冬の雨
「よぉ、旅人さん。こんなところに何か用かい」
しとしとと雨が降るある小さな村。人気が少なく、物静かな村で、俺は足止めを食らっていた。
長旅で足を痛めてしまい、木陰で休んでいたのだが、仕事帰りか、斧を持った男にそう尋ねられた。
俺は被っていた雨笠を持ち上げ、男の顔を見上げた。
「……いえ、旅の帰りに立ち寄ったまでにございます」
「ああ、そりゃそうだな。こんなやっちもねぇ村に用があるなんて奴はそういねぇや」
そう笑い飛ばすと、男はどっこいせと俺の隣に座った。
「雨笠忘れちまってね。しばらくここにいてもいいかい?」
「……ええ、どうぞ」
本当は嫌だった。人と話すのは苦手だ。
だが、いやだと言う勇気もなかった俺はあっさりと承諾した。
「すまねぇな」
男はへらりと笑い、斧を木の幹に立て掛けた。
コトン、という小さな音と共に沈黙が訪れる。
重苦しい、というほどでもないが、少しばかり気まずい空気が流れる。
出来れば早くここから立ち去りたい、という思いばかりが俺を逸らせるが、雨は一向にやみそうになかった。
雨に濡れて帰路についてもよかったが、今は肌寒い冬だ。冷たい風が吹くなかで雨に濡れたりしたらひどい風邪をひくに違いない。
ざあざあと降り続ける雨に多少苛立っていると、突然男が口を開いた。
「なあ、兄さんよ」
「…なんでしょう」
急に声をかけられ驚いたが、なんとか平常心を装って返答する。
俺がいちいち憂鬱になったり驚いたりしているのには気付いてもいないのか、男は構わず話し続ける。
「知ってるか? この村ではな、一年中雨が降ってんだ」
「……は?」
男の話に、思わず声をあげてしまった。
男の一言でややこしい考えは頭から吹き飛んだ。
――雨が、一年中?
男は俺の表情を伺うこともなく、空を見上げて話を続ける。
「この村にはちょっとした言い伝えがあってな。一年中休まず雨が降ってんのはそれのせいなんだと」
「はぁ…」
「その言い伝えってのがちっとばかし不気味なのさ。…昔、この村にある若い男がいたんだと」
男の話を聞いているうちに、俺はしまったと思った。
この話は長くなるぞと踏んだからだ。昔話なんてすぐに終わるもんじゃない。
再び頭のなかにややこしい考えが舞い戻ってきた。
しかし、今更逃げ出すこともできない。
それに、昔話とやらが気になっていたのも事実だ。
俺は帰りたいという気持ちと話を聞きたいという気持ちに挟まれ、結局話を聞くことにした。
「まあどんな村にでも若い男の一人くらいいるだろうよ。しかし、この男ときたらとんだおっぱがええ(格好いい)男でなぁ、綺麗な嫁さんもらって、二人の子供に恵まれて、そりゃあ幸せに暮らしてたんだ」
そう言うと、男は一息つき、空を見上げていた顔をおろした。
「幸せだった…んだけどなぁ……もう十年も前になるか。この村を大洪水が襲ってな、そりゃあ酷い有り様だった」
「洪水…ですか」
男は小さく頷いた。
「ぜーんぶもっていかれちまった。家も、畑も、木も全部だ。もちろん、男の家も流されちまった」
俺は目の前に広がる村を眺めた。
雨で地面が濡れているせいか、十年前に起こったはずのことなのに、村の風景は洪水の直後のように見えた。
「それも、その洪水は一日じゃおさまらんくてなぁ、十日以上は続いてた。こんなにひでぇ洪水は見たことも聞いたこともねぇって大騒ぎになったもんさ」
「十日以上……」
俺は息をのんだ。
俺の家も大きな河の近くに構えてあって、梅雨にはそれなりの洪水になるのだが、十日以上も続いた大洪水が起こったことなどなかった。
「そのうち、洪水がやまねぇもんだから、村のモンがこりゃあ水神様の呪いだ、水神様がお怒りになったんだって言い騒ぎ始めたんだ」
「水神様?」
「村の近くに蛇の姿をした水神様が祀ってある祠があんだよ。そこの神様が機嫌悪くしたんじゃねぇかって。田舎モンはそういう話にもっていくのが好きなんだよ」
確かに、そういった類いの話は昔からよく聞く。
「そういう輩は生け贄って言葉も大好物なのさ」
「…まさか…!」
「そのまさかさ。村の奴らは村人を生け贄として水神に捧げようって言いだしたんだ」
男の手が、僅かに震えた。
「生け贄ってぇのはさ、昔っから若い女や子供だって決まってんだ。今のご時世にゃ、生け贄なんて古くさくてちばけた風習、どこにもねぇだろうがな……十年前は、まだやってた」
若い女や子供……
その一言で、俺は察しがついた。
「もしかして、その生け贄に…」
「……そうさ。男の妻と子供たちが選ばれたのさ」
ぞっとした。
本当によくある話だが、現実にそういうことがあったと聞くと、背筋を震わせずにはいられなかった。
それに加えて、話が進むたびに低くなる男の声が恐ろしかった。
「男は必死に妻と子供たちを守ろうとした。自分が代わりに生け贄になるとも言った。だが…村人たちは男から無理やり妻と子供たちを引き剥がし、三人まとめて丸太にくくりつけた……」
「……なぜ…なぜそのように男の妻と子供たちを生け贄にすることに固執したのでしょう」
「さあな。ただ、奴らは正気じゃなかったってのは確かだ」
男は深い溜め息をついた。
地の底から這い上がってくるような溜め息だった。
「抵抗した男は縄で縛り上げられ、妻と子供たちは遺言を残す間もなく…濁流のなかに、つきおとされた」
「……っ」
「荒波にもまれ、岩に体を砕かれ……想像もできねぇような地獄さ。だが、それも一瞬のことだった。妻と子供たちの断末魔はすぐに波のなかに吸い込まれていっちまった。今の今まで生きていた家族が、たったの一瞬で、パァだ」
俺はもう、口を利く気にはなれなくなってしまった。
十年も昔の話だとはわかっている。たとえ最近の話だったとしても、村の人間ではなかったら「気の毒に」で終わってしまう話かもしれない。
しかし、男の話し方が上手かったからなのか、まるで目の前で起こっていることのように思えた。
決して他人事ではないという気がした。
どこを見つめているか解らない男は、再び雨雲のかかった空を見据えた。
「妻を失い、子を失い、愛するもの全てを奪われた男は、ついに気が狂った。怒りと憎しみに任せて、村人を次々と殺しやがった。斧を振り回し、肉を切り裂き……けどよぉ、そんなことやらかしても、家族は帰ってこねぇ。死んだ人間は二度と帰ってこねぇ。……男は泣いた。死ぬんじゃねぇかってくれぇ泣きながら人を殺しまくった。だが、何人殺しても男の涙は止まらず…結局男は自分で首を落としちまった……」
雨が地に降ってくる音が、静かに響く。
「この雨は、その死んだ男の涙なんだよ。男の怨念が晴れるまで、ずーっと降り続ける。妻を、子供たちを返してくれって泣いてんのさ。もう、手前だって死んでんのにな」
「…………」
男の話が終わり、俺はやはり口を開けなかった。
本来なら「それでは私はこれで」などと言って立ち去っていたのだが、腰をあげることすら出来なかった。
俺が表情を固めて沈黙していると、男は急に笑いだした。
「あっはっは! 悪い悪い、暗い話しちまって」
「あ…いえ……」
俺は小さく頭を横に振った。
「俺ぁ、旅人にこの話をするのが好きでねぇ。村を通った奴らには全員に話してきた。けどよぉ、最後まで聞いてくれたのはアンタだけだ。ありがとうよ」
そう礼をいうと、男は深々と頭を下げた。あまりにも大袈裟な態度に、俺は仰天した。
「ど、どうされたのですか! そんな、大袈裟な……」
「いや、本当に感謝してんだ。アンタのおかげで心に蟠ってたモンが消えたよ」
男はもう一度「ありがとう」と言うと、顔を上げて立ち上がった。
「さてと。そろそろ我が家に帰るかな」
木の幹に立ててあった斧を肩に担ぎ、男は俺に背を向けた。
意外とあっさり帰ってしまう男に、俺はハッとした。
どうせ最後なのだ。長い間話を聞かせてもらったのだし、別れの挨拶くらいしておこう。
男にならってゆっくりと腰をあげた。
そして軽く会釈した。
「お帰りですか。お気をつけて」
「………」
俺がそう言ったとたん、男が振り返った。
俺は、また息をのんだ。
男とあってから、俺はまともに男の顔をみていなかった。人が苦手だからということもあったが、男があまり顔を見せたがらないようなそぶりをしていたからだ。
だが、初めてしっかりと見た男の顔は――
滅多に見られないほど、端正だった。
どんな役者でも、彼の隣ではくすんでしまうのではないかと思うほど。
声が嗄れていたので、てっきりずっと歳上なのかともふんでいたが、俺とそう変わらないほど若い。
海の底のように暗く揺らめく瞳が、俺を見据えていた。
男は、ふっと笑った。
「アンタ、本当にいい奴だな」
その笑顔は、儚く、優しげで…ほんの少しだけ、恐ろしかった。
「アンタこそ気をつけて帰れよ」
男は今度こそ背を向け、歩いてきた道に足を運んだ。
が、すぐに足を止め、小さく呟いた。
「……いや、心配する必要ねェな。……きっと、雨が守ってくれる」
そう呟くと、男は雨笠も無しに今度こそ歩いていった。
置いてけぼりにされた俺は、心配してくれた礼をいうこともできず、ただ男の背中を見送っていた。
雨笠を被りもしないでこの雨のなかを帰ったりしたら、風邪をひいてしまうだろうと思いながら。
俺のをあげればよかった。
――雨笠……?
そのとき、俺は初めて先程の男の矛盾に気が付いた。
――あの男は、話からしてこの村の人間に違いなかった。
――そして男は言った。
「この村は一年中雨が降っている」
と……。
ならばなぜた。
なぜ男に雨笠を忘れるなどという事態が起こった?
一年中降っているのに忘れるも何もあるか。
「――っ!」
俺は慌てて男の姿を探した。
しかし、男が歩いていった道には雨が降り注ぐばかりで、男自身は見当たらなかった。
やはり、彼は――…
「………」
俺は、それ以上思想を廻らせるのを止めた。
考えてもどうしようもないことだ。
あの人は昔話をして、俺はそれを聞いていた。ただそれだけなのだから。
俺は男が帰っていった方角に手を合わせた。
男が無事家族のもとに帰れるように。
「……さて、俺も帰るか」
一人でそう呟き、木の近くに置いてあった荷物を背負った。
旅道具が入った荷物がずっしりと肩に重かったが、暫く休んだおかげか、または男のおかげか、痛めていた足はすっかりよくなっていた。
雨笠を深く被り直し、男とは反対の道を歩き始める。
確か、この村の先には深い森があったはずた。そこには狼や大蛇が出るとか。
無事脱け出せるか解らない。
もしかしたら喰われてしまうかもしれない。
しかし、俺は男の言葉を思い出した。
「きっと雨が守ってくれる」
――ああ、きっとそうだ。
あの男がいうなら間違いない。
この雨が俺を守ってくれるんだ。
さらさらと降る雨が、服に、肩に、身体に染み込んでいく。
いつかこの雨がやみ、村が青空に包まれる日が来たらいい。
男の憎しみが晴れ、妻と子供たちのもとへ笑って逝けたらいい。
そう願い、俺は村を後にした……
荷のおもさ 肩に食い入る 冬の雨
おわり
「冬の雨」を読んでいただいてありがとうございました!
何時代だかわからないのでタグに「昔」というアバウトなものを付けさせていただきました(笑)
相変わらず女性キャラが出てこない作品でごめんなさい。
またちょこちょこ投稿するのでよろしくお願いします。




