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◇10月15日午前8時12分◇
池袋で夜の鳥といえば、フクロウだという。召使は自信をもって、そう語った。『いけふくろう』という像が、有名なんだって。
わたしは、召使のあとを追うように進んでいた。思い起こせば、後ろをつけられることはあっても、わたしが彼のあとに続くなんて、はじめてのことだ。
朝のラッシュで人込みだらけの地下街。右手に改札、次いでJRの券売機が並ぶ通路を歩いていた。北口改札と書いてある。そこから少し行って、左側にそば屋があるところで、召使は立ち止まった。
こんなところに、なにがあるの? 前方には、地上に出られるであろう階段がある。人の動きは激しい。
「ここです」
召使は言った。
ん? あ……たしかに、フクロウがいた。
銅像なのかと思ってたけど、石でできてるみたい。
わたしの背とかわらないほどの高さ。とくにデフォルメしてるわけでもないし、リアル路線ともちがう。待ち合わせの定番だということだけど、想像以上に小さいし、地味だ。特徴がない。こんなところを待ち合わせにしたとしても、わたしだったら、これ自体をみつけられないよ。
「まったく目印になってないわ」
「これが、夜の鳥です」
わたしの言葉はなかったことのように、召使はそう続けた。
「これを調べればいいのかな……?」
わたしがつぶやくのとかぶるように、召使は調べはじめていた。
表、裏、側面。下のほうも。
像の背後は柱になっているから、とても調べづらそうだ。
周囲の通勤客の眼が恥ずかしかったけど、わたしは愛想笑いなど浮かべながら、なんとかやりすごす。
裏側の下のほうに、なにかがあったのだろうか。屈み込んで、隙間に手をのばした格好のまま、しばらく召使は動かなかった。
「どうしたの?」
召使は、なにかを剥がすか、引っこ抜くような動作をとった。
「こんなのがありました」
立ち上がった召使は、一枚の紙を手にしていた。さきほどのメモ用紙と同じもののように、わたしには見えた。これが貼ってあったようだ。
わたしは、紙を見た。
そこに書いてあった文字は『60』。
その下に『⇦』という記号。
「なにこれ?」
「60に向かえ、だと思います」
そのヒントなら、わたしにもわかった。
サンシャインに行け、という意味だ。
ほかにも文字が書いてあった。
『夜の鳥は、夜見ない』
なんだ、このなぞなぞみたいな文章は?
「フクロウは、夜見ないってこと?」
「わかりません。なんのことだか」
「とりあえず、これは無視よ」
わたしたちは、早足で人々の群れを通り抜けていく。
◇10月15日午前8時27分◇
地上へ出て、サンシャイン通りを歩いていた。この道なら、来たことがある。正確には『サンシャイン60通り』というんですよ、と召使に教えられたばかりだ。サンシャイン通りという道は、べつにあるんだって。どうでもいいけど。
この時間、ここの人通りは、それほどでもないように思えた。両脇の店舗は、まだ開店していないところが多い。そのためもあるんだと思う。
サンシャインシティになにかがあるのか、それともその途中になにかがあるのかはわからない。わたしは、慎重にあたりを見回しながら足を進めていた。
と、そのとき──よく知っている声が耳に届いてきた。
「今日ご紹介するお店は──」
芸能人特有のよく通る声。一般人とタレントの一番のちがいは、声の響きではないだろうか。
見れば、道の端っこで、マイク片手にユメがカメラへ笑顔を向けていた。
はい、OK! という合図で、ユメは満面の笑みをおそろしいほど瞬時に消していた。
「こんな感じでいいですか?」
ういういしさの枯渇した態度で、ディレクターらしき人に話しかけている。どうやら、リポートロケの真っ最中らしい。
ユメと、そのディレクターらしき人、そしてカメラマンの三人だけしかいないようだ。音声さんやレフ板の担当もいなければ、ADすらいない。ユメのマネージャーの姿も見当たらなかった。かなりの低予算番組のようだ。
「あ」
ユメと眼が合った。わたしのほうは、ちょっと気まずかったけど、むこうはそう感じていないようだ。
「イオ──ッ! どーしたの、こんなところで?」
むしろオーバーリアクションで、わたしに駆け寄ってきた。わたしだったら見なかったことにして、そのままロケを続行してた。
「ちょ、ちょっと用事があって……」
「こっちの人は?」
ユメは召使を見て、そう問いかけた。一番ふれてほしくないところだ。
「し、知り合いなのよ……仕事上の」
「ふうん」
とくに、関心はないようだった。だったら聞くな。
「イ、イオさん……」
召使が、わたしの耳元で囁いた。
「夜行性のフクロウが、夜に見ないものは『夢』です」
それを耳にして、わたしはユメのことをジッと凝視してしまった。
「ど、どうしたの、イオ?」
「なんのロケ、これ!?」
「え? ここの二階にあるイタリアンレストランの紹介よ」
ユメが指さす方向を見上げると、看板が出ていた。『オリーブと長靴』という店のようだ。
「久々の全国放送なのよ! しかも、土曜の午前中よ」
本来なら自慢になるようなことじゃないんだろうけど、深夜以外で地方局じゃないのは、ユメにとって快挙なんだ。
わたしは、むかしの同僚として、少しいたたまれなくなった。
「ホントは、まだ営業してない時間なんだけど、お昼ってテイで、おおくりするわけ」
なるほど、開店時間に押しかけると迷惑になるから、営業前に撮影しちゃおうというわけか。
「ねえ、わたしも店のなかに入っていい?」
わたしは意を決して、そう願い出た。
「えー? どうかなぁ? ディレクターさんに聞いてみないと……」
そう答えて、ユメはディレクターを手で招き寄せた。
「どうしたの、ユメちゃん? あー! やっぱりイオさんだー」
わたしの顔を間近で確認すると、ディレクターは歓喜の声をあげた。まだ三〇前じゃないだろうか。ディレクターとしては、若いほう。
「里崎さんはパレットのファンだったのよ。で、この仕事もわたしにまわしてくれたの」
「まだADのときに、お会いしたことがあるんですよ」
「そ、そうだったんですか……」
里崎さんは、まるで年上の人に話しかけるような敬語で、そう言った。わたしは、まったく覚えてないけど。
「ねー、イオがいっしょに店に入っていいかって」
「イオさんが?」
「ええ、お願いできませんか? この店、一回来てみたかったんですよ。見学させてくれませんか? スタッフの一人ってことで」
「いいですよ、いいですよ」
里崎さんは、気持ち良いくらいに快諾してくれた。
「ありがとうございます」
わたしは握手を求めた。彼は、しっかりとわたしの手を握った。
「ぼくは、イオ派だったんですよー。感激だなー!」
「わたし派だって、このあいだは言ってたじゃないですかー」
ユメが、唇を尖らせて抗議する。とはいっても声は甘く、もちろん本気で怒っているわけではない。
その態度に里崎さんの表情が、デレーとゆるんだ。これがユメの必殺技か。これで芸能界の、きわのきわを渡り歩いてるんだわ。
ロケの一行は、店内へ入るために階段を上っていく。わたしも後を追おうとした。
「あんたは、外で待機してて」
召使にそう指示を出したときだった。
携帯が音をたてた。メールがきたみたい。
久美子さんからだった。
「あ、忘れてた」
深夜に『わたし、仕事やめるかもしれません』ってメールを打っちゃったんだ。追い込まれてたもんだから、ついヘンなこと書いちゃった。余計な心配かけちゃったな……。
送られてきた文面からも、スゴく心配してくれてるのがわかる。
わたしは、『大丈夫です。もう少しがんばってみますから』って打ち込んだ。ついでだから、ここの写真も送っとこ。
〈カシャ〉
『今日は会社サボって、ここでランチします。まだ早すぎるけど』
送信した。
「ちょっとイオ、来ないのー?」
わたしも店内に向かい、ロケの一員として溶け込んだ。