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◇10月8日午前9時02分◇
みんなの、わたしを見る眼がちがっていた。
山田一郎ですら、わたしから距離を取っているようだ。警察に事情を訊かれたことは、会社中に広まってしまったということか。
わたしが会いにいった人物が、死んでいた。
第一発見者。
重要参考人。
それだけの材料がそろえば、だれだってあやしいと思うだろう。
わたしは、まわりの冷たい視線をうけながら、課長のところまで歩いていく。
「もう、大丈夫なのか?」
課長は、わたしの顔を確認するなり、そう口を開いた。
「すみません。心配をおかけしました」
「まったく……うちは、イメージが大切なんだから、軽率な行動は慎んでくれ」
「すみませんでした」
「だいたい、いくらクライアントといっても、個人のマンションに女性が一人で行くもんじゃない。それぐらい、常識だぞ。キミがむかしいた世界では、めずらしいことではなかったのかもしれんがな」
その言葉を聞いて、胸の奥がカッと熱くなった。
「なんだ、その眼は?」
「い、いえ……」
芸能界は、そういうところだと思い込まれている。身体で仕事を取っている──そんな世界だと。
無性に腹が立った。
そういうことをやってたら、もっと売れてたわっ!
「すまん、言いすぎた。忘れてくれ」
しかし課長は、一転してあやまった。
そう下手に出られると、怒りの行き先をどこへもっていけばいいものか。
「もう行っていい」
怒りの方向を見失ったまま、わたしは自分の席に戻っていく。
同僚女子たちのヒソヒソ話が耳に届いた。
(やっちゃったんじゃない?)
その声は、幻聴?
でも、わたしがエスパーなら、みんなのうちなる声がハッキリと聞こえているはずだ。
疑われている。
課長も、それを確かめたかったはずよ。
こういうふうに。
『キミが、殺したんじゃないのか!?』
◇10月8日午後8時10分◇
「そいつ、ムカツクー」
「ホントよ、ホント」
わたしは、祐天寺にあるサントメ・プリンシペ料理店にいた。
仕事終わりに、友達と食事をすることになったのだ。
……って、サントメ・プリンシペって、どこ?
「いるもんだねー、どこの社会にも。そういう偏見もったヤツ」
わたしの眼の前には、『ユメ』がいた。
パレットのメンバーで、現在でも芸能界にいる。いる、といっても深夜の通販番組か、MXでしか見かけなくなったほうだ。もう一人のバリバリ活躍しているほうは、こんなところには来ない。というより、メンバー同士、仲が悪かったから、プライベートの付き合いなんてほとんどない。ユメだけが例外。
ユメは、どのメンバーとも仲がよかった。
コウモリ女。
わたしは、陰でこの女のことをそう呼んでいた。というか、芸能界もそのコウモリぶりで渡り歩いている。じゃなきゃ、一番地味なユメが生き残れるわけがない。
『パレット』というグループ名にちなんで、メンバーには、それぞれイメージカラーが決まっていた。わたしは、赤やピンク系の色。華がある。
ユメは、黄色系。「レモン色」って気取った呼び方しても、黄色は黄色。言っちゃ悪いけど、黄色って、一番人気のないキャラクターにつけられるものでしょ?
でも、彼女の存在は貴重だった。なんだかんだいって、相談事は彼女にしていた。引退するか悩んでいたときも、そうだった。いつのまにか頼りにしていた。愚痴もこぼしていた。もしかしたら、ほかのメンバー二人も、そうだったのかもしれないな……。
「わたしたちを、なんだと思ってるんだ、つーの!」
今朝、課長に言われたことを、ユメに語ってしまった。課長はあやまってくれたけど、やっぱりユメの顔を見たら、愚痴ってしまったのだ。
ユメは変装することもなく、店に溶け込んでいた。リポーターとしても場数を踏んでいるから、こういう場合のスターオーラの消し方もよく心得ている。
「そんな会社やめて、復帰したら?」
ユメは、無邪気にそう言った。
できるわけない。もうわたしのいるべきポジションは、残されていないのだから。芸能界は、だれかが沈めば、だれかが上がる。だれかがやめれば、だれかがデビューする。いつの時代も、タレントの席数は決まっている。
ある者は、アイドル枠は一五しかないという。またある者は、二〇と。一番少なく見積もっていたのでは、七人だけっていうのがいたな。多い人でも三五、六。その数は、グラビアをやっている写真週刊誌や青年マンガ誌の冊数と同じだということだった。
ただ最近では、やたらと人数の多いグループが乱立しているので、その法則も崩れているようだ。いずれにしろ、わたしはもうアイドルとしての旬を過ぎている。
「できるって……わたしたち、まだ二四だよ」
ユメは、とりわけ年齢を強調した。ユメも焦ってるんだ。パレット解散後、恐ろしいほど急激に失速してしまったのだから。
わずか一年半で、窓際タレント。むしろわたしなんかより、残ったユメのほうが大変なのかもしれない。
「わたしたちって、結局、大学時代の軽いノリでやってたんだよ。サークルみたいにさ」
「イオ……」
「たまたま一年生でミスキャンパスの座を獲得した四人が、事務所に乗せられてグループを組んだ。プロじゃなかった」
「そうかもね……」
「だいだい、女子大生って響きが、もう古かったよ。バブル時代かよ、って」
「たしかに、女子高生とかJKって響きは憧れだったなぁ。でも、いまはさらに進んでるって、いっしょに仕事した若い子が言ってた。中学生が脅威だって」
「いまから考えると、アイドル路線自体にムリがあったのよ、きっと……」
なんだか、暗くなってしまった。
話題を変えよう。
でも、わたしがそうするまえに、ユメのほうがこの雰囲気を嫌ったようだ。
「で、警察の取り調べは、どんなだったの?」
「そりゃ、不快指数一〇〇%だって」
「カツ丼食べた? カツ丼?」
「そんなのドラマの話だよ」
「え? 食べてないの、カツ丼」
なぜだか、カツ丼にこだわるな、この女。
「じゃ、ウナ丼?」
「いや、ウナも……」
そこでやっと、料理が運ばれてきた。チキンと野菜をトマトで煮込んだものや、赤く色をつけてあるライス。アフリカの島国ってことだったけど、案外普通。
いつも店をチョイスするのは、ユメだ。
珍しい国の料理を食べるのが趣味らしい。
貝を串焼きにしたものが、あとからやって来た。
「ボンスデテール」
黒人の店員さんが、そう言って置いていった。さっそく、頬張ってみた。おいしい。
「このトマト煮込みは、33だな」
ユメが、ヘンなことを口にしだした。33点の味──ということでないのは、長い付き合いでわかっている。
「こっちのライスは、16」
ユメは、なんにでも数字をつけてしまう癖がある。何度も言うけど、点数じゃないの。物や人、なんでもイメージにピッタリな数を当てはめちゃうのだ。
ちなみにわたしは、47だって。
「写真とろ」
携帯を出して、撮影をはじめた。
その携帯には、26と小さな数字のシールが貼られていた。
「それは、26なんだ」
「このフォルムは、26でしょ」
あいかわらず、意味がわからん。
「じゃ、この串焼きは?」
「666かな」
「多いね。しかも、不吉」
「だって、食べたくないし」
「え、おいしいよ、これ」
わたしは、素朴にそう感想をのべた。
「よく食えるね」
「おいしいって、この貝」
「それ、貝じゃないよ。ボンスデテール、って店員さんが言ってたでしょ。メニューよく見てみなよ」
わたしは、メニューを開いた。でも、ポルトガル語で書かれてあるから、チンプンカンプンだった。
「たぶん、巨大なカタツムリのことだよ」
「え!?」
◇10月9日午前11時26分◇
やっぱり、仕事が手につかなかった。同僚たちの視線も変わらずに冷たい。課長からも朝イチで怒られている。
ま、それはいつものことか……。
でも、昨夜は愚痴れたから、いくぶん気持ちは楽になっていた。
ユメには、公安刑事の言っていたことはふせてある。
『坂下陽介は、生きている』
そもそも、彼が公安にマークされていたような人物だということも、ユメは知らないのだ。ただでさえ、タレント生命について考えなければならないのに、余計な心配はさせたくない。
陽介が本当に生きているのだとしたら、必ずわたしに会いにくる。それがないということは、やはり彼は……。
集中できないから、わたしはパソコン画面を、ぼうっと眺めていた。
メールの着信があった。
なにげなく開いてみた。
『今夜九時、思い出の場所で待ってる。Y・Sより──』
え? なに……これ?
わたしの背筋を、電流が駆け上がっていった。
Y・S──ヨウスケ・サカシタ!?
まさか?
だれからのメール?
社内からではない。外部からのようだ。知らないアドレスからだった。
『あなたは、だれ?』
返信してみた。
三〇秒ほどで、また着信があった。
『キミのことを、だれよりも愛している男』
『ふざけないで』
返信。
『ボクは死んでない』
『あなたは、陽介?』
しかしその返事は、いつまでたっても来なかった。