15
◇10月15日午後7時02分◇
身を寄せることのできる場所は、ここしか思い浮かばなかった。突然押しかけたけど、久美子さんは快くなかへ入れてくれた。最初、とても驚いた表情になったのは、ニュースを観たからだろう。
「大丈夫なの? なにがあったの!?」
少し落ち着いてから、久美子さんから質問責めにされた。仕方のないことだ。指名手配になっている人間を前にして、聞かずにはいられない。
「それと……この冴えない男たちは、なに!? なんなの、このデタラメなファッションセンスは!?」
いっしょに、召使とファインダーもつれてきてしまった。まるで天然記念物を見るような眼つきになっている。召使なんて、一張羅のトレーナーを切り裂かれてるし。
「こいつらは、わたしの味方なんです……イヤでしょうけど、こいつらもおいてやってください……ホントに迷惑でしょうけど」
「衣央ちゃんの頼みなら、しょうがないわ」
「あと……これだけは信じてください。わたしは、爆弾なんて仕掛けてません!」
「そんなことわかってるわ。衣央ちゃんに、できるわけない。爆弾をあつかうなんて」
久美子さんは、そう言ってくれた。そして、察してくれたようだ。紅茶を三人分運んでから、なにも言わずにリビングを出ていった。
わたしたちだけにしてくれたのだ。
「で、これからどうするかよ……」
冤罪を晴らすには、真犯人を捕まえろってことよ。
すでに二人を倒してるけど、最後の徳川家康も、どうにかしないと。
「もう一つ、電話番号がありましたよね?」
召使が言った。
そう。残りの番号が、おそらく徳川家康に通じるはずだ。
とりあえず、かけてみるか……。
「久美子さん。電話を貸して──」
言いかけたけど、思いとどまった。非通知でかけたとしても、油断のならないテロリストだから、ここの番号が知られて、住所まで割り出されるかもしれない。
かといって、わたしたちの携帯は使えなくなってる。公衆電話をさがすしかないか……。
「どうぞ、使って。あなたは、なにも心配することないわ」
それを伝えるため、久美子さんが部屋に顔を出した。
「でも……迷惑が」
「いいから! 遠慮しない」
久美子さんの迫力に負けて、わたしはサイドボードの上にあった受話器を取り上げた。
と──、そこでわたしのわびしい悩内に、ある気がかりなことが浮かび上がった。
陽介の恋人であったわたしに、これほどしつこくつきまとっているのに、実の姉である久美子さんには、なんの接触もないのだろうか?
「どうしたの?」
「あ、いえ……」
わたしが池袋で渡された紙を見ながら電話をかけはじめると、久美子さんは、またとなりの部屋に籠もってしまった。
『泣くまで待とう……なんとやら』
徳川家康と思われる男が出た。声音がヘンだ。異様なほどにダミ声なのだ。わざとそうしているのか、それとも喉に障害を負っているのか。
「仲間の二人は、いまごろ警察の留置場か、病院よ」
『いいさ。まだ勝負は、終わっていない』
「あなたに会うには、どこへ行けばいい?」
『なにも考える必要はない。思うままに足を動かせ。そうすれば、会える。闘える。そして、死ねる』
「あなたは、わたしの知っている人?」
『思うままに、足を動かせ。その答えにも行き着くだろう』
家康は、そうはぐらかした。
そして、一方的に切られた。わたしは、受話器を置いた。
正直言うと、わたしは課長を疑っていた。
もし、課長が徳川家康だとすれば、声を変えていたことにも理由づけができる。
その場合、里崎さんや中村さんのように、本物の課長も殺されている可能性がある。
いつ、入れ替わったのか?
たぶん、わたしがあの会社に入ってからだ。罪の意識を感じた。悪いのは、徳川家康だとわかっているのに……。
「どうでした?」
召使にそう問いかけられた。ファインダーは、あいかわらずしゃべりかけてくることはない。
「思うままに、足を動かせ……だって」
「どうするんですか?」
「言われたとおりにしてみるわ」
きっと、わたしにはわかっていた。これからわたし自身が、どういう行動をとろうとするのかを。
◇10月16日午前9時00分◇
よし、時間が来た。
これから、最終決戦がはじまる。
昨夜は、あのまま久美子さんの家に泊めてもらった。朝になって、思うままに足を動かした。
やっぱり、ここへたどりついた。
ツクダニーズデザイン──わたしの勤めている会社。
あたりを観察したけど、警察関係者はいないみたい。まさか指名手配されている人間が、職場に顔を出すとは思っていないんでしょう。それとも、公安の作戦かな? どうでもいいか、いまさらそんなこと。
わたしは、堂々と正面から、会社の入っているビルに向かっていった。営業部のある三階。何人かが、わたしの存在に気がついた。
警戒しながら遠ざかっていくのがわかる。
「お、大沢さん!?」
わたしはかまわずに、フロアの奥をめざしていく。
課長の席。
「大沢……」
わたしの姿に課長も気づいた。
表情は平静をたもっているけど、内心、動揺しているのはみえみえだ。
「来ましたよ」
わたしは言った。
「どういうことなんだ? 警察がさがしているぞ。いっしょについていってあげるから、出頭するんだ」
白々しいセリフだと思った。自分がここへ呼んだんじゃない。
……?
わたしは、ある矛盾に思い至った。
わたしがここへ来ると知っているのなら、心のなかも冷静でいるはずだ。
わたしは、あらためて課長の顔を凝視した。
「どうしたんだ!?」
わからない……。心理学者じゃないんだから、読み取れない。
だけど、課長が家康のはずよ。
だとすれば、陽介をおびきだすために、またなにか罠を仕掛けてる……きっと。
わたしは、オフィス内を見回した。
いつもの風景。ただし、わたしを遠巻きに見ている同僚たちが、驚きとおびえをふくんでいるということだけがちがう。
いえ……。
なんの感情も浮かべていない人物が、ただ一人いた。
『わたしが入社してから、無口だったのが、よくしゃべるように──』
最初に送られてきた本。秋葉原の爆破を暗示していた。そのヒントをあたえてくれたのは、だれ?
そう、一番に疑うべきは……。
わたしは、彼の顔で視線を止めていた。
むこうも、わたしが気づいたことを悟ったようだ。
ニヤッ、と不気味な笑みをつくった。
「家康……」
「そうだ、正解だ」
昨日の電話のようなダミ声が言った。
「くくく、正解、正解」
今度は、いつもの声で。
山田一郎。
「《アムラードゥン・ムウディーヤ》と呼んでくれてもいいぞ」
何度聞いても、覚えられるか!
「……本物の山田一郎は、殺したの?」
「そんな野蛮なことはしない。《カーティル》じゃないんだから」
ダミ声に戻っていた。そうか、こっちのほうが本物なんだ。
「俺も《アンカブート》も、コピー元は殺していないよ。しかるべきところに、監禁しているだけさ」
たしか《アンカブート》は、豊臣秀吉のことだったはず。里崎さんに化けていたヤツ。たぶん《カーティル》は、織田信長のこと。意味はわからないけど。
徳川家康のいま言ったことを整理すると、殺されたのは中村吉彦さんだけで、山田も里崎さんも生きているということになる。いまの言葉を信じるなら、だけど。
「あなたは、いったいなにを仕掛けてるの? どうせ、またわたしを危険なめに遭わせようとしているんでしょ!?」
山田の右手には、なにかが握られていた。
バン! バン!
癇癪玉を大きくしたような炸裂音が二度。
悲鳴が、フロア内に交錯する。
同僚たちが、いっせいに逃げ出していた。
「ははは! それをよく見ろ!」
拳銃を手にした山田は、言い放った。
どうやら、壁際に積んであるカタログの束のことを言っているようだ。運ばれた状態のまま、黄土色の紙に包まれている。たしか、まだ開封しちゃいけないってことだった。
わたしは少しためらったけど、山田に背中を見せて、わが社の製品が載っているはずのカタログを調べた。さすがに、後ろから撃つような真似はしないだろう。
それらは、カタログの束ではなかった。
なんだろう。包まれている紙の上から指で押し込むと、グニュ、と柔らかい。紙の手触りではなかった。なんだか、粘土みたい。
「なに、これ?」
わたしは、包みを破ってみた。やはり入っていたのは、カタログではなく、粘土のようなものだった。
「《アンカブート》の置き土産だ」
豊臣秀吉の?
「なんなの!?」
「セムテックス」
「なによ、それ?」
「わかりやすく言うと、プラスチック爆弾」
「爆弾!?」
「これだけの量があれば、ここら一帯は焼け野原になるぞ」
わたしは、織田信長の言っていたことを思い出した。
《アンカブート》は、爆弾とトラップ以外は役に立たん──細かいところはちがっているかもしれないけど、そんなニュアンスのことを語っていた。
だけど、わたしが止めた爆弾は、正直それほどすごいものだとは感じなかった。見た目なんて、バラエティ番組に出てくる爆弾そのものだったし。
どうやら、ここに積まれているプラスチック爆弾とやらが、豊臣秀吉の本当の実力だったんだ。
「これも時限式になってるの? 止めるのに、また数字を打ち込まなきゃならないの!?」
「あれは、《アンカブート》のお遊びだよ。これはちがう。もうお遊びは終わったんだ。今日こそ、《ハマーム》に姿を現してもらう!」
「陽介は、もう死んでしまったの! あなたたちが、どんなに望んでも、もうあの人はこの世にいないのよっ!」
わたしは、叫ぶように言った。
もう会えない。どんなに願っても。
「くくく、おまえは思いちがいをしている」
ダミ声が、とても反響していた。ここが、いつものオフィスとは思えないぐらい静まり返っている。
フロアにいるのは、わたしと山田──正確には、山田一郎に成り済ました徳川家康。そして、ずっと着席したままの課長だけになっていた。
課長は腰が抜けて立てなくなったのか、渋い表情で座っている。
「思いちがいって、なんのこと!?」
「くくく」
家康は笑うばかりで、答えようとしない。遠くから、サイレンの音が近づいてくるのが聞こえた。
「どうするつもり? 警察がいっぱい来たわよ。逃げられないわ」
「逃げるつもりはない。逃げる必要もないからな」
「まさか……」
こいつ、この爆弾でわたしもろとも自爆するつもり!?
「イオさん!」
外で待たせていた召使とファインダーがオフィスに入ってきた。そのまま、わたしのもとまでやって来る。家康は、それを妨害しようとはしなかった。
「課長は……逃げてください!」
「そんなことはできない」
「いいから、逃げて!」
わたしは強く言った。
「この男の目的は、わたしなんです……そうよね? わたしが残ればいいんでしょ!?」
家康に視線を向けた。
「そうだ」
しばらくの間をおいてから、課長が立ち上がった。
「わかった……」
ゆっくりとフロアを出ていく。上司であるという責任感が足取りを重くしているのか、それとも恐怖で筋肉が萎縮しているためなのかはわからなかった。
ほどなくして、課長の姿が見えなくなった。
「さあ、あと出てくる役者は、一人だけ。最強のテロリスト《ハマーム》よ! 舞台に上がれっ!」