女の戦い … 6
王宮の舞踏会は王室典礼官による
「お集まりの皆さま、御注目ください。
ただいまより、舞踏を楽しむ夕べの宴を開催いたします。
本日の宴を催されますのは、我れらが祖国ローザニアを守りお導き下さいます国王バリオス3世陛下であらせられます。
我らは主君より賜るこの夕べを心ゆくまで楽しみ、交誼を深め臣の絆をより強きものとし、さらなる祖国への忠誠を誓い申し上げましょう」
という、取り付きの口上からはじまる。
舞踏会は余興の要素が強い宴会であるから、謁見式や晩餐会のように形式ばった進行の約束事にしばられていないのだ。
口上を述べた典礼官が儀礼杖を高くかかげて一振りすると、たちまち音楽があたりに鳴り響き、最初のダンスがはじまる。
この最初の音楽で踊りはじめるのは、舞踏会に招待されている貴族たちのなかでも、とりわけ若くて身分の低い者たちだけに限られる。
定められた形式にしばられていなくとも、慣習には厳然たるこだわりがあるからこそ、王室主催の舞踏会には権威があるのだ。
つまり、最初の数曲をにぎやかに踊って、宴会のムードを盛り上げるのは下っ端の役目。その数曲が奏でられているあいだに、わざと遅れて悠々と会場入りしてくる資格を認められることは、その人が高い地位にある人間だという証明になるのである。
通常、宮廷生活におけるおのれの地位の確認にこだわりを持つ大貴族たちは、国王の入来がある時刻までに、どのような順番で会場入りするかの駆け引きで戦いの火花を散らす。
みながみな、おたがいに「××家の家格は我が家より下だ」と思っているので、「××家が会場入りしたら我が家も出ていこう」といった様子うかがいに始終する。だから、舞踏会開始前の控室が並ぶ廊下には、「××家の様子を探っていらっしゃい」と命じられた宴会出席者たちの使用人があふれかえるのである。
ところが、国王生誕50年と結婚を同時に祝う記念祝典の一環として行われる今回の舞踏会では、貴族たちの動向が、いつもと違った。控室の廊下で、他家の様子を本職の密偵も真っ青の真剣さでうかがっていた召使たちは、ヴィダリア侯爵家の控室の内部で起こった騒ぎを目撃し、嬉々として主人のもとへ報告に走ったのだ。
召使たちにとって、ファシエル・パルデール卿夫人が懐妊によって体調を崩し、どうやら舞踏会への出席は難しくなったようだという出来事は、たいそうありがたいニュースだった。
なにしろ理不尽な彼らのご主人様たちは、召使がライバルと目する家の動向をつかみそこねたり、自分が思っている通りの順番で会場入りできなかったりすると、たいてい召使をひどく叱るのである。
いや、叱られるくらいで済むなら、まだましなほうだ。人を人と思わない暴君タイプのご主人様のなかには、期待通りに働かなかった召使を鞭打って、自分のうっぷんを晴らそうとする者さえいる。
そんなわけで、控室の廊下をうろついていた召使たちのあいだには、たちまちヴィダリア侯爵家の控室で起こったハプニングが知れ渡ってしまった。いつも主人のご機嫌取りに苦労している召使たちのあいだには、召使同士で助け合うネットワークのようなものが存在するのである。
今日は叱られなくて済むぞと喜び勇んで主人のもとへ駆けもどった召使から、報告を受けた貴族たちは大慌てだった。
いつものように悠長にかまえていて会場入りが遅くなったら、女性後見人なしで舞踏会へ出席しなければならなくなって、恥ずかしさのあまり卒倒しそうな様子のヴィダリア侯爵令嬢の顔を、拝みそこねてしまうではないか。
かくして本日の舞踏会の会場には、最初の音楽が鳴りはじめるやいなや、大勢の人があふれかえることになった。
他人の不幸は蜜の味とは、よく言ったものである。貴族たちはみな、ローザニアの聖王子の妃の地位を射止めて一人勝ちしたと思われているヴィダリア侯爵令嬢が、羞恥心で頬を染める瞬間を絶対に見逃すまいと心に決めている。
おかげで宴の進行を支える王宮の侍従や女官たちは早い時間から普段の何倍も働かねばならず、料理や酒を提供する厨房も、てんやわんやの騒ぎに巻き込まれた。
舞踏会が行われる王宮の南翼の大広間には、通常ではありえない、異様な熱気が満ちたのである。
なかでもとりわけ嬉しそうに興奮していたのは、王太子妃アディージャ姫の取り巻きたちだった。
ローザニアの宮廷には、もうずいぶんと長く王妃が不在だったので、女たちの頂点の座は、危うい力関係のなかで揺れ動いてきている。
宰相のカルミゲン公爵が若かったころには、幼い王太子の祖母でもある公爵夫人が社交界の人間関係を牛耳っていた。
しかし、当然のことながら、公爵夫人も宰相とともに老いていく。
王国の女主人を気取っていた公爵夫人が体調不良などで社交の場から遠ざかると、女たちの戦場である社交界は、群雄割拠の様相を呈するようになったのだ。
王太子妃が海のむこうの大国イストニアから鳴り物入りで輿入れしてきたときには、やっとその乱戦状態も落ち着くかと思われた。
しかし、王太子妃は周囲の期待に反して、女たちの宮廷闘争には介入しようとしなかった。
それどころか、若くて可愛らしいアディージャ姫は、女たちの権力争いのすさまじさに、すっかりおびえて委縮してしまったのだ。
世間知らずのお姫さまが途方にくれてしまったのは、ある意味、彼女の責任とは言い難くもあるのだが。
困ったことが起こっても、夫の王太子はアディージャ姫の相談相手にすらなってくれなかったし、国王も宰相も国政だけで手いっぱいで、若い王太子妃を顧みてやる余裕などなかったので。
現在のアディージャ姫の取り巻きを構成するのは、宰相カルミゲン公爵の甥にあたるアントレーデ伯爵の夫人を中心とする一派である。
次期カルミゲン公爵となるはずだった長男ガスパール・エステル卿は知命の歳をむかえたころに中風の病で倒れてしまい、現在はすべての公職から退いている。半身が利かなくなったいまの体調では、公爵家の家督を継ぐのは難しいだろうと噂されており、宰相の跡を継いで次期カルミゲン公爵となるのは、何人かいる男孫のうちの誰かであろうと目されていた。
そんな理由から王太子妃の世話役をすることになったアントレーデ伯爵夫人は、降って湧いたお役目を、あまりありがたいものだとは思っていなかった。
伯爵夫人が義伯父の宰相カルミゲン公爵から「アディージャ姫の世話をしてやってくれ」と頼まれたころには、すでに姫君の心は気鬱の病に侵されていたのだ。伯爵夫人が懸命になって「王太子妃殿下はローザニア王国にあって最高位においでになる女性なのです」と激励すればするほど、アディージャ姫のふさぎこみはひどくなっていった。
名門貴族の家から、王国一の権勢を誇るカルミゲン公爵一族に連なるアントレーデ伯爵家に嫁いで、順風満帆の人生を歩んできていた伯爵夫人にしてみれば、「なんでいまさら、このわたくしが、こんな陰気なだけで自分の権利の主張すらろくにできない王太子妃の面倒なんか、みてやらなくちゃならないのよ!」というのが本音である。
そのうえ、アントレーデ伯爵夫人が必死になって世話をしても、王太子妃の気鬱の病に回復の兆しはないとみて取ると、ならば自分にも宮廷の女の至高の座を狙うチャンスがあるだろうと目論む一派が、台頭してきたからたまらない。
王太子妃とその取り巻きに対抗する勢力は、なんと、現国王バリオス3世の異母妹たちだったのだ。
現国王の異母妹は二人いるが、いずれも生母の身分が低かったために、臣下のもとへ降嫁していた。
いったんは、宮廷での権力闘争から脱落したはずの二人の元王女だったが、アントレーデ伯爵夫人が王太子妃の後見役として社交界を牛耳るのでは、納得がいかない。なにしろ彼女たちは元王女。現国王の妹なのである。引退間近の宰相の甥程度の身分の臣下の夫人などに見下されては、憤懣やるかたないのだ。
かくして、宴が始まったばかりの大広間には、一触即発といわんばかりの緊迫した空気が満ちることとなった。
上座とされる広間の奥側には、アントレーデ伯爵夫人を中心とする王太子妃の取り巻き。
次の上席である南面の窓際には、前王の長女であるモローズ侯爵夫人とその取り巻き。
やや会場入りが遅れて、くやしそうな顔の前王の次女サンジュリ伯爵夫人とその取り巻きは、広間の入り口付近に陣取っている。
三者がそれぞれ均等な距離を置いて、たがいをけん制しあっているさまは、みごとな三すくみ構図とあいなった。
その三角形に取り巻かれた広間の中央では、華麗な装いで身を飾った男女が、華々しい音楽に乗って踊っている。
虚飾の宴とは、まさにこのような人々の悪意に満ちた集まりをさして、言う言葉なのかもしれなかった。