラス名簿を遠くから眺めていた彼の元へダッシュした。
しかし、彼はわたしの姿に気付くや否や背を向け逃げ出した。追いつくのは楽勝だったが、逃げられたことがショックで、わたしはその場に凍り付いてしまった。
「アンタからかわれたんじゃねーの」
凛花ちゃんは一つ溜息を付いてから、真面目な声で告げた。
「そう、なのかなあ……」
現実的にはそう考えるのが妥当だろう。現にわたしは彼に避けられている。同じ教室に居るのに、彼はわたしを一顧だにしない。傍に行こうとすると彼はすぐさま立ち上がり、廊下に逃げてしまう。避けられているのは明白だった。
ならばなぜ、あのとき彼はわたしの告白を受け入れたのか。それどころかプロポーズまでしてきたのか。その理由が分からず、わたしは悶々と頭を悩ませている。
「……らしくねーなオイ!」
パシンと軽快な音で、凛花ちゃんに後頭部を叩かれた。
「五里守まひる。アンタの取り柄は超が付くほどのポジティブさだろ。ちょっと避けられただけでクヨクヨしてんじゃねーよ。らしくない。悩むくらいならソイツ捕まえてハッキリさせてこい。当たって砕けろだ」
「……そうだよね。凛花ちゃんの言うとおり、ここで立ち止まっててもしょうがないよね。砕けるのは嫌だけど、どうせなら木端微塵になる勢いで突撃してくるよ!」
わたしは教室を飛び出し、廊下を疾風の如く駆け抜ける。
「相変わらずはえーなオイ……」
一人残された凛花は笑いながら呟いた。
***
わたしは校内を駆け回り彼の姿を探したが、途中生徒指導の先生に捕まり廊下を走るなと怒られてしまった。
「ああ……あいつなら校舎裏に独りでいるのを見かけたな」
でも捕まったおかげで彼の情報を得ることができた。今は歩きで校舎裏へと向かっている。そして先生の言うとおり、彼の姿を発見した。
「藤峯クン!」
わたしは彼の名を叫んだ。
藤峯シンヤ。それが想い人の名だ。髪は肩口まで伸びており、前髪も目を覆うように伸ばされている。背は目測160センチ。華奢な体格で、恐らく体重はわたしよりも軽い。女の子としては悲しい事実だけど……
藤峯クンはわたしの姿に気付くと、再び背を向けて逃げ出した。明確な拒絶にガツンと頭に衝撃を受けつつも逃げる彼を追い駆ける。S市ナンバーワンの猪女と謳われたわたしから逃げるなんて100年早い。
わたしはあっという間に距離を詰め、藤峯クンと並走する。彼がギョッとした表情を見せた。
「ねえ……何で逃げるの!」
問いかけるが、彼から返ってきたのは無言という名の返答だった。
「お願い答えてよ!」
めげずに問うが、彼はわたしの方を見向きもしない。
ええい、こうなったら持久走だ。答えてくれるまで並走しながら質問し続ける!
***
「ハァ……ハァ……」
そして1分もしない内に、持久走はわたしの完勝で終わった。彼は息を切らしながら、グラウンドに大の字で寝ている。ペース配分を考えず全速力で走り続けたらこうなるのは自明の理だった。
「さあ……答えて貰うよ」
挫けずにわたしは彼に問いかける。しかし彼はわたしから目を逸らすのみ。何も話さない。目すら合わせてくれない。わたしの胸の奥に、さめざめと冷たい雨が降り始める。
「キライならキライってハッキリ言ってよお!」
そう叫んだ直後、胸に溜まった水が溢れだし瞳から零れ落ちた。キライ。自分で叫んだ言葉の意味を理解し、悲しくて悲しくて仕方がなかった。人前で泣くのは何年ぶりだろうか。
「キライじゃねえよお!」
小鳥の悲鳴にも似た涙声。声の主は地べたに寝そべる藤峯クンだ。どういうわけか、彼も大粒の涙を流していた。
「じゃあどうして避けるの?」
「だって……ボクはエンパスだから!」
エンパス。聞き覚えのない単語にわたしは首を傾げた。
「エンパスって何なのさ! コンパスの親戚!?」
「文房具と一緒にすんな! エンパスはエンパスだ!」
わたしと彼は涙を流しながら互いに叫び合った。
高校生3年になったというのに、グラウンドで見っともなく泣き叫ぶ2人の男女。理解できない異常な展開。指を差して笑われる滑稽な光景。
泣き声を開演ブザーに、わたしと共感能力者による、恋愛超初心者達のおバカで不器用なラブコメが幕を上げたのだ。