王都に降る雪 … 5
ローレリアンとアレンが馬に乗って王都の街中を静かに通り抜け北へむかう街道筋へたどり着いた頃、東の空の雲は朝焼けに赤く染まった。
夜明けの赤は落日の赤ほど長くは色づかず、すばやく黄色へ変化し、やがて白日の輝きへ溶けて消えてしまう。
寒気の中に自分が吐きだす白い息の行方がはっきり確認できるほどあたりが明るくなってから、ローレリアンはアレンに話しかけた。
人が寝静まっている時間帯の石造りの街には、人の話し声がよく響く。彼らは建物が建てこんでいる地域を通り過ぎるまで、会話を控えていたのだ。
「出発の日が雪のある日で、よかったのか、わるかったのか」
アレンは自分の馬の歩調をゆるめて、ローレリアンのとなりに並んだ。
もうあたりは十分に明るくなったので、馬を並走させてもよかろうとの判断だ。暗がりに潜む危険から王子を守るために、いままでは彼が先導役を務めていたのである。
「よかったんじゃないのか。雪があるおかげで足元が明るくて助かったし。いつもなら夜明け前から外に出ているような商売人も今朝は出足が遅いみたいで、街じゃ、あまり人とも出会わなかったしな。
この分なら、ノッティの渡し場から出る朝一番の渡し舟に乗れるだろう。
レヴァ川を渡ったら、そこからは早駆けの体力勝負に突入だ。覚悟しておけよ」
「そうだな」
如才のない王子の首席秘書官は、王子と護衛隊長が伝令用の早馬を支障なく使えるように、『この神官と召使は第九師団への密命を運ぶ覆面の使者である』という偽の身分証明書まで準備していた。髭の親父秘書官は、何事にもぬかりのない男であった。
すっかり夜が明けたいま、ローレリアンとアレンが乗る馬は、王都の市街の外縁部にあたる、農地と住宅が混在するのどかな風景の中を進んでいた。
前日降った雪はそれほどの量ではなかったが、あたりの風景を白一色に変える程度には残っていた。街道をゆっくり進む彼らの背後では、王宮のそびえる丘が、すでに白い遠景の一部と化している。
人目がないうちにと、アレンは外套の打ち合わせから手を入れて、腋の下のホルダーにおさめた短銃の所在を確かめた。
新型の銃は着火機構がシンプルになったせいで細かな部品が外に飛び出しておらず、腋の下でのおさまりは、かなりいい具合だった。グリップのカーブも人の手になじみやすい絶妙な角度で削りだしてあって、これなら素早く抜き放って一発目を撃つのも、やりやすそうだと思える。グランティエの息子は、腕の良い職人であるようだ。
アレンのしぐさを見て、ローレリアンはつぶやいた。
「これから、戦は大変な時代へ突入するな」
「いきなり、何の話だ?」
「その元込め式の銃のことさ」
空を見あげたローレリアンの横顔は厳しくひきしまっており、アレンは黙りこんだ。
ローレリアンは自分の思考を整理するためなのか、ひとりで話しつづける。
「ローザニアの工業技術は飛躍的に発展している。銑鉄の炭素含有量を自由に操る製鉄法などは、おそらく内海を囲む国の中でも、群を抜いて優れているだろう。
おかげで蒸気機関の小型化がかない、いよいよ春には王都とラカンをつなぐ鉄道の工事が始まる。
王都大火のあと、国家主導で作る低所得者用の共同住宅が冬に間に合う工期で建てられたのも、煉瓦造りの建物に鉄鋼の梁を入れる技術があればこそだ。
おそらく丸焼けになったレヴァ川の東岸は、これからほんの数年で、新しい建物が建ち並ぶ街へ生まれ変わる。
おまえの新型銃も、工業技術の発展の副産物だ。ローザニアの技術者たちはみな優秀だから、元込め式の銃が量産されるようになるまでだって、そう時間はかからない」
「だろうな」
「30年……、いや、20年後だな。
ローザニアの主要な都市間は、すべて鉄道でつながれる。
船も蒸気機関を積んだ自走式の船に、すべて替わるだろう。平地には輸送用の運河が掘られる。風まかせという問題さえ解決されれば、船は大量輸送に大活躍だ。
物の流れの規模と速度が変わり、国家の在り様は、もっと変わる。
人の生きざまは、どう変わるのだろうな。
国同士の戦争など、経済規模と新型兵器の火力を争う戦いになるはずだ。
そして、ひとたび戦になれば、大砲と銃の打ち合いで死体の山が築かれるのだ」
アレンは肩をすくめた。
「苦労して身につけた俺の剣技は、時代遅れになるってわけか?」
ローレリアンは苦笑する。
「少なくとも今は、必要な技術だ。
国の将来を夢想しながら、我々はこうして、地方めがけて馬で駆けて行こうとしている。
予測されている未来が現実になる前に国が滅びてしまっては、お話にならないからだ」
「遠い未来に夢をはせつつ、現実は馬の鞍の上か」
「なんとも、お寒い現実だ」
「なあ、俺たちは、時代の大波に揺れているこの国を、無事に未来まで導けると思うか」
「わからない。だが、やるしかない」
ローレリアンは、まるで宣言するかのように言いきった。とても強い口調だった。
夜明けの直後は、一日で最も冷え込む時間だ。白い息をもうもうと吐き出しながら、アレンは馬上で身震いした。
――そうとも。やるしかないんだ。
この国の未来を背負っていける男は、こいつしかいない。
だから俺は、命に代えても、こいつを守ると誓ったのだから。
そう思いながら伏せていた視線をあげると、前方にノッティの渡し場の門前町であるプレノッティ村の姿が見えはじめた。あの街並のなかには、北街道から王都へ入る人や物を監視する第一師団の分隊詰所や検問所がある。二通のうまく作られた偽造命令書さえあれば問題なく村を通過できるはずだが、それでもアレンは少し緊張した。
心を落ち着けるために、話題を変えてみる。
「どこか人目につかない森の中ででも、銃の試し撃ちをしておかなけりゃならんな。銃弾の装填動作とか、発射時の反動の強さとか、もろもろ確認しておかないと。
グランティエのじじいときたら、弾丸を一ダースしか持ってきやがらねえ。
それじゃあ、2、3発しか試し撃ちができねえじゃねえか」
相方の王子は笑った。
「それで十分だろう。いよいよ銃の撃ちあいになったら、わたしもおまえも、もう終わりさ」
「ふん! 俺だって、拳銃は最悪の事態のためのお守りだって思ってるさ。心配しなくても、1対3くらいまでの状況なら、小刀一本で静かに乗り切ってやる。そのために賜ったのが、王の守り刀だ」
笑っていたローレリアンは、たちまち表情を硬くする。
「あんな馬鹿げたもの、受け取らなけりゃよかったのに」
「は~あっ?」
盛大に、アレンはあきれた声をあげた。
「あのなあ、どこの世界に、国王陛下が御下賜くださる名誉の品を、いりませんと突き返す近衛士官がいるってんだ?
そんなことをすりゃあ、大真面目で首が飛ぶだろうが!
おまえは俺に、辞表を書かせたいのか?!」
「あのとき、『いらん』と目くばせひとつよこせば、わたしがその場で断ってやったさ。
くだらない小道具をひとつもらったくらいで、命のやり取りの約束なんて、馬鹿げている」
「馬鹿げてなんかない」
「馬鹿げてるだろう!」
思わず声を荒げたローレリアンに負けない勢いで、アレンはわめき散らした。
「おまえは、王の守り刀こそ持っていないが、この国の未来に命を懸けているじゃないか!
それが、王子のおまえの覚悟だろう!
俺は、そういうおまえこそが、真の王者だと思ってる!
おまえといっしょに生きていくって決めた時、俺も覚悟を決めたんだ!
誓いってのはなあ、そう簡単に、覆すものじゃねえんだよっ!
おまえの親父に、命に代えてもって言ったのは、単なる確認だ!」
「アレン」
「本名で呼ぶな。
俺は、こっから先、ふてくされた召使のクローネくんだ。
あなたさまも、とっとと間抜けな伊達眼鏡をおかけくださいませ、出来損ないの坊ちゃん神官、ユーリ・サントマリ様。
もたもたしておいでになると、すぐにプレノッティ村へ着いてしまいますよ」
ローレリアンの馬と並走していたアレンの馬が、すっと後ろへひいていく。街道の前方に荷馬車の姿を発見したから、主従が馬で旅する場合に召使がいるべき場所へ移動したのだ。
夜明けとともに、ノッティの渡し場の舟も動きはじめたのだろう。まもなくこの道には、王都へ物資を運びこむ荷馬車が、ひっきりなしに行きかうようになる。
胸の内ポケットから眼鏡を取りだし、馬の動きに身を任せながら、ローレリアンは考えた。
たった一人、心のすべてを打ち明ける友人に、本当は命など懸けてもらいたくないのだ。
けれど、彼から『いっしょに生きていく』と言われた瞬間の、この嬉しさは何なのだろう。
次々に脳裏には、親しい人たちの顔が思い浮かぶ。
大親友を名乗るラカン公爵パトリック、いつも忙しそうな首席秘書官のカール、泣いたり笑ったり表情がよく変わる小姓のラッティ、親衛部隊の訓練に励んでいるアストゥール、育ての親と慕うレオニシュ博士、渋い正論でいつも議論を危険な偏りから救ってくれるヴィダリア候爵、少し尊大な大叔父パヌラ公爵、儚げなくせに強い母。
生涯わかりあうことはないだろうと思っていた父国王や、苦虫を噛み潰したような宰相の顔すら、懐かしく思い起こされる。
―― そして、すみれの瞳を持つ、大切な君。
自分は天涯孤独だと思っていた。
いったん死んだとでも思わなければ、生きていられないほど辛かった。
王子であることは、生きている限り自分を苦しめる重荷でしかないはずだった。
それが、いつからなのだろう。
気がつけば、大勢の人に囲まれ、支えられて生きている自分がいた。
旅立ちの時に『みなを信頼している』などという言葉を残し、わたし自身も、みんなから寄せられる信頼に応えようと思っている。
なによりも変わったのは、生きようと思えるようになったことだ。
わたしは、生きたい!
必ず難問を解決して、この地へ帰って来てやる!
プレノッティ村の入り口を目の前にして、ローレリアンは一度だけ、背後をふり返った。
信頼する仲間や愛する人が暮らしている王都プレブナンは、雪の純白に覆われて朝日に照らされ、まぶしいほどに輝いていた。




