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◇10月14日午後3時19分◇
とりあえず、危機は去った。タイマーの止まった爆弾は、召使が安全な場所に運んでいる。本当は警察に通報したほうがいいんだろうけど、騒ぎが大きくなるのは個人的に困る。ただでさえ、殺人事件の重要参考人になっているんだから。
爆弾は、会社帰りにでも、あの公安刑事に引き渡すつもりだ。普通の警察官よりは、うまく処理してくれるはず。いろんな意味で。連絡先はわからないけど、きっとわたしのことを監視しているだろうから、どうにかコンタクトはとれると思う。
わたしは自分の席で、いろいろ考えをめぐらせていた。
爆弾を仕掛けた犯人の目的は、なんだろう?
その人物は、わたしに爆弾のありかや解除法のヒントを、これでもかとあたえている。ということは、爆発させることが目的ではない。わたしに危害を加えるつもりなら、そのまま爆発させればいいんだから。
では、なにをもくろんでいるの?
あのメールも、その犯人が出したものなんだろうか?
「ん? この荷物はなんだ?」
課長の声で、わたしは思考を中断させた。課長は、周囲のみんなに問いかけたようだ。
「新しいカタログですって」
だれかが、そう答えていた。
「あ? あ、いや、この積まれてるやつじゃなくて、私のデスクの上に荷物が置いてあるんだが」
わたしは課長の姿を見て、愕然とした。正確にいえば、課長が持っていた箱。
「課長!」
「ど、どうしたんだ、大沢?」
さっきの爆弾が入っていたのと同じもの。
小説の作者・重本さなえは、課長の知り合い……!
そうか……さっきのはダミーで、こっちが本命!
課長の席の背後の壁には、時計が掛かっている。その時刻が、わたしの瞳に飛び込んできた。
一五時二四分。
つまり、午後3時24分。
わたしは、咄嗟にある数字を思い浮かべていた。
325。
小説が掲載されていたページ数。
それが、爆破時刻!?
だとすると、残り一分。
わたしは、反射的に席を立っていた。
課長の持っていた箱を奪い取る。
わたしのひらめきが正解なら、どこかに運んでいる時間は残されていない。なんとか解除させるしかない。
箱を開けた。やっぱり、同じものが入っていた。ダイナマイトのような形状の部分に巻かれたビニールテープの色だけがちがった。さっきは赤だったけど、これは白。
数字を打ち込まなくちゃ!
なにを!?
もうヒントになるような数字は残っていない。
わたしは『27』を押した。
「い、いったい、なんだ? 大沢!?」
課長をはじめとして、ほかの社員からも行動を不審がられているのはわかってるけど、ためらってはいられない。
タイマーは……ダメ! 止まってない。
やっぱり、同じ解除法じゃなかった。
325。
これもちがう。
64。昨日の爆破されたビルの階数。
ちがう。
26。駐車場の丸のついていなかったほうの数字。
ダメ!
「どうしたんだ!?」
こうなったら、二本の配線のうち、どちらかを切る。
だとすれば、わたしが切るほうは、もう決まっている。
「ハサミ!」
わたしは叫んだ。
「は、はい……これ」
それを差し出したのは、山田だ。恐る恐るビクついていたが、それほどいまのわたしが殺気立っているのだろう。
わたしは、青の配線を切ろうとした。
チラッと、壁の時計に視線をはしらせた。
針は、二五分を指していた。
「みんな、ふせて──ッ!!」
わたしの声がオフィスに響きわたるのと、課長がわたしに抱きついたのは、ほぼ同時だった。わたしの手から爆弾の入った箱はこぼれ落ち、課長によって、わたしは床に押し倒されていた。
パン、パパパン!
そんな炸裂音がした。
ほんの一瞬の出来事のはずなのに、おそろしく長時間のような錯覚があった。
悲鳴が、あちこちからわきおこる。
「だ、大丈夫か!?」
課長の声で、わたしの時間の流れは正常に戻った。
「はな……び……!?」
わたしは、呆然とつぶやくしかなかった。
「な、なんのイタズラよ!?」
だれかの声が、そうわたしを責めたてていた。
「こ、これは……」
わたしは、言い返せなかった。
「キミの仕業なのか!?」
身を挺して、わたしをかばおうとしてくれた課長の眼つきが、途端に険しくなる。山田の顔も、どこか怒っているようだった。
わたしじゃない……その言葉を、飲み込んだ。
謎の人物が──もしかしたら、昨日のビルを爆破したテロリストが仕掛けたものだということを説明しても、信じてはもらえない。
ここは、言い訳をすべきじゃない。
わたしのイタズラにしておいたほうがいいのかもしれない……。
みんなの瞳が痛かった。
わたしは、この職場で完全に孤立してしまったことを自覚した。
◇10月14日午後8時30分◇
あの公安刑事は、時間ピッタリにやって来た。日比谷公園。わたしのほうから、場所と時刻を指定した。
あのあと、強制的に会社を早退させられたわたしは、地下鉄霞ヶ関駅の伝言板に、その旨を記したのだ。いまどき伝言板なんて、かなりの絶滅危惧種。あるのかどうか心配したけど、桜田通り方面改札を出たところに、地味な雰囲気でたたずんでいた。黄色のチョークしかなかったのが意味不明だけど。
こうしてやって来たということは、その書き込みを見たということだ。つまり、わたしの予想どおり監視されているという証拠。
「これは、偽物だ」
公安刑事は、わたしが差し出した爆弾を見ながら、そう言った。
わたしの横には、召使も控えている。彼が、いままで慎重に保存しておいたものだ。
「これを解除させておいて、安心したところに、本物がドカン。趣味の悪い人間の作品だな。ま、テロリストは、屈折した人間の集まりだから、しょうがないがね」
公安刑事は、一人のようだった。きっと、どこかに何人も配備してるんだろうけど。
夜の公園内は、ひっそりとしている。でも都会なので、まったくいないというわけじゃない。この眼に見えるなかにも、彼の仲間がいるはずだ。一般人にみせかけて、わたしを見張っているにちがいない。
「もう一個のほうも、花火か爆竹だったようだね」
わたしは、うなずく。
この男には、かいつまんで、今日の騒ぎを説明してある。
「警告だな」
「なんに対しての警告なの? あなたは、なにを知ってるの? だれを追ってるの!?」
「われわれが追ってるのは、ただ一人。坂下陽介だよ」
「嘘。生きているか死んでいるかもわからない人間のために、あなたたちは動かないでしょ? わたしにこんなことをするのは、だれなの? なんでわたしに、ちょっかいを出すの!?」
「さあね。それは、犯人に直接訊いてくれ」
この男が真相を言及することはなさそうだった。わたしは、公安刑事に背を向けた。
「用事は、すんだわ」
「おいおい、一方的に呼び出しておいて、それはないだろ?」
「わたしは、なんの情報も持ってない。だから、いま話したこと以外、なにも語れない。それにわたしは、ただ伝言板に、ここの場所と時間を書き込んだだけよ」
顔だけ振り返って、そう告げた。
「──その人物は、《ハマーム》という」
え? わたしは、あまりの意外さに、歩き出そうとしていた足を引っ込めた。もう話は聞き出せないと思ったけど、公安刑事は、なにか重要なことを伝えようとしてる。
「あるとき、テルアビブで爆破テロがおこった」
「それ、陽介が死んだ場所……」
「そうだ。あの日、テルアビブでは、ショッピングモールのほかに、あるビルが同時に爆破されていたんだ。サウル王通りにあるビルだよ。だが、そのことは報道されていない。どうしてだかわかるか?」
わたしは答えなかった。わかるわけないもん。
「あってはならないことだからだ。そのビルは、ハ‐モサッド・レ‐モディイン・ウ‐レ‐タフキディム・メユハディムという組織の本部ビルだった。わかりやすく呼べば、『モサド』」
ぜんぜん、わかりやすくなってないんだけど。
「イスラエル諜報特務局だよ」
わたしの思考が通じたのか、公安刑事はそう続けた。
「世界最強の諜報機関が爆破された。しかも外部からじゃない。外からの攻撃なら、想定の範疇だ。だが、その爆破は内部に仕掛けられたものだった」
「それが?」
「CIAや英国のSISとはちがうんだ。モサドは、メンバーを選抜するのに三年から四年はかけるものなんだ。体力や精神力だけじゃない。思想や生い立ちまで考慮され、厳しく判断される。だから組織を裏切る者は絶対に出ない。つまり爆破は、何者かが侵入して仕掛けたということになる」
まわりくどい言い方。とっとと、核心を突けっての。バラエティ番組なら大幅カットされてるよ。
「侵入したと考えられている人物こそが、《ハマーム》と呼ばれるテロリストだ。生ける伝説と賞賛されている殺戮のプロ。彼以外にはありえない。《ハマーム》の年齢や国籍はわかっていない」
なんだかこの人の言いたいことが、だんだんとわかってきた。
「われわれは、それが坂下陽介なのではないかと疑っている」
やっぱり。
「バッカみたい。そんなことあるわけない」
「ハマームというのは、アラビア語で鳩を意味しているそうだ」
「鳩?」
テロリストなのに、ずいぶんイメージとちがう名前。平和の象徴なのに……。
わたしは、ハッとなった。
平和……。
世界が平和でありますように──。
「まさか……そ、そんな……」
「少しは、思い当たることがあるだろう?」
「陽介は死んだのよ」
「それは、偽装だよ。テルアビブでの同時爆破テロ。実際には、ヤツはモサド本部に侵入し、爆弾を仕掛けていた。その後、姿を消して、現在まで表舞台からおりている」
「あ……、あなたたちは、その《ハマーム》という人を逮捕したいの?」
わたしは、それが陽介だとは認めなかった。
「それは、べつの部署の役目だ。われわれの真の目的は、あるファイルを手に入れること」
「ファイル?」
「《ハマーム》は、どこかの組織に所属するのではなく、フリーでテロを請け負う、いわば仕事人だ。だから、自分に保険をかけていたんだろう。テロの世界では、昨日の友は、今日の敵だからね」
話のまわりくどさに、いいかげんウンザリしてきた。
「それのことを、こっちの世界では『Cファイル』と呼んでいる」
「それは、なんなの?」
「Cファイルの『C』は、ケイオス──混沌を意味する。あらゆるテロ組織、テロリスト個人、そのすべてが記されたファイルだよ。人員、金の流れ、隠れ家──世界各国の警察・諜報機関が、喉から手が出るほど欲しい情報の束だ」
「それを《ハマーム》が持っていると?」
「そうだ、坂下陽介がね」
わたしは、公安刑事を睨みつけた。
「そんなものは、存在していないのかもしれない。しかし、わずかでも存在の可能性がある以上、われわれは坂下陽介をマークする。もっと言えば、坂下陽介が必ず接触してくるであろう、きみをね」
「バカバカしい。もう、話は終わりね。こんなくだらないことを聞いている時間は、普通のOLにはないの」
わたしは背中を向けて、今度こそ足を踏み出した。
「まあ、次になにかあったときも、同じ方法でかまわない。また呼んでくれ。われわれは警察官だからね。一般市民が困っていれば、どんなことをしても駆けつけるよ」
白々しい社交辞令だった。
信じられるわけがない。彼らの利にならないと判断されれば、簡単に見殺しにされるだろう。
「偽爆弾は、たしかに預かったよ」
わたしは、もう公安刑事に応えることもなく、夜の公園を歩き出していた。




