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◇10月13日午前9時31分◇
週末と体育の日を合わせた連休は、恐ろしいほど静かに過ぎていった。何事もなさすぎて、なんだか休日を無駄にしてしまった感じ……損した。
考えすぎだったのかもしれない。外へ出ないようにしてたからかもしれないけど、危険なことなど、なにもなかった。出前の天ぷらそばで舌を火傷したぐらいか。まさかシャドウが、そんなことを警告してきたとは考えられない。というか、ありえない。
他人との接触もなかったし、電話すらなかった。なんて暗い交遊関係。唯一、久美子さんからメールが届いてただけ。きっと、わたしが挙動不審だったから、心配してくれたんだ。わざと明るい文章で返信しておいた。
金曜の夜にファインダーに撮ってもらった写真には、とくになにも写っていなかった。怪しい人影も、公安らしき人物も。夜景を眺めるカップルが何組か写りこんでいただけ。
気にしすぎだったんだ。
連休明けの職場は、予想よりもだるくなかった。家でジッとしてると、日々の疲労はなくなっていくものなんだと実感した。
「大沢さん、小包が届いてるわよ」
同僚が、そう言ってわたしの机に荷物を置いていった。辞書ぐらいの小さな包。差出人の名前は『豊臣秀吉』になっている。
ふざけてんのか?
とりあえず、包装を解いてみた。
なかに入っていたのは、一冊の本だった。
『YESと言えるオタクたち』
やっぱり、ふざけてるな。
なんだ、この本?
「あ、イオさん、ずいぶんマニアックなやつ読んでますねぇ」
山田一郎が、久しぶりに声をかけてきた。連休を挟んだら、わたしに対するしゃべりづらさもなくなったのだろうか。
「どんな本なんですか?」
「知らないんですか? だって、持ってるのに」
「読んでません」
「これから読むんですか。だったら内容教えちゃマズいじゃないですか」
どうでもいい気遣いだった。
「いいから、教えてください」
ホントにいいんですか、という複雑な表情で山田一郎は語った。
近未来、全国のオタクたちが決起して、革命をおこす。その数、六四人。そして秋葉原を聖地としてオタクランドを建国する話だという。
斬新すぎて、ついていけない……。
わたしは、本を開いた。
「ん?」
ちがった。小説じゃなかった。動物の写真が載っている。
なんだ、図鑑じゃない。
パラパラとめくってみる。
とあるページで、わたしの手は止まった。
キリン。サバンナのようなところにいるキリンの写真に、赤いペンで丸がついていた。
「あれ? カバーと中身がちがってるんですか?」
「そうみたいです。これ、キリンですよね?」
「キリンですね」
わたしが掲げたページを眼にして、山田一郎は抑揚なく答えた。見たままを声に出したという印象だ。
彼は、そこで課長に呼ばれたので行ってしまったけど、わたしは二、三分だけ考え込んだ。やっぱり意味がわからなかったので、本を閉じて仕事に戻った。
すぐにそんな図鑑のことなど、頭から消えて無くなった。
◇10月13日午後7時12分◇
なんだか夜の街が、ざわついていた。
でもわたしは、そんなこと気にも留めなかった。思い過ごしだろうと考えていた。
だけど、地元の駅前──電気店のテレビに七時のニュースが流れているのを眼にして、ざわつきの正体がわかった。
『繰り返します! 午後六時三〇分ごろ、秋葉原のニュースポットとして建設されたばかりの《キリンタワー》で、大規模な爆発がありました!』
物騒な話だと率直に感じた。と、同時に、日本の話だよね?、と自問してみた。どこか遠い国の話のようだ。
「キリンタワー……」
秋葉原に、そんな建物あったっけ?
行かない街だから、知らなくてもしょうがないか。
わたしは、テレビの前から立ち去ろうとした。──と、わたしの心のなかでも、ざわつきが波紋のように広がった。
「秋葉原の……」
キリンタワー。
《キリン》?
思わず、近くにいた見知らぬ人に話しかけようとしてしまった。
「あの……」
でもその人は携帯で電話中だったから、話を聞くのはムリだった。そんなあかの他人に話しかけなくても、わたしの近くには、いつも知り合いがいることに思い至った。
「召使!」
まわりの通行人は、わたしが突然そう叫んだことに、一瞬驚いて距離をあけていく。
人ごみのなかから、召使が姿を現した。
「なんでしょう、イオさん?」
「この爆発事故のこと、知ってる!?」
「事故じゃなくて、事件ですよ。たぶん爆破テロだろうって、報道してます」
『どうやら、なにかの爆発物が仕掛けられたとの──』
街頭テレビでも、ちょうどそのことにふれていた。
『七〇階建てビルの、六四階で爆発があったようです──』
「どうしたんですか、イオさん?」
「六四階……!?」
「イ、イオさん!?」
わたしは要点をまとめて、送られてきた本のことを召使に話した。駅前から、人通りの少ない場所へと移動していた。
『YESと言えるオタクたち』という小説。ただし中身は、動物図鑑。キリンのページに丸がついていた。小説の内容は、六四人のオタクたちが、秋葉原にオタクランドを建国するという話。
「どう思う?」
「その本が、爆発騒ぎとなにか関係があるというんですか!?」
「わからないから訊いてるの、あ・な・た・なんかに!」
わたしの傲慢な口調に、むしろウットリしてる召使が気持ち悪かった。
「送り主は、だれなんですか?」
「豊臣秀吉」
召使はわたしが冗談でも言ったと思ったのか、笑っていいのか、いけないのかを自らに問いかけるような表情をとった。
笑っちゃいけないのよ……わかってるわよね!?
そんな思考が伝わったのか、召使は顔を引き締めた。
「じゅ、住所はどこですか?」
「どこだったかなぁ?」
本をはじめ、包んであった紙や、送り状などは会社に置いてきてしまった。
「じゃあ、明日教えてください。ボクが調べておきます」
「そう。ありがとう」
「は、は、は、は、はい!」
感謝の言葉に、召使はかわいそうになるぐらい反応していた。いつも、こき使いすぎだったかも。
よくよく思い返せば、最近、彼らには世話になっている。機会があったら、ファインダーにも礼を言っておこう。
ストーカーたちに、お礼か……。
ヘンだ。
……いろいろあったから、知らずに心が弱くなっているのかもしれない。