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◇10月14日午後14時11分◇
わたしは信じられないぐらい落ち着いて、イスに座っていた。
「あ、ここに積んでください」
山田一郎が指示を出した場所に、運送屋さんらしき人たちが荷物を運び込んでいる。わたしは、その光景をぼうっと眺めていた。
「新しいカタログです。10月20日までは現状のものを利用してください。ですから、21日までは開けないように」
壁際に高く積まれた荷物を手で示して、山田一郎が同僚たちに呼びかけている。
わたしは、やっぱりその声をぼんやりと聞いていた。
まさか、ここが爆破されるなんてこと、ありえないって。そう。そんなことがあるわけない。
昨日のテロと、送られてきた本のあいだには、なんの因果関係も存在しない。つまりは、今日の雑誌と、ここのビルのことも無関係ということになる。
そうそう。これが、合理的なものの考え方というものよ。
「大沢、どうだった? 読んでみたか?」
「あ、課長。おかえりなさい」
いつ見ても、無駄にイケメンな課長が帰ってきた。
「読みました」
「そうか。いい作品だったろう?」
「え、ええ」
こうまで、おべっかを口にしなければならないのが、社会人。
「あいつは、学生時代から現実逃避ばかりしてるヤツだったからなぁ」
重本さなえ……さなえって名前なんだから、女性なんだろう。恋人だったとか?
言っててなんだけど、まったくどうでもいいな、そんなこと。
「なんだかさ、キミに似てるんだよな」
「そうなんですか?」
「顔は似てないんだけどさ、いや、ほら、現実逃避ぎみなとこが」
しっ、失礼な!
わたしは内心の怒りを、笑顔でごまかしていた。課長は、そんなわたしのなかにひそむ鬼のことなど気づかずに、自分の席に戻っていく。
なにが現実逃避よ。まあ、たしかに……いまでもアイドル時代の思い出にひたることはあるけど……。
……現実逃避。いまのわたしか?
現実と向き合うとしたら……送られてきた雑誌が、ここでの爆発を予告している。
そんなバカなこと……。
でも、その楽観が逃避じゃないの?
わたしは、立ち上がった。
オフィスを出ていく。
エレベーターじゃなく、階段。上へ。
途中で、召使が待っていた。一階から階段を使えば、部外者が入るのも容易だ。だけど各フロアへの侵入は難しい。
念のため……本当に、ただ念のため、召使には六階と七階にある『クレセント』という通販会社を調べてもらっていた。といっても、入り込むのはムリだっただろうけど。
「これが……」
召使は、小さめの箱を抱えていた。
わたしは、なかになにが入っているのかを確認した。
一瞬、リアクションができなかった。バラエティ番組だったら、ディレクターに怒られているところだ。
「どこにあったの!?」
「上の会社です」
こいつ、どうやって入り込んだんだ?
い、いえ……そんなこと、どうでもいいわ!
この箱をどうするか……っていうか、そのなかに入ってる爆弾みたいなのをどうするかってことよッ!
「な、なんだか……爆発物みたいに見えるわね……」
わたしは、穏やかに言った。そうよ……慌てても、どうすることもできないわ。
「爆弾ですね、どう見ても」
わたし以上に落ち着いた口調の召使が、なんだかムカついた。
「だ、大丈夫なの!? 動かして!?」
「たぶん、そこまで精巧なものではないと思います。簡単な時限式のものです」
たしかに、赤いビニールテープが巻かれたダイナマイトのような形をしたやつに、デジタル時計がついていた。青と赤の配線。よくドラマとかに出てくるような爆弾だった。
「どうやって止めるの!? 赤と青、どっちかを切るやつ!?」
そういうシチュエーションは、テレビでは定番だ。
「だったら、青が正解よ」
いままでこういうので、「赤」が正解だったためしがない。
「ちがいますね」
「どうして!?」
「ここに入力装置みたいなのがあります」
その爆弾らしきものが唯一、通常とちがうところが、そこだった。
0から9までの数字キーと、おそらく打ち込んだ数字が表示されるであろう液晶モニターのような部分がついている。ちょうど計算機のようだ。
「数字を打ち込めってこと!?」
「そういうことだと思います」
「なによ、その眼!?」
あきらかに、わたしが打ち込めと、召使の瞳が告げていた。
「イヤよ! まちがえたら、爆発しちゃうんでしょ!?」
ここは警察に通報するか、安全な場所まで爆弾を移動したほうがいいんじゃない!?
「このタイマー、いつ爆発することになってるの!?」
こういうのは普通、爆発までの残り時間が表示されていて、だんだんと「0」に向かってカウントダウンされていくものでしょう?
でもこれは、現在の時刻が表示されている。
これじゃ、いつ爆発するのかわからないよ。
「わかりません。いまかもしれないし、何時間後かもしれない」
警察に通報して、ビルのなかの人を避難させて……そんな時間はある!?
どれぐらい残されているのかわからない以上、数字を打ち込むべきなのか……。
「ボクが押します。何番ですか?」
「そ、そんなこと言われても……」
数字なんだから……いままでのヒントになるようなもので、数字といえば……。
「325!」
クレセントが掲載されていたのが、三二五ページからだった。
「離れていてください!」
召使は勇ましくそう言うけど、いくらなんでもホントに逃げちゃったら、わたしは人間として最低になる。
わたしは、少しだけ離れた。
昨日のような威力があったら、どのみち死んでしまうだろう。
「押しますよ!」
一〇秒ぐらい経ったけど、なにもおこらなかった。
「あってた!?」
「まちがってます」
「じゃ、爆発しちゃうの!?」
「いえ……たぶん、まちがったからといって、爆発はしないようですね」
「だったら、安全な場所まで運んじゃおうよ……そのほうがいいって」
「イオさんが望むのなら、そうしますよ……」
召使は、静かにそう言った。
何時に爆発するかわからないのなら、運んでいる最中にその時を迎えてしまうかもしれない。
それはつまり、召使に死ね、と言っているのと同じことだ。
最低だ。
世界が平和でありますように──。
心のなかで、いつか語り合った陽介の声が聞こえた。
あの人は、テロを憎んでいた。罪のない人々が苦しみ、死んでいく凶行を本気で許せないと主張していた。
止めなければ……。
わたしが死ぬだけじゃない……。召使も、そしてこのビルにいる人たちも被害をうけることになる。
記憶のなかの彼の声が、わたしを冷静にしてくれた。
ほかに、ヒントになるような数字はなかった?
なにか、なにか……。
あった!
「27を押して」
本の送り主の住所……そこは駐車場になってたけど、その27番に丸がついていた。
「──当たりです」
召使の声が、階段に響いた。
わたしは、ふう、と息を吐き出していた。