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真冬の闘争  作者: 小夜
第二章 女の戦い
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女の戦い … 4


 いっときの逢瀬は、すぐに終わってしまった。


 首席秘書官の「お時間です」という事務的な呼びかけによって、モナとローレリアンは室内へつれもどされ、別れのときがやってくる。


 今夜の舞踏会の会場では、たがいに口をきくことすらかなわないだろう。ローレリアンには外国からの賓客をもてなす、王子としての大切な役目がある。


 王子の聖衣の右胸には、かなり注意していたはずなのに、やはりモナの化粧が少し移っていた。


 しかし、侍従たちはあわてる様子もなく、熱い湯でぬらした布で衣装の汚れをふき取り、その上に王子の身分を表わす銀の星章と対になる茜色の大綬を重ねていく。


 茜色の大綬には、金のふちどりが加わっていた。これはローレリアンが王位継承権をもつ嫡流の王子であることを周囲に示す、大切な符号だ。


 銀の星章の位置が決まると、そのうえにもさらに勲章が飾られる。


 まずは、枢密院に議席をもつ王族に与えられる桂花勲章。つぎに、国家に対して大きな功労があった者に与えられる宝珠勲章。


 侍従たちの手によって、ローレリアンは着々と、王子の姿へ仕立てあげられていく。そのあいだも、王子と側近たちは大きな声で言葉をかわし、行事の進行予定確認に余念がなかった。


 帰り道の案内をしてくれるラッティの仕事が終わるのを待たなければならないので、モナはシャデラ酒を果汁で薄めた飲み物のグラスを手にして、王子の支度の様子をながめていた。


 彼の私生活を知れば知るほど、大変なのねと思ってしまう。ローレリアンは、つねにいくつもの問題を同時進行で考えているように見えた。


 ところが、モナの話し相手を務めていたアレンは、ローレリアンのことを鼻で笑っていた。


「たく、リアンときたら、やる気のない支度だな」


 モナは目を丸くして、気心が知れた古くからの友人でもある近衛士官の顔を見る。


「どういう意味? 立派な王子殿下のお支度に見えるけど?」


「考えてもみてくださいよ。やつはこれから、舞踏会へ出かける王子様なんですよ?

 なのに、あの、ずるずるとした服装。自分は踊る気なんぞ、(はな)っからないんです」


 ラッティに袖口からのぞくレースのひだを整えてもらいながら、ローレリアンが答えた。


「わたしは忙しい。から騒ぎは他の連中にまかせるさ。それに、これでも服装には気を配っているんだぞ」


「どこがだよ?」


「普段のわたしは、レース飾りのついた贅沢な下衣など着ない」


「わかりにくい自己主張だな」


「聖職者のお洒落とは、そういうものだ。露骨な見せびらかしは下品だよ」


 嬉しそうに笑ったローレリアンは、モナのほうへ自分の腕をかざして見せた。


「モナ、このレースはアンヴァントール社ブランドのものだそうだ」


「あら、毎度御贔屓(ごひいき)にあずかり、ありがとうございますだわ、王子殿下」


 モナは飲み物のグラスを置き、大喜びで立ちあがった。アンヴァントール社はヴィダリア侯爵領にある機械織りレースの会社で、モナも出資者の一人として経営に参画しているのだ。


 しかし、ビロード張りのケースから鏡を取りだしながら、ラッティがぼやいた言葉に、一同は鼻白んだ。


「この祝宴用の聖衣をお仕立てになったときの、殿下と裁縫士の会話を皆さんにお聞かせしたかったですよ。殿下ときたら、『高い』『もったいない』『まけろ』を連発されて」


 ローレリアンは大真面目で。


「あたりまえだ。わたしの衣装代だって、もとをたどれば国民から集めた血税だ。節約できるところは節約しなければ。

 『もったいない』も『まけろ』も、いい言葉だな。連発すると、相手も知恵をしぼって、いろいろなアイデアを出してくる。

 レースは手編みの極上品ではなく、アンヴァントール社製のものにいたしましょう。お値段は20分の1におさえられます、とかね」


 モナはあさっての方向へむかって、大きなため息をついた。


「そうですか。わが社のレースをおほめいただいて、嬉しいですわ。王子殿下」


「なんだい、その気の抜けたような返事は」


 たちまちモナは、熱く語りだす。


「リアン、うちの会社のレースの優れているところは、『安い』だけじゃないの!

 つねに流行の先端を意識したデザインの多様性。吟味した素材で作りあげる最高の品質。新技術の開発に投資を惜しまない、業界をリードする企業としてのプライド。

 そもそも、ファッション業界に関係する企業には、夢を売るブランドイメージが何よりも大切なの。『安い』のは、うちの会社の製品にたくさんある美点のうちの、ひとつにすぎないんですっ!」


 ふくれたモナに、ローレリアンは澄ました顔で言う。


「すばらしいね。ぜひ、きみには我が国の服飾産業興隆に力をつくしてもらいたい。国内の企業が育つのはいいことだ。国庫への税収がどんどん増える」


 アレンがあきれた口調で、二人の会話をまぜかえした。


「リアンとモナ様の話を聞いていると、時々、俺は男女の愛ってなんなのかが、よくわからなくなる。俺に恋愛経験が不足しているから、二人の話が恋人同士の会話に聞こえないだけなのか?」


 優秀な企業家でもあるラカン公爵は、失笑に震えながら答えた。


「貴卿が普通なのだ。心配めされるな、デュカレット卿」


 笑うまいとこらえていた王子の側近たちが、もう我慢できませんと、大笑いしはじめた。


 ローレリアンは、ラッティがかかげる鏡の前で艶然と微笑んだ。側近たちの笑い声を、華麗に無視して。


「表向き、わたしは『聖王子』の異名を持つ、非凡な男ということになっている。現実はどうであれ、わたしはその異名を武器に、すべての国民をだましきらなければならないのさ。

 妻となる人が、特異な才を発揮できる女性であることは、じつに誇らしくて、ありがたいことだと思っているよ」


 支度を終えたローレリアンは、完璧な王子の姿をしていた。


 初代聖王から受け継いだとされる金色の髪と淡い水色の瞳は神々しく輝いて、あらゆる人の視線をこれでもかと引きつける。


 整った顔には、深い知性の気配と慈愛に満ちた笑み。


 そして、立ち姿には堂々たる威厳。


 いつも書類をめくって忙しそうに動いている手は、腹の少し上あたりで形よく組まれている。聖職者が人前に立つとき、いつもやる作法の通りに。


 その手が解かれて、優雅にさしだされる。


「モナ」


 呼びかけられたモナは、まるで吸い寄せられるようにローレリアンのそばへゆき、彼の手のうえへ自分の手を重ねた。


 夜会用の白い手袋に包まれたその手に、王子の口づけが贈られる。


「きみの聡明さに、心からの敬意をささげる」


「リアン……」


 笑っていた側近たちは、いつのまにか言葉をなくし、王子とその恋人の姿に注目していた。


 手を握りあって寄りそう二人の存在感は、圧倒的だった。黒い聖衣をまとった王子は立派な若者だったし、淡いすみれ色のドレスをまとった侯爵令嬢は、まるで可憐な春の花のようである。


 たがいの瞳をのぞきこんでほほ笑みをかわす様子は、まさに理想の若夫婦像を描いた道徳画だ。


 王子は最良の伴侶を得たと、側近たちはみな思った。


 古来より名君と呼ばれる王には、妃との夫婦仲がよく、子を愛しむ王が多い。人の平均寿命が短い時代の社会では、安定した家庭を営んで子をなし、次の世代を育てることが、社会で責任をはたす大人になるための絶対条件であった。国民は、その理想の家庭像を自分たちのうえに君臨する国王一家に見いだすと、絶大なる信頼感を抱くのだ。


 我らの王子は、必ずや兄王太子をしのいで、至高の座へのぼりつめてくださるだろう。


 王子の側近たちは胸を熱くして、そう願った。


 しかし、側近たちの想いとはうらはらに、そのあとローレリアンが口にしたのは、婚約者への現実的な忠告だった。


「モナ。おそらく今夜の舞踏会で、きみは宮廷人たちから好奇の視線を浴びせられるだろう。その視線には、嫉妬や羨望といった醜い感情も多分に含まれている。愚かな者たちは言葉や行動で、具体的にきみを苦しめてやろうとすらしてくるかもしれない。

 だが、きみは賢い。

 冷静に事態を見極めて、きみが正しいと思う判断をすれば、きっと、こまった局面も乗り切れるはずだ」


「ええ、あなたの信頼に応えられるように、がんばるわ!」


 ここで王子の側近たちは、「おや?」と顔を見あわせた。モナの「がんばるわ」という台詞には、かなり無邪気な響きがあったのだ。しかも、その台詞を聞いた王子の態度には焦りが見えはじめる。


「いや、がんばる必要はないよ。今夜は大きな(いくさ)の前の、ごく小さな前哨戦みたいなものだからね。肩の力を抜いて、夜会の雰囲気を楽しむくらいのつもりでいればいいんだ」


 恋人の焦りになど、まるで気づいていない様子のモナは、瞳を輝かせている。


「前哨戦かあ……。ほんとに舞踏会って、宮廷人の戦場なのね。いよいよわたしも、戦列参加ってわけよ! 喧嘩は勝ってこそよね。まかせておいて!」


「だから、がんばらなくていいんだ! 喧嘩も、できるだけしないでくれ!」


「自分からふっかけやしないけど、売られた喧嘩は買うわよ。敵前逃亡なんて、わたしのがらじゃないもの!」


「逃げるが勝ちって、ことわざにもあるだろう! きみがこれから出席するのは、優雅で楽しい舞踏会だ。戦なんてたとえをした、わたしが悪かった。謝るから、誰になにを言われても、笑顔でかわすと約束してくれ!」


「ええっ、そんなのつまらない――」


「モナ様、お待たせいたしましたっ! 殿下のお支度が終わりましたから、義姉(あね)君様がおいでになる控室まで、ご案内いたしますっ!」


 「つまらない」とのたまわった令嬢が、そのあとに、どんな台詞を続けたのかは、側近たちには聞こえなかった。主の窮地を救おうとする賢い小姓のラッティ少年が、これでもかというほどの大声で侯爵令嬢の言葉をかき消したのだ。


 側近たちは目を丸くして、「義姉君によろしく」などと言いながら、侯爵令嬢を送り出す王子の背中に注目した。


 その背中に、いつもの威厳はなかった。そのうえ、侯爵令嬢が出ていった扉が閉まると同時に、両肩が落ちるではないか。


 いったい、侯爵令嬢は、なにを言ったのだろうか?


 まだそれほどヴィダリア侯爵令嬢の人となりを知らない者たちは、戸惑った顔を見あわせた。


 しかし、事の成り行きをにやにや笑いながら見ていたラカン公爵とメルケン首席秘書官だけは、「やったな」と言いたげな視線をかわしあっている。


 しかも二人は、必死に震える腹の筋肉を両手でおさえていたのだ。ふりむいた王子の顔を見るなり、耐えきれなくなって盛大に吹き出してしまう。


 王子は、むっとして叫んだ。


「笑うな、パトリック! カールもだ!」


 おかしくてたまらない時に笑うなと言われると、かえって人は笑いたくなるものである。ローレリアン王子が最も信頼をおく側近だとされるラカン公爵パトリック・アンブランテと首席秘書官カール・メルケンは、耐える努力をあっさり放棄して爆笑した。


「いやはや、さすがはモナ様です!」


「殿下は、よい伴侶を見つけられました!」


「あの方なら、宮廷人にどんな仕打ちをされようとも、気鬱の病(きうつのやまい)に悩まされたりはなさいませんな!」


「それどころか、きっと、受けた意地悪は倍返しですよ!」


「ちがいない!」


「黙れ、二人とも!」


 王子の怒号には、まるで迫力がなかった。近臣二人の指摘に、反論ができないもので。


 それがますますおかしくて、公爵と首席秘書官は笑いつづけた。


 その騒ぎのあいだ、王子の個人的な友人であり非公式の場では対等な物言いを許されている護衛隊長アレン・デュカレット卿は、遠い目で窓の外を見ていた。


 彼は王子と侯爵令嬢がどんな人物であるのかを、誰よりもよく知っている。


 知っているからこそ騒ぎに加わらないのが、彼なりの王子への、友情の表し方だったのである。

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