4日目 黄昏時の屁理屈
冬の日は短い。しかも、北へ行くほど昼間の時間は短くなる。
懐の懐中時計によれば時刻はまだ午後4時過ぎなのに、すでに雲に覆われた空には、夕暮れの気配があった。
影のない、薄暗くのっぺりとした雪原の風景をながめながら、アレン・デュカレット卿は物思いにふけっている。
彼は軍人なので天文学の領域については教養程度にしか学んでいないが、季節ごとに日が長くなったり短くなったりするのは、我々が暮らす星の回転軸が傾いているからだという理論くらいは知っていた。
天文学の博士たちや海を行く船乗りたちの探究心によって、どうやら人が住む大地は巨大な球体の上にのっているらしいとわかったのは150年ほど前のこと。そのおかげで物理学の研究がさかんになり、引力の存在が証明されて、地動説が本格的に信じられるようになったのは、わずか80年ほど前の出来事だ。
幸いなことにローザニア神教には科学を弾圧して神々の神秘性を守ろうとする狂信的な要素がなかったので、歴代の王は国策として学問を奨励し、専門分野の研究者が集まる学士院の存在を保護してきた。王国の民も、自分たちが生きている世界への感謝と、科学的な理論を上手に使い分けて受け入れている。
おかげで我が国は、広大な内海を囲む国々のなかで、もっとも科学の恩恵を社会にうまく受け入れた国だと言われるようになったのだ。
ところが人間は欲深い生き物で、学士院に集まった研究者の集団のなかでさえ権力争いは絶えない。他人の足を引っ張ろうとする輩が権力を握っていて、若手の研究者の台頭をつぶそうとしたりすることすらままあるのは、御存じのとおりでってなもんだよなあと、アレンは思う。
彼の主であるローザニア王国第二王子ローレリアンは、そうした学士院の古い体質を是正して、公平な判断で新たな研究を評価する仕組みを作らせようと、やっきになっているようだが。
そのためには、もっと高等教育を行う学校も増やさなければならない。国民の識字率も底上げできるように、庶民のための初等教育にも力を入れるべきだろう。
そうした国の将来を方向付ける政策を実現するために、ローレリアン王子は連日連夜、自分の身を削るようにして働いている。
すこしは休んだらどうなんだと、アレンが忠告すると。
「わたしが休むためには、わたしに代わって同じ仕事をしてくれる機関や人材を育てる必要がある。
わたしの夢は、30年後の楽隠居さ。
安心してあとを任せられる国家の仕組みを30年かけて作り上げ、あとは古女房や孫やひ孫に囲まれて、悠々自適に暮らす。
国王の意志で国家が動く王政は、国を大きく変えていこうとする転換期には効率的に物事を動かせる、よい政治形態だと思う。
もっとも、独裁的な政治態勢を取る国家のリーダーの判断が間違っていたときには、至る結果の悲惨さも半端ではないがな」
などと、ローレリアンは言うのだ。
国家という巨大な組織を動かして安定へ導くためには、確かに30年くらいの歳月が必要なのだろう。
しかし、人の寿命は50年。あとの人生は、神々から恵まれる余生であるという。一月生まれのローレリアンは、先日23歳になったから、その理屈を信じるとなれば、知命の歳を超えても必死に働くということになるではないか。
なんとも彼らしい人生設計図だよなと、アレンは笑ってしまう。
53才になったローレリアンを想像すると、やっぱり毎日忙しそうに働いている彼しか、想像できないのだ。
願わくば、その時のローレリアンが、望みどおりに古女房や孫やひ孫に囲まれる生活をしていますように。
ローレリアンの人生は、いつも自分の意志とは関係ない事象によって、動かされてきた。
せめてひとつくらいは、純粋に彼自身が望んでいる希望が、かなってくれればいいなと思うのだ。
そして、願いがかなうならば。
30年たっても、自分はローレリアンの背中を守る存在でありたい。
それまで、おのれの命があればだが。
自分の命に代えても、王子は守らねばならない存在だ。
アレンの先任者は、王子へむけて放たれた凶弾を自分の身に受けて絶命した。
自分だって、その必要があるときには迷ったりしない。
ローレリアンとともに30年を生き抜けるかどうかは、運次第としか言えないだろうなと、覚悟も決めている。
王都を出てから四日のあいだ、伝令待機所で馬を替えながら、王子とアレンは街道を北へと、ひた走ってきた。
一時、景色から雪は消えたが、昨日からはまた雪景色の中を走っている。オトリエール伯爵領が間近に迫っているこの辺では、気温が低いため12月に降った雪が春まで根雪として残るのだ。
昨日から今日にかけての天候が、荒れ模様にならなかったのは幸いだったと思う。
アレンは王国の中東部にある山麓の土地で育った。雪のなかでの移動がどれだけ大変なのかは、身をもって知っている。
しかし、ローレリアンは王国の東の果てと呼ばれる、砂漠に続く草原のなかの街で育った。その地も冬は寒冷な土地なのだが、空気が乾いているので、雪は降っても、ちらつく程度である。そんな土地で育ったローレリアンにとって、慣れない雪中行軍は、激しく体力を奪われる苦行になるに違いないのだ。
荒涼とした風景のなかを、二騎の馬は進んでいく。
一時間ほど前から、馬の歩様は、ゆったりとした常足へ落とされていた。領民の反乱が起こったオトリエール伯爵領がいよいよ近くなってきたので、急いで移動することによって人目を引く危険を避けるためだ。
そうして用心しているにもかかわらず、街道で人とすれ違うことはめったになかった。雪に埋もれた丘陵地と、さして高くもない里山が連なる風景は、ただ静かに暮れなずんでいく。
空はどんよりと曇っている。雪国の夕焼けは、西の雲がやや赤くなる程度で終わってしまうらしい。なんとも、さびしい光景だ。
「ユーリ様。今日はこのあたりで、泊まれる場所を探したほうがいいのではないでしょうか」
前方をゆくローレリアンの背中に話しかけたら、少しの間のあと、返事が返ってきた。
「そうですね。あの山裾の集落にたどり着いたら、どこかの家の納屋にでも、泊めてもらえるように交渉しましょうか」
四日の旅程をへて、王子と護衛騎士の身分をかくす芝居は、すっかり板についてきた。
気楽な貴族の三男坊である世間知らずの神殿査察官と、若くて生意気な使用人の関係を演じるのは、じつに楽しい。その昔、神学生と見習い騎士の少年という関係で旅をしたときのことを、思い出してしまうのだ。
しかし、いまのアレンの真実の姿は、『王子殿下の影』と呼ばれる王子の一番の側近である。問いかけに答えてきた王子の口調や間の取り方の気配から、たちまち異常を見抜いてしまう。
「ユーリ様、御体の加減がお悪いのでは?」
前方の王子の背中が、苦笑にゆれた。
「クローネくんに、かくしごとはできませんねえ。
暗くなる前に宿を確保しておきたかったけれど、すこし、ここで休んでもかまいませんか」
たちまち芝居など、どこかへ吹っ飛んだ。どうせ、あたりに人影など、ひとつもないのだから。
「あたりまえだろうが! すぐに休めよ!」
叫ぶと同時に、アレンは馬から飛び降りて、ローレリアンの馬へかけよった。
馬の轡を捕らえて馬上の王子を見あげれば、顔から血の気が失せているし、気分も悪そうだ。
実際、アレンが馬をひいて道端によせ、冷たい風をよけられる木立の陰に休憩する場所をしつらえると、ローレリアンはその場で少量だったが吐いた。
吐物はほとんど水分で、いまさらながらアレンは、王子が昼食をあまり食べなかったことを思い出す。
自分の吐物の上に雪をかけながら、ローレリアンは申し訳なさそうに言った。
「連日、馬の背にいたから、悪酔いしたのだと思う。
すまないな。しばらく休めば、回復するから」
「気づくのが遅くなって、悪かった。
俺のほうこそ、察してしかるべきなのに」
「なにをだ?
デスクワークばかりしている、わたしに体力がないのは、別におまえのせいじゃない。
しかし、悔しいな。この程度で限界とは。
おまえは、旅籠に泊まれた夜だって、警戒のために熟睡していなかった様子なのに、ぴんぴんしているのだから驚くよ」
「身体を鍛えておくのは、ある意味、俺のもっとも大切な仕事みたいなものだからな」
防水布の上にローレリアンを座らせ、アレンは小さな携帯用コンロで湯を沸かす。
ローレリアンの指示に従って、その湯の中に乾燥した薬草を放り込んだら、あたりに香ばしい匂いが漂った。
できあがった飲み物には、胃腸の緊張をゆるめ、身体を温める効果があるという。おまえも飲めと勧められて湯気が立つカップを口に運んだら、身体が芯から温まった。
あたりはどんどん、暗くなっていく。
闇は、人の心に恐怖を呼ぶ。
街道の前方には集落が見えていたから、今夜の宿の心配は、さほどいらないとは思うのだが。
「あっ、明かりがついた」
思わずアレンは、見たことを言葉にした。
先ほど見えていた集落の方向に、ひとつ、ふたつと、明かりがともったのだ。その火のそばに人がいると思うと、不思議と恐怖心は薄らいだ。
外套と毛布にくるまって木に背を預け、体を丸めるようにして休んでいるローレリアンの額を触ってみた。
熱はないようなので、安堵する。
彼自身が言っているように、体の不調は長時間の騎乗による神経の疲労からくるものなのだろう。
ため息を聞きとがめられたようで、ローレリアンの眼が開く。
「もう出発したほうがいいか?」
「いや、まだ五時前だ。もう少し休んでいこう」
「悪いな。だが、明日にはオトリエール伯爵領へ入る。
休めるうちに休んでおくに越したことはないと思う」
「今夜も、俺に遠慮などせずに、しっかり寝てくれよ。
現地につけば、おまえの頭脳の働きに、すべてをかけることになるんだからな」
「遠慮する余裕など、わたしにはないさ。
毎晩ベッドへ倒れこめば、そのまま朝まで熟睡だ」
「それでいい。俺とおまえがやるべきことは、まったく違うことなんだから」
「ありがとう。感謝している」
そう言われて、アレンは気恥ずかしくなり、自分の足元へ視線を落とした。
近ごろローレリアンは、いろいろ思うところがあるらしく、誰に対してでもさかんに「ありがとう」という言葉を口にする。
これは一種の殺し文句かと、思うくらいである。
ローザニアの聖王子と呼ばれ、その存在を至高のものとして讃えられている王子から礼を言われると、言われたほうは心が奮い立ち、さらに頑張ろうと気負ってしまうのだから。
気恥ずかしさをごまかすために、アレンは話題をそらす。
「オトリエール伯爵領ってのは、そんなに山深い土地ってわけじゃないみたいだな。
作物が実らないやせた土地で、伯爵家にとっての大きな収入源の柱は鉱山だと聞いていたから、もっと山奥なんだろうと思っていたが」
「鉱山は、山奥というよりは、古い地層が露出している場所に多く見つかるものなんだ。
このあたりの風景など、その典型だな。
長年の風雪による浸食で山は削られ、堆積した土砂で生まれた丘陵地が谷間に広がっている。
そういう土地の土には滋味があまりないので、雑草は生えても、農作物は育たない。
ここで領民を養うためには、ふさわしい作物を選んで営農する指導が必要だ。
それに、せっかく有望な鉱床が眠っていそうな土地なのだから、偶然から発見した昔からの鉱脈だけに頼らずに、いまの科学的な知識を持った学者に土地の調査をさせて、新しい鉱山の開発などもすればよい。
安全かつ安定的に鉱石を得られる鉱山の開発に成功すれば、領民の生活だって極貧状態から解放できるだろう。
そうした努力を怠ったから、オトリエール伯爵は領民から報復を受ける羽目におちいったんだ。
人の上に立ちたければ、その地位の分だけ、重い責任が生じる。
言い換えれば、責任を背負う覚悟を持たないものに、権力者たる資格はない」
嬉しくなって、アレンは笑った。
「よしよし、元気になってきたな。
得意の御託がすらすら出てくるようなら、そんなに心配することはなさそうだ」
憮然としたローレリアンは、顔をしかめた。
「御託とは失礼な」
「理屈は、おまえの領分だ。
それに、おまえにはちゃんと、オトリエール伯爵領の反乱をおさめたあと、この土地をどうするべきなのかということについての展望があるみたいだしな。
やっぱり俺は、おまえに出会えて幸運だった。
自分が最も得意とすることで、おまえの仕事を手伝えるなんて、最高に誇らしいと思う」
「やれやれ。
おまえも、わたしを聖人あつかいしたい連中の仲間なのか?
わたしは自分の持論が正しいことを証明してみせるために、領主を失った土地を王領として接収し、将来経営立て直しに成功したあかつきには摂政大公領として頂戴しようと目論んでいる、悪人なんだがなあ」
怪しげに、ローレリアンは微笑んだ。
「きっとこれから、財政破たんで領地を手放す大領主は、ぞくぞくと出てくるはずだ。
そのうちのいくつかには、有望な将来が見こめる土地がある。
わたしは国王の次男だからな。
いずれは、王家から独立して大公家を構えなければならない。
他者から奪うことなく、正当なやり方で大公家にふさわしい所領を得る方法については、いろいろと考えたさ」
アルコールで湯を沸かす簡易コンロの火を落とし、アレンはさっさと出発の支度にかかる。
「いくら悪人ぶって見せたところで、おまえの行動の根底には、その土地の住人の生活を守るという思想があるのさ。
おまえには、金銭に対する執着は欠片もない。
所領なんか持たなくても大公家の体面を守る程度の費用なら、モナ様が嬉々として、稼ぎ出してくれるだろうし」
「妻に養ってもらえと?
ふむ。確かにそれも、悪くない方法だな」
「そんな気、ぜんぜんないくせに。
モナ様が自分の稼ぎはすべて社会奉仕活動にまわすといえば、おまえはまちがいなく笑顔で、それはよい考えだねと、言い切るね。
つまりは、だ。
反乱を起こされたり、自身の努力不足のせいで領地を手放さなければならなくなった貴族になんか、リアンは同情しない。
だけど、そういう土地で生活している領民の不幸には、目をつぶれない。
だから屁理屈をこねて、一生懸命がんばるってわけだ」
さあ立てとローレリアンにうながして、アレンは最後の荷物になる防水布をたたんで馬の背にくくりつけた。
「これから、なんだかんだで、お忍びの地方行幸が増えそうだな。
そういう行動専門の、私服部隊の編成を考えようか?」
にが笑いの王子は、馬の手綱をつかんで街道の先を見た。視線の先には、いかにも貧しい地方の集落のものらしい、よわよわしい光のゆらめきが見えている。
「まあ、そのへんはおいおい、考えることにしよう。
いまはとにかく、オトリエール伯爵領の問題を解決しなければ。
伯爵領を貴族たちの憎悪に任せた粛清の嵐にさらせば、人的な被害は計り知れない規模にふくれあがる。
そうなれば、伯爵領の経営を立て直すことはほぼ不可能になるし、王国の国民感情も危険な方向へむかうことになるだろう」
「それでは、とりあえず明日へむけて、出発いたしますか。ユーリ坊ちゃま」
ここから先、当分のあいだ自分たちは、さえない神殿査察官と召使だ。
アレンの口調に、その宣言を感じて、ローレリアンはのんびりと答えた。
「いやだなあ、クローネくん。
わたしのことを『坊ちゃま』と呼ぶのは、いい加減に、やめてくれたまえよ。
これでもわたしは、大神官猊下に尊き任務をおおせつかった、一人前の神官なのだからね」と。




