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◇10月21日午後2時06分◇
病院からの帰り。マンションの前には、たくさんの報道陣が押しかけていた。これで五日連続の混雑になる。
事件は、正体不明の犯人によるテロ行為として発表された。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三名が公安の人間だという報道は、まったくされていなかった。隠蔽されたことは、わたしのような一般人でもわかる。
三人は、身柄を東京拘置所に移送されたその日に、自殺した。三人同時の自殺は、マスコミを騒がせた。奥歯に仕込んでいた毒薬を飲んだという。
本当だろうか?
自決したというのも納得できるけど、マスコミが盛んに声を上げている陰謀説にも賛同したくなった。マスコミは、犯人たちと公安との関わりをつかんでいるわけではないようだけど、事件の背後に闇がわだかまっていることは嗅ぎつけているようだ。
公安部による抹殺……。
考えたくはないけど、そのほうが妙にしっくりくる。
「あ、イオさん! 話を聞かせてください! お願いしますっ!」
さっそく、わたしの姿をみつけると、記者やリポーターがこぞって寄ってきた。
新聞、雑誌、テレビ局──いろいろそろってる。当時から知ってる顔もチラホラ。みんな、わたしのことをカタギとしてあつかってくれない。大沢衣央ではなく、イオとして。元タレントなのをいいことに、質問の仕方や内容も強引だ。
「今回の事件は、イオさんが解決したということですが!? 詳細を教えてもらえませんか!?」
テレビカメラも数台ある。時間的にワイドショーの生放送で流れているかもしれない。
警視庁刑事部からの発表では、わたしが事件解決の協力者ということになっている。テロリストを偶然発見し、爆弾を解除して、三人を拘束したと。三人のうち豊臣秀吉の件は、映像で流されているので視聴者はそれを信じている。
しかし『公安』というワードは、どのメディアにも出てないし、わたしのために動いてくれた四人のストーカーたちのことも、おおやけにはならなかった。
「イオさん! 怪我の具合はどうですか!?」
しつこくリポーターが食い下がってくる。
どうしても、わたしから声をもらいたいようだ。
怪我といっても、側頭部への一撃で少し出血しただけ。わたしの頭部には、まだ包帯が巻かれている。だから正直、カメラには映りたくなかった。
「大丈夫です」
それだけは答えておいた。真剣に心配してくれる人だって、わたしにもいるから。
「芸能界への復帰という噂もありますが!?」
わたしは内心、吹き出しそうになった。
ユメからも、あれから毎日のように電話がかかってくる。
復帰するなら、いまがチャンスよ!
ユメ自身、この騒動の余波で、パレット以来のバブルがおとずれているという。連日、わたしの親友ということで、ワイドショーなどで取材をうけているようだ。キー局のゴールデンも決まった、と言ってた。
「テロリストたちと、どうやって格闘したんですか!?」
この人たちは、ホントにわたし一人でやったと思ってるんだろうか?
わたしだけなら、たぶん死んでた。
わたしを守ってくれた四人がいたから、生き残れた……。
わたしは、マスコミの人だかりから、みんなの姿をさがした。
召使。
いつものように、わたしから離れない。
ファインダー。
電柱の陰から、わたしを捕捉している。
シャドウ。
公園で別れたままだけど、彼女ならきっと、影となって見守ってくれているだろう。
インビジブル。
結局、正体はわからなかった。だけど、いるという確証だけは得られた。陽介……なのだろうか? 彼が生きていて、わたしのことを守ってくれたのだろうか……。
ううん、ちがう。彼の死は変えられない事実……。でも陽介なら、幽霊になっても、わたしを守ってくれるかもしれない……な。
「イオさんは、芸能界の復帰を望んでいないんでしょうか!? そこのところだけ、答えてもらえませんか!?」
「望んでいません」
素直のままに、声が出た。
「芸能界復帰は、ないということですか!?」
「ありません」
「では、あなたの望むものはなんですか!?」
わたしの望むもの?
答えは、心のなかに自然とわき上がってきた。
「わたしが望むものは、ただ一つです」
ああ、邪魔だ。
わたしは、巻かれている包帯をほどいた。
傷は、カメラにどう映るだろう。
まあ、いいか。もうアイドルじゃないんだし。
「世界が平和でありますように──」
エピローグ
おれが大学を中退して、日本を飛び出したのは、二〇歳のときだった。つまらない日常を生きるのが、無性に許せなくなった。世界に羽ばたいて、むちゃをしたくなったのだ。
ヨーロッパの各地を放浪し、フランスにたどりついた。そこで、外人部隊のことを知った。外人部隊=傭兵と思われがちだが、金で雇い主を変える傭兵とはちがい、外人部隊はフランスの正規軍になる。
外国人でも軍隊に入れるということに、どこか魅力を感じた。なにもできない日本人じゃないってことを証明できる、いい機会だと思った。入隊するためには本名を捨て、偽名を名乗らなければならない。おれは、なんて名前にしたんだっけな……忘れたな。いや、本当の名前すら、もうおぼろげだ。
厳しい試験をくぐり抜け、無事入隊することができた。そこからも訓練は苛烈を極めたが、おれは兵士としてのスキルを磨いていった。
第2外人落下傘連隊というエリートの集まる部隊──さらにそのなかでも、スペシャルな人間の集まる『GCP』という特殊部隊に配属された。少数で偵察や極秘任務にあたる、まさしく最精鋭部隊。気配を断ち、だれの眼にも留まらずに潜入を果たさなければならない。
在籍したのは、最初の契約期間である五年だけだった。フランスの正規軍だから、つねに戦場につけるわけではない。というより、実戦の経験は一度しかおとずれなかった。
おれは刺激を求めた。知り合いからの民間軍事会社を紹介してくれるという言葉に、喜んで食いついた。傭兵のようなものだが、個人で雇われるのではない。会社からの派遣で戦場に行く。辺境の紛争地帯のときもあれば、都市部で警護の任務につくこともある。そこで、二〇代の大半、三〇代の前半をすごした。アフリカ、中東、中央アジア、東南アジア──様々な場所でおれは生き抜いた。
特殊部隊での経験を生かし、相手に気配を悟られることなく接近できる能力から《ファントゥーム》と呼ばれるまでになった。英語で言えば『ゴースト』だ。いつしか、世界でも五本の指に数えられる傭兵の一人となっていた。
あれはイラクだっただろうか、それともパキスタンか。いろいろ行ったから、細かいことは覚えていない。いや、ヨルダンかレバノンで、パレスチナゲリラとやり合ったときだったかもしれない。
その任務のさなかに、あいつと出会った。
戦地を取材するジャーナリストだった。
ヨウスケという名前だ。
兵士のおれなんかよりも、ずっと無謀な男だと感じた。銃どころか、ナイフすらない丸腰で、戦闘の真っ直中に突っ込んでいく。銃弾がかすめていくのに、あいつはカメラを手放さなかった。
敵側の一人が、そんなあいつを目障りだと感じたのか、撃ち殺そうとしていた。おれはみかねて、あいつを助けた。敵兵を殺した。
あいつは礼を言うどころか、おれを軽蔑していた。
人を殺して、楽しいか? と。
戦場カメラマンにしろ、ジャーナリストにしろ、ここに来る連中は、戦争が好きなヤツばかりだと信じていた。だが、あいつは心から戦争を憎んでいた。
衝撃的だった。おれのほうから、一方的に友達になった。
むこうは、迷惑がっていた……が。
会社をやめたのは、あいつに影響をうけたからかもしれない。
あいつは、世界の平和を願っていた。
それなのにおれは、金とスルリのために傭兵となって、たくさんの敵をこの手にかけてきた。
あいつの生き方が、おれを動かした。
おれは、金のためではなく、信念のために戦うことを決意した。ギャランティの多いほうにつくのではなく、より正義に近いほうに雇われるフリーの道を選んだ。
それでも、あいつからの軽蔑は変わらなかったが……。
そんなあいつが死んだという知らせは、驚くほどあっけなく届いた。テルアビブで、爆弾テロに巻き込まれたという。
おれは、生きる目的を見失ったような気持ちを味わった。この世で、最も大切なものを無くしたようなものだった。
軽蔑されていたから、あいつ自身の話はあまりしてもらえなかった。それでも、何回か日本でのことを聞けたことがあった。
恋人がいる、と言っていた。
それも、テレビに出ている人気のアイドルらしい。
もう日本には何年も帰っていなかったから、そういう事情はまったくわからない。そんなおれでも、なんだか現実離れした話だな、と思った。
世界の平和と、彼女の幸せ──おまえなら、どっちを選ぶ?
おれは意地悪して、そう質問したことがある。
あいつは、言いよどむことなく、こう答えた。
──世界が平和になるということは、彼女も幸せになるということだ。彼女が幸せになるということは、そのとき世界も平和になっているということだ。
彼女を信じている。と同時に、深い愛情を感じた。
うらやましかった。
おれは、その彼女のことが、なぜだか気にかかった。
他人のようには思えなかった。
おれは、傭兵から足を洗い、日本に帰国した。
軍事会社のときには、日本企業からの依頼で働いたこともあったから、人脈には困らなかった。就職先もいくつか紹介されたし、ぜひうちに、と誘ってくれたところもあった。
おれは、ある会社に幹部待遇でむかえられた。もちろん、普通の会社だ。
海外が長かったから、フランス語、アラビア語、ヘブライ語、ペルシャ語、マレー語、タガログ語、ロシア語などに精通している。ビジネスマンとしても、それなりにサマになっているはずだ。ただ英語があまり得意ではないところが、たまにきずだが。
おれは、会社員として彼女に近づこうとした。うちの社と、彼女の所属するアイドルグループがCM契約をしていたのだ。その会社を選んだ理由の一つが、それだった。
ところが、おれが入社してすぐに、彼女のグループが解散してしまった。彼女自身も、芸能界を引退することになった。たぶん、ヨウスケのことで気が抜けてしまったんだと思う。
おれは上司に、彼女をうちで雇ったらどうかと進言した。いままでスポンサーになっていたほどだから、会社のほうとしても異論はないようだった。
「あ、その表紙……ずいぶん、有名になっちゃいましたね」
女子社員の一人が、声をかけてきた。おれが読んでいた雑誌に興味を惹かれたようだ。
「あのときは、オフィスが目茶滅茶になって、どうなるかと思いましたけど……結果オーライですね。うちの株も急上昇したし、彼女さまさまです」
「あ、ああ」
雑誌の表紙は、彼女だった。
事件後、自宅前のマンションで受けたインタビュー時の一枚。
包帯をほどいた直後の彼女。
とても美しく、とても勇ましい。
こめかみの傷すら、魅力的に写っている。
「来週からでしたよね、復帰は?」
「そうだな」
フフ──、おれは笑みを浮かべた。
「なんだか、楽しそうですね」
「また、いっぱい叱ってやるさ」
「ほどほどにしておいてあげてくださいね、課長」