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真冬の闘争  作者: 小夜
第三章 秋の終わり
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秋の終わり … 6


 王太子付き侍従長のジョシュア・サンズがカルミゲン公爵邸から辞したころ、ローザニアの王都プレブナンには『9の鐘』が鳴り響いていた。


 ローザニアの庶民は勤勉である。昔は太陽がのぼると同時に労働をはじめていたものだが、近年では人に雇われて商店や工場で働く人が増えたので、仕事の開始時刻も時計の動きに支配されるようになってきた。


 そのため30年ほど前から、懐中時計を持てない貧乏人にも時刻がわかるように、街の神殿は一時間ごとに時報としての鐘を鳴らすようになった。神殿の鐘楼には大きさが違う5つの鐘がつるされており、時報はこの5つの鐘の音を組み合わせて、毎時間異なる短いメロディーとして打ち鳴らされる。だから、ローザニアの国民なら神殿の鐘の音を聴けば、いまが何時であるかをすぐに言い当てられるのだ。


 『9の鐘』の音を聴いて、内務省衛生局の会議室に集まっていた面々は、「さあ、それではみなさん。予定通り仕事をはじめましょう。がんばりましょうね!」と、声をかけあった。


 その声は、どれも高かった。


 集まっている人のほとんどは、女性だったからだ。


 どの人も、一見乗馬服を思わせるような、上着とスカートがわかれた地味な色合いのドレスを着ている。襟元からは、それぞれ個性的なレースの襟がついたブラウスが見えていて、それだけが彼女たちを華やかに見せる演出となっている。


 このスタイルは男性のフロックコートのスタイルをまねたもので、最近、高級品を扱う商店の女店員や女性教師などのあいだで、流行している。


 女たちは、このスタイルを『ラ・ヴィオランテ』と呼んでいた。


 口語に訳すと、『すみれ風』という意味になる。


 つまり、この流行のスタイルを世に広めたのは、ローザニア王国第二王子ローレリアンの婚約者『すみれの瞳の姫君』こと、ヴィダリア侯爵令嬢モナシェイラなのだ。彼女は8月の王都大火以来、役所や男が大勢いる建築現場などに出入りするときには、『ラ・ヴィオランテ』スタイルを貫いている。


 フロックコートに似たカチリとしたデザインの服を着ていると、男ばかりの仕事場で仕事がしやすかったのである。貴族の令嬢を思わせる甘ったるいデザインのドレスなど着ていると、男たちはモナシェイラをはなから馬鹿にしたような目で見て、まともに相手すらしてくれなかったのだ。


 焼跡の復興や国営病院設立準備のために、モナシェイラが一生懸命に働く姿を見た女性たちは、彼女のようになりたいという意味も込めて、『ラ・ヴィオランテ』スタイルを真似するようになった。おかげで、王都大火から二つの季節をまたいだいま、『ラ・ヴィオランテ』スタイルは高等教育を受けた女性のあいだで、女性らしさを失わずに知性を示せる装いとして大流行中なのだった。


 準備してあった紙の束をそれぞれ手に持って、女たちは最後の確認作業に入る。今日は、来春一部竣工予定の国営病院で事務作業を受け持つ女性職員の採用選考のための試験が行われる日なのだ。


 モナシェイラは、国営病院の事務員として女性を雇い入れることに、かなりこだわっていた。王都大火の被災者のなかには、働き手である男の大黒柱を失って生活にこまっている未亡人の家庭も多くある。ローザニア王国には、まだまだ女性が働ける場所が少ないのだ。読み書きや計算ができる力を生かして働きたい女性にも、活躍の場を作りたいというのが、彼女の望みだった。いままでは、ある程度の教育を受けた女性でも、働きたいと思えば飲食店の女給や工場の女工になるしか選択肢がなかったのだ。


 試験のスケジュール表を読みあげ終わったエテイエ子爵未亡人ジャンニーナは、ほうと、大きなため息をついた。


 国務省衛生局の会議室は、レンガ造りの建物の3階にあった。実用的な窓からは、むかいの建物が迫って見えている。王国の主要な公官庁の建物は、ほとんどが古い城壁の内側にある旧市街に集まっているのだ。旧市街は限られた空間に建物が林立する、混みあった街並みを有している。


 よもや女の自分達が、こんな場所にまで入りこめる時代がやってこようとはと、ジャンニーナは思うのだ。


 モナシェイラは、頑固な男たちと果敢に戦った。


 自分たちの職域を脅かされると感じた男たちは、女を事務員として雇うことに対して、強烈な反発を示したのだ。


 その男たちの反発に対して、モナシェイラは、ひとつひとつ丁寧に説得をくりかえしていった。


 女性の辛抱強さは、毎日同じ作業をくりかえす会計処理などの場面で必ず職場の力となる。


 女性としての細やかな気遣いは丁寧さに現れるから、お金の計算ミスも減るだろう。


 新たな仕事を得た女性は、その仕事を失いたくないから、お金を扱っても不正に走ることはない。


 悔しいが、この仕事を得るためなら、女性は喜んで同じ仕事をする男性より安い賃金の提示も受け入れるだろうとまでいった。教養ある女性は、自分の力を発揮できる新たな職場を求めているのだ。


 結局、男たちを動かした一番の理由は、女性を雇えば人件費が抑えられるという現実だった。


 それは腹立たしかったけれど、いまは女性に働く場所を作ることのほうが大切だ。国の機関が先陣を切って成功例を作れば、民間の会社もこぞって女性を事務員として雇うようになるだろう。


 ジャンニーナは思い出して、くすくす笑う。


 同僚のアニエスが、ジャンニーナの肩に手を置いた。


「ニーナ。また、あの時のことを思い出して笑っているの?」


「だって、アニー。ちょっと思い出しただけでも、笑ってしまうのよ。わたし達に負けた瞬間の、男の人たちの顔を思い出すとね」


「そうね。あれは、かなり愉快な出来事だったわね」


 笑いはじめたら、止まらなくなった。


 ジャンニーナとアニエスは、賑やかに声をあげる。


 彼女たちは、モナシェイラが男たちにむかって「なんなら女性の能力の証明をしてみせますわよ!」と宣言し、反対派の男たちに決闘を申し込んだときのことを思い出しているのだ。


 決闘の内容は、剣でも銃でもない。モナシェイラは計算が得意な女性を10人集めて、役人の男性10人のグループと、会計事務で対決させたのだ。金額自体は大した額ではないが、さばくのに半日はかかる量の伝票を準備し、「さあ、1カペも誤ることなく処理してくださいね」とやったのである。


 結果は速さ正確さともに、女性側の圧勝だった。男性側は永遠に続くかのように思える単純作業に1時間もすると飽きてしまい、馬鹿げたミスを山のように出してしまったのだ。


 モナシェイラに誘われて決闘に参加していたジャンニーナとアニエスは、採点結果を知って、おおいに溜飲を下げた。


 なにしろモナシェイラは、決闘の会場に複数の新聞記者まで呼んでいたのだ。女性が勝利した事実を、男たちがなかったこととして隠ぺいしてしまわないように。


 ひとしきり笑ったあと、アニエスは夢見るような視線を空中に漂わせた。


「ああ、残念だわ。

 もう、あの楽しいモナと、わたし達が、いっしょに働くことはないのね」


「そうね」と、ジャンニーナも同意した。


「モナは王国の未来を担う、聖王子殿下のお妃さまになるのですもの。

 御婚約の正式発表が終わったからには、今までみたいに自由に出歩くことなんか、できないでしょうし」


 女性事務員採用試験の試験官となるべくして集まっていたジャンニーナの女友達たちも、嬉しそうにおしゃべりをはじめた。


「王子殿下の御妃様になるなんて、とにかく大変だと思うわ」


「わたくしでしたら、ローレリアン殿下の御尊顔をそばで拝見しただけで、きっと気を失ってしまいますわ」


「あの優しげなお顔で、殿下はどのような愛の言葉をささやかれるのかしらね」


「わたくし、黒の宮に出入りしている従兄から、聞いたことがありますわ。殿下は側近方の前であろうとためらうこともなく、モナシェイラ様の手に口づけて、『あなたに敬意を捧げます』とおっしゃるのですって!」


「きゃあああっ! 素敵! 素敵すぎるわ!」


「聖王子殿下にそんなことをささやかれたら、心臓が止まりますぅ!」


 にぎやかな笑い声が、会議室にはじけた瞬間だった。


「失礼いたします!」という野太い男の声での呼びかけと同時に、部屋の入り口のドアが開かれる。


 その開かれた扉から入ってきたのは、いままさに女たちの噂の渦中の人にされていた、ヴィダリア侯爵令嬢モナシェイラだった。


 近衛師団の練兵場から直行で衛生局までやってきた彼女は、乗馬用のしゃれた帽子を頭上からおろし、一同の顔を見まわして、にこやかに言った。


「ごめんなさい。わたし、約束の時間に、だいぶ遅れたわね。

 じゅうぶん間に合うつもりで早めにここへ着きはしたのだけれど、東岸の街に新しく敷設される下水道の衛生管理に関する意見書を局長のところへ持って行ったら、しばらくそこでつかまっちゃって」


 あっけにとられて入室者に注目していた女性たちは、一斉に口を開いた。


「ええっ!? モナったら、来たの?」


「あなたってば、忙しいのではなくて?」


「それどころか、よくぞ、おうちの方が外出させてくれたわね?」


「連日、御妃教育を受けなければならなくて大変なのだと、新聞に書かれていたわよ?」


 モナは屈託なく笑った。


「わたし、いままでやってきた仕事を、途中で投げ出すようなことはしたくないのよ。

 ローレリアン王子殿下だって、いままでどおりに、わたしがやりたいことをやればいいと、認めてくださっているし。

 これからも、新しい街づくりや市民のための活動には、どんどんかかわっていくつもりよ」


 ふたたび会議室の内部には、にぎやかな笑い声があふれた。


 この場に集まっていた女性たちは、みな知性と教養を誇る貴族の令嬢や夫人たちだったが、この時ばかりは羽目を外して喜ばずにはいられなかったのだ。


 これからも、元気に明るく女性たちをまとめてきたモナシェイラ嬢が、自分たちの旗頭として活躍してくれるというのだから。


 ひとしきり肩を抱きあったり、頬にキスを贈りあったりして、女たちは大騒ぎをくりひろげた。


 騒ぎに一段落ついたころで、ジャンニーナがあわてて会議室の柱時計を指さす。


「みなさん、大変よ!

 試験の開始時刻、5分前ですわ!」


「さあ、まいりましょう。それぞれ、担当しているお部屋はおわかりね?」


「はい!」と口々に答えた女性たちは、試験の問題用紙を抱えて会議室から出ていく。


 その人波について行こうとしたモナシェイラは、先ほど会議室に入室するとき先導役をしてくれた男に呼び止められた。


 男は立派な体躯を小さくかしこまらせて、こまりはてている。


「モナ様。まさか、このまま大勢の人の前に、お出ましになるおつもりですか?」


 侯爵令嬢は口元に、ちょっぴり意地悪そうな笑みを浮かべていた。


「そうよ、レミ。

 あなたといっしょに行動するようになって、もう一週間になるわ。

 わたしのあとについて歩きたいなら、いいかげんに慣れてちょうだい。

 わたしはこれからも、行きたいときに行きたいところへ行って、会いたい人に会いますからね」


 赤毛の偉丈夫、近衛護衛隊士官のレミ・スルヴェニール卿は、額に汗を浮かべて訴えた。


「しかしです! そのように気ままにふるまわれては、姫君の身辺警護の手配が思うにまかせず、わたくしは」


 モナシェイラの指が、深緑の軍服に包まれたスルヴェニールの胸を突く。


「文句ばかりいう護衛なんか、うっとうしいだけよ。

 あんまりうるさくしたら、街中で置き去りにしてやるから!

 わたしは、深窓育ちのお姫さまじゃないの。

 自分の身ひとつくらいなら、なんとか自分で守れる自信もあるし」


「はあ、それはよくわかっておりますが」


 敬愛する王子殿下が唯一無二の女性として愛し敬う姫君を守ろうと、護衛初日に張り切りすぎてモナシェイラの機嫌をそこねたスルヴェニールは、彼女と剣を交える羽目になったのだ。よもや主にむけて殺気を発するわけにもいかず、中途半端にしか実力を発揮できなかったスルヴェニールは、俊敏なモナシェイラの剣に何度も追い詰められてしまった。


 らしくもなく恐縮しながら、スルヴェニールは考える。


 確かに、モナシェイラ様は、剣を抜けばそこらの男に引けを取ることはない。しかし ――。


「モナ様がたいした剣の使い手であることは承知しておりますが、いまの時代、要人を狙う者が使う武器は刃物だけではございません。爆弾を投げつけられたり、銃で狙われたりしましたら、それこそ」


 モナシェイラは、肩をすくめた。


「その時は、その時だといいたいけれど、それじゃあ迷惑をこうむる人も出てくるし、なによりローレリアンに余分な心配の種を背負い込ませてしまうわ。

 だから、こっちもあきらめて、あなたをつれ歩いているんじゃないの」


 すいっと、モナシェイラの手が伸びてきて、スルヴェニールの軍服に飾り付けてある金の飾緒(かざりお)をいじる。


「近衛士官の軍服って、煌びやかで素敵よね」


「―― は? あの?」


 姫君が何を言いたいのか、さっぱりわからないスルヴェニールは、晩秋の肌寒い空気の中で冷や汗をだらだら流した。


 彼の周囲では姫君だけでなく、賢そうな女性が大勢、事の成り行きを知りたがって立ち止まっているのだ。


 そもそも、武闘派の軍人であるスルヴェニールは、知性派の女性が苦手だ。その手の女性に微笑みかけられると、自分の馬鹿さ加減を見透かされたような気分になってしまうので。


 モナシェイラは、スルヴェニールの困惑になど頓着しない。


「ねえ、レミ。お願いがあるの」


「はい。なんでしょうか」


 モナシェイラに可愛らしい口調でおねだりされてしまって、スルヴェニールの冷や汗は、さらにひどくなった。もはや、身体が震えだしそうになるのを、我慢するだけで精一杯だ。


 そんな哀れな近衛士官に、モナシェイラは容赦なく言った。さきほどの甘ったるい声など、どこへやらだ。


「城下に降りるときは、このかっこいい軍服を脱いでちょうだい。

 それでね、アレンが愛用している仕事用の服みたいな、どんくさい田舎青年風の目立たない格好をしてきて。

 あなたみたいな、いかつい男が、士官の格好でそのへんをうろついていたりしたら、周囲の人を威嚇するもの」


「しかし、それは」


「しかしは、禁止! 部下にも、同じような格好をさせて!

 いうことを聞かなかったら、街中で……」


「わかりました! 了解です! 明日からは、おおせのとおりにいたします!」


 やけくそで、直立不動の姿勢になったスルヴェニールの周辺では、女性たちが失笑していた。


 彼女たちの記憶には、スルヴェニール卿自身が嫌悪している『レミ』という愛らしい名前が、しっかり刻み込まれてしまったのだ。


 この時以来、モナの周辺にいる女性たちは、誰も赤毛の近衛士官を尊称では呼ばなくなってしまった。『レミ様』と呼ばれたスルヴェニール卿の表情がかすかにひきつるところを鑑賞することは、モナの友人たちのあいだに、ひそかな娯楽として定着したのである。

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