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真冬の闘争  作者: 小夜
第三章 秋の終わり
20/50

秋の終わり … 5

 そのころ、王宮がそびえる丘の中腹あたりにあるカルミゲン公爵邸では、ちょっとした騒ぎが起こっていた。


 表玄関に馬車がひっきりなしに乗りつけられ、人の出入りがつづくおかげで騒がしい公爵邸を、周辺の屋敷の使用人たちは、何事かとうかがっている。


 朝日がまぶしく煌めく時間帯に貴族の屋敷が騒がしいのは、かなり異例のことだった。晩餐会、舞踏会、観劇会や音楽会と、次々に社交の場を渡り歩いて夜を忙しくすごす貴族の朝とは、世間のそれよりも、かなり遅いものなのである。


 長年ローザニア王国の宰相を務めてきたカルミゲン公爵にとっても、ローレリアン王子と婚約者のヴィダリア侯爵令嬢が朝のさわやかな空気を堪能しながら馬場で仲良く乗馬の練習をする時刻は、まだベッドの中で安らかに眠っているべき頃合いといえた。


 それでも貴族社会のなかでは、宰相は働き者であるという評判だった。午前11時ごろに各所の官僚を王宮へ招集して行う『朝食会』と称した実務連絡会議を、長年にわたって続けてきたからだ。


 もっとも、宰相自身は、その習慣を最近では恥ずべきものだと感じている。


 社会の仕組みが複雑になった近年、政府の仕事は量も質も膨らむ一方だった。役所ごとの役割は、より高度に専門化、細分化されてきている。その変化についていくためには、省庁の要職に就く上位の貴族たちも、もっと早い時刻から働くべきなのだ。


 しかし、宰相がいくら声を大きくして会議の開始時刻を早めると言っても、たがいに結託した貴族たちは不平不満を申し立てるだけで、長年の習慣を変えようとはしなかった。


 身体を使う労働を卑しんできた上位の貴族たちにとって、あくせく働くことは、みっともないことだととらえられていたのだ。宰相が主催する会議も、飲食が伴う食事会だから、なんとか貴族たちに受け入れられてきたのである。


 国王の次男であるローレリアン王子は、正式に国王より輔弼の肩書をたまわってから、宰相主催の『朝食会』を大変便利な場所であるととらえている。


 ぼちぼちと集まってきた宰相の身内が多い高級官僚たちが、食べ物を腹におさめ、雑談で寝ぼけた頭を覚醒させおわった頃に、王子は颯爽と議場へ現れるのだ。


 そして、早朝から自分の宮で検討していた事項をとうとうとまくしたて、高級官僚たちから必要な承認や再検討課題を拾いあげると、「みな、大義であった」との一言と鮮やかな笑顔を残して、さっさと立ち去ってしまう。


 もちろん、そのあいだ、王子はお茶すら飲まない。


 貴族たちの『朝食会』へ参加したあと、王子自身は自分が黒の宮で開いている『昼食会』へ出席するからだ。王子の体内時計は、世間のまっとうな人々と同じ生活感覚で、時を刻んでいるのである。


 その『昼食会』には、いつも財界の要人や各界の有識者が多数招かれており、彼らは王子の優れた頭脳に、新たな知識や問題解決の糸口となる提案を、惜しげもなく捧げるのだ。


 黒の宮で開かれる昼食会に招かれる人間は、身分よりも業績優先で決められる。近年、財界の要人には平民の富裕層に属する者が増えてきた。貴族の社交界から完全に締め出されている彼らにとって、黒の宮で開かれる『昼食会』へ招かれることは、財なり功を成したのちに平民が得ることのできる、最高の栄誉だと考えられているらしい。


 宰相は思う。


 国民の多くと生活時間を共にして早朝から働き、身分にかかわりなく国民の意見を直接聞こうと務め、旧勢力の貴族達ともそつなくつきあっているローレリアン王子に、いまさらたてついてかなう者など、もういないだろうと。


 貴族たちの『朝食会』でも、たまには議事が論議に発展することがある。しかし、その論議の行方は、いつだって王子の圧勝で終わるのだ。『朝食会』の開始時刻を一時間早めることに抵抗している連中が、『朝食会』が始まる何時間も前に議題に対する準備をすっかりすませている王子に、論戦を挑んで勝てるはずがないのである。


 国王の政策助言機関であるはずの枢密院での議論も、だいたいは同じような雰囲気で進行するらしい。


 それなのに、おろかな貴族たちは王子へ論戦をふっかけ、その結果をもって「我々は王子殿下に専門家としての意見を申し上げ、十分なる議論をもって、ご決断を補助申し上げた」とうそぶき、満足している。


 これではローレリアン王子に、国政に関する議決権をもって集まってくれたうえ、王子の政策にやすやすと承認を与えてくれる便利な連中だと認識されても、しかたがあるまいなと思う宰相なのだ。


 その悩める宰相の邸宅で、早朝から騒ぎが起こっているなど、じつに皮肉なことである。


 早急に宰相閣下へお目通りを願い決裁をちょうだいしなればならない事案を抱えたヴィクトリオ王太子付き侍従長のジョシュア・サンズは、宰相邸の玄関のすぐわきにあるサロン風の部屋で、慌ただしく出入りする人の姿をおもしろそうにながめていた。


 そこはカルミゲン公爵邸にたずねてきた客が、直接公爵に会える者か、それとも秘書官に引き合わせればよい者か、あるいは陳情書や意見書を受け取ったあと追い返す者かの判定が下されるまで、待たされる場所だった。


 部屋の中には上等な椅子やテーブルが余裕を持って並べられており、いかにも王国一の権勢家の邸宅にふさわしい優雅なたたずまいを見せている。しかし、玄関ホールとの境には壁も扉もない。壁の代わりに幾本か立つ柱によって、その場所が玄関よりは格が高い待合所であることを、周囲に知らしめるような作りになっているのだ。だから、ジョシュアには、宰相邸へやってくるなり慌てふためいて奥へ駆けこんでいく貴族たちの姿が、つぶさに観察できたのである。


 同僚の侍従たちの前では、実直なだけで大して賢くもない宮仕えの男を演じているジョシュアだが、その本性は、したたかな策謀家である。宰相邸へ馬車で乗り付けるなり、ジョシュアと同じようにサロンで待たされることもなく邸内へ入りこんでいく貴族たちの顔が、どれも記憶にしっかりとどめている顔であることには、すぐ気がついた。


 座った椅子の肘掛けに斜めにかしいだ体の重みを預け、ジョシュアは「ふーん」と、鼻を鳴らした。


「さっき奥へ駆けこんでいったのは、プレオン伯爵だねえ。宰相閣下の次女の旦那だったかな?

 その前は、シャルーゼ侯爵。宰相閣下の従弟だ。

 こりゃあ、いよいよ宰相殿にも、神々のもとへのお呼びがかかったのかな?

 そうなっても、ちっとも不思議じゃない御年だしなあ」


 つぶやきながら、あたりを見まわしてみる。


 呼ばれてやってきた貴族たちは慌てていたが、屋敷の使用人は、それほど浮き足立ってはいないようだ。田舎豪族出身と思われている侍従長ジョシュアの訪問は断わられることもなく受け入れられたし、使用人たちはいつもの手順に従って、暖かいお茶を運んできた。ずいぶん長く待たされたせいで、そのお茶自体は、もう冷たくなっているが。


 冷たいお茶をひとくち飲んで、また独り言をいう。


「この様子からすると、まだ閣下は生きてるな。

 急な朝の冷え込みで、体調をひどく崩されたとか、そんな感じか。

 いよいよ宰相閣下が本格的に引退となれば、親族は戦々恐々だろうさ。

 ローレリアン王子は嬉々として、優秀な腹心の者を、宰相閣下の親族たちが占めているポストへ送りこもうとするだろうしねえ」


 改革の大鉈を両手で振りかざす美貌の貴公子の姿を想像して、ジョシュアは思わず、声を殺して笑った。


 ローレリアン王子はいつも黒い衣を着ているから、ジョシュアが想像した姿は、まさに怒れる雷神スミティルの姿そのものだったのだ。美しい顔に深い悲しみをたたえ、闇のマントで天地を覆い、荒ぶる破壊音とともに断罪の鉄槌を振り下ろす、青年の姿をした強い神。


 そのあとジョシュアは一時間ほど待合所で待ってみたが、カルミゲン公爵との面会がかなうのか、それとも秘書官が代理で会ってくれるのかを沙汰する人物は、とうとう誰も現れなかった。


 やれやれ、ずいぶんと俺も軽く見られたものだなと、ジョシュアは思った。いちおう彼だって、王族に仕える侍従長の一人なのだが。


 まあ、仕えている王族が、あの王太子なのだから、それも致し方ないかとも思う。いままでだって、ジョシュアが宰相のもとへ持ちこんだ相談は、情けなくなるほど馬鹿馬鹿しい相談ばかりだった。


 いったん王宮へもどって、状況がはっきりしてから出直すことにしよう。


 そう決心したジョシュアは椅子から立ちあがって、呼び鈴が置いてあるサイドテーブルへちかよった。使用人を呼んで、辞去の意を伝えようと思ったのだ。


 そこで、ふいに誰かから声をかけられた。


「王太子殿下付き侍従長、ジョシュア・サンズ殿か」


「さようでございます」


 ジョシュアは深々と、相手にむかって礼をした。相手の男は、ひと目で宰相の縁戚者だとわかる、立派な衣装をまとっていたからだ。


「よい、おもてをあげよ。

 ずいぶんと待たせたようで、すまなんだな。

 わたしはアントレーデ伯爵である」


「ご高名なる伯爵閣下へ、早朝からお目通りがかない恐悦に存じます」


 すでに日は高くなっていたが、貴族の感覚でなら、いまはまだ早朝なのだ。おもてをあげてよいという言葉も、鵜呑みにはしない。大貴族のなかには、王宮に仕える侍従を虫けら程度にしか思っていない者も少なくないのだ。


 案の定、アントレーデ伯爵は恐縮するジョシュアにむかって、もう一度「楽にせよ」とは、言ってこなかった。高みから人を見下ろす尊大な態度で、用件を述べる。


「宰相閣下はお体のご不快で、寝所からのおでましがかなわぬ。

 しかし、そなたの来訪をお知りになって、いまの時間にたずねてきたからには、危急の用であろうとおおせなのだ。

 わたしの妻は王太子妃殿下の後見役ゆえ、そなたが侍従長の用を聞いてまいれと、宰相閣下から命じられた」


 かしこまりつつ、ジョシュアはたずねた。


「宰相閣下のお加減は、いかがなのでございましょうか。

 わたくしは、このあと王宮へもどり、王太子殿下へ御祖父様の容体をご報告申し上げねばと思うのですが」


「なに、心配はいらぬ。

 急な冷え込みのせいで、持病の痛風が悪化されただけじゃ。

 命にどうこうはない」


「それをうかがい、安堵いたしました。

 心よりお見舞い申し上げますと、宰相閣下へお伝えくださいませ」


「うむ。して、用件はなんであるか」


 伯爵と受け答えしながら、ジョシュアの頭の中では、さまざまな思考が渦巻いた。


 アントレーデ伯爵は宰相の容体を軽く言っているが、親族が早朝から集められたところからすると、楽観的な状態とは思えない。もともと宰相の足腰の状態は思わしくなく、最近は杖なしでは歩けなくなっている。ここで痛風の発作になど襲われたら、今度こそ歩けなくなるにちがいない。だから親族たちは、慌てているのだ。


 こいつは、本当に、宰相の命令で動いているのだろうか?


 疑いの目で、ジョシュアはアントレーデ伯爵を見た。


 10月に行われた国王の結婚を祝う宴で、アントレーデ伯爵の夫人は、エレーナ王妃から拒絶の意志をはっきり示されていた。宮廷で最も高貴な女性は誰なのかを、王妃は周囲に宣言したのだ。


 それまでアントレーデ伯爵夫人の取り巻きだった貴婦人たちは、ぞくぞくと彼女のもとから離れているという。


 先日、アントレーデ伯爵邸で行われた夜会に集まった貴族の数は、往時の半数にも満たなかったという話だ。


 これからローザニア王国の宮廷勢力図は、国王夫妻とローレリアン王子夫妻を中心にすえて、塗り替えられていくのだろう。


 はたして、目の前のこの男は、その変化を唯々諾々と受け入れられるのだろうか。


 懐から王家の紋章を梳きこんだ上等な紙で作られた封筒を取り出して、ジョシュアはアントレーデ伯爵へさしだした。


「じつは、大変あつかいにこまる書簡を、王太子殿下から託されてしまいまして。

 わたくしごときでは、とてもどのように裁可すべきか判断がつきかねますので、こうして宰相閣下のもとへ、ご相談にあがった次第でございます」


「これは、いかなる書簡なのか」


「ローザニア王国王太子ヴィクトリオ殿下から、北の隣国ノールディンの王女ファニア殿下へあてた、恋文でございます」


「な、なんと!?」


 封筒を受け取る伯爵の手が、びくりと震えた。


 これは、扱いによっては国同士の争いの種にまでなりかねない、とんでもない書簡なのである。


 ジョシュアは再度、深々と腰を折った。


「この案件、宰相閣下へお渡ししても、よろしいでしょうか。

 もし、宰相閣下の御体調の問題にて、御裁可が難しいようでありますれば、わたくしはこのまま同僚のリモナディエ卿のもとへ、その書簡を持ってまいりますが」


 リモナディエ卿とは、ローレリアン王子付きの侍従長のことである。


 たちまちアントレーデ伯爵の顔色が変わった。


「よい。この書簡は、わたしが預かる。まちがいなく伯父上に渡すゆえ、心配するな」


 うろたえた伯爵は、宰相を尊称で呼ぶことすら忘れてしまっている。


 ジョシュアは心の中で、ほくそ笑んだ。


 この書簡が、宰相のもとへ届くなら、まっとうに処理が行われるだろう。


 しかし、アントレーデ伯爵に隠匿されてしまえば……。


 それもまたよしと、ジョシュアは思った。


 この世界から支配階級の貴族たちを抹殺し、すべての人が等しく生きる喜びを得られる世界を築き上げる。それが、ジョシュアと仲間たちの理想なのだ。


 貴族たちがたがいに争いあって、自滅してくれるというならば、それも面白いではないか。


「では、よろしくお願い申し上げます」


「うむ、確かに」


 立ち去るアントレーデ伯爵の後ろ姿が見えなくなるまで、ジョシュアは丁寧な拝礼を続けた。それが、たかが地方豪族風情だと貴族たちから見下されている侍従長ジョシュア・サンズにとって、もっともふさわしい態度だと思えたからである。

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