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真冬の闘争  作者: 小夜
第五章 聖王子が宮を離れて
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5日目 氷雪の谷

 オトリエール伯爵領で領民が反乱を起こしたとの知らせを受け取り、極度の不安状態に陥った貴族たちが王都で狂奔を始めた日。自分の宮でのんびりと休養を決め込んでいるはずの聖王子殿下は、王都から400メレモーブも離れた北の地にいた。


 飢えと寒さに追い詰められた領民によって処刑された伯爵夫妻の遺骸をブランの街の裏手にある無縁墓地に埋葬したあと、街の神殿の神官長に案内されて、反乱民が逃げ込んだという銅鉱山へ向かっていたのである。


 街の神官長サイアムは当初、巡回神殿査察官の青年を鉱山へ案内したがらなかった。なんでも、問題の鉱山は伯爵領の最奥に位置しており、山と山に挟まれた谷間にあるという。そんな土地への出入り口は谷に通じている一本道だけである。しかも、現在谷への入り口は、反乱民の動向を見張る王国軍第9師団によって封鎖されているというのだ。


 どうやら北の地で近隣領主の私兵を集めて再編された軍隊も、初動はまともに動いたらしい。そのうえ、王都からの指令を待って、おとなしく谷の入り口を封鎖しただけで動かずにいるというのだから、第9師団の幹部連中はそれほど愚かではない様子だ。


 頭の中でめまぐるしく思考を働かせながら、ローレリアンは自分の馬をサイアムの下男が操る橇が踏み固めた細い道から外れないように御していく。


 北国の神殿には橇を引く荷役馬が養われていたのである。極太の頑丈な脚と寒さに負けない巨体を持つ荷役馬は、空気をゆする呼吸音と、とどろく馬蹄の響きをあたりにまき散らしながら、坂道にも雪にも負けず、道を切り開いていく。


 もともとオトリエール伯爵領は、それほど山深い土地ではない。古い地層が隆起してできた山が長年の風雪にさらされ、低い里山となって連なる地形をしている。


 小さな切通しを通り抜けて目の前の視界が開けると、橇に乗っていたサイアム神官長が後ろにふりむき、「ほら、あれが鉱山ですよ」と告げてきた。


 谷の形状は山と山の間に切れ込んだ扇状地である。その中央には川が流れており、扇状地の地形を利用した鉱物の沈澱池がいくつも段状に連なって見えていた。右手に立つ数本の煙突は、銅の精錬所や坑道から鉱石を引き上げる動力を得るための蒸気機関のものだろう。谷の後方の山は煙突から出る煙に常時いぶされているせいか、岩肌が露出する禿山になってしまっている。


 今、その煙突からたなびく煙はない。鉱山に立てこもった反乱民たちは、谷の左手の斜面に貼りつくようにして建ち並んでいる鉱夫住宅や鉱山事務所で息をひそめているのだろう。


「あの鉱山に入っていきたいのなら、軍の指揮官殿に会って、許可をもらわなければなりません」


 そう言ったサイアム神官長は、谷の入り口付近にある屑石の山の間に橇を進めていった。坑道を掘り進めていく際に出た土砂の山は、どれも綺麗な円錐形に積み上げられている。雪をかぶったそれらの人工物は、独特の美しさをもって、あたりの景色を不思議なものにしていた。


 土砂の山が途切れると、そこにはいくらか広い空き地が開けていた。その空き地のそこかしこには天幕が張られ、天幕の前には焚火が煌々と燃えている。焚火のまわりには赤い軍服を着た兵士達がたむろして、寒風に震えながら暖を取っていた。


 ローレリアンは馬上からの高い視線で、一帯を観察した。


 なるほどと思う情報が、次々に拾える。


 焚火のそばに(やぐら)を組む形で置いてある兵士達の銃は、どれも旧式のマスケット銃だ。銃の筒先から火薬と銃弾を詰め込み、索杖で押しこむ操作をしなければ使えないこの手の銃は、あまり雪原での実戦には役に立たない代物である。手袋をした手では扱いにくいし、紙薬莢に包んだ火薬はすぐに湿気てしまう。おそらく最初の一発を撃ったあとは、銃剣をつけた短い槍としてしか機能しないだろう。


 天幕の後方には馬橇に載せたままの大砲が見える。


 これを見つけた時には、思わず失笑をこぼしそうになってしまった。


 ローレリアンは、王都からの命令を待てずに暴走した第9師団から砲撃をあびせられたらやっかいだなと考えていたのだが、砲撃はまずありえないだろうと、確信できてしまったのだ。


 馬橇に載せられていたのは、旧式の小型野戦砲だった。この小型野戦砲の砲架には車輪が2個ついており、通常はこれを整備道具や弾薬を積んだ前車とつないで4輪にし、荷役馬や人力で曳いて移動させる。しかし、馬橇には砲車しか載せられていなかった。黄銅製の大砲は砲身だけでも300パドスは重量がある。丈夫なヒッコリ杉で作られた砲架まで合わせれば、総重量は1000パドス近くになるはずだ。馬橇に載せられる限界重量ぎりぎりである。


 雪原の中にこの重たい大砲を引きだしてみたところで、まともな照準すらできないことは明白だった。なにしろ地面は雪にぬかるむ最悪の状態である。そのうえ大砲は弾を発射すると反動で後退する。後退の勢いで大砲の足元はますます不安定になるだろうし、大砲をもとの位置にもどして再度照準を合わせるためには、とんでもない労力と時間が必要になるはずだ。次弾装填に手間取る大砲など、戦場ではただの置物になってしまう。


 それが分かっているから、指揮官たちは野戦砲を馬橇から降ろすことすらしないのだ。物を知らない貴族達が王都から砲撃を指示してきたとき、「大砲がありません」では言い訳が立たないので、とりあえず馬橇に載せられる小型砲を持ちこむだけはしたのだろう。


 やれやれと、ローレリアンは天を仰いだ。


 わたしも、まだまだ未熟だなと、反省する。


 週に一度、強引に頼み込んで軍事に関する講義に来てもらっている王立士官学校長のデヴォット卿からは、戦とは「いつ開戦するのか」「どこを戦場にするのか」「補給の確保はできているのか」「相手に関する情報は集めてあるのか」といった、準備にこそ力がそそがれるべきだと、さんざん教えられてきたのに。


 机上の学問と現場の感覚は、こんなに乖離していたのだ。


 雪と戦闘は相性が悪い。きっと、第9師団の幕僚達は、こんな季節に出動しなければならなくなった状況に腹を立てていることだろう。






     **     **






 しばらくのち、一行は歩哨に呼び止められ、野営中の軍の指揮官のもとへ連れていかれた。この部隊の司令部と思われるいくらか大きめな天幕のなかには、折り畳み式のテーブルセットとストーブが据え付けられており、そのまわりでは士官が数人、カードゲームに興じていた。


 上座に座っていた立派な髭の男が、歩哨からの報告を受け、訪問者のほうへ向きなおる。


 彼は中隊長を名乗り、うさん臭げにローレリアンが差し出したプレブナン大神殿大神官の命令書を読んだ。そして、読み終えた命令書を鋼鉄製のストーブにかざす。赤々と燃える石炭の火の上で、命令書がオレンジ色に輝いた。


「ふん。透かし紋も本物か」


 そうつぶやくと、命令書を返してくる。


 ローレリアンは澄ました顔だ。偽造命令書の精度には自信がある。なにしろこの命令書は、紙も大神官の署名も、まぎれもない本物だ。命令の内容だけは、嘘っぱちだが。


「御用の向きはわかりました、サントマリ査察官殿。

 ご苦労なことですな。視察旅行が、こんな大事になってしまわれて」


 相手の言葉に本心からの同情を感じて、ローレリアンは聖職者らしく目を伏せる。


「これもきっと、神々のお導きだと思っております。大神官猊下におかれましては、北の民の困窮ぶりに、真実御心を痛めておいででしたから」


「そこですがなあ……」


 中隊長は立派な口髭を指でひねった。


「わたしも、あなたがここに派遣されていらしたことについて、神々のお導きを感じてしまうのですよ。

 これは相談なのですが、サントマリ査察官殿。

 鉱山に立てこもっている反乱民のもとへ様子を見に行かれるのでしたら、かの者たちに投降を勧めて下さらんか」


「投降ですか」


「さようです。

 実は、我々軍も、ここで困っておりましてな。

 反乱民どもは、銃で武装しているのです。

 反乱民が立てこもっている鉱山は扇状地の最奥。つまり、地形的には、かの者たちのほうが有利な位置におります。かの者たちは、いくらでも既存の施設の物陰から銃を撃てますが、坂道の下から上へむかって進む我々は、まずおのれの身を守る掩体(えんたい)を築くことから取りかからなければならない。

 正直なところ、反乱鎮圧ごときのために、無駄な労力は使いたくない。こちら側に人的被害が出るのも馬鹿馬鹿しい。

 もちろん、王都より命令あらば、我々は動かざるを得ないが。

 我々は王国の軍隊ですから、王命には従います」


「なるほど。では、裏返して言えば、王命がない限り、ここに駐留している軍は動かないということですか。

 しかし、よくわからないですね。

 反乱民と一戦交えることになれば、銃撃戦になると、中隊長殿はお考えなのですか。

 あの鉱山を要塞ととらえれば、もっとも有効な攻撃法は大砲を打ち込むことでしょう?」


 ローレリアンは、やはり砲撃はないのかと確認しようとしたのだが、中隊長殿は不機嫌そうになっただけで、明確な返事をしなかった。


「あなたは聖職者でしょう?

 戦術についての意見など、御無用に願いたい。

 とにかく我々は、王命があるまでは動けません。

 ありていに申せば、命令がなければ、我々は春まで谷の出口を封鎖して待ってもよいとさえ考えております。

 そのころには反乱民の食料も尽きましょう。

 我々は無傷で反乱を鎮圧できます。

 反乱民には『飢えと寒さにどこまで耐えられるか、よく考えろ』と、お伝え願います」


「わかりました。神々は人の争いごとを好まれません。聖職にある者として、投降を呼びかける使者の役はお引き受けいたします」


 話を終えたローレリアン一行が天幕の外に出ていくと、どんよりと曇っていた空からは雪が降りはじめていた。風はほとんどなかったが、降りしきる雪片のひとつひとつはかなり大きい。ローレリアン達の外套の肩口には、たちまち白い氷が折り重なって付着した。


 空を見あげたサイアム神官長は、この雪は2、3日続く本格的な悪天候になるかもしれないと予言した。


「歓迎はされないでしょうが、今夜は鉱山の神殿に泊まりましょう。無理してブランまで戻ろうとすれば、雪に足止めされて遭難しかねません」


「鉱山にも神殿があるのですか?」


「ええ、掘立小屋ですがね。普段は鉱夫達のなかから選ばれた信心深い世話役の男が安息日の礼拝をしきっています。私は月に一度、説法をしに訪れておりますが。鉱夫達は大地の女神ガイヤを信仰している。お祈りを怠ると坑道で事故が起きると、彼らは本気で信じているのです」


 新しい雪をふみしめながら先を急いでいたサイアム神官長は、ローレリアンが黙りこんだもので、「どうしました?」と問うた。


 応えるローレリアンの語気には、不快感がにじむ。


「軍人の方は彼らのことを『反乱民』と呼びますが、彼らはいったい何に反乱したというのでしょうか。日々、労働にいそしみ、自分たちを守ってくれる神に祈りをささげ、家族とささやかな幸せを求めて生きている。

 そういう人々を守れないどころか、自分達の身の安全のために、谷を封鎖して閉じ込めた人々の飢え死にを待つと。そんな軍隊が、王国軍を名乗っているのです」


 サイアム神官長は苦笑した。


「お若いですな、サントマリ査察官殿は。

 わたしは貴族の私兵が王国軍に再編されて良かったと感じていますが。

 理由はどうであれ、まだしばらくは軍隊が動くことはない様子。

 反乱の鎮圧が一方的な虐殺で終わるのではないかと、わたしは憂えておりました。

 なにしろ、彼らは領主を誅殺したのですから。感情的な貴族の私兵どもなら、自分達の軍に被害が出ようとも、すぐさま関係者を一族郎党まで皆殺しにしたはずです。

 しかし、王国軍は、王命がなければ動かない。たとえそれが保身のために利用される言いわけの結果であっても、すぐさま虐殺に発展しないだけで大した進歩です。

 査察官殿。あの鉱山には鉱夫の家族も住んでいるのですよ。

 あなたがこの地を訪れたことも、神々のお導きなのでしょう。

 大神官猊下に直接つながる報告ルートを、あなたはお持ちだ。

 大神官猊下ならば、我らがローザニアの聖王子ローレリアン殿下に、ここの状況を正しくお伝え下さるのではないでしょうか。

 聖王子殿下は慈悲深きお方。かの方ならば、せめて女子供にだけでも特赦お与えくださるのではないかと、わたしは思うのですが。

 どうか、ご尽力願えまいか」


「もちろん、最善の努力をもって、わたしはわたしの成すべきことを成すまでです」


 思わぬところで自分の名を聞かされて、ローレリアンは表情を変えないために大きく息を吸った。国民の心を王国の発展に向けて一つにまとめるために、自分が心血注いで育ててきた『聖王子』の異名は、こんなに遠い地にまで知れ渡っていたのである。いまさら期待されても困るとは、言えないではないか。


 短い冬の日が暮れる前に、彼らは目的地へたどり着かなければならない。


 ふたたび馬橇に進路を開かせながら前へ進み始めた一行の行く手には、降りしきる雪のせいでかすんで消えてしまいそうな鉱山の建物群が横たわっていた。

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