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真冬の闘争  作者: 小夜
第四章 王都に降る雪
22/50

王都に降る雪 … 1

 年が明けると、ローザニア王国の王都プレブナンにも本格的な冬がやってきた。


 プレブナンは内陸部に位置しているため冬の寒さはそれなりに厳しいが、街の人々の暮らしを支えている大河レヴァが凍りつくこともない、暮らしやすい気候の街であった。


 人々の冬の暮らしぶりを左右する雪の量も、それほど多くはない。例年なら、12月下旬にちらつくだけで積もることがない淡雪に始まり、1月と2月に数度、厳しい寒波と共に降る本格的な雪があり、3月初旬には春を待つささやかな名残雪や雨まじりのみぞれが降って終わる程度だ。


 幸いなことに、ひと冬に数度降る本格的な雪も一週間ほどですっかり溶けてしまい根雪になることはない。道に積もった雪がある数日のあいだ多少不便な思いをするだけなので、王都の住人は雪をそれほど嫌ってはいなかった。


 一月半ばのその日も、王都の空はどんよりとした雲におおいつくされていた。


 急激な冷え込みと共に、こんな雲が空をおおうときには、必ず雪が降るのだ。王宮の南翼のバルコニーに立って空を見上げていたヴィダリア侯爵令嬢モナシェイラは、両肩を覆うショールを胸元にかきよせて身震いした。


 子供のころは、いまにも雪が落ちてきそうな空を見ると、雪遊びが楽しみでならずにわくわくしたものだ。けれどもいまは、ただ憂鬱なだけだった。暖房のための石炭など買う余裕がない貧しい人々が、この寒さをどうやって乗り切るのだろうかと考えると、自分の体も芯から凍えるような気がする。


 バルコニーからながめおろす王宮の南面の庭は、広い芝生の広場になっている。その芝はすっかり冬枯れて、褐色に染まっていた。春には華やかな園遊会、夏には宵の納涼会、秋には勇ましい狩猟会の出発式が行われる芝生の広場は、閑散とした静けさに包まれていた。


「ごめんなさいね、モナ。

 忙しいあなたには、あのような御婦人方の集まりは退屈なだけなのでしょう?」


 あまりにあたりが静かなので、空から降りてくる最初の雪が舞う音が聞こえるのではないかと思っていたモナは、ふいに背後から話しかけられて、あわててふりむいた。


 相手の顔を見ると、自然に口元がほころぶ。


 声で予想した通り、モナに話しかけてくれたのはローザニア王国で最も高貴な女性、エレーナ王妃だったのだ。


 エレーナ王妃は国王バリオス3世の寵妃として長年すごしたのち、つい最近、正式な後添えの王妃となった人で、モナの婚約者であるローザニア王国第二王子ローレリアンの生母である。彼女は国王の庶子として生れ落ち、遠い地でみずからの出自すら知らされないままに育ち、現在も異母兄の王太子と王位をめぐって争いになりかねない難しい立場にいる息子のもとへ、人生のすべてを捧げる覚悟で嫁いで来てくれる女性がいることを、心から喜んでいた。だから、なにかというと当人のモナへも、気遣いを見せてくれる。


 自分へ好意を寄せてくれる人と話すのは楽しいものだ。モナは王妃陛下へ敬意の礼を捧げながら、にこやかに答えた。


「退屈だなんて、とんでもありません。

 ただ、いまにも雪が降りそうな空模様が気になっただけなんです」


「レヴァ川の東岸に住む人たちのことを、気になさっておいでになるのね? あなたは、王都大火で焼け出された人々のために行われる公共事業に、いろいろとたずさわっていらっしゃるから」


 ただでさえ気苦労が多いエレーナ王妃に、新たな心配の種を提供することはないだろう。そう考えたモナは、自分の心中を半分だけ打ち明けることにした。


「いま心配なのは、春に一部竣工を予定している国立病院の建物の工事が遅れることくらいですわ。

 国王陛下が下町の共同住宅の建築を急いでくださったおかげで、本格的な雪の前には、なんとか王都大火で住まいを失った人たち全員を屋根の下に入れてあげることができましたので。

 まだ住宅の数がぜんぜん足りなくて、この冬は一部屋に二、三家族がぎゅうぎゅう詰めでおさまっている状態ですけれども」


「本当は、現場に出かけて行きたいのではなくて?」


「いいえ。今日の集まりに参加することは、ずいぶん前から決めていたことですし。

 それよりも、月に一、二度しか王妃陛下のサロンへうかがわないご無礼をお許しいただき、感謝しております。

 本来ならば、王妃陛下のもとで宮廷の慣習などを学ばせていただかなければならない立場にあるというのに、好きなようにさせていただいて」


 エレーナ王妃は、優しげにほほ笑んだ。


「無理して集まりに参加してくださらなくてもいいのですよ。

 あなたが顔を出してくださると場が華やかになりますし、集まった御婦人方も喜んでくださいますけれどね」


 モナは肩をすくめてみせる。


「御婦人方のあいだで、いまやわたしは、珍獣扱いですわ。

 王子殿下と婚約したあとも街を飛び歩き、王子殿下以外の男性と仕事をする女なんて、前代未聞ですから。

 珍しい女を見て御婦人方がお喜びになるのでしたら、それもまた一興ですけれども」


「なすべきことをなそうとしているだけのあなたを笑う者は、いまに自分の愚かさを知ることになると思います。

 時代は変わろうとしているのですよ。

 この御婦人方の集まりを主催しているわたくしにも、集まりの意義が、よくわからなくなっているの。

 地方領主同士の和をつなぐことが王家の重要な役割だった時代は、もう終わろうとしているのではないかと、わたくしも感じていますから。

 世界が動く理屈は、経済の動向に支配されつつあるのです。これから世界は、経済活動圏としての国家単位で動くようになるはずです」


 モナと王妃が息抜きをしているバルコニーに通じている広間で行われている集まりは、貴族の女性たちのための娯楽会だった。


 王都の貴婦人たちのあいだで午後から夜にかけて行われるこの手の集まりは、各家庭の居間で行われることが多いので、俗にサロンと呼ばれている。上流階級の夫人にとって、「誰それのサロンへの出入りを許されている」ということは社会的な地位の証明になる。


 長年にわたって三人の臣下の夫人が宮廷の女主人役をめぐって暗闘していた状況を打破し、王妃のもとへふたたび女の権力を収束しようとするならば、エレーナ王妃もサロンを開いて人を集める必要があったのだ。古い勢力のもとへ集まる人々を、王妃のもとへ奪い返すために。


 しかし、王妃自身は、その集まりをむなしいものだと感じている。


 近代化と中央集権化が進んだおかげで、いまでは昔ほど、地方領主の権限は強くない。300年前の封建時代なら、領主の奥方達を集めて自分にしたがわせることも、王妃の重要な役割だったのだろうが。


 王妃のサロンに集まっている女性が毎日していることといえば、カードゲームや音楽会、詩の朗読会やおしゃべりである。


 着飾ってサロンに集い、とても庶民の口には入らない高価な葡萄酒や珍味などを腹におさめ、暇つぶしの娯楽で無為な時間をすごすことに、エレーナ王妃は早くもうんざりしはじめていたのだ。


 王妃は冷めた目で、ガラス戸のむこうの賑やかな集まりをながめやった。10月にサロンを開いた当時から比べると、集まる人の数は3倍以上になった。王妃のサロンは、連日おおにぎわいである。


 切ないため息が、王妃の口からもれる。 


「わたくしには、こういう古臭い方法でしか、いまの宮廷を治めることができないの。

 でも、モナ。あなたなら、もっと違う方法で、人の和を築くことができるはずです。あなたとローレリアンの時代には、きっとローザニアの宮廷も変わるでしょうね」


「さあ、どうでしょうか……」


 モナはあいまいに笑った。


 実際のところ、モナは自分が王子妃になったときには、忙しさを理由にサロンを開くことはするまいと思っていた。


 自分が親しくするべき人は、宮廷の権力者たちではなく、国家や民衆のために働いてくれる人なのだ。


 でも、そんな考えを実行に移せそうだと思えるのは、姑になるエレーナ王妃が貴族の女性たちの欲求を掌握してくれていればこそだ。


 世間の価値観は、そうすぐには変わらない。


 中継ぎをしてくれる人がいて、初めて改革は成し遂げられるはずなのだから。


「わたしも、できる限り、王妃陛下のサロンには顔を出すように努めますから」


 感謝の気持ちは、モナの柔らかい口調にあらわれた。


 王妃も、嬉しそうに答えた。


「ありがとう、モナ」


 遠くへ目をむければ、灰色の空の下に沈む王都の街並が見える。二人は寒さから逃がれようと、身を寄せあった。


 サロンに通じるガラス戸が開き、部屋のなかから王妃の侍女のジャンニーナが出てきた。


「王妃陛下、お体が冷えてしまいます。そろそろお部屋の中へおもどりになられては」


 ジャンニーナのうしろには、さざめき笑う貴婦人たちが集まっていた。


 彼女たちは口々に言う。


「王妃陛下、モナシェイラ様と何のおはなしですか」


「バルコニーから、何か見えますか」


「どうぞ、わたくしどもも、お二人のおはなしに加えてくださいませ」


 彼女たちの目には、王妃と未来の王子妃の姿は、国家の最高権力者の妻たるにふさわしい絢爛豪華なものとして映っている。


 エレーナ王妃のドレスには、いかにも高価で暖かそうなミンクの毛皮があしらわれていたし、モナが肩に巻いているショールはウールではなく、同じ重さの金と交換されるほど希少とされる岩場ヤギの腹の毛で織り上げたものだ。品よく飾られた髪飾りやイヤリングには、王家に代々伝わる大粒の宝石が輝いている。


 モナと王妃は、苦笑を秘めた視線を交わしあった。


 義理の親子の心の交流も、これで終わりだ。


 王妃と未来の王子妃はこの場で、次の時代への布石をひくために、この国で最も幸福で贅沢な暮らしを許された女を演じなければならない。


 ふと、モナは空を見あげる。


「みなさま、ご覧になって。

 ほら、雪が。

 わたくしと王妃陛下は、この最初のひとひらの雪をつかまえられないかしらと、外へ出てまいりましたのよ」


 貴婦人たちは歓声をあげた。


「最初の雪を、つかまえましたわね」


「ロマンチックですこと」


「お二人は詩人になれますわ」


 はらはらと天空より舞い散る雪に手をかざし、美しく着飾った女性たちは無邪気にはしゃぐ。


 モナも楽しげに彼女たちとしゃべった。


 心の奥底では、この美しい雪の冷たさが怖いと思いながら。


 なんと皮肉なことであろうか。


 王宮の暖かい広間で娯楽を楽しむために集まった女性たちのなかで庶民の苦しみを正しく理解しているのは、この国でもっとも高貴な女性であるはずの王妃とモナだけなのだ。


 モナはショールの陰で、そっと、自分の唇を噛んだ。


 急に変わることはできないけれど、時代は少しづつ動いている。


 こういう時代に王子妃という大役を担うことになった自分の責任の重さが、ひしひしと感じられた。


 雪とともに王都へ吹き寄せる寒風に身をさらし、モナはまたひとつ、大きな身震いをしたのだった。

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