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真冬の闘争  作者: 小夜
第五章 聖王子が宮を離れて
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7日目 夜明け前 その3

 王都プレブナンの雪は、すでにやんでいた。


 夜明け前の空気は痛いほどに凍てつき、街は闇と静けさに包まれている。


 建物と建物の間の道は、どこも狭い。王宮がある丘を取り巻く城壁の内側には、貴族の邸宅や公官庁の建物がひしめきあうようにして建ち並んでいるからだ。城壁内の旧市街は大国の首都の中枢機能を果たすためにはすでに手狭となっており、ここ数年のうちに大きな公官庁のいくつかは、川向こうの新しい街へ移転する予定になっている。


 そもそも城壁内の道に課されたもっとも大切な役割は、王宮を守ることであった。


 つまり、城壁の門から王宮へ通じる道はどれも直線路ではなく、途中で何度か折り返す傾斜路になっているのだ。王国建国当時は、この迷路のような道が外敵から王宮を守る手段となった。ところが、建国から300年以上の年月がたった今では、込み入った道や新市街と旧市街を分断してしまう城壁の存在は、王都の民に不便を強いる原因に成り下がってしまっている。


 アントレーデ伯爵家の嫡男フローリン・ラザレフ卿は、その狭くて込み入った旧市街の中を一人で歩いていた。


 彼は現在23歳の青年貴族である。父のアントレーデ伯爵は王国宰相カルミゲン公爵の一門に連なる権勢家であった。


 そう、『であった』。


 いまや彼ら一族の権勢家ぶりは、過去形で語られるようになりつつある。


 宰相カルミゲン公爵は老いに倒れ、王国を支配する実権は国王の次男ローレリアン王子のもとへ移ろうとしているのだ。


 ラザレフ卿の足元では、足首が埋まる程度まで積もった雪が踏みしだかれて音を立てている。夜明け前の冷え込みのせいで、雪の表面が凍っているのだ。踏みつぶした雪は石畳の上で横に滑り、彼は何度も転びそうになった。


 いまだ寝静まっている街の中で、大きな声をあげたりしては注目を浴びる。


 彼は口の中で何度も、悲鳴とののしり声を噛み殺す羽目になった。


 そもそも権勢家の跡取りであるラザレフ卿にとっては、街の中を自分の足で移動することじたいが初めての経験だった。貴族というものは、短距離の移動でも箱馬車を使う。立派な箱馬車や馬を所有して維持することは、自らの権力や財力を周囲に誇示する意味を持つからだ。


 しかし、今日の彼は、自分の行動を人目にさらせない。


 だから、夜明け前のこんな時間に、一人で街を歩く羽目になった。


 足元に雪があるのはまったくの偶然だが、決死の覚悟で行動を起こそうとしている日の天候がいまひとつであることは、勇気をくじくものだなと思う。


 雪がある道を歩くのがこんなに大変だとは知らなかったせいで、約束の時間にもかなり遅れてしまっている。


 あせって何度もよろめいたあげく、やっとの思いでラザレフ卿は、城門と王宮の半ばあたりに建つ、やや小ぶりな貴族の館の前で立ちどまり、その扉をたたいた。






     **   **   **






 玄関で帽子とコートを預けたあと、ラザレフ卿が召使の案内に従ってたどり着いた部屋には、30人ほどの若い男が集まっていた。どの男も、立派な衣装で身を飾っている。彼らはみな、カルミゲン公爵一門の次代を担う子弟なのだ。


 ラザレフ卿は満足げに、一同を見まわした。


 なんと立派な若人(わこうど)の集まりだろうかと思う。全員が生まれながらにして備わった品性と知性を身の内からにじませている。この若人の集まりこそが、王国の次代を担う精鋭の集まりだと、彼は硬く信じていた。


「ラザレフ卿、外はお寒かったでしょう。さあ、火のそばへどうぞ」と声がかかる。


 ラザレフ卿の父アントレーデ伯爵は、カルミゲン公爵一門の次の首魁になる人物だと目されている。おかげでラザレフ卿も、この青年貴族たちの集まりの中では主宰者扱いを受けており、いつも上座の席を提供されていた。


 暖炉のまわりには、一族の中でも大貴族と呼ばれる身分の子弟ばかりが集まっている。どの顔も子供のころから見知っている顔ばかりである。その気安さも手伝って、ラザレフ卿と青年貴族たちは、口々に自分が思うところを披露しはじめた。


「わたしが最後のようだな。遅れて申し訳ない」


「いえいえ、雪が積もっているのですから、いたしかたございません。お気になさらず」


「これから人目を忍んで徒歩で王宮へ参内しようという我々にとって、足元が悪いのは、難儀ですな」


「しかし、どうしても参内する時間は、早朝でなければならんのだよ。黒の宮の近衛の交代時間は午前9時。8時より前に聖王子殿下の御前へ参じなければ」


「近衛の夜間態勢の隙をついて集団で宮へ入りこむ以外、聖王子殿下に拝謁する機会は得られませんでしょうからな」


「そのとおり。我々が言上つかまつりたい件ありとして何度取り次ぎを依頼しても、返事は(いな)ばかりだからな」


「おおかた、黒の宮の下賤な者どもが、我ら名門貴族の勢力を殿下のもとへ近づけまいとして、暗躍しておるのであろう」


「であろうな」


「聖王子殿下も、こまったお方だ。市井でお育ちであったがゆえに、古来から王家にお仕えする名家出身の廷臣をうとまれ、ご自分の言いなりになる下級貴族や平民ばかりを寵愛なさる。それでは今に、国政が立ち行かなくなり申そう」


「聖王子殿下にとって、カルミゲン公爵のもとで栄達した我らの父世代が覇道を妨げる厄介者に思えるのは致し方がないこと。しかし、我ら子世代まで、粛清の対象とみなされたのでは、我らも立つ瀬がない」


 青年貴族たちは、おたがいの顔を見あわせ、うなずきあった。


 彼らはひとかけらも疑うことなく、信じているのである。


 自分達が黒の宮に奉職する栄誉を賜れない理由は、能力がないからではなく、聖王子に重用されている下級貴族や平民達から妬まれているからだと。


 彼らの眼には、都合の悪い事実は映らない。


 ローレリアン王子の陣営には、王子の才覚を早い時期から見抜いて忠誠を誓った大貴族が何人もいたし、かなり遅れてから陣営に参じたのに、異彩を放つ経営者の感覚を頼りにされて、重臣として厚遇されているラカン公爵のような人物もいる。


 そもそも、人材収集はローレリアン王子の趣味のようなものである。登用を希望する人物から提出される身上書は、身分や血筋にこだわることなく、すべて受理だけはされるのだ。カルミゲン公爵一門に属する人物から提出された身上書でさえも、例外なくである。


 ただ、書類選考を行う人事担当者のところで、ほとんどの身上書がふるい落とされてしまう。大貴族の子弟が提出してくる身上書には、『自分の先祖がいかにして国に貢献したか』とか、『婚姻による姻戚関係がどのように絡んでおり、自分の家系がいかに名門であるか』とか、『地位にふさわしい役職を与えてもらえれば、自分は必ずや国家のために役立つはずである』などといった、どうにも評価のしようがない内容が美文調で書き連ねてあるのだ。


 自分の特技や専門性について触れられていない身上書など、ゴミ屑も同然である。その手の身上書は二次選考に振り分けられることもなく、焼却処分に回される。


 もっとも、過去に一度だけ、おもしろい身上書が提出されましたといって、素晴らしい美文の身上書が王子の執務室へ回されたことがある。その身上書は絢爛豪華な文体で凝りに凝った言葉選びがなされており、なんと23回も文章の中で韻を踏む細工が施してあったのである。その身上書を一読したローレリアン王子は大笑いしたあげく、『あなたには詩人たる才能があるから、政界ではなく文学界での活躍を期待している』と侍従長から本人へ伝えさせたという。


 さて、青年貴族たちのもとへ話をもどす。


 ラザレフ卿は23歳。ローレリアン王子とは同年生まれである。挫折の経験など一度もないまま、大貴族の嫡男としてわが世の春を謳歌してきた彼は、自分だってふさわしい役につけさえすれば、王子と同様に才能を発揮することができるはずだと考えていた。


 だから、不安げに質問してきた友人の言葉に、不遜な嘲笑をあびせられるのである。


「ラザレフ殿。本当に、だいじょうぶだろうか? 朝早く、聖王子殿下の宮に大挙しておしかけたりしても」


「聖王子殿下は勤勉な方だ。朝は5時から朝課のお祈りをなさる。8時を過ぎておれば、すでに執務の頭に切り替わっておいでだろう」


「しかし、今は御病気で公務をお休みになっておいでだ」


「御病気ねえ……」


 一呼吸おいてから、ラザレフ卿はさらに笑う。


「御病気は流感とのことではないか。御休養が発表されてから、今日で7日目だぞ? どんなに重くても、流感ならもう回復されているだろう。

 むしろわたしは、この王子殿下の休養宣言は、周囲の目をごまかすための芝居ではないかと疑っている」


「芝居だって?」


「そうだ。聖王子殿下は先日、誕生日の祝いと称してモレイワの離宮を国王陛下から下賜された。御婚約が整ったので、結婚後のお住まいを賜ったわけだ。王太子をのぞく次男以下の王子は、父権の支配から解放される25歳になる時か、あるいは結婚した時に、王宮から離れて独立し、大公を名乗るしきたりだからな」


「うむ。あの離宮は美しい平城だな。聖王子殿下の御生母エレーナ王妃陛下が幼少期をお過ごしになられた、ゆかりの城でもあるし。隣接しているビヲレ公園は、もとをだどれば離宮の庭園だったそうだな。前王弟殿下が薨去されたのち、離宮の主がいなくなったもので、一般市民に開放されたと聞いている」


「聖王子殿下におかれては、あの離宮に宰相府を開設し、政務のほとんどを、そちらへ移される御心づもりがあるらしい。なにしろ今の王宮は丘の上にあって、旧市街の迷路みたいな道を登らなければたどり着けない不便な場所だ。

 聖王子殿下は『先読みの王子』と称されるほど、時代をよく見ておられる方だ。これからの時代、政治には即応性と効率が要求されるとお考えなのだろう。そのためには、宰相府は山城にあるより、出入りが簡単な平地にあるほうが望ましい。

 で、聖王子殿下のご休養の話にもどるわけだが」


「卿が、芝居と称するご休養だな」


「殿下が王国宰相に任じられて宰相府をお開きになる時期は、今年の建国節だろうと思うのだ。カルミゲン公爵閣下の御病状は、もう回復かなわないと考えたほうがよかろう。

 となると、春までには宰相府内の新人事を固めてしまわなければならない。

 聖王子殿下は、聖者としての優しげな顔だけを持つ方ではない。ご自分の理想を実現するためならば、烈気をあらわにされることもあると聞く。王都大火のおりに、貴族へ義捐金供出をお命じになられた時など、秘密裏に準備されていた負担金分担リストが有無を言わさぬ勢いで公開されて、貴族はみな震えあがった。殿下はいったいいつから、ここまで詳しく王国の主だった貴族の財政状況を調べ上げていたのかとな。

 聖王子殿下は、ここぞというところでは、秘密主義を貫かれるのだ。

 今回も、実は寝所の中で、宰相府の新人事に関する話し合いが進められているのではないだろうかと、わたしは思うわけなのだ」


 ラザレフ卿の憶測に耳を傾けていた青年貴族たちは、一斉にどよめいた。


 この話は、あくまでもラザレフ卿個人の勝手な憶測にすぎないというのに、自分で物事を真剣に考えようとしない青年貴族たちの耳には、詳細な分析を加えた未来予想論に聞こえたのである。


 胸をそらし、自信たっぷりにラザレフ卿は言い放った。


「我らの父世代は古い価値観から抜け出せない愚か者ばかりだ。今だとて、オトリエール伯爵領で起こった平民の反乱を討伐せよ、平民が貴族を弑するとは社会秩序の破壊だなどと、つまらぬことにこだわり、狂乱しておる。

 平民の反乱など些末な出来事にすぎない。国王陛下は事態の収拾を司法にゆだねるとおおせだが、それは正しい判断だと思わないか。公正な裁判が行われれば、平民は満足するだろう。

 そう考えておいでだから、聖王子殿下も今回は休養を決め込んでおられるのだろうさ。もっと重要な案件のほうへ、力を注がれるためにな」


 この若い貴族には、自分の身の回りで起こっている出来事に対して考察を加える程度の知恵は備わっていたのである。しかし、大局を俯瞰して見る思考力は決定的に不足している。


 反乱はなぜ起きたのか。他の事象との因果関係はあるのか。これからの時代の推移に、この反乱はどのような影響を及ぼすのか。そういった視点でオトリエール伯爵領の反乱に対する分析を試みる力があれば、ローレリアン王子が秘密裏に宮から離れて、直々に事態収拾へあたろうとしている事実も見抜けていたに違いない。


 もっとも、そうした大局観など持ち合わせていないから、彼は夜明け前のこんな場所へ自分の取り巻きを集めて、得意絶頂で演説をぶっているわけなのだが。


「よいか、方々よ。

 これから我らは黒の宮へ参じ、聖王子殿下に言上する。

 我らは父世代のように、己の保身にのみこだわる短絡的な思考など持ち合わせぬ。

 我らが目指すは、清廉にして大いなる世界だ。

 聖王子殿下がお開きになる宰相府へ奉職する気概があることを証明する。

 我ら名門貴族の力を、国の未来のために役立てていただくのだ。

 黒の宮へはびこる下級貴族や平民の専横など、我らが必ず排してみせるぞ!」


 ラザレフ卿が固く握りしめた拳を振り上げると同時に、鬨の声があがった。


 大貴族の跡取りである自分達が、聖王子から拒まれるはずはない。聖王子も必ず、新体制の閣僚名簿に名士の名前を並べたがるはずだ。その名士の名は、聖王子と敵対していた父世代の名である必要はない。次世代をになうのは、自分達なのだから。


 青年貴族たちの鬨の声からは、そうした身勝手で根拠のない自信から発する傲慢さがこぼれ散っていた。貴族の爵位は世襲制で、彼らは父親が死ななければ爵位も財産も手に入れられないのだ。ある意味、カルミゲン公爵の引退に巻き込まれる形でこれから次々に起こるであろう父親たちの失脚は、青年たちにとって、父親となり替わり地位や名誉を手に入れる絶好の機会だったのだである。


 寒々しい親子関係だと、平凡な市民は彼らを憐れむに違いない。しかし、青年貴族たち自身は、親を追い落とすことに罪悪感など感じていない。彼らは必要なら身内までも謀殺するような、貴族社会の慣習に首までどっぷりと浸かって育った人間なのだった。

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