異世界
その後、俺はいろんな質問を彼女にぶつけた。
語気を荒げる俺に、静々と彼女は答えていく。
途中で何度か汚い言葉を放っていたが、それでも彼女は嫌な顔をせずに丁寧に返してくれた。
俺は彼女に記憶喪失を疑われたが、それはないと否定する。
俺の頭の中にはちゃんと嫌な日々の記憶がふてぶてしく居座っている。
そこで初めて俺達は自己紹介をしていなかったことに気がついて、彼女はくすくすと笑い、俺も一瞬だけ口端を上げた。
「・・・俺は笹山友二だ」
「ふふ。変わった名前だね。私はクレフテ。よろしくね」
彼女はゆっくりと手を差し出してきた。
俺はそれを握って挨拶を返したかったが、ずいぶんとひねくれてしまった俺には難しく、ただただその手を見ていた。
彼女はしばらくして、大人しく手を引っ込めた。
沈黙が続き、俺はさすがの彼女も怒ったのだと思った。
だが、彼女は顎に手を当てて何やら考えているようだ。
しばらくして彼女がふう、と息を吐いた。
そして彼女は何度かためらってから、言葉を吐いた。
「あのさ・・・。もしかして、なんだけれど・・・」
言葉を途中で止めた彼女に、俺の心の醜いものがむくむくと大きくなる。
もう少しで、あと少しでも彼女が再び言葉を発するのが遅かったら、俺の心は醜い言葉を吐かせていただろう。
俺が大きく口を開いた時だった。
彼女がごにょごにょと声を出した。
「笹山さんは・・・異世界から来たんじゃないのかなって・・・お、思った、のだけ、ど」
尻すぼみになる彼女の言葉が俺の頭を殴りつけた。
あまりにありえない出来事であったが、それでも薄々俺もそう感じていた。
だからこそ、焦っていたのかもしれない。
俺は大きく口を開いたまま、固まった。
そうだと予想してはいても、やはり言葉にされるとあまりにありえない出来事のように聞こえた。
彼女はそんな俺を見て、困ったように視線をそらしてしまった。
だが、時々ちらちらと俺を見て、口をパクパクさせていた。
まだ何かあるようだ。
俺は慌てて口を閉じて、彼女から少しだけ目をそらして、話の続きを聞こうとした。
彼女はそんな俺の考えを理解したようで、また、ごにょごにょと話した。
「あのね・・・。昔話にあるのよ。異世界から来た人の話。その話の主人公の名前も変わっていたし・・・。ねぇ。タロウって名前とか知ってたりするかな?その主人公の名前なんだけど」
また俺の頭に衝撃が走る。
太郎は少し古臭いが、それでも現在の日本にもその名前を持つ人は存在し、昔ならかなりたくさんの人がその名前を持っていた。
異世界という言葉が急に現実を帯びる。
またもや呆然とする俺を、彼女が返事を期待しているようで、じっと見つめていた。
俺は何とか頷いた。
「そう・・・。それじゃあ、やっぱり笹山さんは・・・異世界から来たってこと・・・かな?」
「お、おう・・・。そう、だな」
信じられないという感情が言葉から伝わってくる。
けれども信じられなくても、かなりそれは確実なことなのだろう。
しばらく静寂が辺りを包んだ。
俺がそれに耐え切れなくなった頃、彼女がちょっと待っててと言って、部屋から出て行った。
俺は彼女が出て行った後、ふうっと深く息を吐いた。
そして窓から外を見た。
そこには木でできた家々が並んでいた。
街灯もなく、月の淡い光が街を包んでいる。
それは幻想的で、綺麗だった。
ぼろぼろな俺の心には、痛すぎるほどに綺麗だった。
ただの自然物で、俺だって何度か見たことあるのに。
その時は何も思わなかった。
けれど今は何かが違った。
そうして窓の外を眺めていると、その答えがぼんやりと浮かんできた。
脳裏には彼女の姿がちらつく。
彼女が、何かを変えている。
彼女が俺の心に何か変化をもたらしているのだと、そう分かった。
彼女を思い浮かべながら、窓の外を見ていると、街を人が歩いていった。
それをぼんやりと見ていたが、あるものが視界に入って、俺はのけぞり、驚いた。
街を歩くその人の前には、その人を導くように揺らめく白い光があったのだ。
それはまるで人魂のようで、吃驚した俺は口をあんぐりとあけて、呆ける。
「な、なんだよ・・・あれ!」
俺がそう叫ぶと同時に、部屋のドアが開き、彼女が慌てた様子で部屋に入ってきた。
「ど、どうしたの?」
彼女はトレーに乗った軽食を机に置いた後、俺に駆け寄ってきた。
俺は声を震わせながら、さっき見たものを説明した。
「ひ、人魂が・・・。窓の外・・・」
彼女は窓のほうに近寄って外を見ていた。
そうして、ああ、と何か納得した様子で俺に近寄ってきた。
くすくすと笑いながら彼女は俺に話した。
「そういえば昔話でもそうだったな。貴方って魔法を見たことないのかな?」
「はあ!?魔法?!」
魔法なんて存在しない。
そう続けようとした俺はここが異世界だということを思い出して、なんとかとどまる。
彼女はくすくすと笑いながらも、俺に食事を食べるように勧めてきた。
俺は素直にそれに従い、トレーに乗っていたリゾットを食べる。
食べ始めたとたんにお腹がなり、彼女に笑われる。
何となく恥ずかしかったが、それでも空腹だと気がついた俺は、チーズのいい香りのするリゾットをバクバク食べた。
「どう?おいしかった?」
食べ終わった頃を見計らって彼女が話しかけてきた。
俺は目をそらしながらも一生懸命言葉を作って、答えた。
「・・・お、おいしかった」
彼女が嬉しそうに微笑んだ。
俺も、笑っていた。
その後、彼女は魔法について説明してくれた。
「魔法って言うのは、心と言葉が一致したときに発動するものよ。」
「じゃあ火を思い浮かべて火って言えばできんのかよ?」
「ふふ。それがね、心に浮かんだものを詳しく言葉にしなければいけないのよ」
それを聞いて俺は首をかしげる。
彼女はゆっくりとわかりやすく説明してくれた。
なんでも魔法の発現には、この世界を作った双子の神がかかわっているらしい。
言葉の神シュプラーヘ、心の神シェーレ。
この2人の力両方が魔法を使用する際に必要であり、言葉がアバウトだったり、心と言葉が一致しなければ、双子の神に認識の差が生まれてしまうので、魔法が発動しないのだという。
説明が終わった彼女はじゃあ使ってみようか、と言って静かに言葉を口にした。
「真っ赤な一輪の棘のない花開いたバラ」
その瞬間彼女の前にはちいさな風が起こり、バラが現れた。
俺は驚いた。
バラと彼女を交互に見る。
彼女はそんな俺を見て、意地悪っぽく笑ったかと思うと、笑いながら言った。
「伝われば何でもいいから、こうやって直球で言葉にするのもありなのよ」
バラを俺の制服の胸ポケットに挿した。
そしてまた、静かに言葉を口にした。
「流れる水のように自由に漂って、彗星のように蒼くすんだ、温かな光」
彼女の魔法が発動したとき、俺は驚いた。
それは俺が瞼ごしに見ていたあの光だった。
俺は呆然とそれを見ていた。
彼女は何かを懐かしむように笑いながら、声を出す。
「これは私が一番好きな魔法なの。どこかの誰かが使ってた、魔法。私も使えるようになったの。・・・綺麗よね」
俺は自然とその光に手を伸ばしていた。
俺の手に触れると水のように俺を避けて、また、流れる。
その光を見ながら彼女はまた、魔法の説明を始めた。
俺はぼんやりしながら、それを聞く。
だから、もしかすると抜けていたところがあるかもしれない。
この世界でも魔法を使うことの出来るものは案外多くないそうだ。
その上、使えても先ほど窓の外を歩いていた人のような単純な明かりの魔法や、単純な炎の魔法くらいしか使えない人が大半なのだそうだ。
何でも、心をうまく言葉で表現すること自体難しい上に、言葉を口にしている間は心には余計なものを浮かべず、たった一つのものを鮮明に、そしてずっと思い浮かべなくてはいけないらしい。
それらの制限が魔法を使いにくくしているため、魔法を自由に使うことの出来る人は少ないのだという。
「じゃああんたはすごい魔法使いなのか?」
俺が聞くと彼女は照れくさそうにしながらも、誇らしげに言った。
「ふふ。そう。すごい魔法使い・・・なのかな。・・・一杯練習したのだけれどね」
最後だけ悪戯っぽくささやいた。
その後、彼女に他の魔法を見せてくれるように頼んだら、快く承諾してくれ、いろんな魔法を見せてくれた。