13
◇10月15日午前10時38分◇
池袋の北口で謎の人物に紙を渡されてから、ファインダーには、ある命令をあたえておいた。わたしの会社に行って、様子を調べてきてほしい──と。ちょうど、その任務から戻ってきたときに、わたしのピンチを救ってくれたのだ。あの店の場所は、召使がメールで教えていたらしい。
ファインダーから、数枚の写真を受け取った。それは、社内の光景を撮影したものだった。内部に潜入しないと撮れないようなものまでふくまれていた。どうやって撮影したんだろう。さすがは、公安すら感嘆させるほどのストーキング技術だ。
営業部四課を中心に、いつもと変わらない日常がプリントされていた。しかし、課長の姿がどこにも写っていなかった。それと、もう一人、女子社員の顔が見当たらない。親しくもなく、仕事的にも接点はないから、名前までは思い出せなかった。悪いけど。
とにかくわたしは、徳川家康か織田信長が会社にいるのではないかと疑っている。だからわたし自身も、代官山にあるツクダニーズデザインに向かっていた。
池袋で接触してきた人物(豊臣秀吉はそれを家康と呼んでいた)が、わたしの会社にいるのならば、朝、遅刻しているか、今日は休んでいる可能性がある。
ざっと写真を見たところ、写っていないのは、課長と名前の思い出せない女子社員一名だけのようだ。しかし会社に来ているといっても、その人物もまたあやしい。たんに、ファインダーよりも早くついただけかもしれない。同じような時間に池袋を出発しているはずだから。
それからほどなくして、わたしは会社に到着した。
ビルの前で、課長と出くわした。どうやら、いまから出社するようだ。
「大沢……さっき、今日は休むっていうメールを受け取ったぞ」
「い、いえ……ちょっと、重要なものを忘れちゃって……」
「そうか。身体のほうは大丈夫か?」
「はい。一日休めば、大丈夫だと思います」
「昨日のことは、気にしなくていい。キミが、あんなイタズラをするわけはないからな」
課長は、そう言ってくれた。
信用してもいいの?
でも一度疑いだすと、どんどんあやしく思えてくる。
「課長、今日は遅いんですね?」
「あ、ああ……ちょっとヤボ用でね。遅刻させてもらった」
「そうなんですか……」
「なかには入らないのか? 私は行くが」
「あ、いえ……ここで、失礼します」
完全に不自然だったけど、わたしは課長に背を向けた。
◇10月15日午前10時48分◇
さぐりあいの会話は、どっと疲れを誘う。といっても、課長が事件とは一切なんの関係もなかった場合、わたしが一方的にさぐっていただけなんだけど……。
課長が犯人の一人だとすると、どういうことになるだろう。
わたしは、いままでの課長の行動を思い出していた。
この一連の騒動のきっかけとなった殺人事件。課長は、わたしが中村吉彦さんのマンションをたずねようとしたとき、とても心配してくれた。たぶんそれは、男性の部屋へ行くことの危険を感じてだろうけど。
昨日の花火爆弾騒ぎのときは?
そうだった。爆発する直前に、わたしに覆いかぶさってくれたっけ。まるで、わたしの身を守ろうとするように。
それだけを振り返ってみると、わたしをどうにかしようとしているようには思えない。
でもまって。そもそも犯人たちは、わたしを使って、なにをしようとしていたっけ?
豊臣秀吉の口ぶりからは、《ハマーム》と呼ばれる人をおびき出そうとしていると読み取れた。その場合、《ハマーム》というのは、陽介のことになる。
仮に陽介が生きているとして、その陽介をおびき出すためには、わたしは彼らにとって大事なエサってことじゃない。つまり、わたしを守ろうと課長がかばってくれたとしても、課長の容疑が晴れたわけじゃない。課長の自作自演ということも考えられる。
埒が明かない。
あれやこれやと考え込んだところで、いまある材料だけでは、推理できない。名探偵じゃないんだし。
わたしは、池袋で渡された紙に書いてある二段目の電話番号にかけてみた。
ワンコールで、相手が出た。
『鳴かぬなら、殺す』
織田信長というわけね。
耳にした瞬間、聞いたことのある声だということがわかった。まちがいなく、夜道で待ちぶせていた男だ。
「あなたに会うためには、どこへ行けばいいの?」
まわりくどい駆け引きは、この男には合わないと感じた。
『そうだな。俺様たちが初めて会った場所』
「会った? うちの近所の?」
『初めて会った場所だ。直接じゃなかったがな。待っているぞ』
そこで切られた。
初めて会った場所?
だから、うちの近くの道じゃないの?
いまの会話の内容からは、ちがうように思える。
昨日の夜以前に、どこかで会ったことがあるというの?
『直接じゃなかったがな』──どういう意味?
なにかが引っかかった。
それはなんだろうと考えたけど、答えにまでいきつかない。
あからさまにドスをきかせた声……わたしをおびえさせようとしているのが、みえみえだ。
わたしは、そんなことで屈しない。
「……声?」
あることを思い出した。
いまの電話ではない。昨夜、わたしの前に現れたとき。あのときも、どこかで聞き覚えがある、と感じてたよね……。
いつだ? いつ、あの声を聞いたんだ?
『わざわざすまんね、こんなところまで』
「あ……!」
わたしは、爪先から頭のてっぺんまで、電流が駆け抜けたような感覚に襲われた。
だとすれば……織田信長があの人だったとすれば、それはどういうことになる?
わたしは、自然に足を動かしていた。
◇10月15日午前11時14分◇
中目黒にある高級マンション。
なぜだかオートロックは機能していなかった。普通の自動ドアのように、近づいたら開いた。不審に思いながらも、わたしはなかへ進んでいく。
その部屋のドアにも、鍵はかかっていなかった。
なかへ入る。
すぐ後ろには、召使がついている。そのさらに背後には、ファインダーが。
廊下のさきの応接室。あの日のままだ。
ソファに座るのは、男の後ろ姿。
その男が、振り返った。
見たことのある顔。まちがいない。
殺されたはずの中村吉彦だ。
「わざわざすまんね、こんなところまで。まあ、入ってくれよ」
中村吉彦が言った。あの日……部屋へ行くまえに、オートロックのモニターに映し出された彼と、同じ会話をしている。
「どういうこと?」
「こういうことだ。見たままだよ」
つまり殺されたのは、中村吉彦ではなかった。いいえ、殺されたのは本当に中村吉彦さんだったのかもしれない……。
この男のほうが、中村吉彦じゃない。
化けているんだ。
モニターで会話をしていたのに、部屋についたときには死んでいた理由がわかった。
マンションに来たときには、すでに本物の中村さんは殺されていたんだ。
「殺人犯は、あなた!」
「くくく」
そうか。わたしは、あることを納得した。
ディレクターの里崎さんも、偽物だ。
豊臣秀吉が成り済ましていたんだ。
たぶん、本物の里崎さんは……死んでいる。
殺されている。彼らに。
「今日は、おまえが殺される」
偽中村吉彦が立ち上がった。
召使が、わたしの前衛についた。
中村──織田信長の手には、ナイフ。豊臣秀吉が持っていたものと同じだった。
「どうやら《アンカブート》は倒せたようだが、俺様はそうはいかん」
シュシュシュ、と音をなびかせて、ナイフを巧みに弄んでいる。指を器用に使い、ときには回転させて、ときには跳ね上げたものをキャッチして。
傲慢で危険なジャグリング。
「あいつは、爆弾とトラップ以外に取り柄がない。仕掛けたものを待つだけ。まさしく、蜘蛛よ。だが俺様は、ちがうぞ」
わたしは、召使の襟首をつかんで、後ろにさがった。豊臣秀吉との闘いで、こいつの弱さは立証ずみ。今度こそ、あの鋭利なナイフで殺されてしまうだろう。
「シャウ!」
ヘンな掛け声とともに、信長が腕を水平に振った。そのひとなぎで、召使のトレーナーが切り裂かれていた。
さがらせておいて、よかった。と同時に、安物でよかったね、とも思った。
しかし数瞬後には、そんなことを思える余裕もなくなっていた。呻きながら、召使の身体が崩れ折れたのだ。
ひと振りのあとに、蹴りかなにかが飛んできたんだと思う……見えなかったけど。豊臣秀吉とは、くらべものにならない格闘術。
信長は、またナイフを弄びだしだ。
「どうだ、どうだ、うまいだろう? 見せてやるぞ、おがませてやるぞ」
調子に乗って、どこまでもナイフを回転させていた。
召使は、かろうじて意識はあるようだけど、起き上がれるような状態じゃない。この曲芸のあいだに逃げ出そうとも考えたけど、彼をつれてはムリ……。
おいてっちゃう?
あー、ダメダメ……、また最低なことを考えた。
でも、わたしがこの男に勝てるわけないんだし……。
「に、逃げてください……イオ、さん」
途切れ途切れに召使がそう言ってくれた。
だけど言われたほうが、逃げにくくなる。
そのとき、フラッシュの光!
わたしの背後にいたはずの、ファインダーの仕業だろう。さっきはこれでどうにかなったけど、今度は──。
わたしはとにかく召使に肩をかして、なんとか起き上がらせた。
と──、そんなわたしめがけて、銀色にきらめくものが突き出されていた。
べつによけたわけじゃない。というより、よけることなんてできなかった。
「よかったな。もしおまえの反射神経がよかったとしたら、そのきれいな顔に傷がついていたぞ」
ナイフの刃は、わたしのすぐ横にある。少しでも触れていたら、ほっぺたがパクッといってた。
「わ、わたしを殺して、あなたになんの得があるのよ! わたしは、公安に監視されてる……殺しちゃったら、なにかと面倒なことになるわ」
なかば本心で、半分はどうにか思い止まってくれるようにと、そう言ってみた。
「くくく! おめでたいヤツだな。あんな無能者どもに、なにができる。それにあいつらは、絶対におまえのことは助けない。それどころか、いつでも始末する用意をしている。なぜなら、あいつらの目的も、俺様たちと同じだからだ」
それは、どういうこと!?
声に出してはいなかったけど、よほど表情に出ていたようだ。わたしの意をくみとって、信長は続きを語ってくれた。
「むこうのほうから、接触があったろう? それは、いつでも殺せるぞ、っていう合図を送ってるんだ。もちろん、だれに送っているかは、わかるよな?」
《ハマーム》と呼ばれる男に──。
「それは……陽介のことなの!?」
「そんな名は知らん」
信長は、冷たく答えた。
「現れぬなら、殺してしまうまでだ」
ナイフの刃が、わたしの喉元にピタッとついた。
「一瞬で楽にしてやる」
ジリジリと焦げるような感情が、背筋を上がっていった。
死。
それを一生で初めて実感している。
再びフラッシュが光ったけど、信長はビクともしない。
だからといって、ファインダーがそれ以上のことをやってくれるなんて期待できそうもない。こんな男を相手に、まともに闘える人間なんて、そういるもんじゃない……。
「死ね」
もう終わったな……。そう覚悟した瞬間、声が聞こえた。
「ちがう……オレじゃない」
だれの声?
そうか、ちゃんとファインダーの肉声を聞いたのは初めてかもしれない。
「池袋で、シャッターを押したのは、オレじゃない」
なにを言ってるの?
「おまえ、なにをホザいてる?」
「いまのは、オレです。でも、あのときはオレじゃない。《シャドウ》がカメラを取りあげて、シャッターを押したんです」
「シャドウ!?」
信長が、そう口にした直後だった。
あたりが光った。フラッシュのような、わずかなものではない。
世界が、まばゆい光輝に包まれた。
でもすぐに、なにも見えなくなる。同時に音も、この空間から消失していた。
なにがおこったのか、まったく理解できなかった。