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       ◇10月7日午後4時36分◇


 わたしは、取調室にいた。ドラマなどで観るよりも、実際に入れられると狭く感じる。テレビ映像のほうが広いと錯覚するのは、温泉番組などでお馴染みだ。行ってみると、湯船が想像していたよりも窮屈で、期待を裏切られることのほうが多い。もっと広い浴室だと思ったのに──って、みんな一度はそのセリフを言ったことがあるはず。まあもっとも、テレビのなかの取調室はドラマのセットだから、実際のこことは、もともと大きさがちがうんだろうけど。

 わたしの眼の前には、歳のころ三〇ぐらいの男が座っていた。

 刑事、というよりも普通の地味なサラリーマンのようだった。

「で、あなたが部屋に入るまえに、だれかとすれちがったりしなかった?」

「いいえ、だれにも会っていません」

 同じようなやり取りを、もう何度こなしただろうか。ここに連れてこられるまえにも、あのマンションの部屋で二、三回訊かれているし、ここに来てからも二、三度尋問されていた。

「あなたと、中村吉彦さんの関係は?」

 これも、しつこく繰り返されている質問だった。

「ですから、仕事上の関係しかありません」

「でもさ、マンションの部屋に呼ばれるんだから、それなりの関係なんじゃないの?」

「ただの、お客様です」

「そうだったのかもしれない。でも、部屋に行ってしまった段階で変わってしまったんじゃないの?」

「どういうことですか!?」

 わたしは、トゲを隠さずに声をあげた。

「こういうことも考えられるよ。あなたはたしかに、被害者のことをなんとも思っていなかった。でも、むこうはちがった。あなたが部屋に入った途端、中村吉彦さんは態度を豹変させて、あなたに襲いかかった。で、あなたは抵抗して、中村さんを刺してしまった……どう? つじつまは合ってるでしょ」

 とにかく、わたしを犯人にしたいようだ。

 第一発見者を疑う、という捜査の鉄則。刑事ドラマそのままのシチュエーションが、いまここで展開されている。

「なかに入ったとき、もうあの人は死んでいました……」

 これも最初から、おびただしいほど主張していることだ。

「だいたい、会ったのも初めてです。電話で話したことすらなかったんですよ」

「凶器がみつかれば、言い逃れできないよ? 自白するなら、いましかない。殺人じゃなくて、傷害致死ということにしとくからさ」

 ため息をついた。

 その吐息が、刑事の顔にかかっちゃったようだ。

「さっきから気になってたんだけど、どこかで会ったことない?」

 息を吹きかけられて、なにを思い出したというんだろう。おおかた、わたしのことをキャバ嬢かなにかと勘違いしたんだ。

「初見です」

 と、そのとき──。ドアが薄く開いた。

 わずかの隙間から、だれかが覗いているようだ。

「どうした?」

 刑事もそれに気づいて、ドアのほうを向いた。すると、大きく開かれた。

「やっぱり、イオちゃんだ……」

 三人の男たちが、こちらを見ていた。

「生イオだぁ……」

「なんだ、おまえたち!?」

「知らないんですか、先輩? イオですよ、パレットの!」

 どうやら彼らも刑事で、わたしのことを知っているみたい。

「おい、取り調べ中だぞ! 見るなら、ミラーからにしておけ」

 そう言って取調官は、不自然な位置にある映りの悪い鏡のような──むこうが透けていない窓のようなものにアゴをしゃくった。

 あれが、かの有名なマジックミラーか。

「先輩、イオさんは、逮捕されたわけではありません! 任意で事情を聞かれているだけであります」

 三人のうちの一名が主張しはじめた。みな二〇代後半ぐらいで、やはり刑事というよりもサラリーマンや公務員といった風貌だ。

「ですから、事情聴取と言ってください!」

「いや……参考人の聴取も『取り調べ』という呼び方で、まちがいではないぞ」

「それは、建前であります。逆に、逮捕された被疑者の取り調べは『事情聴取』とは言いません。現実には、容疑者に『取り調べ』、参考人には『事情聴取』と使い分けているのであります!」

「そ、それはそうだが……」

 先輩刑事は、鼻白んだ。なんにせよ、彼らはわたしの味方をしてくれているようだ。

「イオさん、答えたくないことがあったら、黙秘してください! ちゃんと認められている権利なんですから」

「あ、ありがとう」

 一応、礼を言っておいた。

 もう役に立たないだろうと思っていた、むかしのキャリアが、こんなところで役に立った。

「本人が帰りたいと言ったら、帰れます。任意の事情聴取なんですから。仮に逮捕されたとしても四八時間、がんばってください! それを過ぎれば、拘束はできませんから」

「送検すればいいことだ」

 不機嫌そうな先輩刑事。

「そうなっても、あきらめないでください! 一〇日間……延長されても二〇日間しのげば、勾留はできなくなります!」

「いいから、おまえたち、もう出ていけ!」

「イオさん、あとでサインもらえますか!?」

 わたしは愛想笑いを浮かべながら、うなずいた。三人のファンは、満面の笑みでドアを閉めた。わたし自身の笑顔もマジックミラーに映ってたけど、同じ笑みでも、こうもちがうものかと感心した。

「なるほど……会ったことがあると思ったわけだ……自分は、どっちかというと『ユメ派』だったからなぁ」

 しみじみと、取調官は言った。

 そんなこと本人を前にして口にするな、と心のなかだけで叫んでやった。しかも、一番地味だったユメのファンだなんて、こいつセンスない。

「いいか、みんながあいつらのように、チヤホヤすると思ったら大まちがいだぞ。自分は元アイドルだろうと、容赦はしない!」

 女と子供と老人相手にしか、勇ましい態度をとれないヤツだ、きっと。

 気合を入れ直した刑事を眼にして、まだまだこの取り調べは長引くな、と憂鬱に脳裏をよぎったとき、再び部屋のドアが開かれた。

「また、おまえらか!?」

 今度は、ドンッと激しく音をたてていた。

 やはり三人の男たちだったけど、さっきのファンじゃなかった。

「だれだ、あんたたち!?」

 不快感をあらわに、取調官が訊いた。

「公安部です」

 そう答えた一人の顔を見て、わたしは瞬間的に思い出していた。その人のことを知っていた。

「公安!?」

「殺害された男は、こちらの監視対象者でした。彼女の身柄は、こちらに渡してもらいます」

「え、おい!」

 刑事がなにか反論するまえに、公安と名乗った三人は、わたしをどこかへ連れていくため、強引に引っ立てようとする。

「ちょ、ちょっと!? なんなの!?」

 わたしの抗議も、まったく受け入れてくれそうにない。

 わたしは、男たちのなすがまま、駐車場まで移動させられた。

 無理やり車に乗せられて、警察署をあとにした。


       ◇10月7日午後5時17分◇


 後部座席──わたしのとなりに座った男が、発車して五分ほど経ってから、ようやく口を開いた。

 年齢は、三〇代後半。IT企業の若手社長のような外見だ。

「久しぶりだね」

 警察署を出て、すぐに左折をしてからは道なりに進んでたけど、左手側に公園のような場所を過ぎてからほどなく、それまでよりも大きな道路に入っていた。『桜田通り』という道なのが、歩道橋にかかっている案内板でわかった。

「元気だった?」

「なに元カレみたいなこと言ってるんですか? あなたの顔なんて、もう二度と見たくなかった」

 この男の名前は知らない。だけど、思い出したくもない過去がある。

「あれから、もう二年になるのか……」

「なんですか、そのフリは? まるで、思い出せといわんばかりですね。ヤですよ、絶対に思い出しません」

 わたしは、キッパリと宣言した。

 ……でもそれに反して、わたしの記憶は、過去へとさかのぼっていた。


 世界が平和でありますように──。


 二年前──わたしが芸能界を引退する少しまえの話だ。

 当時、わたしには付き合っていた恋人がいた。

 名前は、坂下陽介。職業は、戦場ジャーナリストだった。

 出会いは、あるバラエティ番組。深夜枠の生放送だったけど、その日、どこかの国の日本大使館が占拠されてしまって、番組のなかでもコーナーを一つ潰してニュースを放送したの。そのときに、その国の情報に詳しい専門家として、彼が出演した。彼は二九歳だったけど、『専門家』という肩書きに負けていない迫力があった。

 わたしは、そんな彼に番組中、「大使館ってなんですか?」っていうバカみたいな質問をしちゃったの。

 もちろんそんなこと、現役女子大生だったんだから知っていた。……っていうか、小学生でもわかるよね、そんなこと。

 でも当時、芸能界では『おバカブーム』が吹き荒れていて、わたしもそれに乗っかろうとしていたわけ。

 そんな腹黒いわたしに、彼はフロアディレクターからのマキの指示にもめげず、懇切丁寧に「大使館」の解説をしてくれた。

 番組終了後、それが無性に申し訳なく思えてきて、あやまりに行った。だけど彼は怒ることもせず、わたしの幼稚な魂胆に、ただただ笑ってくれた。

 それが縁で、おそらくそういう出会いがなければ、一生めぐり会うことがなかった彼と付き合うことになった。

 でも彼には、ある問題があった。彼は大学時代、過激な学生運動に参加していて、逮捕歴があったの。

 学生運動なんて、何十年前の話? なんて思う人もいるだろうけど、現在でも細々とだけど活動しているらしい。つい数年前まで、対立するセクト同士で死者も出ていたそうよ。

 セクト?

 なんだっけ、セクトって。まあ、いいかそんなこと。

 とにかく、なにをやったかまでは聞かなかったんだけど、彼は逮捕をされていた。そしてそのせいで、公安の監視をうけるようになったそうなの。

 信じられない、ってわたしも思った。

 でも、そういうことって、めずらしくないみたい。何十年もまえの活動家も、けっこう最近まで監視されてたっていう話を、だれかから聞いた。だれだっけ?

 あ、思い出した。こいつだ。

「どうかした?」

「なんでもありません」

 車は走りつづけて、東京タワーの間近を通過していた。交通量は多かったけど、渋滞するほどではなかった。

「タレントは、やめたそうだね。OLの仕事はどう? 退屈かい?」

「黙秘します」

 ──陽介は、死んでしまった。

 テルアビブ? アブテリル? どっちだったか……とにかく中東の都市で、爆弾テロに巻き込まれて死んでしまった。

 突然の、恋人の死。

 わたしは、途方に暮れた。

 もしかしたら、芸能界を引退したのも、彼との出会いがあったあの世界から遠ざかりたかったのかもしれない。

 傷心のわたしの前に、この男がズカズカと現れた。たしかあのときも、なかば強引に車に乗せられたっけ。

「用件は、なんなんですか? なにか、訊きたいことがあるんでしょう!?」

 たまらずに、わたしは声をあげた。

 まわりの景色で、車が官庁街にさしかかっていることがわかった。財務省、外務省、総務省と、わたしでも聞いたことのある建物が続いていく。そして見覚えのあるたたずまいが、わたしの左手に見えてきた。刑事ドラマで、たびたび出てくる警視庁だ。

 てっきり、ここに連れ込まれるのかと思ったけど、車は停まらない。前方には皇居のお掘り。信号を右折した。

「きみは、容疑者なんだ」

「嘘。あなたたちは、殺人事件なんかに興味はないはずです」

 次の信号を、すぐにまた右折した。左側に公園が広がっている。日比谷公園だ。

「監視対象者への殺人なら、話はべつだよ」

「あのクライアント……『赤』だったんですか?」

『赤』の詳しい意味は忘れちゃったけど、たぶん過激派的なやつ。こいつらが興味のある人物は、そう呼ばれているのを覚えてる。

「坂下陽介は、生きている」

 え!?

 唐突に、公安の男は言い出した。

 それを待っていたかのように、車は停まった。

 野外音楽堂のあたりのはずだ。

「──かもしれない」

「まだ、そんなこと考えてるんですか?」

 あのときも、彼はそう主張した。わたしがそれを知っていて、隠しているんじゃないかと疑われたのだ。さらに、陽介自身がテロリストで、爆死を偽装したんじゃないか……そしてわたしも、その仲間ではないのか、と。

 たしかに、彼の……陽介の亡骸は存在していない。というよりも、判別できなかった。でも爆発現場のショッピングモールから、陽介のパスポートが発見されている。現場近くの監視カメラにも、それらしい人物が映し出されていたと、外務省の人から報告を受けていた。

「もし日本に帰ってきたのなら、必ずきみに接触してくるはずだ」

「もし彼が生きていて、日本にいたら、すぐにでもわたしに会いに来ているはずです。あなたたちよりも、はやく……ね」

 わたしは、嫌味を込めて言い放った。

「彼がテロリストである可能性は、高い」

「いい加減にしてください! あのときも、そんなこと言ってましたけど、彼はそんな人間じゃありません!」

 世界が平和でありますように──。

 それが、陽介の口癖だった。そんな彼が、破壊する側に……人を殺す側につくなんてありえない。

 車のドアが開いた。

 助手席に乗っていた人がさきに降りて、外からわたしの横のドアを開けたのだ。

「なんの真似ですか!?」

「行っていいよ」

「容疑者じゃなかったんですか?」

「殺人の容疑は、ナイトたちが晴らしてくれるんだろ?」

「?」

 公安刑事は、こっちを見ろ、と言わんばかりに、視線を後部ガラスに向けた。車の後方三メートルほど離れた路上に、自転車に乗った召使がいた。

 息を切らしている。必死に追いかけてきた証拠だ。

「カメラマンのほうも、どこかにいるんだろうね」

 この男には、ストーカーたちのことを知られている。というか、召使とファインダーのおかげで、テロリストの一味であるという嫌疑だけは晴らすことができたのだ。

 なんせ二人とも、四六時中、わたしのことを監視しているから、わたしに不審なところがないのは、だれよりもよく知っている。

 しかもファイダーの写真、そして当時は召使がわたしの家に盗聴器を仕掛けていて、すべての会話が記録されていた。それを公安に提出して、わたしは監視対象からはずれた。盗撮にしろ、盗聴にしろ、そして普段からのストーキングにしろ、公安の人間ですら、スゴいと認めたほどだった。こういう人材がほしいよ──とも、この男に言われた記憶がある。

 嬉しいんだか、悲しいんだか。

 ちなみに、盗聴だけは絶対やめろ! と召使には迫ったから、それだけは、いまはやっていないはず……たぶん。

 召使とファインダー……しかし、シャドウとインビジブルの存在は、公安といえどわかっていないはずだ。

「だから、行っていい。きみは、犯人ではない」

「わかった……泳がせるつもりでしょ?」

「そんなつもりはない」

 いけしゃあしゃあと、刑事はしらばっくれた。

「まあ、きみは囮に適してるけどね」

「どういう意味ですか?」

「美しい女性に、男は群がってくる」

「不快なお世辞です」

 わたしは車を降りた。

「では、また──」

 公安の車は、わたしを残して走り出していった。

 すぐそこに、地下鉄日比谷線『霞ヶ関駅』の入り口がある。これに乗って帰れ、ということだろうか。想像だけど、本当は警視庁で取り調べをするはずだった。でも、わたしの車内での反応を見て、それをやめた……。

 わたしに、嘘はないのだから。


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