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真冬の闘争  作者: 小夜
第二章 女の戦い
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女の戦い … 1

 第18代ローザニア国王バリオス3世の生誕50年と結婚に関連した祝典行事は3日にわたって行われた。王国の首都プレブナンは数か月前に下町の3分の2を消失する大火災に見舞われたばかりなので、国民感情を考えた国王は祝典行事を大幅に削ろうとしたのだが、行事にかかわるすべての部署が集まって協議した結果、規模縮小は3日が限度であろうと決まったのだ。


 国王バリオス3世自身は、おのれの二度目の結婚を、きわめて個人的な出来事だと考えていた。なにしろ結婚相手は20年以上のつきあいである、古女房とでもいうべき寵妃のエレーナ姫だ。彼女はバリオス3世の従妹だから、生まれた時からたがいのことを知っている親戚どうしでもある。おまけに、国王と寵妃のあいだに生まれたローレリアン王子はすでに成人しており、いまでは父国王の片腕として立派に政務をこなしている。国王にしてみれば、この結婚は、長年気にかかっていたやり残しの仕事に、やっとけりをつけた程度の感覚しか持てないものだった。


 しかし、国王の結婚は、あくまでも国家の一大行事。本人の感覚とは、まったく関係ないところで、祝典行事の企画と運営は進むものなのである。とくに記念行事の名を借りて国内産業の興隆と宣伝を企画していた者たちや、経済効果の見積もりをしていた財務省の官僚などは、行事縮小に大反対だった。


 かくして祝典行事は各所が妥協を見た規模で粛々とおこなわれ、本日日程の3日目をむかえていた。


 その日、ヴィダリア侯爵家の屋敷は朝から騒々しかった。祝典行事の締めくくりには、国中の貴族が王都に集結する建国節の舞踏会と同規模の、盛大な夜会がおこなわれることになっていたからだ。


 侯爵家の女たちは、末の姫モナシェイラを最高の淑女に仕立てあげて舞踏会へ送り出そうと決意していた。なにしろ、モナシェイラは正式な発表こそまだだが、ローザニア王国でいま最も注目されている独身男性である国王の次男ローレリアン王子のもとへ輿入れすることが決まったお姫様なのだ。彼女の支度には、王国建国当時から王家に仕え、名臣と讃えられる人物を何人も輩出してきた、名門ヴィダリア侯爵家の威信がかかっている。


 だが、女たちの熱意は、むなしい空回りで終わってしまいそうな気配だった。


 朝から、やれ湯あみだ、髪の手入れだと、女たちから追いまわされ続けたモナシェイラは、やっと支度が整ったころには、すっかりくたびれて不機嫌丸出しの顔になってしまっていたのである。


 この3日間、義妹の世話にもてる情熱のすべてを注ぎ込んできたヴィダリア侯爵の長男ファシエル・パルデール卿夫人のアンナは、義妹の後ろから鏡をのぞきこんで、盛大なため息をついた。


 モナのふてくされた顔は、彼女の瞳の色にあわせてあつらえた柔らかい仕上がりの薄紫色のドレスや、群れて咲く南国の花をモチーフにして金細工と宝石を組み合わせた母の形見の髪飾りの華やかさを、台無しにしている。


 アンナは猫なで声で義妹にいった。


「ねえ、モナ。ほんのちょっとでいいですから、ほほえんでごらんなさいな」


 答えるモナは、ぎこちなく笑う。


「こうかしら?」


 鏡をにらんで唇の端をひきつらせたモナを見て、アンナだけでなく侍女たちまでが、「ああ!」と、天井を仰いだ。モナはなまじ剣の腕が立ったりするから、怖い顔をしていると、やたらと眼光が鋭いのだ。意気地がない貴族のドラ息子などは、機嫌が悪い彼女ににらまれたら、その場から一目散で逃げだしてしまうにちがいない。


 アンナはモナの両肩を強くにぎり、鏡の中にむかって訴えた。


「いいこと、モナ? 高貴な身分の女性にもっとも必要とされるのは、場の空気を作りあげる力なの。

 よいお手本が、エレーナ王妃陛下ですよ。

 王妃陛下がお出ましになると、その場の空気がふわりと柔らかくなって、それでいて凛とした気配があたりに満ちるでしょう。王妃陛下のお姿を拝見した者たちは、みな王妃陛下がおもちになっている優しげだけれど芯が強そうな、独特の雰囲気に魅了されるわ。

 あなたも、王妃陛下のようにならなければ。

 王国の未来を担うローレリアン王子殿下のお妃になる方には、大勢の廷臣や国民を笑顔ひとつで幸せにできる魅力が必要なのよ」


「そんなの無理よ」


 ふたたびモナは不機嫌な顔になり、そっぽをむいた。


 笑顔ひとつで他人を幸せにするなんて、いったいどういう幻想だと、モナは思うのだ。


 だいたい人間なんてものは、自分が幸せだと思っていなければ笑うことができない。


 王子との婚約が決まったときは、モナもかなり嬉しかったけれど、そのあとは最悪の気分の日々が続いている。


 なにしろモナは、ローレリアン王子と一夜をともに過ごした日から、まだ一度も王子とまともに会ってすらいないのだ。


 王子が忙しい人であることは、モナも良く理解しているつもりだ。


 でも、結婚の申し込みは国王の使者から形式ばった文書でされただけだし、内々でとはいえ婚約までしたのに、婚約者の王子のことは公式行事の席で遠目に見るだけという現状には、心底がっかりしてしまう。


 モナは心の中でつぶやいた。


 ―― まえからリアンは堅物だと思っていたけれど、わたしの人物評価は、まちがっていなかったみたい。

 あの人は、女心をまったく理解しないのよ。

 わたしがリアンをだまし討ちにした形で、彼を逃げられない状況に追い込んだから、本当は怒っているのかしら?

 共寝した朝、途中でやめはしたけれど、リアンは情熱的に女としてのわたしを求めてくれたと思ったのは、錯覚だったの? ――


 目の前の鏡を見れば、そこには憂鬱そうな顔をした自分がうつっていた。


 夜会服の胸元は、どれも大きく開いているものだ。モナの乳房のふくらみも、秋の夕方の冷たい空気にさらされている。


 若い乳房の白さは、まばゆいばかりだった。夜会服を着るまえに、侍女たちはモナの胸元にまで薄く白粉を刷いたのだ。


 張りのある白くて美しい乳房を見て、モナはますます悲しくなった。


 あの日、恋人がモナの胸に散らした赤い花びらのような情熱の跡は、一週間もしないうちに消えてしまった。それとともに、思い出までも消えてしまったような気がする。


 覚えているのは、恋人に抱きしめられて無上の喜びを感じながら眠りへ落ちた数時間後に、一人で目覚めた時の虚しさだけだ。


 自分のとなりに残っていたのは、恋人の気配だけだった。


 恋人が何か伝言を残していないかと山荘の管理人の老夫婦にたずねてみれば、「彼女は疲れているから、目覚めるまではそっとしておくように」とだけ命じられていると。


 ―― まったく、あの朴念仁の王子様ときたら、紙切れの一枚どころか伝言すら残さないなんて! わたしは単純なお馬鹿さんだから、「次に会える日を楽しみにしている」程度の言葉をもらえれば、それだけで一か月は満足して元気にすごせるのに。


 馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿! リアンのバカ~~~~! ――


 モナの心の中の声が興奮しきったものになった瞬間、義姉アンナの声の調子も最高潮に達した。


「モナッ! ちゃんと、わたくしの話を聞いていらっしゃるのっ?!」


 まったくアンナの説教など耳に入っていなかったモナは、思わず身を縮めた。


 アンナはあきれた様子で、すわっているモナを見下ろしている。


「いいこと、モナ?

 祝典行事1日目の謁見式や晩さん会は、お父さまのおとなりでおとなしくしていれば、なんとかやりすごせたわ。

 2日目の王室主催の狩猟会も、体調を考慮してと申し上げたら、ご招待を辞退できました」


 モナは顔をしかめた。


 王室主催の狩猟会にモナが参加しないわけを聞いて、多くの貴族たちは、「そりゃあ王子殿下の御子を宿した可能性がある体で馬には乗れないだろうさ」と、下世話なことを考えたにちがいないのだ。


 まあ、実際の理由は、もっと情けないものなのだが。


 お転婆ではねっ返りのお姫様であるモナには、まだ宮廷作法が身についていない。宮廷作法などというものは一朝一夕で身につくものではないから、モナは必死に学びつつ、目の前の行事を無難にこなしていくしかないのである。


 モナに説教しているアンナの表情は、真剣そのものになった。


「モナ、祝典行事3日目の舞踏会が、あなたにとっては真の戦いの場になりますわよ。

 今夜、あなたは初めてローレリアン王子殿下から伴侶に選ばれた女性として、女たちと対峙することになるの。

 女たちはみな老いも若きも、ローレリアン様にあこがれています。ローレリアン様が妃に望まれた女性が、どんな女性なのか確かめてあげましょうと、全員が手ぐすねを引いて、あなたのおいでを待ち受けていらっしゃるのよ。

 あなたは、この国の王族の一員になるにふさわしい女性かどうか、試されるの。

 この試練を乗り越えないと、あなたは王子殿下のお妃様にはなれません」


 モナは何も答えられなかった。


 いままでさんざん、義姉には説教をされてきたけれど。


 今日ほど身に染みる説教は初めてだわと、モナは思った。


 ローレリアンのそばにいて彼を助ける存在でありたいと望むことは、この女の戦いに勝って、初めて手にすることができる望みだ。


 アンナの真剣な表情を見ていると、その実感が、あらためてモナの胸に迫ってくるのだった。

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