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◇10月14日午前8時41分◇
翌朝、会社につくと、わたしは昨日の郵送物を確認した。送り状は、包装紙ともどもゴミ箱のなかに入っていた。
住所は、文京区の音羽になっている。わたしは、いったん会社の外に出ると、書かれていた住所を召使に伝えた。
◇10月14日午前10時04分◇
また小包が、わたし宛に届いていた。
やっぱり豊臣秀吉からだ。
なかには雑誌が入っていた。文芸雑誌だった。
『月刊小説はるか』という名前のものだ。
「なんなのよ……」
「今日は『はるか』ですか? それ、連載中の『雲とハリセン』がおもしろいんですよねぇ。毎月楽しみなんですよ」
昨日と同じように、山田一郎が声をかけてきた。こいつの読んでるのって、ヘンじゃないか?
「イオさん、読書が趣味になったんですか? 今度、本屋めぐりをしましょうよ」
わたしは、とりあえず愛想笑いを返しておいた。
「約束ですよ」
勝手に、いいほうに解釈されてしまった。訂正している場合じゃないから、放っておいた。山田は、軽い足取りで自分の席に戻っていく。
わたしは、雑誌に視線を落とした。
これにも、意味があるのだろうか?
いえ、昨日のに意味があったとはかぎらない……自分の想像が、ただの思い過ごしかもしれないのだ。
慎重にページをめくっていく。
目次。赤いペンで、丸がついていた。
読み切りの作品『クレセント』という短編小説のところに。
掲載されている三二五ページまで飛ばす。
本文自体には、しるしはつけられていないようだ。念のため、細かく読んでみる。
「お、お、さ、わ!」
ぞわぞわ、と背筋がささくれだった。
「いまは、お仕事の時間」
課長だった。
「す、すみません」
「なに読んでるんだ?」
しかしその問いは、あまり怒っているようではなかった。
「は、はあ……」
わたしは、正直に表紙を見せた。
「『小説はるか』か。じつは今月号に、おれの大学時代の親友が書いている作品が載ってるんだよ」
「な、なんていう作品ですか?」
どうでもよかったが、たずねないわけにはいかなかった。
「なんだったかな? 重本さなえ、ってペンネームなんだよ。最近やっとデビューできてさぁ」
重本……、あ。
わたしは、三二五ページを開いた。
「これですか?」
『クレセント』だった。
「そうそう。いまはダメだけど、休み時間にでも読んでやってくれよ」
課長はそう言い残し、用事があるからとオフィスを出ていった。
わたしは課長の言葉を無視して、すぐに読みはじめた。
◇10月14日午前10時59分◇
短編とはいっても普段、小説なんて読まないから、だいぶ時間がかかってしまった。
内容は、課長の知り合いには悪いけど、ありきたりなラブストーリーだと感じた。文章的なところは、どうなのかわからない。わたしに文才なんてないんだから。
本文に、目印のようなものは見当たらなかった。もしこれが、昨日みたいに事件のことを指しているのだとしたら、いったいどこのことだろう?
まって。昨日のことを、爆破テロと関連づけていいものか決まったわけじゃない。
深夜まで報道特別番組として、そのニュースをやっていた。朝も、それ一色だった。こうして耳を澄まして同僚たちの会話を聞いていると、やっぱりそのことを話しているようだ。とくに、いまは課長が外出しているから、私語が多い。
秋葉原のキリンタワーという建物。
それまでまったく知らなかったけど、今年の春に完成したばかりの地上七〇階建ての高層ビル。その六四階で爆発がおこった。
昨日、わたしに送られてきた本(カバーだけ)は、オタクたちが秋葉原に新しい国をつくるという突飛な話。そして、実際の中身にあった図鑑には、キリンのページに丸がついていた。
推理どおりなら、それが秋葉原のキリンタワーを示していることになる。しかも山田の語ったストーリーでは、決起するオタクの数は、六四人だということだった。
爆発したのも、六四階……。
符合しすぎている。山田にもう一度、ストーリーの詳細を教えてもらおうかしら……。ダメ、やめておこう。それこそ、ますますヘンな本が好きな女だと勘違いされる。
今日の雑誌が、またなにかを暗示しているのだとしたら、それはなに?
小説はるか。
丸がついていたのは、クレセント。
筆者は、重本さなえ。
内容は、ありきたりな恋愛小説。
……わかるか!
でも、もしおこるとしたら……また爆発なんだろうか?
場所が、はるか、クレセント、重本、そんな名称のところ。またビルの名前なのかもしれない。
パソコンで検索してみることにしよう。
◇10月14日午後12時06分◇
『ビル はるか』
『ビル クレセント』
『ビル 重本』
『はるか クレセント 重本さなえ』
いろいろやってみたけど、これぞというものはなかった。
わたしは、席を立った。もうお昼だし、もしかしたら、召使がさっそく調べてくれたかもしれない。
会社の外へ出た。
「めしつかい~」
まわりの歩行者に変人だと疑われぬよう、小声で呼んでみた。
「イオさん……」
すぐに現れた。気をつかって、むこうも囁き声で返事をした。
彼には悪いけど、こんなところを会社の人間にみつかると、不快な噂をたてられることになる。早急に、どこかカムフラージュできる場所をみつけなければ。
「距離をあけて、ついてきて」
わたしは、五分ほどのところにあるコンビニまで歩いていった。なかに入る。召使には雑誌を立ち読みするように指示を出した。
わたしはお弁当を選んでから、窓側の雑誌コーナーに向かい合った化粧品が並んでいる棚を物色するふりをした。
「で、どうだった?」
背中越しに、そう問いかけた。
「あの住所に行ってみました。該当する場所はありません。駐車場になってました」
「そう」
これで、あの小包が事件に関係している可能性が一段上がった。
「ちなみに、これがその写真です」
わたしは、チラッと召使に眼を向けた。右手の人差し指と中指に一枚の写真が挟まれていた。わたしは受け取る。
「彼が撮ってくれました」
なんの写真か確認するよりもはやく、召使はなにもなくなった指で外を示した。わたしは、なにげない動作で振り返った。このコンビニをうかがうように、電柱の陰からファインダーが覗いていた。
わたしは、やはりなにげない動作で、右手で合図を送った。一応、感謝の意をあらわしたつもりだ。
すぐに化粧品の棚に向きを戻し、写真に眼を通した。
たしかに駐車場だ。何台も収容できる大きさなのだろうが、写っているのは三台分の駐車スペースだけだった。
右側には黒い車が停まっていて、真ん中と左側が空いていた。駐車スペースには、それぞれナンバーがふられている。右側の停まっているところは隠れて見えないけど、真ん中が二七で、左側が二六だった。
「これ……」
真ん中の二七と書かれたアスファルトに、赤いチョークのようなもので丸がつけられていた。
「なんだか気になったので、そこを撮ってもらいました」
でかした。気がきくじゃない。
「二七……?」
これも、なにか関係があるのだろうか。
とりあえず買い物をすませて、わたしは会社まで戻った。
玄関口まで来たところで、あることを思いついた。後ろを振り返る。召使は、ほどよい距離をあけてついてきていた。
眼でこっちに来い、と告げた。
さすがは、わたしのストーカーだけのことはある。すぐに意をくみ取ってくれた。ただの通行人のていで、わたしに近寄る。わたしは、わざとコンビニの袋を落っことした。
「だ、大丈夫ですか?」
うまい芝居で、召使はコンビニ袋を拾い上げてくれた。
「すみません」
袋を受け取りながら、わたしは彼の耳元で囁いた。
「はるか、クレセント、重本さなえ」
昨日のことを知っている召使ならば、いまので意味がわかったはずだ。
「ありがとうございました」
わたしは、会社のなかに入ろうとした。夕方までには、いまのキーワードで、なにかしら調べあげてくれるはずだ。
「ん?」
召使が、瞳をある一点に向けていることに気がついた。どこか、様子がヘンだ。
わたしは、そっと彼が見ているものを確認した。
このビルの壁面。そこには、このビルの名前が記されたプレートがはめ込まれていた。
『はるかビルディング』
「え?」
そして、思い出した。
このビルの六階と七階に入っている通販会社の名前。
たしか、クレセント……。
「じゃあ……このビルが!?」