魔法石
翌朝 ノノルが目を覚まして横を見ると、隣にココラの姿は無かった。
「あれ…?」
目をこすりながら部屋から出るが そこにも誰もいない。
ノノルは一人ぼっちだった。コチコチ、という時計の音だけが聞こえる。
部屋を一通り探してみたり、窓から外を覗いてもみたが、やはり誰もいなかった。
外に出ている訳ではなさそうだ。
「どこに行ったんだろう。」
ちょっと考え込んだノノルは 小さく口を開くと チシャ、と呼んでみた。
次の瞬間――
「オヤオヤ陛下、およびですか?」
ノノルの影からチシャが くるり、と一回転しながら やっぱり現れた。
シルクハットを外し おはようございます、と ノノルに礼をする。
ノノルは ほっと息をつきながら、チシャに駆け寄った。
「よかった…誰もいなかったから…。」
「すぐに戻るはずだったのですが…。
ワタシとサンコラル卿は買い物と情報収集をしていたのです。
ギロバーユ殿とフィンガント卿が まだ戻ってこないので…。
オノモルド博士は 二人を探しに行きました。」
チシャは 周りを見回して、おや?と首を傾げる。
「ココラ陛下は いませんか?
確か 陛下と寝ていたと思うのですガ。」
しかし、ノノルが起きたときには 誰もいなかった。
この妙な出来事に 険しい表情になる二人。
すると 玄関のドアが開いた。チシャが振り返る。
そこには走ってきたのか、頬の汗を拭いながら
急いで中に入り 鍵を閉めるココラがいた。
「あ、ノノル…それに ランタン卿。おはようございます。」
「えっと うん。おはよう ココラ。どこに行ってたの?」
ノノルの問いに ココラは微笑むと、手に握っているものを見せた。
ノノルとチシャが覗き込む。ココラの手のひらに乗っていたのは、
深い緑色をした複雑な模様が彫られているペンダントであった。
神秘的な輝きを持ち、角度によって光りかたが変わるので とても綺麗である。
知っているのか チシャが ン?と片眉を上げた。
「これは…カルティストに伝わる 国宝では
ありませんか?見間違えでしょうかネー?」
国宝、とは それぞれの国に伝わる 不思議な力を持った宝である。
元は大昔に全土を統率していた国の所有物だったが、現在のような国々に
分かれる際に、各国の王が持っていったとされる。国宝は代々王家に伝わり、
大切に保管されてきた。ちなみにウォルデラにある国宝は 古びた杖であった。
「はい、その通りです。
これは カルティストに代々伝わる国宝、
『魔宝石』といいます。
王家が管理しているので 僕なら持ち出せるんです。」
ちょっぴり得意げにそう言ったココラは 呆然とペンダントを
見つめているノノルに、それを差し出した。
「ノノルに、あげます。」
「…え?で、でもそれは国宝だから 簡単に他の人に
渡しちゃダメだし…。それに、王家が管理してるってことは
責任はココラが取ることになる…し。」
しかしココラは 受け取ろうとしないノノルの手を掴むと、
自分の手を重ねて 魔宝石を渡した。
手を握ったまま 真っ直ぐな瞳でノノルに言う。
「お願いします。今の僕の力では 兵力も国力も全然、足りないので
ノノル達を助けることが出来ません。だから、せめて少しだけでも、
ノノルの お役に立ちたいんです。」
受け取ってください、と 力強く言うココラの申し出に
今度は こくん、と頷いたノノル。
「分かった。じゃあ、少しの間 借りるね。」
魔法石はペンダントなので 首からさげてみた。
「とてもよく似合ってます。」
「さすがワタシの陛下!何をつけても素敵です!」
二人が絶賛したので ノノルは照れながら
魔宝石を摘み、目の前に持ってきた。
深緑が きらきらと輝く。
「カルティストの国宝…すごいね。何だか神秘的で…。」
「魔法石には 特別な力があるんです。
自分の生まれながらにして持っている、魔力を増幅させる
という力があります。」
ココラに促されて ノノルは魔法を使ってみることになった。
しかし、まったく魔法なんて習ったことの無いノノルは
あわあわとチシャに助けを求める。
「チ、チシャ。魔法ってどうやってやるの?」
「アー…そうですね。簡単に言うと。魔法は 精神と感情と理論と要素と
還元と契約と知識と練成と因果とその他…アレ?
ワタシも何がなんだか 分からなくなってきました。」
エーット、と首をひねるチシャに ノノルは諦めたように溜息をつく。
こうなったら自分で何とかするしかなさそうだ。
正面を向いて ゆっくり息を吐き心を落ち着けた後、
ノノルは両手を前に出した。精神を集中させる。
魔宝石が きらり、と輝いた。
と同時に ノノルの足元に白い魔方陣が現れる。
風が どこからか、やわらかく吹いてきて
ノノルを囲むように渦を作り出した。
「風の魔法ですカ…。」
チシャが ぼんやりと呟く。シルクハットが飛ばされないよう、
手でしっかりと押さえていた。ココラも感心して ノノルを見守っている。
ばたん!
すると ドアが開いて家に誰かが入ってきた。
家の中で風が吹いているので驚いているようだったが、
ノノルの姿を見て 動きを止める。
ラウルだった。
「おやおや、フィンガント卿!今までどこに行ってたのですか!
オノモルド博士が探しに行ったんですヨ。」
「…悪ぃ。おっさんがちょっと、な。」
いつもの様な元気がなく、ラウルは目を伏せた。
そんな暗い声に 部屋に吹き回っていた風が止む。
「ラウル…何かあった…?」
駆け寄ってきたノノルに 無理に笑顔を作った
ラウルは、
「いや……、何でもねーよっ!」
そう言いながら ぽん、とノノルの頭に手を乗せた。
その頃。
トールは 一人重い荷物を抱えて立ち尽くしていた。
一緒にいたはずの チシャが、突然消えたのだ。
後に残された、チシャが持っていた分の買い出しの荷物は
必然的にトールが持ち帰らなくてはならない。
「くそっ…あいつどこに行ったんだ。」
ずっしりと腕にくる荷物を両手で持ち、
一歩ずつ よろよろと足を進めるトール。
途中 何度も止まっては チシャへの悪態をついた。
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「ジンハートさんは?」
ノノルの問いかけに ラウルの表情が固まる。
すっ、と横を向いて 視線を下げた。
「おっさんは、一人で会議に行った。今回のことを報告するためにな。
俺は待ってる必要はない、っておっさんに言われたから 帰ってきたんだ。」
それに、とラウルは何かを話そうとしたが
口を閉じてしまった。またさっきの笑顔を作り、ノノルに向ける。
「俺も疲れてさー。ちょっと休んでもいいか?」
「う、うん…。」
ノノルの心配そうな表情に背を向け、部屋から出て行くラウル。
「あ、フィンガント卿。ベッドはこちらですヨー。」
チシャが そんなラウルの背中を押し、隣の部屋へと連れて行く。
二人が出て行ったと同時に ぐぅ、とノノルとココラのお腹が鳴った。
「お腹が空きましたね…。」
そうだね、と返したノノルの後ろで どさっ、という大量の荷物を下ろす音と
ぜいぜいという荒い息づかいが聞こえた。買い物から帰ってきたトールだ。
「ノ、ノノル 起きていたのか…。」
「大丈夫?トール、汗がすごい。何かあった?」
「いや…ところで チシャはいるか?
……あいつにこの荷物 全部持たせてやる。」
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「さて 話してもらいましょうか。」
ぱたん、とノノル達のいる方へのドアを
後ろ手に閉じ チシャはベッドに腰掛けている
ラウルを見つめた。しかし ラウルは無言で
部屋の窓に視線を向けている。
「フィンガント卿が陛下の前で話したくなさそう
でしたから、わざわざ部屋を変えたのですヨ。」
「何、言ってんだチシャ。俺は、」
反論しようとしたラウルだったが チシャを見て息を呑んだ。
チシャの、足元にある影から 深い闇がじわじわと滲み出してきているのだ。
その暗闇には、一瞬で全身に鳥肌を立たせ、
恐怖を与えるのに十分な力があった。
飲み込まれたら ひとたまりも無いだろう。
「どうしても話さない、つもりなのでしたら仕方ありません。
強行手段に出ます。…陛下は 人の心の変化に聡い。きっと隠しても
いつかはバレるでしょう。ワタシは悩む陛下の姿を見たくありません。」
チシャの淡々とした言葉とともに 闇が床を這うようにしてラウルに迫る。
ベッドの上に避難したラウルは辛そうに顔を歪めると
小さい声で 話すよ、と言った。その瞬間 迫っていた闇が消え、
チシャが ふう、と息をつく。
「初めから あなたの口でそう言って欲しかったデス。
ワタシはあまりこの力を 仲間に使いたくないので…。」
ステッキを床につき 体重を預けながら チシャはラウルの言葉を待った。
何か話そうと口を開いては 言いにくいのか躊躇して閉じてしまうラウル。
ジンハートの闇を、本人のいないところでチシャに言ってしまっては
悪い気がするのだ。
「やっぱ…俺からは言えねーよ…。おっさんから 直接聞いてくれ…。」
最終的にラウルは 弱々しく吐き出した息と共にそう言った。表情は暗い。
チシャは目を閉じて首を横に振ると、ステッキを腕にかけて ドアノブに手を乗せる。
「フィンガント卿がそう言うのでしたら、今はまだ聞かないでおきます。
ただし、これだけは覚えておいて下さいネ。…闇を放っておくと
それは次第に広がり、気付いたときには手遅れになるのですヨ。」
ドアを開け チシャが部屋から出て行く。
ラウルはベッドに倒れこむと 腕を目の上に乗せ、歯を食いしばった。