傷
「ココラ やめてっ!」
トールよりも先に 人影がココラの腕に飛びついた。
―――部屋に入ってきた、ノノルだ。
今 まさに放たれようとしていた魔法は、ノノルによって軌道を変えさせられ、部屋の床に穴を穿つ。バランスを崩したココラは、よろりと 床へ倒れこんだ。
「ノノル!」
トールが急いで駆けつけ ノノルを抱え起こす。頭でも打ったのだろうか
ノノルは気を失っていた。腕にかすり傷があったが、特に大きい怪我は他に
無い。隣で倒れていたココラが、再び身を起こそうとする。即座に峰打ちを
狙おうと剣を振るいかけたトールだったが、ココラはノノルの姿を見ると、
ふっと糸が切れたかのようにまた床に倒れこんだ。動き出す気配はない。
ひとまずは、安心だ。
トールは、自分の腕の中で気を失っているノノルに、ゆっくりと視線を落とす。
「何故…あなたはいつも無理を…。」
引き絞るような声が 堪え切れないようにトールの口から漏れる。ノノルの
腕の怪我は 実質それほど深くはない。しかし 怪我をしたことは事実である。
それは…ありえないことだった。
「お前は 王なんだぞ…。」
自分の身よりも、どうして。
俺達の心配をするんだ。
「痛っつー…くそっ!」
がしゃん、と椅子が蹴られる音がして 埋まっていたラウルが
頭を押さえながら出てきた。ココラが倒れているのを確認し、手首や首を
回して体の調子を調べていたラウルだったが、座り込んでいるトールが
気絶しているノノルを抱えていることに気づくと 驚いて立ちすくむ。
「トール?それに…ノノル…!いったい 何が…。」」
「すまない、ラウル。俺は…俺はノノルを…陛下を守れなかった…。」
悔しさに歯を食いしばりながら、後悔と自責に苛む。ラウルに殴られても、
文句は言えないだろう。今はむしろ、不甲斐ない自分を殴って欲しかった。
「…怪我は ねーのかよ。」
俯いているトールに ラウルが静かに声をかける。ああ、とトールは頷いた。
目を閉じているノノルには、腕のすり傷以外 他の傷は見当たらない。
「平気だ。ノノルに深い傷は…。」
「違う!お前に怪我はないかって聞いてんだよ!」
ラウルの大声に驚くトール。ラウルは苛立ちを隠そうともせず、ずんずんと
二人のそばに近づくと 屈んでトールの腕からノノルを奪った。そして矢筒を
外し、怪我に障らないよう丁寧にノノルのことを背負う。
「ノノルのことが一番だけどな、それだけじゃねーだろ。トールは俺達の
仲間だ。いつも思ってたけどな…お前はもっと自分も大切にしろよ!
お前が大怪我して助けたとして ノノルは喜ぶと思うか? 」
噛みつくようにそう言い、半ばあっけに取られて座り込んでいるトールへ
ラウルは手を差し出した。手を貸してやるから立て、という意味らしい。
しばらく 乱暴に差し出された手を 無言で見つめていたトールだったが、
くっと 小さく笑って表情を崩すと ラウルの手を掴んで立ち上がった。
倒れているココラを背負い、ラウルの横に並ぶ。
「まさか、ラウルに心配されるとはな。」
「何だよ。喧嘩売ってんのか。」
「いや…礼を言っている。」
二人は少し睨み合うと どちらからともなく笑い、部屋から出る階段へと
向かった。
が、階段から急に人が 大慌てで降りて来る気配がしたので
一気に緊張が走る。
「ど、どうなっちまってるんだ こりゃあ!」
階段から駆け下りてきたのは見知った男だった。
紅蓮の衣を肩から下げた 髭の男。ジンハートは 大声でそう叫んだ。
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「ん…。」
意識が戻り、ノノルが最初に見たものは 揺れる地面と赤茶色の髪の毛だった。
「お、ノノル。気付いたか?」
「ラウル…。」
ラウルの背中に、どうやら自分は背負われているようだ。
隣にはココラを背負ったトールがいて、心配そうにノノルの様子を覗っている。
「ラウルたちのとこの陛下は目ぇ覚ましたみてぇだな。
ココラ陛下は……まだ当分起きそうにねぇなぁ。」
ノノルにとっては初対面の 先頭を歩いているジンハートが、
ちらりとココラを見る。隠れ家から出たノノル達は ジンハートの案内で
どこかに向かっている途中だった。
それまでは ぼーっとしていたノノルだったが 急に はっ、として
ラウルの背中から降りようとする。
「あ あの!ラ、ラウル もういい。大丈夫。
ごめんね。私のこと 下ろして いいから…。」
「動くな。」
降りようとしていたノノルに対しての、幼馴染の口から出た
聞いたこともないような低い言葉に ノノルの動きは止まる。
「まだ、ノノルは休んでろ。無茶しやがって。
別に重くねーから心配すんな。」
本来ならあるはずの、弓と矢筒は外されていた。ノノルを背負うために
ラウルはそれらを両手に持ち替えていたのだ。
「……うん。ありがとう。」
言葉こそぶっきらぼうだったが、ラウルの気遣いを感じたノノルは
大人しく背負われることにした。
街に入ると ジンハートはトールに背負われているココラに 茶色いマントを
かけた。フードも下げて顔を隠す。革命軍に見つからないように、だ。
「着いたぞ。ここだ。ひとまず身を隠して 対策を考えなきゃならん。
まぁ 寝てると思うが…。」
裏道に入り、足を止めたジンハートが息をつく。大きい木の家の前だった。
よく手入れされた庭もあり そこには不思議な形をした植物が植えられている。
「すっげーな…。」
「全部薬草だぞ。これは。」
「お城の温室で見たことのある草がたくさんあるね。」
ノノル達がそんな感想を述べる中、ジンハートは木のドアを 強くノックした。
どんどんどん、と三回。
「おーい、婆さん!俺だ!開けてくれ!
ジンハート=ギロバーユだ婆さん!」
夜中の静かな街に 太い声が響く。
「お、おいおっさん 声めちゃくちゃ響いてんぞ。」
「なぁに。この辺りは 革命軍のせいで人が逃げた。
すぐには誰も来ねぇ。とりあえず家主を起こすのが先決だ。」
呼びかけが続いて数分後、やっと家の主がドアを開けた。
「うるさいね、まったく!今 何時だと思ってんだい!ああ腰が痛い。」
玄関に現れた人は、ノノルの知っている人であった。
「オノモルド博士……!」
ラウルが、知り合いか?と尋ねる。うん、と頷くノノル。
ジンハートに文句と説教を ガミガミと言っていたオノモルドが、
ノノルの声に眉を寄せて振り返った。そして 眼鏡を押し上げる。
「おやっ、陛下!それにあんたたちは…高貴な護衛だね。
合流出来たみたいでよかった…ん?…ココラ陛下もいるのかい!?
い、いったい何があったのさ…。」
「婆さん 説明は中でするからよ、
説教は止めて とりあえず家に入れてくんねぇか…。」
ノノル達を家に招き入れたオノモルドは、鍵をしっかり閉めると
ココラをベッドに運ぶよう トールに指示を出した。
「陛下達も、そこのテーブルに着いとくれ。すぐにお茶を淹れるからね。」
「あ、はい…すいません。」
ラウルの背中から 降ろしてもらったノノルは 言われた通りに椅子に座る。
その隣にラウルと、ココラをベッドに運び終えたトールが座った。
ジンハートは反対側に 腰掛けた。
「さあ 説明してもらおうじゃないか。いったい、何があったんだい?」
「ココラの…。」
「誰もいない…。」
「攻撃魔法が…。」
ノノル トール ラウルが一斉に話そうとし、顔を見合わせて 互いに口を
閉じる。結局、代表としてトールが話すことになった。
「俺の仲間は、いなかったのか?」
ジンハートがトールの話の途中で そう遮る。トールとラウルは同時に頷いた。
「いなかったぜ。紙と、机と、ココラだけだ。」
「少し前まで 人のいた様な気配はありましたが。」
二人の言葉に、湯気の立つお茶の入ったカップへ俯きながら
視線を落とすジンハート。
「仲間が…いるはずなんだがなぁ…。あいつら どこに…。」
「仮面の…魔術師です…。」
がたん、と部屋のドアが開く音。そして突然聞こえてきた苦しそうな声に
反応して全員が振り向く。ノノルが ばっ、と身を乗り出した。
「ココラ!」
そこには 壁に寄り掛かりながらも必死に言葉を続けようとする、
ココラがいた。
「仮面の魔術師です。
あの隠れ家は…襲われたんです。」
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いつものようにみんなが集まって、作戦を立てていた時です。あいつが…
仮面の魔術師が、現れたのは。上で見張りをしていた方が 慌てて地下に
降りてきて、
『な、仲間が壁に引きずり込まれた!』
と、叫んだのです。みんなはすぐに戦う準備を整えたのですが…
けれど…間に合わなくて…。地下に、黒いフードをかぶった仮面の魔術師が
一瞬で浮かんだんです。みんなが攻撃する前に、仮面の魔術師が 闇魔術を
使って…。
その先は…みんなが…たくさんの人が 次々と壁に飲み込まれていきました…。
悲鳴が響いて…僕を守ろうとしてくれた人も 全員、壁に…!
最後に残ったのは 僕と、仮面の魔術師だけでした。その時は何故か足が
まったく動かなかったんです。戦うことも、何も出来ず…
仮面の魔術師は僕に近付くと、
『キミは 魔法を使える素質があるね。』
と、言って 指で僕の額を押しました。その先は…覚えていません。
気づくと、この家にいました…。
仮面の魔術師による闇魔術で ココラも操られてしまったのであろう。
話しながら 辛そうに顔を歪めるココラに、ノノルはどんな言葉をかければ
いいのか分からなかった。
国王であるココラも 自分と同じように、誰かの犠牲が一番苦しいのである。
目の前で自分を守ろうとして 壁に飲み込まれた人たちを見て、きっとココラは耐えられなかっただろう。
苦しくて…辛くて。
「仮面の魔術師は…闇魔術を使うんだったな。戦うとしたら、相手が悪い。」
トールが 腰に下げてある長剣を見下ろした。ただの魔法使いであれば、
ラウルとのコンビネーションで戦うことが出来るが、闇魔術は呪いの契約に
よって成り立っているので 攻撃の法則性が分からない。難しい相手だった。
「魔法、か。俺らの中で誰か……あ!トール、ラインがいるじゃねーか!」
ぱちっ、と考え込んでいたラウルがひらめいたように 手を叩いて鳴らす。
高貴な護衛の中に ラインという魔法使いがいるのだ。