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真冬の闘争  作者: 小夜
第四章 王都に降る雪
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王都に降る雪 … 2


 その日の雪は本降りになることなく、夜半にはやんだ。冷え込みはかなり厳しかったが、夜明けを待つばかりとなった暁闇のころには、雲の切れ間から天高くにある小さな月が見えかくれしはじめた。


 うっすらと地面を覆った雪は月の光を反射すると、白々と輝いた。雪の反射のおかげで、先ほどから雲の動きにあわせて、あたりの闇は濃くなったり薄くなったりをくりかえしている。


 自分のそばにある携帯用ランプの弱い光より雪に反射する月明かりのほうがはるかに明るいので、窓辺に立ったローザニア王国第二王子ローレリアンには王宮の北翼の一画にある庭の様子がよく見えた。


 手入れの行き届いたその庭は、彼の母親エレーナ王妃が丹精している小さな庭だ。雪や霜にやられやすい花木の枝には藁や檜の皮で編んだ雪囲いが施され、冬になっても葉が落ちない柊の葉陰には、小鳥のための餌台がしつらえられている。


 エレーナ王妃は暗殺されそうになった息子の命を守るため、みずからの身も辺境の山間地へかくし、宮廷人たちの記憶から自分たち母子の記憶を消し去ろうとした人だ。


 質素で静かな彼女の辺境暮らしは18年にもおよんだ。


 その後、成人した息子が王都へもどって王の子としての権利を求めようとしたとき、彼女は迷うことなく行動を共にしてくれた。それはすなわち、国王の寵妃である彼女自身の権利を回復することでもあったのだが、王都へもどり地位を取りもどしたことが、はたして彼女にとって本当によかったことなのかどうか、いまのローレリアンには、よくわからなくなっている。


 今現在、この国の将来を担える王族の男子はローレリアン一人しかいないので、母親は否応なく、気楽な寵妃の身分から父国王の後添えの王妃へと祭り上げられてしまったのだ。


 王妃になったせいで、母親は時間と義務に追い立てられる生活を余儀なくされている様子だ。丹精してきたこの庭も、いまでは庭師にまかせっきりだと聞く。


 自然の風情を生かした母親の庭からは、彼女が長年暮らしてきた山間地の気配が感じられる。


 母親には絢爛豪華な花でうめつくされた花壇で地面に模様を描く、宮廷風の庭など似合わない。雑草として咲く小さな花が紛れ込んでいても、それが季節の彩となるこの庭こそが、思いやり深くて物静かな母のための庭である。


 憂鬱な気分でローレリアンがため息をついた瞬間、背後で扉が開く。


 扉のむこうからやってくる人物の足元は複数のお着きの人間が持つ明かりで照らされており、ローレリアンが立つ部屋の内部は急激に明るくなった。


 ゆらゆら揺れる明かりをかかげた侍従の一人が、深々としたお辞儀とともに言う。


「王子殿下。国王陛下のおなりでございます」


 ふりむいたローレリアンの視界を遮らないように、ランプをかかげて黒の宮から王宮の北翼までつき従ってきていたアレン・デュカレット卿が、一歩身を引く。


 おかげでローレリアンは国王と正面から対峙することになった。


 国王は、いままさに寝所から出てきたばかりといった様子で、白い夜着の上に錦織のガウンを羽織っていた。対するローレリアンは、すでに身支度をすませており、いつもの黒い法衣姿だ。


「父上。このような時間に御寝所へおしかけました無礼を、おわび申し上げます」


 謝罪から話を切り出した息子が、言葉とは裏腹に、ちっとも悪いと思っていないことは、態度や鋭いまなざしを見れば明らかだった。国王は、よくない報せを察して、表情を曇らせうなずいた。


「よい。そなたの様子からすると、朝まで待てない用件なのであろう。

 いったい、何があったのだ?

 早急に説明せよ」


 ローレリアンは、すでにおわかりでしょうがという断わりを言外の態度ににじませながら、報告をはじめた。


「つい先ほど、昨年末より領民の動向に不穏な兆しありとして警戒を強めておりました王国の北の地オトリエール伯爵領より、急使がまいりました」


「北か」


「とうとう領民が蜂起いたしました。

 長年にわたって虐げられてきた者たちは、冬の寒さと飢えにさいなまれ、怒りの限界に達したのでしょう。

 オトリエール伯爵と伯の家族は、邸宅に大挙しておしよせた反乱民に拉致され、私刑によって絶命したとのこと。

 もっとも、人的な被害は、それだけで済んだようです。

 伯爵の過去の所業がさまざまにあばかれてからというもの、邸宅の使用人も、行き場のないわずかな者しか残っていなかったそうでございます。彼らは、反乱民から暴力を受けることもなく解放され、みな散り散りに逃げた模様です。

 伯爵邸に押しよせた反乱民は、そのまま伯爵が所有する鉱山へ逃げこみ、籠城の態勢となっております」


 国王はうなった。


「オトリエール伯爵領と王都は400メレモーブの距離にある。

 早馬による情報が王都へ伝わるまでの時間差は、どの程度か」


「使者がもたらした報告書に記された日時から計算いたしますと、丸3日ほどかと思われます。かの地にはすでに雪がありますし、日が短い今の季節、馬が駈足(かけあし)で走れる明るさの時間帯は限られておりますので」


 これがこの時代における、最速の通信伝達速度である。


 ローザニアは内海の東岸を支配する大国なので、主要な街道には10メレモーブごとに宿場が整備されており、そこには国が設置した伝令詰所もある。伝令詰所には常に馬が養われており、国家的に重要な連絡は、この馬のリレーによって運ばれるのだ。


 馬は人間より速く走れるが、じつはそれほど耐久力に優れた動物ではない。駈足で走りつづけられるのは、せいぜい12、3メレモーブ程度である。だから伝令は10メレモーブごとに交代する。


 しかも、馬はあまり夜目がきかないから、暗くなったら駈足をさせるのは危険だ。どうしても急いで運ばなければならない情報は、夜のあいだはカンテラをかかげて走る人間によって運ばれる。そのほうが、暗がりをとろとろ歩く馬よりも速いからである。


 そこまで労力を割いて、やっと情報は徒歩なら10日かかる距離を3日で運ばれてくるわけだ。10メレモーブごとに常時馬を待機させておくような真似ができるのは国家だけだから、そのほかの一般人は、歩く速さを基準とした時間感覚とともに生きている。


 しばし考えたあと、国王は口を開いた。


「それで、どうするつもりなのだ?」


 問われたローレリアンは、「またか」と思った。


 宰相カルミゲン公爵が晩秋のころから体調を崩して寝込んでしまったもので、近ごろ国王は、たびたびローレリアンへ重大な決断への介入を求めてくる。


 いまの問いかけなど提案を求めているようでいて、じつは問題をローレリアンにむかって丸投げしているようなものだ。信頼されているのはありがたいが、国王はあなたなのですから自分の意見も示してくださいと、説教したくなってしまう。


 しかし、この場で父国王にむかって、不満げな顔など見せている暇はない。事態は一刻を争う勢いで動いているのだ。


 ローレリアンは低い声で、「人払いを願います」と告げた。


 それに応えて国王が手を振ると、暖炉に火を起こす作業をしていた侍従たちは、そろって部屋から出ていった。残ったのはローレリアン王子付き護衛隊長のアレン・デュカレット卿だけである。侍従たちは名高い剣士である『王子殿下の影』ならば、密室内で何があっても王と王子を守りきるだろうと信じている。


 テーブルやコンソールの上に残された燭台の火が、窓辺の雪をぼんやりと光らせている。


 雪に反射した淡い光は、蝋燭の炎とはまた別の暗い影を生む。いくつもある部屋の窓から、さまざまな角度であたりを照らす雪明りは、深慮をめぐらせるローレリアンの整った顔に複雑な陰影を作っていた。


「わたくしが父上に提案申し上げたいことは、いくつかございます」


「うむ」


「まず第一に、宰相殿の名前を拝借し、情報の統制をおこなっていただきたい。とくに、新聞記事の検閲です。

 莫大な費用を投じて国家が情報をできる限り早く得ようと努めるのは、地方で生じた問題が市民のあいだに知れわたる前に、なんらかの対策を講じられるからです。

 いままさに政府は、市民より7日早く動けるという、時の利を得ております。これを最大限に生かさねば、事態はより深刻な方向へと転じていくでしょう。

 やっと軍の再編を終えたばかりの我が政府には、国のあちこちで起こる反乱を同時に鎮圧できるほどの力は、まだありません。

 時代の変化によってもたらされた地方経済の衰退に対して何の対策も講じず、自分の贅沢な生活を領民を押さえつけることで維持してきた領主がいる土地には、長年虐げられてくすぶり続けた領民の負の感情が怨嗟となって蓄積されているのです。そのたまりにたまった怨みの感情を、連鎖によって各地で爆発させるわけにはまいりません。

 ただ、情報の操作は、あくまでも宰相殿の命令ということにしていただきたい。

 政府が意図的に反乱事件を隠ぺいしようとしていた事実が市民に露見すれば、また新たな反政府感情を生んでしまいます。国の経済を動かすほどの力を持ち始めた富裕層の平民は、貴族たちが考えているよりも、はるかに賢い。政府が情報を意図的に操作した事実は、隠そうとしても必ず明るみにひきだされるはずです。

 ですから、ここは引退目前の宰相殿に、泥をかぶっていただきます。真の愛国者である宰相殿ならば、苦りながらも、その役をお引き受けくださるでしょう。

 新生ローザニア王国の政府、つまり父上とわたくしで築いてまいります新体制は、あくまでも精錬潔白であらねばなりません」


 国王は、そばにあった椅子に腰をおろし、苦々しげに口元をゆがめた。


「何事にもぬかりない、そなたのことだ。もうとっくに宰相のところには、使いを送ってしまったのであろう?」


 ローレリアンは、かしこまって腰を折る。


「急がねばならぬ状況にて、やむなく」


 深いため息をつきながら、国王は問う。


「それで? 情報をかくしたあとは? 北へ軍隊を投入するのか?」


 いいえと、ローレリアンは首をふった。


「情報をかくしたうえで軍隊による反乱鎮圧など強行すれば、世論は必ず政府を批判する方向に動きます。

 軍が動けば、多数の死傷者が出ます。そのほとんどはオトリエール伯爵に迫害されていた哀れな領民であると、反政府運動家たちはこぞって宣伝するでしょう。

 反政府勢力に燃料を与えるような真似は、控えるべきです」


「では、実際に起こっている反乱を、どうやって鎮めるというのだ」


 いらだちを表に出した国王は息子をにらんだ。


 息子はつねに世間の常識の斜め上をゆく奇抜な方法で、国家の危機的状況を乗り切ってきた。そのやりようによって、息子は常人が普通にやりとげる成果の何倍もの結果をはじき出しているのだが、堅実を信条として30年以上も国家の元首を務めてきた国王には、その息子の判断が、どれも危ういものに見えてしまう。


 今回も、息子はとんでもないことを言いだした。


「父上。わたくしは本日より当分のあいだ、ひどい風邪をひきこんで公務を休みます。この風邪は真冬に流行するたちの悪いものなので、なかなか回復いたしません。

 よって、少なくとも10日間は誰とも面会するつもりはございませんし、まっとうな判断ができませんので、何かのお問い合わせをいただいても返答いたしかねます。

 その旨、ご了承をいただきたいのです」


 国王は顔色を変え、椅子を蹴って立ちあがった。


「ローレリアン、そなた、まさか!?」


「はい。ご明察のとおりでと、申し上げます。

 軍を動かさずにオトリエール伯爵領で起こった反乱を鎮める手立てを得るため、わたくし自身が、かの地へおもむく所存でございます」


「ならん! ならんぞ!

 そなたは、この国の未来を担える、唯一無二の王子ではないか!

 そなたこそが、事実上、余の跡取りである!

 そのような危険な真似は、断じて許さん!」


 気色ばんだ国王とは対照的に、ローレリアンはただ静かに、その場へ立っている。


「では、国王陛下。

 かの地へ軍を出動させますか?

 いまからオトリエール伯爵領にむけて早馬を出せば、3日後には王国の北方を守る第9師団が出動し、反乱民が立てこもる鉱山を急襲して騒動を鎮めることでしょう。

 しかし、王国軍第9師団は、オトリエール伯爵領近辺の十二の領主の私兵を集め、近代化の名のもとに再編した部隊です。

 おそらく、第9師団の幹部達は、伯爵を殺した反乱民に情けなどかけません。反乱民は一人残らず、軍の攻撃によって、虐殺されるでしょう。たとえ無抵抗でも、一方的に」


 先ほど侍従が暖炉に起こしていった火が、やっと室内へ本格的な熱を発しはじめた。その熱を体の片面に受けていた国王のこめかみには、真冬だというのに汗がにじんでいた。


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