7日目 野辺送り
まもなく昼間の太陽が最も高い位置へ登ろうかという頃合いのことである。オトリエール伯爵領の鉱山で野外作業中だった聖王子の護衛騎士アレン・デュカレット卿は、遠方に目を凝らして、報告の言葉を主の背中にむけて発した。
口調はあくまでも、貧乏貴族の三男坊にお仕えする不満たらたらの召使のものだが。
「ユーリ様。どうやら鉱山の入り口を封鎖していた第9師団の連中は、嵐をやり過ごすために、一時どこかへ撤退したようですね。焚火の煙が見えません」
雪掻きのスコップを動かす手を止め、ふりむいた主の巡回神殿査察官もアレンと同じ方向を見る。
「まあ、妥当な判断というものでしょう。どうせ、この鉱山から外の世界へ通じている道はひとつしかないのです。切通しのむこうの村にでも避難したのでしょう。
連中がここから見える場所に野営していたのは、示威行動以外の何物でもありませんからね。あの嵐の中で野営を続けたりしたら、兵士が凍え死んでしまう」
「目障りな連中がいないとなると、景色が美しく見えますね。鉱山の裏の禿山も、今にもぶっ倒れそうな鉱夫住宅の街並みも、雪に覆われると、ただただ綺麗なだけですよ」
「クローネくん、不謹慎ですよ。我々は今、病に倒れた人々を埋葬してさしあげようとしているのに」
「うわっ、これはどうも失礼いたしました」
すでに雪をどけおわって地面が露出した場所では、鉱夫達が穴を掘っている。彼らがふるう鶴嘴やスコップの動きは実に見事で、ローレリアンとアレンは雪をどける手伝い程度にしか手を出せなかったのである。
穴掘りの指揮を執っていた現場監督のモリスが、切なそうな顔をして話しかけてきた。
「クローネさん、いいんですよ。確かにこの鉱山が一番美しく見えるのは、雪に覆われている時ですから。雪は醜いものも、隠してくれますからね。
ある意味、今ここで葬られる仲間は幸せです。大勢の仲間に見守られて臨終を迎え、立派な神官様に野辺送りの御祈祷までしていただけるのですから。
鉱夫の死にざまなんて、みじめなものです。坑道で事故にあって死ぬか、歳を取って働けなくなったあげく、のたれ死にするかのどちらかなのです」
巡回神殿査察官ことローレリアン王子は、深いため息をついた。
「オトリエール伯爵は労働に対する対価を、相当低く見積もっていたようですからね。鉱夫の方々は、さぞ辛い生活をなさっていたのだろうと思います。
昨年、国によって設立された産業省では、労働者の最低賃金を法で定めようとする動きが出てきています。人が人としてまともな生活を営むために必要な最低賃金を下回る金しか払わない経営者には、国から指導を入れようというのです。
時間はかかるかもしれませんが、少しずつでも世の中は変わっていくのだと、信じたいです」
「そんな動きが……」
モリスは疲れ切った顔をうつむかせて、肩を落とした。
「その政府の動きを知っていたら、わたしたちは反乱を起こすことを思いとどまっていたのでしょうか? でも、北の果てのこの土地で、中央の動向など知るすべはありません。鉱夫のほとんどは、ろくに文字も読めないし」
「すでに起こってしまったことを、悔やんでも仕方ありません。これからどうしていこうか、そのことを考えていきましょう」
「神官様、今朝のお話のことについてですが」
夜が明けきって午前の炊き出しが終わったころ、ローレリアンは、何人もの仲間の命がつきるところを見守ったせいで憔悴しきったモリスに尋ねたのである。反乱が起きたきっかけや、どのように事態が推移していったかについて、教えてくれないかと。
モリスは口の中で、ぼそぼそとしゃべった。
「神官様が危惧されていたとおり、反乱には扇動者がいました。冬の寒さと不足する食料のせいで、もう死を待つばかりだと思い詰めていた我々は、王都からやってきた彼らが語る、理念とか、情熱とか、尊い犠牲とかいう、美しい言葉に酔うしかなかった。
そうしなければ生きていけないほど、わたしたちは苦しかったのです」
「そうですか。その苦しさがいかばかりの物だったかと想像するだけで、胸が痛みます」
心からの共感がこもったローレリアンのつぶやきは、モリスの感情をゆさぶった。震える手をのばして、彼は王子にすがりついた。
「どうか、神官様!
あなたは司法省のお役人に、つてがあるとおっしゃられた。
お役人に申し上げてください!
悪いのは、わたしだけなんです!
仲間たちは飢えと寒さに苦しんでいたせいで、扇動者の美しい言葉に考える力を奪われただけなんだ!
わたしは薄々そのことに気がついていたけれど、わたしたちを虫けら扱いし続けた伯爵が憎くて、許せなくて、どうせ自分も死ぬのなら伯爵も殺してやろうと思った!
復讐できると確信したら、激情にまかせて走るしかなかったんだ!
でもね、怒りに任せた過激な行動は、結局、仲間を死のふちへ集団行進させる悪夢へつながっただけだったんですよ。
ここに残った仲間は、誰も悪くない。
扇動者も、扇動者に煽られて集団の先頭に立って銃を握った者も、とっくにどこかへ逃げてしまっている。反乱を主導した幹部で、ここに残ったのは、わたしだけです。
役人に罪を問われるのは、わたしだけであるべきなんです」
王子の足元にくずおれたモリスは、雪と泥でぬかるんだ地面を拳でたたいた。
「どうして……、どうして、こんなことになった!?
なんでいま、わたしは仲間の墓穴の前で泣いてるんだ!?
わたしは、何がしたかったんだ!?」
拳で何度も泥をはね上げ、モリスは声にならない声で叫び続けた。
「…………!」
「モリスさん」
「…………! …………!」
「モリスさん」
王子は繰り返し、ただモリスの名を呼んだ。今はどんな慰めの言葉も、モリスの心には届かないだろうと。
力強く名を呼び続けたら、モリスの叫びもおさまった。
王子は身をかがめ、モリスの泥だらけの手を握った。王子の黒衣には、モリスが跳ねあげた泥の染みが点々と広がっていた。その染みはモリスを助け起こそうとするとき、さらに広がった。抱きあう二人は、まるでぬかるみで転んだかのように惨めな姿になった。
だが、王子は目の前の絶望した男を助けようとする手を止めなかった。
ともに泥にまみれてこそ、反乱を起こした人々の心情に、より近づけるはずだと確信していたからだ。
申し訳ないという気持ちも、抑えようがない。
王子としての自分がもっと何か違う行動を起こしていれば、この地で生きる人々は、ここまで苦しまなくても済んだのではないか?
そうした疑念は、いつもローレリアンの心の根底にある。
だからこそ、いつも急き立てられるように目の前の仕事に没頭しているけれど、やらなければならないことは増えこそすれ、減ることはないのだ。
焦燥感で、身が焦げる。
でも今は、その感情を表に出すわけにはいかない。
静かに目を閉じ、ひとつ息を継ぎ、ふたたび目を開く。
泡立つ感情の波を強引におさえこみ、嘆き悲しむ人々を慰める神官の口調で王子は言った。
「さあ、亡くなった方々の野辺送りをしましょう。
あまり先のことは考えず、出来ることをひとつずつ、やっていくのです。
さっきの話は司法省の役人に、出来るだけ詳しく話してください。
わたしの義兄は法の力を信じている廉正な男ですから、真実を探し求める耳で、あなたの話を聞いてくれるでしょう」
王子は他の鉱夫達に命じて、亡くなった仲間の遺体を墓穴に納めさせた。
そのあいだ、王子が唱える祈祷の言葉が、歌のように空へ登っていく。
古語で紡がれる野辺送りの祝詩の節回しには、せつなく胸を打つ響きがある。
仲間の野辺送りを見届けようとして集まっていた人々は、みな空を仰ぎ見た。
雲が去り、陽光が輝きはじめた空には、世界をつつみこむ精霊の気配が確かにあった。
死後の旅へ飛び立った仲間たちの魂は、大気へ溶け精霊と一体になった。
そう信じた人々は、恐れをこめて胸元で聖なる印字を切ったのだった。




