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◇10月16日午前9時25分◇
「ねえ、一つ質問してもいい?」
「いいぞ。なんでも答えてやろう」
「その最強のテロリストとやらが、ここに出てきたとして……それで、なにをしようというの?」
わからないのは、そこだ。どうやら彼らが必死になって、陽介かもしれない最強のテロリストをさがしているのは、わかる。しかし、そのあとのことが不明瞭だ。
「やっぱり、大がかりなテロでも計画するつもり?」
言ってて、それはおかしい……と、わたし自身が思ってる。
ここまで派手なことをやっておいて、それはないでしょう。だって爆破テロって、警戒されていないところでやるから、効果あるんじゃない? もし家康がこの場から逃げられたとしても、しばらくは日本中が厳戒態勢になる。テロは、やりにくくなるはずよ。
そうなったとしても、最強のテロリストに接触する価値があるというの?
日本ではないのかな、家康の目的は……。
秋葉原ですでにやっちゃってるし、日本の警察だってバカじゃない。国内でこれ以上、テロ行為をおこなうのは困難だ。外国でやろうというのならまだわかる。でも、その場合も、はたして無事に国外に脱出できるんだろうか、という疑問が出てくる。
いずれにしても、彼らは派手にやりすぎた。
わたしは、なにか重要なことを見落としているのかもしれない。
……そういえば、公安刑事が言ってたな。
たしか……。
「Cファイル──それが目的なの!?」
「俺たちは、そんな絵空事に踊らされたりはしない」
ちがうのか。家康の顔色は、まったく変わっていなかった。彼らの行動の根幹になにがあるのか……おそろしく謎だ。
「じゃあ、あなたたち……なんで、わたしに接触してきたの?」
家康は、答えない。ただニヤついているだけ。というよりも、わたし自身に答えを導き出させようとしているかのようだ。
彼らが、わたしに近づいたのは、陽介が生きているかもしれないからだ。陽介が、テロリストだと思い込んでいるから……。
「あなたたちの目的は、陽介じゃないの?」
いえ、彼らから『陽介』という名前は出てきていない。
《ハマーム》という呼び名だけ……だから、それが陽介のことだと考えているのは、わたしの勝手な思い込みだ。
では、なんでそう思い込んでしまったの?
坂下陽介は生きている──。
そう言った人物がいる。あの公安刑事。
「だ、だれなの? あなたたちが求めているのは、陽介じゃない……いったい、だれのこと!? ハマームって……!?」
それでも、家康は答えない。
陽介でないのなら……だれ?
あの公安刑事は、なんであんなことを言ったんだ?
わたしに、家康たちがさがしている人物が陽介だと思わせたかったから。陽介が生きているとわたしが思い込めば、わたしは動きだす。動かずにはいられない……だからだ。
「くくく、坂下陽介か……そうだな。そうなのかもしれん」
やっと、家康が口を開いた。
「『赤』担当は、そう思っているようだな。だから、俺たちもそれを利用させてもらったんだよ。まんまとおまえは、俺のメールにのってきた」
たぶん、思い出の場所で待っている、というメールのことだ。
わたしがそこへ行ったところを望遠で撮影されている。
「それでわかったよ。おまえには、もう一人ついていることが」
そこで家康は、スーツの内ポケットから一枚の写真を取り出した。わたしへ差し出す。
恐る恐る近づいて、それを受け取った。
少し距離を開け直して、わたしはその写真を確認した。後ろから召使とファインダーも覗き込んでいる。ただしファインダーは背が低いから、あまり見えていないと思うけど。
写真は、あの夜のものだった。倉庫の陰に隠れるようにしているファインダーが写っていた。
「これがどうしたの!?」
「その二人のことは、すぐにわかったさ。まあ、いつもピッタリとおまえについてるんだから、バカでもわかるが。だが、もう一人いるんじゃないかと、俺は疑った。そして、それが《ハマーム》ではないかとな」
なにが言いたいの?
「もっとよく見てみろ」
あ……、写ってる。これは、人影。ファインダーの背後に、だれかがいる。だけど、写真自体が鮮明でないから、ハッキリとは断定できない。
「そうだ、その影だ」
たぶん、これは《シャドウ》だ。この日、召使がシャドウから警告をうけている。
心配のあまり、直接わたしを見守っていてくれたんだ。
「それが、ヤツだ」
「バカね。これは、シャドウよ。彼も、わたしのストーカーの一人」
「バカなのは、おまえだ。ただのストーカーの動きかよ。プロである俺たちが、まったく正体をつかめなかったんだぞ。そいつが、最強のテロリスト《ハマーム》だよ!」
な、なに言ってるの……シャドウが、テロリストだなんて……。
でも……、あの公安刑事も、シャドウのことには気づいていないようだった。
まさか……。
「俺たちが、その情報を察知したのは、二年ほど前だった。《ハマーム》と呼ばれるアジア系テロリストが引退して、一人の日本人女性を守ることに専念するという情報だ。それまでは《ハマーム》の国籍すらわからなかったが、その情報でようやく日本人だと断定できるようになった。赤担当にも、同じ情報がまわってきたはずだ」
さっきから『赤担当』という名称が、あたりまえのように出てきてるけど、それがだれのことだかわからないから、話がイマイチ飲み込めない。
赤……陽介は、そういうレッテルを貼られていた。過激派とか左翼運動をしていた人たちのこと……だと思う。
そういうのを担当するってことは、あの公安刑事のことかな?
「そのテロリストが守ろうとした日本人女性というのが、おまえのことだ。だから赤担当は、それを坂下陽介だと推理した。自分の死を偽装して、恋人を守ることにしたのだとな」
なるほど……二年前、陽介が生きている、と言ったわけは、それなのか。
「俺たちは、そう愚かではない。そんな確度の低い話を信じるわけにはいかない。さいわいなことに、それからほどなくして、俺たちは新たな情報を手に入れることに成功した。《ハマーム》は、男ではないのかもしれない……と」
え? わたしは、耳を疑った。
「もしそうだとすると、思い当たる人物が一人いることに気がついた。俺たちは、おまえの近辺に潜り込むことにした。ちょうど、おまえが芸能界を引退し、この会社に入ろうとしていたときだ。一人はおまえの客として。一人はおまえの唯一の親友の近くに」
唯一の、というところを取り分け強調されたような感じがして、なんだかムカついた。
つまり、一人はクライアントだった中村吉彦さんで、一人はユメの近くにいたディレクターの里崎さん。
「残りの一人は、わかるよな?」
山田一郎に化けた、あんたか。
「だが、おまえの近くで張り込んでも、まったくヤツの尻尾はつかめなかった。ならば、鳴くまで待つのはやめだ。鳴かせてやればいいのだ。ヤツが出てこなければならない状況をつくりだせばいい」
「織田信長が、本物の中村さんを殺して、その容疑をわたしにかけたのね?」
「そうだ。あいつは俺たちのなかで、最も過激だったからな。結果、うまくかかってくれた。邪魔な赤担当も出張ってきたが、あいつらもそこで気づいたんだろう。俺たちが新たな情報を手に入れていると。それで、再びおまえに接触してきた。おおかた、坂下陽介はやはり生きているようだ、とでも言われたんだろう? ゆさぶりをかけるためだ。手柄を横取りするつもりだったのだ……そうされて、たまるか!」
そこで、家康は一呼吸おいた。
「それだけでは、つめが甘いと思ったので、次の手も打っておくことにした」
「爆破テロね?」
「そうだ、おまえをますます危険なほうへ動かすことにした。そうすれば、ヤツが現れやすくなるだろう? だがな、誤解はするな。おまえをテロリストに仕立てあげたのは、赤担当どもだ」
こいつの話を総合すると、おかしな事実に突き当たる。
赤担当が、手柄を横取りするつもり──。
なんだか、公安刑事たちと競い合っているような表現だ。
もしかして……。
この男は、テロリストじゃ……ない?
そうか、だから警察を怖がっていないんだ……。
こいつら自身が──。
「あなた、警察官!?」
「くくく」
テロを計画するために、《ハマーム》をさがしているんじゃない。
捕まえるためだ。
「あなたも、公安ね!?」
「やっとわかったか」
あざ笑うように、家康は答えた。
「おい、もうそろそろ出てこいよ! 予想はついてるんだ。おまえの正体はな!」
突然、わたしではないだれかに、大声でそう呼びかけた。
きっと《ハマーム》に。
男ではないのかもしれない──。
それは、なにを意味するものなのか……。
いえ、わたしにもわかってる。
だったら、該当するのは一人しかいない。
でも、彼女が……テロリストだなんて。わたしを本当の妹のように思ってくれているのに……。
信じられない。
信じたくない!
機械で声を変えていたのは、聞いたことがある声だから──というほかに、女性であることを隠すため。
あの夜、思い出の場所へ行くまえに、わたしは彼女の家に寄っている。池袋のレストランでの一件のまえにも、メールで場所を送信していた。
そして、昨日も部屋に泊まっている。
もし彼女が《ハマーム》なら、わたしがここへ来ることもお見通しだろう。
「シャドウは……シャドウは、あなたなの!? 久美子さん!?」
わたしは、たまらずに声をあげていた。
その直後、フロアが大量の煙に支配された。