宴のはじまり
「おー、久しぶり!」
フスマをくぐり、個室空間に目を向ければ懐かしい顔ぶれが来訪者を出迎える。応じるため、手を挙げて席についたのはこの会合の幹事であるナッガイであった。
「おっせーぞナッガイ!」
親しみを込め、肩で肩を小突くのは、マサー。普段は社会人として身だしなみを整えていることからオールバックかそれに準ずるフォーマル・ヘアーだが、今夜は学生時代の懐かしさを彷彿とさせるもじゃもじゃ頭となっていた。
「幹事が遅れるとか最低だわ」
と、あからさまな笑みを浮かべて指をさすのは、ナーカエ。後退したか、いやそんなことはない、行き届いた肌ケアが成されたオデコは、いかにも「早く叩いてくれ」と急かすように見せつけられている。
「まぁ、これが”僕たち”って感じでいいんじゃない?」
そこへ、コユッキのフォローが入った。アメリカ、そして日本の上位大学を制覇せんと勢いづいた雰囲気は紛れもなく、碩学コユッキである。
その隣でこの様を微笑ましく見つめる黒き巨人、マスーダ。彼の職人とも呼ぶべき指先から作られる義手義足の数々は、まさに彼の繊細でありながら包容力に満ちた静謐な人間性を如実に表していると言えた。
懐かしさと愛おしさをどこかに感じつつ、ナッガイは溢れるものを感じずにはいられなかった。
「――悪い悪い、最後まであいつに連絡しててさ、仕事がー、納期がーっていうのを説得してて、まぁ遅れちゃったわけよ」
「え、マジか。俺会うの超久しぶりだったんだけどな」
と、マサー。同調するようにコユッキも頷く。
「はー? ちゃんと説得するってお前言ってたじゃーん」
ナーカエから不満が漏れるも、しょうがない。しかし、説得できなかったナッガイへの視線も、また「しょうがない」と言った風であった。
「あー、これはもうあれだわ、ジョッキパン――――」
これに対し、何やら言いたげにマスーダがにやけたが、何かを言い終える手前、テーブルに設けられたタブレットからブザーが鳴った。それは宴の始まりの合図に他ならなかった。
「あー、えー、今回みんなに集まってもらったのは他でもない、ノミカイを楽しむためであって、えー」
ナッガイが焦ったように切り出すが、時は非情であり、テンインにより届けられたアルコホールが、集結した者々の座す長テーブルの中心に設置された。こうされてしまっては、幹事と言えど言葉を差すことは、無粋というものである。
「完杯!!」
小気味よい掛け声と共に、五つのグラスが放射状に集まって打ち付けられる。と同時に、打ち付けた者々は放射状に速やかに散った。
今宵、集められた五人は、「トリアエ・ズ・ビール」の呪文により召還された領理――リョウリ、自らの縄張りを示す為の条理として機能する形而下の存在――、ヱビス、プレモル、スーパードルゥァアイを各々に分配し、それぞれの初期アルコホールとした。
それはつまり、完杯戦争の準備が整ったことを意味し、さらには先ほどの掛け声が開戦の合図であることをそれぞれが承知したことに他ならなかった。
「へぇ、みんな分かってたんだ」
ナッガイは言う。このザシキ・フィールドで互いに一定の距離を保ち、牽制しあう様を見る分に、集結した五人はどうやら、みな別々に成長した一人前のアルコホリッカーであることを容易に物語っていた。
「そう、此度の呑み戒――ノミカイ――は六年前に散った俺らが約束した、再会の儀。まさか、誰一人として忘れてる奴がいないなんて、正直嬉しいよ」
放たれた言葉にはみなそれぞれに満足と合点が言ったようで、納得の面もちを見せ合う。しかしながら、此処は既に戦場、和やかに見えた空気を、誰か一人が切り裂いた。
何者かの”発泡”、不意を着いた口撃にナッガイは尻餅をつき、僅かにビールをこぼしてしまった。
「なら話は早ぇーな。遠慮なく――――全力を出せるからよ!」
ナーカエだ。スーパードルゥァアイを持つ手をブラフにするかの如く、背中に隠された左手には、――注文したはずのない――白い泡を吹くビール瓶が握られていた。
ナーカエは左手の瓶を振り回し、白泡をまき散らす。だけでなく、その手にはどこからか新たな瓶が握られていた。
その間、マサー、コユッキ、マスーダは各々が握るグラスに口を付け、ある者は豪快に、ある者は軽くアルコホールの主成分たる物質を体内に注いだ。
アルコホールを摂取することで力を発揮する諸刃の剣士、アルコホリッカー。彼らの繰り出す絶技、そして天員――テンイン――の運ぶリョウリが織りなす様は弱肉強食の人間社会の縮図すらも描き出す。
新進気鋭のアルコホリッカー、ナッガイは大学生という一つの社会的ステータスを経ることでその存在を知り、そして学んだ。その中で感じたのは、「自分の実力を試したい」という貪欲で傲慢な望み。しかし誰が此を否定しようか、アルコホリッカーたる武士はみな、自らの主義主張を正々堂々とぶつけ合い、その正当性を競うことを生き甲斐としているのだから!
(すげぇ、これが本物の呑み戒・・・ッ!)
魂が震えるのを感じる。しかしこれが、高揚なのか恐怖なのかをナッガイが知るにはまだ、十分に熱気が高まってはいなかった。
続く”発泡”。圧縮されたカーボネイテッド・アシッドが圧力容器たる瓶の内側で暴れ周り、瓶の口を目掛けてアルコホールを吐き出す。
つまり――――、“遠距離口撃”。
近接戦を主とする者の多いアルコホリッカー達にとってこれは安定して脅威であり、中級かそれ以下の新参アルコホリッカーにとっては厄介な存在だ。それは炭酸族を主として用いるアルコホリッカーを『カーボネイシッダー』と呼称することからも分かるだろう。
「フン。こんなもの、子供だましに過ぎ――――、ッ?!」
”発泡”をかわすマスーダ、そしてマサーの足下で炸裂する、缶ビール――――当然、頼んだ覚えはない。それはまさしくカーボネイテッド・アシッド・トラップ――――ナーカエの持つ秘技の一つだ。
だが、かようなアルコ・アタックごときに平伏するほど、今宵集められたツルギザムライ達は甘くはなかった。
「マサー、穫った! そしてマスーダも穫っ――――てない、か」
肩を落とす素振り――だけ――を見せたナーカエ、その視線の先には、マスーダの奥義、『カウンター』の独特な構えがあった。
続く、スパークリングワインによるアルコ・アタックも、マスーダのその両手に収められた名器『シェイカー』に吸収された。ナーカエはその様子を見ながら、ニッと笑う。
「その構え、”バー”で修行したな」
「アルコホールは苦手なんでね」
言い放ち、マスーダはシェイカーを振る。縦に、いや横に、素人では到底言葉として表現し直せない、複雑かつ完成された撹拌は流れるようにその運動を終え、空になったグラス一つにその中身が注がれた。
「フロム・ライト・トゥ・レフト」
右から左へとスライドするグラスはやがて止まる。
――――水泡は速やかに失せ、ワインレッドとビールゴールドの完璧な融合――ビール・スパイン――がグラスに現れた。紛れもなく、これはバーでの修行の証、『マスター』の称号を得たものの証明であった。
それだけではない。ザシキ・フィールド内にいつの間にか設置されていたカーボネイテッド・アシッド・トラップの直撃を喰らったマサー、びしゃびしゃに濡れたモジャ・ヘアーを乱暴にかきあげ、その目つきをモード・オフィスへと変貌させる。
「おいおい、俺は“スコッチャー”だぜ? こんな玩具罠――オモチャ・トラップ――で終わりなんて、言わねーよなぁ」
マサーは血中アルコ指数の急激な上昇に耐性のある、言わば”上級”。だがそんなことよりも、そんな彼のスピリタスのような闘争本能に火を付けてしまったことに自然と目が行くのが、優秀なアルコホリッカーというものである。
そこへ運び込まれる新たなリョウリ。テンインによる小休止は、アルコホリッカー達の戦いがまさにこれからであるということを暗に示していた。