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       ◇10月16日午前9時35分◇


 織田信長のときのように、スモークなんとかという武器を使用したんだろうか。大きな音と、まぶしい光は、今日のにはない。

 煙で、視界が閉ざされていた。

 喉の奥から咳があふれてくる。

 そのとき、ドス、ドス、という響きに気がついた。次いで、カラン、カラン、という金属質の音──。

「残念だったな」

 煙が晴れるのに、何分経過しただろう。

 ようやく見えてきた。

 わたしの瞳に映ったのは、かまえあっている徳川家康と、一人の女性。黒いレザー素材のコスチュームを身にまとっている。

「よく立っていられるな? 強力なスタンガンほどの電流だったはずだ」

 そのセリフを聞いたということもあるんだろうけど、とても女性が苦しそうに感じられた。

 まぎれもない……。

 久美子さん!

「ど、どうして……」

 わたしのつぶやきは、二人には届いていないようだった。

 床には、これはなんだろう……そうだ、手榴弾だ。映画とかで見たことがある。たぶんこれを投げて、煙とか音とかを出すんだ。

 久美子さんの持っていたものが、こぼれ落ちたんだと思うけど、それが二、三個、床に転がっていた。金属音の正体は、これか。

 家康がジャケットを脱いでいた。シャツの上に、不自然なベストのようなものを装着している。家康の言葉から考察すると、あれに触れてしまったら、激しい電気が流れるようになっているんじゃないかしら。

「おまえと対峙するのに、なんの作戦も立てないと思ったか?」

「くっ……」

 久美子さんが、悔しそうに唇を噛みしめた。

「な、なんでなの!? 久美子さん……あなたが《シャドウ》!? そして、ハマーム……」

 でも、久美子さんは答えてくれない。

 家康が、銃口を久美子さんに向けた。

「坂下久美子。おまえだと睨んではいたが、証拠をまるで残さない影のような存在。《シャドウ》とは、よく言ったのものだな」

 シャドウ=久美子さん。

「中東をはじめとして、世界各地でのテロ行為は恐れ入るよ。二〇〇四年、ヨルダンのアメリカ大使館爆破。二〇〇六年、エジプト・ルクソールでの爆破テロ。二〇〇七年、サウジアラビアでアメリカ大使を暗殺。二〇〇九年には、エルサレムで同時爆破テロまでおこなっている──。それが、一人の日本人女性の手によるものだとはな」

 久美子さんは、陽介が死ぬまでは、同じように中東の紛争地帯を飛び回る取材記者をしていた。でもそれは見せ掛けで、本当はたくさんの無関係な人々をあやめてきたテロリストだというの!?

「──そして二年前、テルアビブでのモサド本部とショッピングモールの同時爆破テロも、おまえが仕組んだものだ」

 わたしは、それがなにを意味するものなのか、すぐには考えがおよばなかった。

 それは、陽介が死んだ爆発……。

「おまえは、実の弟を巻き込んだんだ」

 ほ、本当なの!?

 久美子さんの表情を読み取ろうとした。でも、できなかった。わからない。久美子さんがなにを思っているのか……考えているのか。

「その後、日本に帰ってきてからは、おまえは国外へ出ていない。事実上の引退ということになった。それは、罪の意識からか?」

「黙れ」

 やっと、久美子さんが反応を示した。

 鋭い声。わたしの知っている久美子さんの声ではなかった。

「おまえが怪しいと感じてはいても、すぐには手を出せなかった。なんせ、裏の世界では天才と呼ばれるおまえだ。下手にちょっかいを出せば、こっちが消されてしまうだろう。だから、直接はタッチできない。監視も立ててみたが、まるで片鱗を見せなかった」

 わたしの懸念は当たっていたんだ。恋人であったわたしをつけ狙ったのなら、実の姉をマークしないほうが不自然だ。

「外事三課の人間ね? 頭がおかしくなったんじゃない? わたしは、ただの女よ」

「おかしくなった? そうかもしれんな。外事三課の歴史は、まだ浅い。主に中東系テロリストを封じ込めるための部署だが、原理主義者どもは、わざわざ日本でテロなんておこさない。俺たちにあたえられた仕事は、地味でなんの成果もない情報集めだけだ。モスクで協力者になってくれそうな人間に接触し、食事をおごったり、少ない謝礼でなんとか情報を聞き出す。たあいもない話しか聞けないさ。もっと深くさぐるためには、潜入捜査をするしかない。だがそれをするには、日本人の顔では無理がある。だから顔まで変えた。整形には限界があるとよく言うな。絶対に変えられない部位があると。だが、それは嘘だ。現に俺は、この顔に変わるまでは、どこからどう見ても、アラブ系の顔だちだった」

 一気に、それらをまくしたてた。感情はこもっていないが、それはムリヤリ押し殺しているからだということがわかる。

「赤担当には渡さない! おまえは、俺の獲物だ」

「公安一課?」

「それは、隠れ蓑だ。かつては、チヨダとも、ゼロとも呼ばれていた。表には出せない警察の闇……そいつらが、赤担当として動いている。やつらは、すでにここを包囲しているだろう。ここの状況もつかんでいるかもしれん。俺たちの声も、どうせ盗聴しているさ。じき、強行突入してくるはずだ。そのまえに、おまえを確保する。安心しろ、べつに逮捕したり、殺したりするわけじゃない。おまえには、こっちの協力者になってもらう」

「笑わせるわね。公安内部の権力闘争に巻き込まれるのは、ごめんよ。それに、きっと彼らは、あなたを消しにかかる。わたしと衣央ちゃんごと」

「策はある。俺を殺せば、ここの爆弾がドカンだ」

「バカね。それこそ、思う壺だわ。わざと爆破させて、すべてをわたしか衣央ちゃんの仕業だと公表する。あなたの存在は、死後もなかったことになる」

 二人の会話は、なんて恐ろしいんだろう。

 耳にしたくない内容だ。

「大丈夫だ。三分でおまえを倒し、降伏したおまえともども、ここから離れる」

 家康の表情が、醜く歪んだような気がした。

 銃声が鼓膜を叩く。

 久美子さんは、猫科の肉食獣ように身をひるがえした。弾丸はそれたようだ。うまく机の陰に隠れた。

 しかし銃口は、次にわたしへ向けられた。

 動けなかった。

 殺される……!

 シュッと、鋭く風を切る音がした。

 なにかが家康の腕に当たった。

 紙!?

 ただの書類のはずだけど、久美子さんが投げただけで、それが剃刀のように家康の手首を傷つけた。

 でも、拳銃を手放すまでにはいたらない。

〈バン、バン!〉

 久美子さんが、前転しながら家康との距離をつめた。銃弾が、かすめるように飛んでいく。

〈バンッ!〉

「うっ……」

 あと二回転半ぐらいで攻撃を入れられる範囲にまで近づけたけど、強烈な衝撃により、久美子さんの身体は、反動で後方に飛ばされていた。

 肩口。

 血流が、水しぶきのように飛び散っている。

 凶弾が久美子さんの右肩を射抜いていた。

「残念だったなぁ、おい」

 銃口は、なおも久美子さんをはなさない。

「やめて!」

 しかし、銃声は響くことをやめなかった。

 左太股に血がしぶく。

 わたしは、久美子さんの前に立ちはだかった。

「やめてよ! あなた警察官なんでしょ!? こんなことが許されると思ってるの!?」

「安心しろよ。殺すはずないじゃないか……この女は、死んじゃいけないんだ。この女がいなくなれば、俺たちの存在意義はなくなってしまうんだからな」

「ふざけないで! あなたのほうが、よっぽど危険人物だわ! わたしを助けようとしている久美子さんにくらべて、あなたはなによ! 公安の権力闘争だか、存在証明だか知らないけど、あなたのやってることが正義なの!?」

 パチンッ、という音が聞こえたときには、わたしは床に倒れていた。頬が熱い。

「アイドル崩れが、偉そうなことを言うな! 平和を守るためだ。俺たちのセクションが認められることこそが、重要なんだ。テロが無くなり、幸せな世の中が形成される礎となるのだ!」

 わたしは、叩かれたばかりのほっぺたよりも、遙かに頭のなかが熱くなっていることを自覚した。

 世界が平和でありますように──。

 陽介の言葉を、この男が汚しているように感じた。

 許せなかった。

 わたしは知らず、立ち上がっていた。

〈パチン!〉

 わたしは、倒れなかった。

〈パチン! パスッ! ドスッ!〉

 平手だったものが、拳になり、最後には拳銃で殴られた。

 倒れない。

 倒れなくなかった。

 こめかみをなにかが滴っていた。

 たぶん、血だ。

 不思議と痛くはなかった。

「イオさん!」

 召使とファインダーが壁となってくれた。

「邪魔だ! 虫けら!」

 拳銃のグリップの底が、ファインダーの額にめり込んだ。召使は、左手で頭を抱え込まれて、膝を鳩尾に入れられた。

 ファインダーは意識を無くし、召使は地獄の苦しみにのたうっている。

 わたしは、殴りかかった。

 そんな真似なんてしたことない。きっと、不格好だったと思う。でも、この男が無性に許せなかった。

 当たったかどうかもわからない。たぶん、当たらなかった。わたしは、バランスを崩して家康に抱きついた。

 全身から、力が一気に抜けた。

 そうだった。この男の着ているベストには電流が!

「ど、どうして……だ!?」

 家康の声に、そこではじめて「おびえ」の感情がふくまれていることに気がついた。

「お、おまえ……た、ただのアイドル崩れでは……ただの女ではないのか!?」

 なにを言っているの?

 うるさいわね!

「な、なんなんだ、おまえは!?」

 うるさいっ!!

 わたしは、また殴った。

 右手に、感触が残った。当たったんだ。

 でもこんなことでは、わたしの怒りは消えない。

 もう一発!

 わたしは、男の着衣をつかんでいた。

 もう一発。わたしはつかんだベストを引きつけるようにして、思いっきり右拳を叩きつけた。

 家康の鼻が潰れたのがわかった。

「お、おまえ……なんともないのか!?」

 だから、なにを言っているの!?

「訓練された戦士でも、ひるませることができたのに……なんで、おまえは立っていられる!? 電流がきいていないのか!?」

 わたしはそこでやっと、男のベストを触っているのに、平気で立っているという事実を認識した。

「うお──っ!!」

 まるで恐怖を振り払うような叫びとともに、わたしは突き飛ばされていた。ちょうど久美子さんに覆いかぶさるように。

「ほ、本当に……《ハマーム》は、坂下久美子なのか!? 本当は……ほ、本当は、おまえなんじゃないのか!? 大沢衣央……おまえが、ハマームか!?」

 銃口が向けられた。

 家康の眼は、完全に正気を失っていた。

 撃たれるな、こりゃ。

「死ね──っ!」

 わたしは、死を覚悟した。

 カラン、という音がしたのはそのときだ。

 引き金にかかる家康の指も止まっていた。

 オフィスに煙が発生していた。わたしは、床を見た。さきほど久美子さんが落とした煙の出る手榴弾が、一つ無くなっていた。

 でも、そんなはずない。

 久美子さんは、わたしの下にいる。

 ファインダーは気を失ったまま。

 召使も、まだ苦しんでいる。

 だれが!?

 瞬く間に、煙がフロア中を満たしていく。

「な、なんだ、だれの仕業だ!?」

 家康の声だけが、耳に届いてくる。

 この男も困惑しているようだ。

「よ、陽介……」

 うわ言のように、久美子さんから声がもれていた。

 陽介……?

 まさか、そんなはずはない。

《インビジブル》

 わたしは思い出していた。わたしには、もう一人のストーカーがついていることを。

 見たこともないし、存在を確実に察知したこともない……。

 でも、いるのではないかと信じていた。

「も、もう一人いたのか!? 大沢衣央についていたのは、四人なのか!?」

 もしかして……本当に、陽介なの!?

 ドス、ドス、ドス! と重い音が機械的なリズムで響いてくる。

 家康の声は、二度としなくなった。

 うめき声すらあげられず、眠りについたようだ。煙で視界がさえぎられたなかでも、それだけはわかった。

 爆発してないんだから、死んではいないんだろう。

「陽介……なの!?」

 答えはなかった。

 人の気配も感じさせない。

 でも、だれかがいることは確か……。

「陽介……あなたじゃないの?」

 わたしは、泣いているような声でつぶやいた。

 泣いていたのかもしれないな、ホントに。


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