王都に降る雪 … 4
国王のもとから辞したのち、ローレリアンとアレンは黒の宮に駆けもどり、急いで地方へ下る旅の支度にとりかかった。王子の準備の大半は小姓のラッティが、アレンのそれは副官のシムスがすでにすませていたので、あとは当人たちが着替えるだけである。
アレンは王子の居室がある一画から二筋奥の通路に面している自室へ飛びこんだ。
王子付き近衛護衛隊の隊長に任命されると、当人にも職責上、ある程度の体面を保つことが求められるようになる。隊長が名門貴族の出身で、すでに王都へ屋敷を構えているようなケースでない場合には、国から一戸建ての官舎が提供されるのである。しかし、アレンにあてがわれた官舎は、いまだに無人のままで放置されていた。
一部隊の長になっても黒の宮の士官当直室住まいをやめないアレンを見かねたローレリアンは、とうとう黒の宮の片隅に部屋を与えてしまっていたのである。いまではこじんまりとしたその一室が、アレンのプライベートな生活空間だ。
おかげで軍服を脱いで変装用の服に着替える時間も、ごく短くてすんだ。留守を守るシムスとの打ち合わせも手短に終わらせて、アレンは足早にローレリアンの私室へむかう。
「支度はおわったか?」
そうたずねながらアレンが王子の居間へ入っていくと、書き物机の前にすわって何やら書いていたローレリアンは、「もうちょっと待っていろ」と、しぐさで応じた。
ローレリアンの背後から手元をのぞきこんだアレンは、「うわぁ、またこの大嘘つきは、派手な嘘をつこうとしてるな」とつぶやく。
ローレリアンは飾り文字を書くための特殊なペン先を紙の上で走らせながら、すまして言い放った。
「適当な命令書を偽造するために、神殿関係のお偉いさんから署名だけもらった紙は、何種類かつねにそろえてあるんだ。地方へ行くには神官を装うのが、わたしの場合、もっとも自然だしな。
お偉いさんたちから白紙に署名をもらえる、わたしの信用度の高さを、ほめてもらいたいものだ」
「何を偉そうに。高位の神官様たちも、聖王子殿下の命令には、さすがに逆らえないってだけの話だろう。おまえは怒らせたら怖いって、思われているからな。
で? 今回は、どういう任務をでっちあげたんだ?」
その内容は護衛のアレンも知っておく必要があるので、質問はごくまじめに切り出されたのだが。
最後の一文を書き終えたローレリアンは、紙面に吸い取り紙をあてて余分なインクを取り除き、一刻も早く折りたためる状態にするために暖炉の火へかざした。
「今回のわたしの役どころは、あまり仕事熱心ではない神殿巡回査察官だ。父親が貴族なもので、こんなに若いうちから六位の神官位と役職をちょうだいできたが、実力が伴っていないもので困っているお坊ちゃまだ」
「ちなみに、今回の偽名は?」
「ユーリ・サントマリ。東方の没落した貴族家系から勝手に借りた。間違えるなよ」
「了解、ユーリ様」
「オトリエール伯爵領がこの冬かなり困窮した状態だということは、昨年から分かっていたことだ。神殿巡回査察官のわたしは、慈悲深い大神官猊下のご命令で、領民の様子を見に行くわけだ。真冬の旅行なんか嫌だ嫌だと言いながら」
アレンは顔をしかめた。
「なんか、めちゃくちゃ現実味のある人物設定だな。
家督は長兄が継ぐし、軍人も商売人も大変そうで面倒だから、とりあえず自分は聖職者でも目指しておくかなって。
ゆるーい感じの貴族の三男坊あたりに、そういうやつ、いるよなあ」
「だろう?
それで、おまえの役どころは、父親がわたしにあてがってくれた召使だ。大旦那様の命令で仕方なく若様にお仕えするようになったが、若様の間抜けぶりには、かなりうんざりしている」
折りたたんだ偽造命令書を封筒におさめて懐へ押し込むローレリアンの姿を、アレンはまぶしげに見た。暖炉のコンソールに置かれたランプに照らされているローレリアンの様子は、どこか懐かしい。
しばらく眺めて、なるほどなと思った。
ローレリアンは、くたびれた古めの法衣に着替えていたので、いつもの隙のない美男子ぶりを発揮できていないのだ。しかも、法衣の詰襟につけている襟章は、六位の神官位を表わす紫色だった。
「ふーん。いかにも旅から旅への巡回査察官らしい、いい感じにくたびれた法衣だな。その法衣を着て髪の色を変えたうえで、いつもの伊達眼鏡をかけていたら、とても聖王子殿下には見えなくなる。変装は完璧だ。
それにしても、懐かしいよ。
いまのおまえの格好って、俺たちが初めていっしょに旅をしたときの格好と、同じなんだ」
「そういえば、そうだな」
ローレリアンのほうも、しげしげとアレンを見て、くっと笑った。
「アレン。わたしのほうも、おまえのその胴着に見覚えがあるぞ」
「ああ、この胴着は故郷から王都へ出てくるときに、母親が作ってくれたものだ。
なめした鹿革の胴着なんて都会じゃいまどき見かけないのに、当時は兄たちのお下がりじゃないってだけで、かなり贅沢をした気分だった。はたから見れば、田舎者まるだしの粗末ななりなのにな」
「当時のおまえには、まだその胴着は大きすぎて、ベルトで身幅や丈の調節をしていたなあ」
「いまじゃ、少々きついくらいだ。お袋は、俺が立派な体格の男になると、見越していたってわけだ。
もっとも、田舎豪族の女房には都会の流行なんざわかっちゃいない。やっと身に合うようになった胴着を、大人になった息子はしまいこんじまって着やしないだろうってとこまでは、予測できてない」
ローレリアンは肩を震わせて笑った。
「気取るなよ。その胴着、母上との思い出の品として、大切にしまっておいたんだろう?」
えっへんと、アレンは大げさに咳払いする。
「いや、これは……、なにかの折には役に立つかと思ってだな。
俺は田舎育ちの貧乏人だから、物が捨てられないたちで……」
「失礼いたします!
隊長、グランティエ技術士官がまいりました」
シムスの先導にしたがって王子の私室へ入室してきたのは、近衛護衛隊の装備の管理などを任されている技術士官のグランティエだった。
アレンは救われた気分で、部下のほうへ顔をむけた。
青白い顔に片眼鏡。根っからの技術屋といった雰囲気のグランティエは、老いて痩せた身体を縮こまらせてかしこまっていた。
「聖王子殿下に拝謁する名誉を賜り、ただいま我が胸の内は喜びに打ち震えております」
やれやれとあきれながら、アレンはグランティエの古風な挨拶の口上をさえぎった。
「グランティエ爺さん。
何のために俺が、夜も明けぬうちに、あんたをたたき起こしたと思ってるんだ?
急いでるからだろーが! 余計な挨拶はいらん!」
グランティエは、アレンをにらんだ。
「うるさいわ、小僧! おまえには年長者に対する敬意ってもんがないのか!」
「じじいをじじいといって、何が悪い。
敬意を示してもらいたけりゃ、上官の俺を小僧呼ばわりするな!」
「ふぁはははぁ!
わしは小僧の師匠のアストゥールのそのまた父親と、義兄弟の契りを交わしとったんだ!
ならばアストゥールは息子で、おまえは孫ではないか!」
「まあまあまあまあ! 今日は、このへんで!
おふたりとも、王子殿下の御前ですよ。
それに、我らの王子殿下は、夜明け前の暗がりに紛れて王都から離れたいとお考えなのです」
アレンの副官のシムスが、お調子者らしい口調としぐさで二人のあいだに割って入る。
アレン隊長とグランティエ技術士官は、おたがいに顔をあわせれば、いつもこんな調子なのだ。アレンは歳を取ったグランティエの世話を師匠から託されたと思っているし、グランティエのほうは若すぎる愛弟子の世話をアストゥールから託されたと思っているもので。
「ふうむ。いかにも、時間が惜しいな」
そう言ったグランティエは、ニヤついていた表情をひきしめ、小脇に抱えた道具箱を床に置いた。グランティエはかなりの年齢の老人だが、部隊の武器管理担当官としては優秀な男なのだ。
「まず、これを試してみてくれ。
わしの息子が勤めとる銃器工房で秘密裏に開発されてる試作品だ」
テーブルの上に置かれた短銃を手に取り、アレンは素早く銃撃の構えをとる。
「照準は合わせやすそうだ。握ったときのバランスもいい。しかし、見慣れない形だな。どうやって使う?」
「撃鉄を起こしてみろ」
「撃鉄が二個ある」
「後ろが撃鉄、前がローリングブロックを動かすレバーだ。撃鉄を起こすと、前のローリングブロックのレバーも引くことができる設計になっている」
「ほう……」
ふたつのレバーを引くと、短銃のうしろに小さな穴が出現した。その穴をすがめた目でのぞきこんだアレンは、感心してうなった。
「弾は?」
「これだ」
手渡された銃弾は従来の紙薬莢に包まれたものではなく、細長い布で巻かれた見慣れないものだった。
「なるほど。自己完結型弾丸と、元込め式の銃か」
アレンも近衛士官として兵器の開発経過などには注意を払っている。民間の銃器会社が秘密裏にしのぎを削る開発競争の噂は、いろいろと耳にしているのだ。
「うむ。ローリングブロックには炸薬の爆発圧を銃身内に閉じ込められるだけの強度と密閉性がある。
その弾丸に巻いてある布には硝酸塩がしみこませてあって、可燃性を持たせてあるから、爆薬の燃焼の妨げにもならん。
ニップル(雷管)はケツに仕込んである」
「すごいな」
「まだ手作りの一点物で、量産にはむかん。
しかし、息子の会社はこれを量産型へ発展させるつもりらしい。課題は山積状態だがな。
おまえさんは、王子殿下の御供で雪国へ行くんだろう?
雪が降る土地で、先込め式の銃はあまり役に立たん。雪の中で手袋をして、紙薬莢から銃身へ火薬を注いだり、索杖を使って弾丸を押しこむ作業をするのは、かなり大変だからな。おまけに、管理が悪けりゃ、紙薬莢の中の火薬はすぐに湿気っちまう」
「まったくだ。だが、この元込め式銃なら、そんな心配はいらないというわけか」
「それに、一発撃った後、次の弾丸を装填するにも、それほどの時間は必要ない。おまえが殿下をお守りするための、立派な武器になってくれるだろう」
「ありがとよ、爺さん。
これは旅立ちへの、最高の餞別だ。
敵地の中じゃ、腰に剣をぶら下げて歩くわけにはいかない。
小刀一本だけで殿下の護衛かと思って、憂鬱になっていたんだ」
「小刀といえば、あんたに頼まれた、これだ。ひざ下に短剣を隠し持つためのホルダー。
ご希望通り、腓腹筋の動きを妨げないように、ベルトの位置はおまえさんの体格にあわせて調節してある」
皮細工のホルダーを受け取ったアレンは、満足そうにうなずいた。
「よく短時間で準備できたな。
たたき起こしておいてなんだが、『無理』のひとことで断られるんじゃないかと思っていた」
感心されて、グランティエは胸をはった。
「ふふん! わしは銃器の専門家だが、部隊の運営にかかわる兵器いっさいのことなら、なんでもござれの技術屋でもあるんだよ。既存の皮細工をちょいと加工する程度、朝飯前だ。
まだまだ、若造には負けんわい!」
わははと、笑うグランティエの後ろで、また扉が開く。
部屋に入ってきたのは、ローレリアン王子の小姓のラッティと、首席秘書官のカール・メルケンである。
ラッティは両手に暖かそうな外套を抱えている。
「リアン様、地味な色合いの外套を探してまいりました。あまり上等に見えないようにというお申し付けでしたから、探すのに苦労しましたよ。
あと、ブーツです。狩猟用具室から失敬してきました。ちゃんと、凍った雪の上でも滑らない靴底がついたやつです」
首席秘書官は王子の荷物に紙の束を押しこむ。
「殿下。こちらは、いまわかる限りの現地の情報と地図です。
それから、こちらの封書は現地に潜伏している密偵の資料。これは現地にお着きになる前にお読みになって、焼却処分していただきたい。敵に正体がばれれば、その密偵は消されてしまいますから。
王都の街に潜伏している密偵のうちの何人かも、北方出身の者を選んで、すでに北へむかわせました。
彼らは目立たないように、単独で街道から外れた道を移動します。おそらく、殿下より1日遅れる程度で、オトリエール伯爵領へ着くでしょう。
彼らは遠巻きに殿下をお守り申し上げますが、何かお命じになる必要があるときには、このハンカチを目に付くところへ置いて下さい。それを見たものが接触してきます。合言葉は――」
メルケン秘書官は、淡々と必要な言葉を紡いでいく。オトリエール伯爵領で反乱が起こったときに何をどうするかについては、昨年の年末ごろから、検討に検討を重ねてきた。王子が現地へ出発したあと効力を発効する命令書も、すでに複数作ってある。あとは、実際に行動するだけなのだ。
メルケン秘書官の言葉を聞きながら、ラッティは王子の最後の支度を手伝った。
外套を着せかけ、首にマフラーを巻きつけ、帽子と手袋を渡すと、もう何もやることがない。
「殿下、御髪をかくす鬘は荷物の底のほうに入っております。鬘をお使いになるときには、もったいないですが御自分の御髪を、できるだけ短くお切りください。リアン様の御髪の色は人目にふれますと、とても目立ちますから」
「わかっているよ、ラッティ。ありがとう」
「やはり、どうあっても、ぼくをお連れいただくわけにはまいりませんか」
ローレリアンを見あげてくるラッティの瞳には、いまにもこぼれ落ちそうな涙があった。声も、消え入りそうだ。
けなげな少年のほほを、ローレリアンは、そっと撫でた。
「今回は、つれていけない」
「足手まといにはなりません! ですから!」
「おまえがいっしょに来てくれれば、ずいぶんと役に立ってくれるだろうとは思うがね。
しかし、街道を早馬が3騎も並んで走れば、目立ちすぎてしまう。
それに、おまえは、わたしのお気に入りだ。
表向き、ひどい風邪をひいて寝込んでいることになっているわたしの寝所のそばから、アレンだけでなくおまえまでいなくなったら、宮廷人たちに不審がられてしまうだろう?」
「はい……」
「実際、わたしが寝込んだときの世話は、おまえ以外には頼みたくないよ。おまえは、わたしのことを、なんでもよくわかっているからね。
頼りにしているから、留守を頼むよ。わたしの不在がばれないように、うまくやってくれ」
メルケン首席秘書官が、アレンに言う。
「アレン隊長、くれぐれも殿下を」
馬の背にくくりつける袋を二人分肩に担ぎ、アレンは真顔で答えた。
「命に代えてもと、俺はいったい、何度誓えばいいんですか?」
秘書官は苦笑した。
「すまんな、つい」
「絶対とは言わんが、なんとかしますよ。
俺はネイジェ地方育ちの田舎者だ。雪の中の行動にも慣れていますからね」
「そのへんは、幸運だった」
出発のときがきたと、アレンは一同を見まわす。
「見送りは、シムスだけでいい。俺と殿下を通用口まで先導しろ。途中、誰かに俺たちの姿を見とがめられたら、いいわけが厄介だからな。いまの俺と殿下の姿は、見た目、立派な不審者だ」
ローレリアンも、近しい者たちの顔を見まわした。彼の口元には、おだやかな微笑がある。
「わたし一人で、このたびの事態をどうにかできるとは、毛頭思っていない。先陣を切る役はわたしが担うが、それぞれがそれぞれの役目を果たしてくれなければ、事態は悪化の一途をたどるだろう。
国中に広がる反乱の火の手のおかげで国が滅びるなどという、最悪の事態だけは防がねばならない。
『みなを信頼している』と。
そう、王子が告げたと、宮の幹部達には伝えるように」
「御意にございます」
「いってらっしゃいませ」
「ご無事をお祈りしております」
その場に残される人々は、深く拝礼して王子と護衛隊長を見送った。
扉が閉じると、夜明け前の静寂があたりを支配する。
しばらく黙りこんだあと、彼らはなすべきことをなすために、動きはじめた。
最初に動いたのはラッティだった。
「ラドモラス博士のところへ、使いを出してきます。体調がお悪い王子殿下のお加減を診るのは、国一番の名医でなくちゃいけませんからね。レオニシュ先生なら、殿下のお芝居に、ノリでご協力くださるでしょうし」
「わしは、エスト街の銃器工房へ行ってくる。アレン小僧には、弾丸を試作分の12個しか渡せんかったからな。もう少しまともな数をそろえて、後発隊の連中にでも届けてもらわんと」と言ったのは、技術士官のグランティエである。
にわかに活気づいて王子の私室から出ていく彼らの後ろ姿を見送りながら、首席秘書官は深いため息をついた。
「では、わたしは黒の宮の幹部連中が出勤してくるまでに、現状報告の資料をつくるとしようか」
カール・メルケンの立派な髭は、どことなく垂れ気味だった。髭の下の唇が、どうしても不機嫌にゆがむからである。
彼の脳裏には、朝一番で会うことになる黒の宮の幹部連中の顔が、次々に思い浮かんでいたのだ。
連中はきっと、なんで自分たちも夜明け前に起こしてくれなかったのだと、怒るに違いない。
自分達だって、神殿巡回査察官姿の聖王子殿下と、不真面目そうな召使に扮した強面の護衛隊長の姿を、ひと目でいいから拝みたかったのにと言いながら。




