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真冬の闘争  作者: 小夜
第四章 王都に降る雪
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王都に降る雪 … 3

 国王にも、よくわかっていた。


 バリオス3世とて、だてに32年ものあいだ、この難しい時代の王を務めてきたわけではないのだ。


 経済力という武器を身に帯びた富裕層の平民は、先祖から受け継いた領地の民から搾取するだけの貴族を快く思っていない。


 王国建国当時の貴族たちは、領民から地代を納めさせるかわりに、その地方の領主として軍事的に領民を守り、司法の担い手となり、灌漑や防災といった、ありとあらゆる生活基盤の整備を一手に引き受ける頼もしい存在だった。


 しかし、その時代より300年の年月が流れたいま、国を支える経済活動を主に担う者は、工場の経営者や流通産業にたずさわる富裕層の平民に替わりつつある。国を守る軍事力も、力を失った貴族たちの手から、国家のもとへ移された。


 新たな勢力である富裕層の平民は、「報酬とは努力の結果で手にするもの」という信念を持っている。それは、まっとうすぎて反論の余地すらない真理だ。彼らの理念に照らせば、「いまの時代に貴族が担っている役割とはなんなのだ?」ということになる。


 逆に、時代の波に乗りそこねて力を失いつつある貴族たちは、富裕層の平民たちへ嫉妬の感情を持っている。


 先祖から受け継いだ既得権の上にあぐらをかいてきた貴族たちにとって、いまの自分たちの状況は不本意なものなのである。高貴なる血筋を誇る自分たちが、なぜ金銭のやりくりなどで苦労しなければならないのかと。


 国王のもとには、今でも時々、地方貴族からの嘆願書が届く。


 このままでは由緒ある○○伯爵家が潰れてしまいます。債権者に債権の回収を待つよう、王からのご命令をいただけまいか――、などといった内容の文書だ。


 それに対していつも国王は、丁寧に「法を曲げることはできない」という返事を返していた。


 借りた金は返しなさいと子供に諭すような真似を、国王は32年のあいだ何度となく、くりかえしてきたのだ。


 そういう感覚を当たり前に持っている貴族たちにとって、領主のやりように憤って蜂起した領民は、憎悪の対象である。


 軍の士官の地位は、ほとんどが貴族階級出身者によって占められている。ローレリアンが言うとおり、もし反乱の鎮圧を軍に任せれば、第9師団の士官たち、つまり貴族たちは、大喜びで反乱民の惨殺に走るだろう。


 王命で、その凄惨な行為を止められるとも思わない。


 傲慢な貴族階級の男たちは、王命をはたそうと努力はしたが、反乱民が抵抗したのでやむなく粛清したと、笑顔で報告してくるにちがいないのだ。


 そうなれば、今度は平民側が黙ってはいまい。


 今の時代、平民たちは新聞などの情報を通して、すべての事情をよく知っている。オトリエール伯爵が領民から、天誅とおぼしき復讐をとげられた理由のすべてを。


 同情すべき反乱民を軍が蹂躙に等しいやり方で粛清したとなれば、国中にくすぶっている反乱の火種が炎となって燃えあがる。貧しい地方の民は、理不尽な貴族を憎んでいる。


 そうなれば、ローザニア王国はまたもや、傾国の危機に見舞われるだろう。


 暖炉のそばに立っているというのに、国王は自分の肌に泡立つ鳥肌と冷や汗にさいなまれて、身震いした。


 彼の息子が言う。


「父上、しっかりなさってください」


 卑屈な気分で、国王は息子の顔を見た。そういわれてしまうほど、いまの自分は情けなく見えているのだろうかと思って。


 しかし、息子は真摯な瞳で、父を見つめてくる。


「父上は、この国の王です。

 おわかりですか。わたくしごとき若造が、こうやって権力をふるえるのも、あなたの息子だからです。

 あなたが、この国の王だからです」


「ローレリアン、余は……」


「32年ものあいだ、王としてあらねばならなかった父上の孤独は、いかばかりかとお察し申し上げます。

 そのうえ、これから宰相殿のあとをついで父上の輔弼(ほひつ)を務めさせていただくわたしは、いかにもまだ若い。父上が王位に着かれたときには、すでにひとかどの権力者であった宰相殿より、頼りなく思えるのも当然です。

 ですが、わたしは、いまの自分の立ち位置を気に入っております。

 わたしは、世継ぎの王子ではない。

 だからこそ自由に動けますし、国家の大義にかかわる義務にもしばられておりません。

 そういうわたしだからこそ、この事態に対処できるのだと、お考えいただけませんか」


「だが、ローレリアン。

 余は不安なのだ。

 この国の未来のためにも、余は、そなたを失うわけにはいかぬ」


「そうお思いくださるならば、わたしの命を守るためにも、父上には頑張っていただかなければなりません」


「どういう意味だ」


「いますぐ王都から出発したとして、わたしがオトリエール伯爵領に到着するのは4日後です。わたしは伝令のように途中で交代できませんので、深夜の仮眠も旅程に組み入れますと、それが最速の日程になるかと思います。

 通常の連絡手段で王都へオトリエール伯爵領で起こった反乱が伝わるのが、本日より7日後。検閲で新聞記事の差し止めに成功したとしても、宮廷の要職にある貴族たちにまで、情報が流れないようにすることは不可能です。

 おそらく貴族たちは、地方民反乱の知らせを聞いて震えあがり、ただちに反乱鎮圧の命令を軍に出せと、国王陛下へ迫るでしょう。オトリエール伯爵がたどった末路は、自分の領地でも反乱が起こる可能性があると自覚している者にとっては、己の未来の示唆に見えてしまいますので。

 つまり、何も対策をなさねば、わたしがかの地で反乱を鎮める手立てを模索できる時間は、わずか3日しかないということ。第9師団出動までを期限と見ても、6日間です。いかにも、時間が足りません。

 ですから、父上にはこの国の王として、貴族たちに正義とは何かを説いていただきたい。反乱が起こった経緯を正しく調査し、処分は司法の手にゆだねるべきであるとして、武力による反乱鎮圧行動に走ろうとする貴族たちを抑えておいていただきたいのです」


 国王の口元には、皮肉な笑みが浮かぶ。


「難しいことを要求するのだな。余の口は、そなたや宰相のように、なめらかには動かぬぞ」


「王が饒舌である必要はございません。

 貴族たちが騒ぐさまを悠然とながめ、ご自分の主張を曲げず、岩のごとくあればよろしいのです。

 父上が1日頑張ってくだされば、わたしにも、1日の猶予が増えます。

 不肖の息子を助けてやろうと思ってくださるならば、1日でも2日でも、とにかく強硬な手段に出たがる貴族たちを抑えてください」


 ローレリアンは肩をすくめて笑った。


「わたしとて、命は惜しいのです。

 二世を誓った女性のもとへ、無事に帰ってきたい。

 ですから、反乱民の中で内偵に励んでいるさい、軍の攻撃に巻き込まれて生死不明などという、最悪の事態におちいることだけは勘弁願いたい」


「モナシェイラ嬢のもとへか」


「はい。恥ずかしながら、わたしは彼女に魅了されております。

 彼女を正式に娶る前に死ぬようなことになれば、この世に未練が残り、わたしはまちがいなく王宮の幽霊へ仲間入りいたしますよ」


 この冗談には、深刻になっていた国王も反応して笑った。プレブナンの広大な王宮には、幽霊が出るという心霊スポットが多数存在する。権力争いに破れて非業の最期を遂げた者や暗殺に倒れた者が、300年の伝統を誇る王家には山のようにいるのだ。


 しばらく楽しげにしていた国王の笑顔は、やがてあきらめを含んだ寂しげなものになった。


 結局のところ国王は、この利発な王子に頼るしか、事態を打開する手段を持たないのである。


「現世に執着ができたというのは、喜ばしいことだ。

 いつも気にしていたのだが、そなたにはどこか、投げやりなところがあった。いつ死んでもいいと、言いたげな気配が」


 息子は苦い微笑とともに答える。


「自分は天涯孤独だと信じていた神学生が、いきなり『おまえは王子だ。国を背負う立場だ』と知らされたのです。いったん死んだ気にでもならなければ、そんな過酷な運命は受け入れられません。

 彼女と恋をして、わたしは初めて自分の将来のことを考えられるようになりました。

 おかげで今は、まだ死にたくないと、切実に思います」


「ならば、無事にもどれ。

 余にできる支援は、なんでもしよう」


「はい。ありがとうございます」


 国王は息子の肩を愛しげに抱いたあと、そばに控えるアレン・デュカレット卿のほうへ振り返った。


「誰かある!」


 呼び声に応えて、侍従が控えの間から姿を現す。


「余の守り刀を、これへ持ってまいれ」


 国王の要求によって寝所から持ってこられたのは、刃渡りが広げた手ほどの小刀だった。


 建国から100年ほどを経て国力が安定したころより、王宮内でローザニアの国王は帯剣しなくなった。剣を帯びない王の存在は、ローザニアが他国から攻め入られることがないほどの大国である象徴だとされている。


 そのかわり、王はつねに衣服の帯に小刀を挿すようになったのだ。これは、王が王たる象徴とされている。戴冠の際に王となる者は、敵に命を取られそうになったときには自害して先に果て、国家の矜持を守る誓いを立てる。


 その小刀は寝所にまで持ちこまれるため、守り刀と呼ばれる。今の時代においては、王の命と名誉の不可侵性を象徴する儀礼的な小道具だ。


「アレン・デュカレット卿」


「ははっ! ここに控えます」


 国王に名を呼ばれたアレンは、その場にひざまずき騎士の礼をとった。


 威厳たっぷりに国王は小刀を鞘から抜き放ち、刃身でアレンの右肩をひと打ちする。


「我が守り刀を受け取るがよい。

 この刀をつねに身に帯び、王子を守れ。

 王子を守ることは、祖国を守るに等しいと心得よ」


「王命、確かに賜りました。

 わが命に代えてもと、誓い申し上げます」


 小刀を受け取るアレンの瞳は、薄暗がりの中で爛々と輝いた。


 文字通り、その誓いは命とひきかえの誓いだったのだ。


 王の守り刀は、王を守るために命を捧げた戦士にだけ下賜される。いわば墓に入る騎士だけが受け取れる究極の名誉の品を、アレンは先渡しで授与されたのである。

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