5日目 鉱山の神殿
オトリエール伯爵領の銅鉱山は、領地経営にあまり熱心ではなかった領主のせいで設備も古く、うらぶれた雰囲気が漂う悲しい場所だった。
特に鉱夫達の住宅が並ぶ一帯は、悲惨のひとことにつきる。
鉱夫住宅はすべて木造の長屋だったのだ。しかも、すべてが今にも倒壊しそうな古さで、傾斜地から滑り落ちてしまいそうな様子で建っている。大きな寒波が襲ってきたときには、とてもまともに風雪から住人を守れるようには見えなかった。
建て込んだ住宅の間を通り抜けている最中、ローレリアンは息をひそめて自分たちのほうをうかがっている人間の気配を感じていた。それなのに長屋の周辺からは、人の話し声や煮炊きの煙といった、生活の気配は感じられない。
降りしきる雪の量はさらに増している。
重い雪は音を立てて降るものなのだなと思う。
さっきから冷たく冷え切ったローレリアンの耳には、ぽそり、ぱさりと、自分の衣服に落ちてかかってくる雪の音が、絶えることなく聞こえている。
長屋の列が途切れたところに、周辺の建物に比べればいくらかましな木造の建物があった。この鉱山の住人達が心のよりどころにしている神殿だ。サイアム神官長は掘立小屋だと言っていたが、古いなりにきちんと手入れがなされている。闇が支配する地底の坑道で働く男たちは信心深いのだ。きっと、大地の女神ガイヤに捧げる精一杯の敬意が、風雪からこの神殿を守る力となっているのだろう。
サイアム神官長と下男は、馬橇を神殿の裏庭へとまわす。そこには厩と兼用の納屋があった。
ローレリアンは神殿の前で馬から降りた。
アレンが召使らしい控えめな態度で、馬の手綱を引き取る。
建物が雪に埋まるのを想定しているのか、神殿は古い石組みの上に建てられている。入り口付近には訪問者が自分の身体についた雪を払うための屋根付きバルコニーが設けられており、そこにあがるためには木製の階段を数段登らなければならなかった。
階段の半ばで、ローレリアンはゆったりと自分の身体を段上に伏す姿勢を取った。実際は折った自分の右足の上に横座る姿勢だが、訓練された聖職者の所作からは神々しいまでの威厳がにじみ出た。
胸元で聖なる印字が切られ、祝福の聖句が唱えられる。初めて訪れた神殿に対して神官が敬意を表す簡単な儀式である。
こいつは本当に、何をやっても絵になる男だ。
階段の下から、その様子を見あげていたアレンは、心の中で苦笑した。
ローレリアンがこの古い神殿に示す敬意は本物なのだろう。この神殿は長年にわたって、鉱山で働く人間たちの心の拠り所となってきた存在なのだから。しかし、ローザニアの聖王子ローレリアンは、慈悲深い聖職者としての顔だけを持つ男ではない。いまだって儀礼の姿勢を解いて階段から降りてくる彼の瞳には、なにかをアレンに伝えようとする緊迫感がある。
黙って王子は握った右手を差し出した。
アレンはうやうやしく、その手の下に自分の手をそえる。
皮の手袋の上で、ちりりと、金属の音がした。
受け取った金属片は、古びた銅貨が5枚。今現在一般ではほぼ流通しなくなっている、聖王歴100年代に鋳造された古銭である。
ありがたいと、唇の端でアレンは笑う。
神殿の入り口の階段の隅に並べられていた銅貨は、一枚一枚が単独行動で王子の後を追ってきた間諜の存在の証しなのである。
『我らが王子は何者にも代えられぬ大切な御方、我が国の至宝』
聖王子に仕える男たちは、誰もがそう思っている。おのおの単騎でオトリエール伯爵領まで駆けてきた間諜は、一刻も早く王子の身辺を守る任務につこうと、全力をつくしたに違いなかった。
** **
真冬の日はやはり短く、ローレリアン一行が馬を厩に休ませたあと神殿のストーブに火を入れて、おのおのの手に暖かいお茶の入ったカップを持って落ち着いた頃には、とっぷりと日が暮れてしまっていた。
雪が降っている最中の暗がりで、土地勘がない者が動き回るのは危険だ。鉱山に近づいていく際に誰からも干渉を受けなかったのは、我々が神官であると見張りが気づいたからだろう。ここで待っていれば、きっと鉱山に逃げ込んだ連中の責任者が訪ねてくるはずだと、サイアム神官長は言うのだ。
王子の護衛隊長アレンが扮する召使のクローネ青年は、ご機嫌でストーブの上にかけた鍋をかきまわしている。
「よかったですねえ、ユーリ坊ちゃま。今夜はまともな食事にありつけそうです。もうしばらく、お待ちくださいね。いま、塩漬け豚肉の脂が、いい具合に溶けてきていますから」
鍋からはローズマリーとシャデラ酒が醸す、食欲をそそる匂いがしている。ローレリアンは感心することしきりだ。彼の護衛隊長は料理もこなすのである。田舎育ちは伊達ではないらしい。干し肉や堅パンといった保存食料を、それなりに美味しく食べる技術に彼は精通していた。きっと彼の郷里では、冬中蓄えた食料を大切に調理し、炉辺に集まった家族で鍋を囲んで団らんの時をすごすのだろう。
塩漬け豚肉とジャガイモの煮込みは、匂いから予想した通り素晴らしい出来だった。煮込みに添えられてきた堅パンで煮汁まですくい取り、彼らが余すことなく料理を堪能し終えたころ、神殿の扉を叩く者があった。
扉の外からは、自分の外套についた雪を払う音が、複数聞こえてくる。
アレンはさりげなく、堅パンを切り分けていたナイフを握った。
ふいに、目の前にぱらぱらと埃が降ってくる。
なるほど、どうやら屋根裏に、間諜が一人ひそんでいるようだ。寒くてかなわないから、ストーブの煙突のそばに寝そべりでもして、暖を取っていたのだろう。
王子を守る人手が自分だけではないのは、心底ありがたい。
何も知らないサイアム神官長の下男が、神殿の扉を開ける。
寒風と雪が室内に吹き込んだ。扉の外の暗がりには、カンテラの明かりが三つ見える。
「サイアム神官長様!」
「おお、モリス殿。雪がまた一段とひどくなってきたようですな。ささ、中に入って火の側へおいでなされ」
招きに応じて室内へ入ってきたのは初老の痩せた男で、敬虔な態度でサイアム神官長が差し出す右手に額を擦りつけた。身なりは極めて貧相で、雪がついた外套には大きな継ぎがいくつもあたっている。
その男の後に続いた二人の男も、外見は大差ない様子だった。ただ、年齢は30歳前後で、肩や腕には鉱夫にふさわしい筋肉がついている。
それぞれの手には、縦に細長いカンテラが握られている。火覆いを外して火を消す動作もなれたもの。彼らが持っていたのは、坑道で使われる安全灯だったのだ。坑道で舞い上がる粉じんに引火しないよう、吸排気口の位置に工夫をこらした特殊なランプである。
モリスと呼ばれた初老の男は、安全灯を床に置き、サイアム神官長の前に崩れるようにして跪いた。
「またお目にかかれるとは、思っておりませんでした。
領主の裁判の後、神官長様はわたしたちが鉱山にこもることに反対でいらした。
ブランの街を出てくるとき、城門からお見送りいただいたのが最後のお別れかと」
神官長の両手が、モリスの肩に優しく置かれる。
「ええ、わたしもあれが最後と思っておりましたよ。
あなた方が鉱山に立てこもるつもりだと聞いたとき、争いごとに無関係の女子供を巻き込むなと、強く反対してしまいましたから。
ここに来るつもりも、最初はなかったのです。
だが、ブランの神殿においでになった巡回神殿査察官殿に説得されましてな」
巡回神殿査察官とは誰だと、鉱夫達の視線がローレリアンに注がれる。
ローレリアンは落ち着いた態度を崩さずに微笑した。
いまの自分は巡回神殿査察官ユーリ・サントマリだ。大丈夫。王家の金の髪は、短く切りそろえて砂色の鬘の下。色素が薄い水色の瞳を相手に印象づけないように、ラッティはこの色の鬘を準備してくれたようだ。度の入っていない眼鏡は鼻の上でずり落ちるように、わざと蔓をゆるめてある。おっとりとした外見を守り通せばいい。
サイアム神官長がモリスを立たせながら言う。
「サントマリ査察官殿を紹介しよう。
この方は大神官猊下の命を受けて、伯爵領の困窮の実態を調べにおいでなった方だ。
神々は、わたくしたちをお見捨てではなかったのだよ。
大神官猊下は、わたくしたちに救いの手をさしのべようとされている」
「大神官猊下が……?」
男達の間に、しばしの沈黙が広がった。
筋骨たくましい鉱夫連中が、もしローレリアンに危害を加えそうになったら即刻取り押さえてやると身構えていたアレンは、手にしていたナイフを取り落としそうになった。
やっべー、と思う。
この沈黙。
連中は間違いなく、ローレリアンの頼りなさそうな外見を見て、「大丈夫なのか? こいつ」と思っているのだ。
その空気を読んで、あせったのはサイアム神官長だった。
「いやいや、サントマリ査察官殿は優秀な方でな。
神官位も六位でいらっしゃるから、実はわたしより偉いお方ということに――」
神官長の言葉を最後まで聞かずに、一番若そうな鉱夫が鼻でせせら笑う。
「へっ、その若さで六位の神官様だって?
そりゃあ、あんたがお貴族様の坊ちゃまか、成金の息子だからに決まってんだろう。
そんなお育ちの若様に、俺達がどういう状況に追い込まれているのかなんて、理解できるとは思わねえな!」
ローレリアンは反論する。あくまでも、穏やかに。
「確かに、わたしは貴族の三男坊ですがね。親はいわゆる貧乏貴族ですよ。建国節が巡ってきても体裁を整えて王都に登る費用が工面できないせいで、わたしの父は万年仮病で国家行事には欠席です。まあ、実際はその季節、領地の村人といっしょにジャガイモの作付に精を出しておりますが。
父のことはもちろん、尊敬しておりますよ。領民が飢えないように作付する作物の品種を選んだり、新しい営農法の文献を借金してでも取り寄せて勉強したりする人ですから。
そういう父のもとに生まれたので、わたしは教育だけは惜しみなく受けさせてもらえたのです。
神官位というものは、六位までは試験さえ受かれば誰でも授かれるものでしてね。
ところが、神官位にふさわしい役職を頂戴できるかどうかというのは、それとはまったく別の問題でして」
――はいはい、今度はそういう設定に方向修正なんですね。
アレンは滔々としゃべるローレリアンの嘘に舌を巻いた。いつのまにか鉱夫達は、ローレリアンの言葉に聞き入っているのだ。金と権力に無縁なせいで出世できないなんて、領主の横暴で苦労してきた鉱夫たちの耳には、同情とともに染み入る良い話だろう。
にっこり笑って、ローレリアンは続ける。
「でもね、いまの時代に生まれたおかげで、わたしはわたしなりに、やりがいのある仕事に巡り合えましたよ。
大神官猊下が若手を積極的に巡回神殿査察官に登用なさる御意志の裏には、やはり聖王子殿下のご意向がかくれているのではないだろうかと思うのです。わたしたち査察官には『旅先での体験を公平な視点をもって客観的に報告するように』という、命令が下っておりますので。
おそらく、これはという報告書は、大神官猊下のお手元を経由して王宮へ届けられているのだろうと思います」
「おおっ!」と、男達は湧きかえる。
「ローザニアの聖王子殿下が」
「千里先を見通す力をお持ちの王子殿下」
「かのお方は王都大火のおり、焼け出された貧民とともに野に立ち、生きる希望を捨ててはならないとお導き下さったと聞く」
「ローザニアの民の最後の希望!」
自分を称賛する声を聞いても、ローレリアンの心に感動が湧くことはなかった。むしろ、切なくて胸苦しい。王国の隅にひっそりと暮らす人々にとって、希望と呼べるものは、たったそれだけなのだろうかと。希望とは本来、自分自身の未来に対して抱くものではないのだろうかと。
気を取り直して、ローレリアンは鉱夫達へ向きなおった。
「ブランの街で、オトリエール伯爵夫妻の裁判記録は読ませていただきました。あの裁判記録は公示の他に、どこかへ送られましたか」
モリスが答える。
「はい。王都の複数の新聞社に郵便で送ってあります。一社くらいは、紙面に取りあげてくれるのではないかと」
ローレリアンは首をふった。
「おそらく、あれが王都の新聞に掲載されることはないでしょう。国家権力を甘く見てはいけません。反乱に関する情報には、すべて検閲がかかるはずです」
「他にも手段は講じてあります。
仲間が直接王都へむかっているのです。
むこうに着いたら、宣伝ビラを印刷して、ばらまく手筈に」
「あなた方の正当性を訴えたいお気持ちは分かりますが、宣伝ビラの配布など行えば、王都の権力者、つまり、貴族達を刺激してしまいますよ」
「それこそ、望むところです!
領主の横暴に対抗して正義をまっとうしようと決意した時、我々はこの国の貧しい人々のため、自ら捨て石になると決めたのです!」
「捨て石、とは?」
「王都の貴族達を怒らせれば、我々は報復を受ける。
一方的な殺戮ともいえる攻撃を受けて、我々は全滅するに違いありません。
ただ、我々の死は、無駄死にではない。
我々の正当性、そして、いかに残虐な報復を受けたか。そういうことが国中に知れ渡れば、我々と同じように領主の専横に苦しんでいる国中の民が、次々と立ちあがるはずです!」
ここで、興奮をあらわにしたサイアム神官長が立ちあがった。
「わたしが納得できないのは、そこですよ!
貴族達の報復行動に、なぜ、無関係な女子供を巻き込もうとするのですか!」
やや勢いが落ちたモリスが答える。
「無関係ではないでしょう。夫や父親を失った女子供に生きるすべはない。
昔は、一家の働き手を失った女子供の世話は、親類縁者や村や街の者が総出でなんとかしてくれたものだが、すべての人々が明日をも知れない暮らしをしているオトリエール伯爵領では、人々の助け合いの心ですら、もう崩壊してしまっている。
女達も、それがわかっているから、あきらめてここにいるのです」
「ひどい! これでは集団自決だ!
天と地にあらせられる神々よ! 精霊たちよ! この者達をお許しください!
この者達は、領主に虐げられ、貧しさに苦しめられ、力尽きようとしているだけです!
決して神々に与えられた命を粗末にしようとしているのではありません!」
祈るサイアム神官長の頬には、涙が伝っていた。
彼は苦闘する人々の姿を、ずっと見守ってきたのだ。
万物にはすべて精霊の力が宿っている、人の命も神々から与えられたかけがえのない物であると教えるローザニア神教は、自殺を禁じているのである。今まで世話をしてきた者達が、集団で死を望んでいるなど、サイアム神官長には耐えがたい事実だろう。
ローレリアンは湧きあがる怒りで顔をこわばらせた。
やはりこの反乱は誰かに扇動されている、と思う。
ここにいるモリスにしろ、モリスについてきた鉱夫達にしろ、ごく普通の労働者にしか見えない。彼らの訴えは、借りてきた言葉の羅列だ。彼らは、王都で宣伝ビラを撒くだの、全国で同じように苦しんでいる民を立ちあがらせるだのといった、組織的な行動を起こせる人間ではない。
怒りのあまり、声が低くなってしまう。いまはまだ、穏やかな巡回神殿査察官の仮面を外すわけにはいかないというのに。
「軍は、攻撃してきません」
感情的になっていた男達が、一斉にふりむいた。
声が震えないように堅く拳を握りしめ、膝に押し当てながら、王子は宣言する。
「谷を封鎖している第9師団は王国軍です。王命がなければ基本的に動かないのです。現場の判断で勝手に動く、貴族の私兵の時代は終わったのですから。
雪原のむこうに駐屯しているのは一個中隊。それに、砲兵隊と後方支援隊。鉱山を制圧するには十分な兵力です。しかし、あの部隊の指揮官は、砲撃や銃撃戦で、この鉱山を落とそうとは考えていない。
彼らは雪の中での戦闘に、無駄な労力を使う気はないのです。
軍は、谷を封鎖して、春を待つだけです。
『飢えと寒さにどこまで耐えられるか、よく考えろ』と。
そうあなた方に伝えるようにと、わたしは言われてきました」
「そんな……」
「我々の行く末は、ただの飢え死にだというのか……!」
小さな神殿の照明は、ほの暗いランプの明かりとストーブの吸気口からもれてくる石炭の燃焼光だけだった。
重い沈黙が、あたりの空気を支配している。
男たちの背後には、夜の闇がある。
音といえば、質の悪い石炭が炎とともにはぜる音のみ。
その時だ。
切迫した調子で、神殿の扉を叩く者がいる。
「神官様! 神官様! お願いです、神官様!」
「クローネくん」
応対しなさいと視線で命じられたアレンは、手に持っていたナイフを抜身のままベルトに刺し、神殿の扉を開けた。
吹きすさぶ雪を背負って部屋の中に入ってきたのは、何重にも布にくるんだ赤ん坊を懐に抱いた若い女だった。
震えながら、雪まみれの女は叫んだ。
「しっ、神殿に、明かりが見えたからっ!
お願い、助けて!
この子を助けてください!
朝からぐったりして、お乳も飲みません!
お願いです! 神官様、この子を助けて!」
はじかれたように立ちあがったローレリアンは、女にかけより、赤ん坊を受け取った。
火のそばに連れていき、布をはいで様子を調べる。
「クローネくん、湯をできるだけたくさん沸かしてください。低体温症です。
サイアム神官長、乾いた布はありますか。この子をくるんでいる布は、すでに雪で湿ってしまっています」
「聖具室に、いくらでも。祭礼用のものだが、子供の命を救うためなら、神々も喜んでお貸しくださるでしょう」
「モリスさん、あなたは水差しでも酒瓶でもいいですから、湯たんぽの代わりになる物を探してください」
にわかに活気づいて動きはじめたのは、ローレリアン達だけだった。手伝えと言われたモリスと鉱夫達は、ぼうぜんと立ち尽くしている。
ローレリアンはモリスの胸ぐらをつかんだ。
「しっかりなさい、モリスさん!
目を開いて、現実を見るんです!
女達は、あきらめてなどいません!
絶望はしているが、そこに生き残る道があると気づけば、女達は生きようとするのです! 子供を助けようとするのです!
あなた達は、妻子を養う気力をなくして、しかたがないと嘆くだけで終わるのですか!
生きようとあがく女や子供を、見捨てるだけですか!」
「い…いいえ」
「ならば、動きなさい!」
棒立ちの鉱夫達にも目が向けられる。
「そちらのあなた方、名前は?」
「ロランです」
「ブレルです」
「ロランにブレル。教えてください。
この神殿にたどり着く前、わたしたちは鉱夫住宅の中を通り抜けてきましたが、人の気配はあっても、生活の気配がありませんでした。
それに、この凍えた子供。
あの住宅に取り残された人達には、火を起こす材料がもうないのでは?」
「そうです。オトリエール伯爵は、鉱員を生かさず殺さずで管理する悪党でした。
鉱山のまわりの山は禿山で薪も手に入りません。我々は鉱山会社が支給する、わずかばかりの屑石炭で日々の生活を賄っていたんです」
「過去のことはよくわかりました。
しかし、問題は今です。
外から鉱山をながめた様子からして、この鉱山には蒸気機関が導入されているように見えましたが」
「はい。立坑櫓の動力や、坑道に新鮮な空気を送る送風機の動力を、蒸気機関から取っています」
「わたしが聞きたいのは、鉱山の運営方法ではありません。
蒸気機関の窯焚き場には、石炭が山積みにされているのではないかと、たずねているのです」
「そうですが、あれは会社の財産です。
我々は自分達が反乱民ではないと証明するために、会社の財産には手を出せない」
「それで死んでは意味がない。これから伯爵領の近辺には、大きな寒波が襲いかかってくるそうですね。飢え死にを待つ前に、全員が凍死ですか? 洒落にならない!」
「しかし――」
「あなた方は、さっきから、『でも』『しかし』ばかり言う。
いいですか。
この問題は、ごく単純な問題なのです。
あなた方は、生きたいですか、死にたいですか。
自分の家族を、生かしたいですか、死なせたいですか」
鉱夫達は口を真一文字に結び、岩のように固まってしまった。
あと一押しで、かたくなになった鉱夫達の心を突き動かせる。
ローレリアンは静かに言った。
「よろしいでしょう。
鉱山会社の石炭は、人々の命を救う目的のために巡回神殿査察官たるわたしが接収いたします。子供の世話に目処が立ったら、命令書の書式も整えましょう。それなら窃盗になりませんね?」
「は?」
「え?」
あっけにとられた鉱夫達は、さらに査察官から叱られた。
「早く石炭置き場へ行ってください。協力してもらえる人達に事情を話して、人手の確保も忘れずに。各家庭へ石炭を配り歩くのでは、時間的に無駄がありすぎる。女性と子供は神殿に集めましょう。男性が集まる場所は、そちらで適当に考えてください。
第一目標は、寒波で凍死者を出さないことです。
第二目標は、まだ生きる道はあると、全員に信じてもらうこと。
あきらめるのは、まだ早い! みんなの力を集めて、生き抜く方法を考えましょう!」




