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真冬の闘争  作者: 小夜
第五章 聖王子が宮を離れて
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6日目 雪おろし

 時はまもなく真夜中だ。


 広い鉱山の入坑待機所内も、夜の闇の中。


 ローレリアン王子が流感にかかった者達の病状を見てやり、元気な者達に手伝わせながら慌ただしく飲食の世話を済ませたころには、日がとっぷりと暮れてしまっていたのである。


 闇のところどころには、深刻な状態の病人の様子をうかがい知れるように、小さな明かりが灯してある。暗がりに点々と明りが浮かび上がる様は、まるで大きな聖堂の伽藍の中に灯される聖火を見ているような光景だった。人の命数には限りがあることを人々に教えようとして、聖職者は絶えることなく、伽藍に蝋燭の火を灯し続ける。しかし、ここに灯された火は、本当に命の所在を示す明かりだった。その明りのそばには死の瀬戸際にいる人が横たわっているのだから。


 いきなり、(まばゆ)い光があたりに(ひらめ)き、そこかしこに濃い影が映った。


 影が消えると同時に、大地と大気が振動する。


 轟音が耳に突き刺さる。


 高い位置にある明り取りの窓に取り付けられたガラスが、轟音に共鳴してビリビリ震えた。


「眠れないのか」


 耳元で、ささやき声が話しかけてくる。


 壁際にうずくまって休んでいたローレリアンは、もたれていた壁から背を離して、自分の膝の上に頭をのせた。


「こう雷がうるさくてはな」


 そう答えたら、ささやき声の主が隣りに座ってきた。力強い手が、強引にローレリアンを抱きよせる。肩に羽織っていた外套が引っ張られ、頭を包まれてしまった。視界を(さえぎ)れば、少しは神経が休まるのではないかと、相方は思っているのだろう。


 布越しに触れている相方の身体は硬い。なにしろ彼の身体は、鍛え抜かれた軍人のそれだ。柔らかさのもとになる贅肉など、欠片もついていない。


 いまは、その硬さを心強いなと思ってしまう。


 大勢の人の中で指導者として立ち続けているのは、結構骨が折れるのだ。誰にも弱音など、吐けないのだから。


 暗がりで息をひそめていたら、また雷光が閃いた。続いて、雷鳴。


 どこかに落雷したのだろう。空気が激しく振動する。


「たまらんな」と、相方が言った。


「こういう雷のことを、俺の故郷じゃ『雪おろし』って言うんだ。湿り気をたっぷり含んだ雲が山にぶつかる時、気流が乱れて雷になる。雪を吹き出す冬の嵐だよ。

 雷は空気の摩擦が引き起こす帯電現象だって、いまなら知ってるけどさ。ガキの頃は、雪おろしが鳴る夜が怖かった。雪がどかどか降って、古い家の柱がきしむんだ。そのきしみが家の悲鳴みたいに聞こえて、半べそで兄貴の寝床にもぐりこんだりしてた」


 思いだし笑いで、相方(アレン)の身体が揺れている。


「すぐ上の兄貴と俺は、歳がひとつしか離れてないんだ。普段は何でも競争する喧嘩相手なのさ。でも、ガキの一年の歳の差は超えられない壁なんだ。なにをやっても負けるもんだから、俺は兄貴が大嫌いだった。それなのに、雪おろしが鳴ると、すぐ上の兄貴のところへ行く。親のところへ逃げ込むのは自分のプライドが許さないし、歳が離れた長兄のところへ行けば、男のくせに意気地がないと叱られる。次兄はしょうがないなぁと言いながら、布団へ入れてくれたからな」


「結局、仲がよかったんじゃないか」


「ちがう。兄貴も布団の中で、ぶるぶる震えてたんだよ」


 思わずローレリアンも笑ってしまう。病人だらけのこの場所で、不謹慎だと思いながら。


「兄上はお元気か」


「ああ。長兄は嫁さんも子供もいて、父親の農場の共同経営者。親父も、もういい年なんでな。次兄はネイジェの郡役所で3等書記官をしてる。田舎豪族の次男としちゃ、順当な出世ぶりだ」


「軍人になったのは、お前だけなのか」


「それが時代ってもんだろ? 我が家は武人の家系だって親父は偉そうに言ってたけれど、戦への招集なんて、親父の代になってからは一度もなかったし。いまや親父は、自分の農場を経営しながらヴィダリア侯爵領の小作の管理もしてる、村の木っ端役人さ。

 思えば、よくもまあその程度の縁で、侯爵閣下も小僧の俺の面倒を見てくださったもんだ。義理堅い方だよ。

 普通は、田舎豪族の家に生まれた男の一生なんて、生まれた家から半径20メレモーブの世界だけで完結しちまう。実際、俺の二人の兄貴は、そういう人生を選択してるし。

 だから俺は、今でも時々、不思議な縁を感じてる。

 生まれも育ちもぜんぜん違う俺とお前が、この世で一番の親友ってのは、どういう巡り合わせなんだろうなぁって」


「そうだな」


 外套で顔が隠れていてよかったと、ローレリアンは思った。


 アレンは確かにローレリアンが誰よりも信頼している友人だ。その友人に、一番の親友だと宣言されるのは、面映ゆくてたまらなかった。


 また雷光が閃いた。強い閃光は布の隙間にも入りこみ、ローレリアンの目にはちらつく残像が焼き付いた。


 雷鳴と地響きが、後に続く。


「風も強くなってきたな。山が(うな)ってやがる」


 そう言うとアレンは、さらに強引なやり方でローレリアンの頭を自分の膝の上に引き倒してしまった。


「何かあったら起こしてやるから、とにかく寝ちまえ。夜も寝ないで働くなんてことをやってたら、流感がうつるぞ。お前までぶっ倒れたら、みんながこまるだろう」


 よしよしとばかりに、背中をなでられてしまう。


 もしここにいるのがアレン以外の側近だったら、ローレリアンに対して『一国の王子としての立場を優先しろ』と忠告してきたはずだ。流感なんて元気な大人が感染しても大事には至らないと反論しようものなら、『あなたは国を背負う王子なのだから、少しでもリスクがあることは回避すべきだ』と説教を食らう。


 けれどもアレンは、そんなことは言わない。それどころか、お前が正しいと思うことをやればいいと、黙って背中を押してくれる。


 アレン自身も言っていた。自分は国家に忠誠を誓う軍人としては出来が悪い部類だ。『国家への忠誠』と『王子個人への忠誠』を選ばなければならない場面に立たされてしまうと、いつだってお前のほうを選んじまうからな、と。


 こんなことをやったらリアンが悲しむなと思うと、卑怯な手段や残酷なやり口を使ってまでして、国家の大義を押し通せなくなる。実際、それで何度もしくじっているけれど、ちっとも後悔していないのだから始末が悪い、と。


 信じてもらえるのは、本当に嬉しい。


 自分は間違いなく、アレンから勇気の(みなもと)を受け取っていると思う。


 レンガの厚い壁に守られていても、夜の嵐の激しさはローレリアンのもとまで伝わってきた。雪をはらんで谷に打ち寄せる風は、荒れ狂う大自然の叫びだ。どんなに抵抗しても、か弱い人間が太刀打ちできるはずがない。こんな時、人間は怯えて、互いに身を寄せあうことしかできないのだ。


 だからといって、気弱になっては駄目だ。少なくとも今は、ぬくもりを得られている。我々は巨大な鉱山を動かす動力源の石炭を、命の糧として火に投じられるのだから。


 ストーブの上に置かれた金盥の中では、湧きかえる湯がしゅんしゅんと音を立てている。肺炎を起こした患者に乾いた空気は悪いという師匠の教えを忠実に守って実行していることだが、湿った暖かい空気は、すべての人の不安まで和らげる効果があるようだ。


 雷の音や振動で脅され続けても、入坑待機所で身を寄せあう人々は静かに朝を待っている。雪国の人間には辛抱強さがある。彼らは待っていれば、必ず嵐が静まることを知っているのだ。無駄なあがきをしてしまいたくなる自分より、彼らのほうがよほど賢いではないか。


 うとうとと、眠気がおしよせてきた。


 アレンが視界を遮ってくれたせいで、興奮が治まってきたからだろう。


 繰り返し響く雷鳴も、自分の意識からは遠のいていく。


 眠りに落ちる寸前で、ふと思った。


 メイデンまでの伝令を命じたガイ・ボージェは無事だろうか。出発前、天候が悪くなってこれ以上進めないと判断したら自分の身の安全を優先するようにと、言い含めてはおいたが。


 この頃、ちまたでは『聖王子』の名が独り歩きを始めており、ローレリアン王子の命を守るためならば自分の命など惜しくないと公言する輩が増えてこまっている。


 惜しまれない命など、あるはずがないのに。


 頼むから無理はしてくれるなよと思ったところで、ローレリアンの意識は途切れた。


「やれやれ、やっと寝てくれたか」


 闇と風の音の中に、アレンのつぶやき声が吸い込まれていった。

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