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真冬の闘争  作者: 小夜
第二章 女の戦い
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女の戦い … 3


 モナが案内されたのは、建物の内部への明かりとりとして設けられた小さな中庭に面している、本当に奥まった場所にある部屋だった。そこには大勢の男たちが集まっており、打ち合わせのようなことをしていたのだ。


 いまはもう夜なので、部屋のそこかしこに置かれたランプのすべてに、火が灯してある。開いた扉の奥からあふれでてくる光は、まばゆいばかりだ。薄暗い廊下にいたモナは、くらんだ眼を何度もしばたいた。


 まぶしさがおさまるのを待ってあたりを見まわしたら、部屋の中にいた人がみんな立ちあがっていて、モナにむかって礼をしているので驚いた。


 礼をしていなかったのは、一人だけ。


 部屋の中央に置かれたテーブルの前で大勢の人に囲まれながら、広げた書類を見下ろして、腕組みをしていた黒衣姿の若い男だ。


 部屋に入ってきた者がモナだと気付くと、彼はきれいな顔に笑みを浮かべた。笑みにゆるんだ水色の瞳はとても優しげで、見つめられたモナは、どぎまぎしてしまう。


「みな、すまないが、わたしに少し時間をくれ」


 そう言って彼は、モナのほうへやって来る。


 モナは、その場で臣下の礼をするべきかどうか、ひどく迷った。


 なにしろ、モナに歩み寄ってくる男は、この国の王子なのだから。


「モナ」と王子は、若々しい声で呼びかけてくる。


 思わずモナは、「はい、王子殿下」と答えた。大勢の人の前で、気安く王子を愛称でなど呼べはしなかったのだ。


 殿下と呼ばれた王子は、ちょっと困ったふうに眉をよせた。


 そして、「やはり、怒っているのかい?」と。


 先ほど王子が立っていた場所で、書類を束ねていた中年の男が、あきれた口調で茶々を入れる。


「ほら、ごらんなさい。何事も最初が肝心ですから、いまのうちに恋文のひとつでも書きなさいと、みなが、さんざん御忠告申し上げましたのに。誰であろうと女性が相手なら、放置はいけません。一週間も連絡しないなんて、最悪です」


 王子は渋い顔でつぶやく。


「30過ぎても身辺に女の気配がまったくないカールの忠告など、信じる気になるものか」


 実直そうな中年男は、むっとして。


「ひどいですね。それが、この忙しいさなかにモナシェイラ様と会える時間をなんとか確保してさしあげた、わたくしへの感謝のお言葉だとは」


「なにをえらそうに。おまえがやったのは、ラッティを使いに出した程度のことじゃないか」


「殿下。なんなら20分ほど空けてさしあげたスケジュールに、今すぐ面談の予定をつっこみましょうか? たまりにたまった面会希望者リストの名前がひとつ消えますので、わたくしはたいそう助かります」


「冗談じゃない! ここしばらくの、わたしの忙しさは尋常じゃないぞ! このうえさらに労働を強いられたりしたら、家出してやるからな!」


「はて? 王宮から逃げ出すことも、家出というのでしょうかな?」


 部屋の中にいた男たちが、いっせいに笑う。


 しかし、モナは男たちといっしょに笑えなかった。この部屋に集まっている男たちは、みなそれぞれ夜会服や軍服の礼装で身を飾っており、これから行われる舞踏会へ出席するメンバーであるようだった。モナも、もう子供ではない。盛大な舞踏会が、じつは大人の戦場であることも理解している。その事前打ち合わせの最中に乱入したらしいと悟れば、申し訳ない気持ちになってしまう。


「あの、そんなにお忙しいのでしたら、お邪魔でしょうから、わたしは――」


 失礼しますと続けようとしたら、見知った顔の男が、慌てて会話に割り込んできた。


「いやいや、お待ちくだされ」


 若々しい顔つきにあまり似合っていない立派な口髭と、紺碧の陽気な瞳。自称、ローレリアン王子の大親友、ラカン公爵だ。


 公爵は満面に笑みを浮かべて言う。


「モナシェイラ様。王子殿下とメルケン首席秘書官の、この手のやりとりを、いちいち真に受けてはなりませんぞ。

 殿下も秘書官も、おおいに口喧嘩を楽しんでおられますからな。

 お二人の口喧嘩は、『黒の宮』の名物のようなものです。いわば信頼関係の確認作業です」


「さようですな。モナ様には、殿下と首席秘書官が喧嘩をはじめた時の仲裁役をお願いしたいくらいです。お二人の喧嘩は、本当にいつも、くだらないことが原因で」


 苦笑しながら肩をすくめて公爵に同意したのは、隻眼の将軍アストゥール・ハウエル卿だった。彼はローレリアン王子の親衛部隊を預かる優秀な武官だが、王子に仕えるようになる前は、ヴィダリア侯爵家の家臣だったのだ。モナのことも、幼い子供のころからよく知っている。


 ラカン公爵が話をつづける。


「まあ今回は、モナシェイラ様に『黒の宮』の普段の雰囲気をわかりやすくご理解いただけましたゆえ、くだらぬ喧嘩もよしといたしましょう。

 ところで、王子殿下。

 モナシェイラ様を、わざわざこちらへお呼びになられたのは、我々にご紹介くださるためではなかったのですか」


 すでにモナの目の前まで来ていたローレリアン王子は、側近たちのほうへふりむいて答えた。


「そのとおり。みな、こちらへ注目してほしい。

 こちらの女性は、わたしの妃となることを承知してくれた、じつに奇特な方なのだ。内務省長官ヴィダリア侯爵の末の姫君モナシェイラ殿だ。年内には、正式な婚約発表もするつもりでいる。

 彼女はあらゆることに才長けた女性で、わたしの妃となる人が負うことになる重い責任や身の危険の可能性についても、十分に理解してくれている。

 これからは宮への出入りも自由にしてもらおうと思っているので、彼女からなにか相談を持ちかけられたときには、いつもみながわたしにしてくれているのと同様に、助けてやってほしい」


 姿勢を正して王子の言葉を聞いていた男たちは、一斉にもう一度、深い拝礼をした。


 一同を代表して、首席秘書官が言う。


「御婚約、まことにおめでとうございます」


 そのあと、まるで申し合わせたかのように、王子の側近たちは「おめでとうございます」と唱和した。


 室内によく響くその祝辞を聞いて、モナは身が引き締まる思いだった。


 大好きな人と婚約したというのに、会うことすらままならないと、すねていた自分が恥ずかしくなってしまう。


 まだまだ、自分の覚悟は甘いのだ。王子のローレリアンが私的なことにかまけていられないほど忙しいことくらい、ちゃんと分かっていたつもりだったけれど、ここにきて、やっとそれを、実感としてとらえられたなんて。


 緊張で高鳴りだした胸の鼓動を意識しながら、モナは口を開いた。


「未熟者ですが、精一杯、役目を務めさせていただきます。みなさまどうぞ、ご指導をよろしくお願いいたします」


 ローレリアンは優しく笑いながら、モナの肩を自分のそばに抱きよせた。


「そんなに堅苦しく考えることはないよ。わたしには、きみを宮の奥へ閉じ込めておくつもりなど、毛頭ないし」


 でも、王子妃になるためには学ばなければならないことも、心がけなけなければならないことも、山ほどあるだろうにとモナが反論しようとしたら、人差し指でそっと、唇をおさえられた。


「きみはきみらしく、いつものようにしていてくれればいい」


 そういって笑いかけてくる王子の笑顔は恐ろしいほどに魅力的で、モナは夢見心地に誘われた。


 こんな人と結婚したら、自分は早死にするかもしれないとさえ思う。年がら年中心臓をどきどきさせていたりしたら、他人より早く寿命が尽きてしまいそうではないか。


「さて、優秀で忠実なわたしの首席秘書官が作ってくれた時間は、20分だったな?」


 王子にたずねられて、懐中時計のふたを開けたカール・メルケンは澄まして答えた。


「あと15分でございます、殿下」


「なぜ、さっきとは違うんだ」


「殿下の前置きが長ごうございましたので、すでに持ち時間は15分となってしまっております」


「くそっ! 15分でいったい、なにができる?!」


「はあ? お話以外に、なにかをなさるおつもりだったので?」


 男たちがまた、どっと笑う。


 側近たちに笑われて、かすかに頬を赤らめた王子は、モナの手を取って歩きはじめた。「これ以上、カールと口喧嘩をしている暇はない。あとで、覚えていろよ」と言いながら。


 王子が歩いていく先には、中庭へ通じる出口があった。その前には『王子殿下の影』の異名を持つ、護衛隊長アレン・デュカレット卿が控えている。


 王子はアレンにたずねた。


「中庭に出てもいいか?」


 アレンは心得ておりますと語る視線を王子に向け、みずからの手でガラス戸を押し開いた。


 そして、「窓に見えている人影は、すべてわたしの部下ですので、ご安心ください」と。


 開かれた扉のむこうへ出ていくと、そこには小さなバルコニーがあった。バルコニーからさらに数段の階段を下りると、建物に取り囲まれた中庭へ入れるようになっている。


 昼間の明り取りのために造られた中庭は、とても小さな庭だった。地面は石材で舗装してある。四隅に配された花壇は雨で土が流れないように箱状の大きな植木鉢を並べたもので、いまは風情ある秋の草花が植えられている。中央にはささやかな水音をたてる泉水があった。


 窓から漏れてくる明かりを頼りに、ローレリアンに手をひいてもらってドレスの裾をさばき、中庭に降り立ったモナは夜空を見上げた。


 まわりにそびえる建物によって四角く切り取られた秋の空には、美しい星が瞬いている。


 でも、その美しい夜空は、本当に小さな空だった。


 それに、中庭に面した窓の各所には、確かに人影が見える。王子はつい最近、高所から銃撃されて重傷を負った。それ以来、優秀な護衛官であるアレンは、王子がいる部屋を見下ろす窓にも、必ず部下を配しているのだ。


 モナといっしょに上を見ていたローレリアンは、深いため息をついた。


「すまないね」と、彼は言う。


「王宮の中でさえ、わたしの護衛官たちは気を抜くことがない。アレンの働きぶりにはとても感謝しているけれど、ときどき無性に、ひとりになりたくなるよ。きみとも、こんな場所でしか会えないし」


「あなたは、この国の王子なんですもの。しかたがないわ」


「側近たちからは、きみに恋文のひとつも書けと言われたが、それもできなかった。万が一、わたしの署名入りの手紙が誰か悪意のある者の手に渡ったら、どのように使われるか、わからないから」


「そうね。避けられる危険に、あえて近づくのは愚かだわ」


 モナは潤んだ瞳でローレリアンを見あげた。


 わかっていたつもりだったのに、やっぱり自分はちっともわかっていなかったのだ。王子と共に生きる、苦労のことなど。


 かすかな震えが、モナの肩をゆらす。


 まもなく舞踏会が始まろうかという時間の、秋の宵の空気は冷たい。夜会用のドレスの胸元は大きく開いている。冷たい空気はモナの肩から背中へと、伝いおりていく。


 ローレリアンの手が、モナの震える肩に置かれた。


「寒いかい」


「ええ、少しだけね」


 でも、二人きりになりたかったからいいの、と言おうとしたら、モナはローレリアンに抱きよせられた。


 ローレリアンの懐は温かかった。彼は夜会服ではなく、神官の礼装にあたる聖衣を着ていたのだ。聖衣は厚手の毛織物で仕立てられており、深淵な精神世界の闇を思わせる黒色で神官の足首までをおおい、聖職者の威厳を演出する衣装である。その衣装をまとった男に抱きすくめられると、まるでコートを着せてもらったような温もりを得られるのだ。


 モナはあわてて言った。


「リアン。黒い衣装に、わたしの白粉が移ってしまうわ」


「かまうものか」


「かまうわよ。

 これからあなたは舞踏会に出て、近隣の国の王女方と挨拶をかわさなければならないのよ?

 衣装に他の女の化粧がついていたりしたら、失礼じゃない」


「舞踏会になんか、出たくない。このままきみと、ここにいたい」


「わがままな王子様ね」


「本当のわたしは、意気地なしの情けない男なんだ。それは、きみが一番、よく知っているじゃないか」


「ええ。でも、どんな時でも勇気を奮い起こして、結局最後には、なすべきことをなす人だということも、知っているわよ」


 ローレリアンの懐で、モナは微笑んだ。


 逆に、モナを抱きしめているローレリアンの口調には、どうにもならない切なさがにじむ。


「だめだな、わたしは。

 やっと作った二人だけの時間に、きちんと話をしたかったのに。

 まだ、私自身の口から結婚の申し込みをしていないし、将来のことについてだって、なにひとつ話せていない。

 だけど、いまはただ、きみを抱きしめていたいんだ」


「言葉なんか、必要ないわ。それに、将来のことを話しても、わたしたちが思うとおりになるとは限らないし。

 わたしは、あなたといっしょにいられれば、それでいい」


 モナの耳に、ローレリアンの暖かい息がかかった。


「モナ。きみに口づけしたくて、たまらない。このままどこかへ、つれていってしまいたいよ」


 今度は寒さからくるのではない震えが、モナの言葉をゆらす。


「いまは……、だめ。

 噂好きの人たちに、また新しい話題を提供するのも……腹立たしい……でしょ」


「つれないね、わたしの恋人は」


「リアン……!」


 身をよじりたくなる感覚が、耳の後ろから首筋にむかって走った。ここなら化粧も乱れないだろうと、彼が耳の後ろに口づけたから。


 幸せだと、思った。


 この人と、出会えて。


 この人と生きるためなら、なんでもする。


 なんでも、できる。


 ほんのいっときの逢瀬の喜びを糧に、モナは誓った。


 それは生涯をかけて果たさなければならない、とても大きな誓いだった。


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