国王の結婚 … 2
貴族たちの入場が終わると、謁見式は佳境に入る。
まずは国王の家族である王子たちの入場があり、列席者がすべてそろったところで、いよいよ国王御夫妻のご臨席とあいなる。
典礼官が儀礼杖で床を二度たたき、大きな声で告げる。
「ローザニア王国宰相カルミゲン公爵閣下、ローザニア王国第18代国王バリオス三世陛下の王子ローレリアン殿下が御入来されます!」
典礼官の声を聴いた貴族たちは、一斉に「おお!」と、どよめいた。
どよめきとともに、中央の扉が大きく開く。
そこには40年もの長きにわたって宰相として王国を導いてきた老人と、若き王子が並び立っていた。
そのまま王子と老公爵は、和気あいあいと何かを話しながら室内へ入ってくる。
その光景に、貴族たちは驚かされたのだ。
つい先日までは、国王の舅であり王太子の祖父である宰相カルミゲン公爵が、国王の息子ではあるが、しょせんは庶子にすぎないローレリアン王子と、公の場で仲良く並んで歩くなど考えられないことだった。
しかし、国王とエレーナ姫が正式な夫婦となった今日からは、ローレリアン王子とカルミゲン公爵の立場は逆転したのである。謁見式に列席した貴族たちは、その事実を、じつに分かりやすく見せつけられたのだ。
年老いたカルミゲン公爵は、前かがみの姿勢で足を床に擦るようにして歩いている。
その隣りをいくローレリアン王子は、公爵に歩調をあわせて、ゆったりと進む。
王子は神官が最上級の儀式を行うときや、格式の高い国家行事に参加するときに着用する、典礼服と呼ばれる白い衣裳をまとっていた。国王の花嫁に敬意を表わさなければならないのは臣下の貴族の夫人たちだけであるから、これは別に非礼でもなんでもない。
典礼服は白絹の丈が長いローブで、上着は大きな布をそのまま羽織ったような形に作られており、神官が儀式のために手を高々と掲げると両の腕の下に布が優美にひるがえって見えるようにできている。そのたっぷりとした布が歩くと引き裾になって、高位の神官の後ろ姿を、より神々しく見せる仕組みだ。
ただの純白では見た目が寂しいので、内着の襟元や上着の前立ての部分には、神々の象徴とされるさまざまなものの姿が意匠として刺繍されている。通常、その刺繍の色糸は、衣装をまとう神官本人の髪の色や瞳の色から選ぶ。神官のお洒落が派手になることは、品がない行為とみなされるからだ。
ローレリアン王子の典礼服の意匠を彩るのは、王子の瞳の色と同じ水色だった。ローザニア王国の初代聖王パルシバルと同じ水色の瞳を持つことは、国民から王子を王子足らしめる象徴のように思われていたから、当然の選択である。
腰帯の色は、二位の神官が着用する薄桃色だ。王都大火のおり、文字通り命を懸けて人々を救ったことになる王子に、大神官は迷うことなく、さらに高位となる神官位を贈ったのだ。
白い衣装の裾は大広間の床に優美に広がり、天窓から差し込む秋の日差しが、王子の金色の髪を後光のように輝かせている。
貴族たちの間のさざめき声は、いつのまにかため息の嵐に変わった。ローレリアン王子は白皙の美貌と讃えられる容姿の持ち主でもある。神々しい雰囲気の衣裳をまとっていると、彼はこの世のものとは思えないほど美しい青年に見えるのだった。
そのうえ、特筆しておくべきことは、もうひとつある。貴族たちのため息、特に御婦人方のため息は、王子殿下にだけむけられているわけではなかった。
ローレリアン王子の背後には『王子殿下の影』と呼ばれる近衛護衛隊長のアレン・デュカレット卿がつき従っていたのだ。
背が高くて武人らしいしなやかな身のこなしを持つ青年士官は、氷や鉄に例えられる無表情な顔で周囲を威圧し、許可なく王子のもとへ近づくものあらば、たちまち鬼神のごとく剣をふるう覚悟を全身にみなぎらせている。一分の隙もなく着こなされた深緑の近衛士官の礼服には、めったなことでは手にできない桂冠勲章とテヴーエ勲章が金ボタンやブレードとともに輝いていた。
謁見式の会場に集まっていたご婦人は、ほとんどが既婚者だったが、貴族の世界で既婚の婦人が愛人を作るのは、恥ずかしいことではない。むしろ、宮廷の要職にある男や、経済力や美貌を誇る男と浮名を流すことは、女としての格をあげる行為とみなされているくらいだ。王子の覚えめでたい側近で、若手の出世頭であるアレン・デュカレット卿は、女たちから憧れの人物として熱い視線を浴びせられていたのである。
もっとも、当の本人は冷たい表情の下で、うろたえまくっていたのだが。
彼の目の前で和気あいあいと会話を楽しんでいるローレリアン王子と宰相カルミゲン公爵は、とんでもない内容の話をしていたのである。
にこやかに、王子は言う。
「あらためてお礼を申し上げます、宰相殿。この式典会場で、わたしと並んで歩いていただけるとは」
宰相も、おだやかに答える。
「これも、わたくしから殿下への、業務引き継ぎの一環でございますよ。変化が嫌いな鈍い者どもには、視覚で事実を訴えるのが一番ですからな」
「なるほど。深い含蓄を感じるお言葉ですね。胸に刻んでおきましょう」
「あいかわらずですな。殿下は心にもないことを、さらりとおっしゃる」
「それは、おたがいさまでしょう。
ちゃんと、存じあげておりますよ。本日宰相殿は、王太子殿下から後見役としての同行を断られたのだということくらい。ですから、わたくしとともに会場入りしてくださるおつもりになったのでしょう?
兄上も、恩知らずなお方だ。祖父の宰相殿が、いままでどれだけの苦労をして、兄上の立場を守ってこられたと思っておられるのか」
宰相の笑顔は、かすかにひきつった。
王都大火のおり、あまりの孫のふがいなさに腹を立てた宰相は、とうとう王太子を公式の場で叱責したり無視したりしてしまった。そのせいで王太子からは、あらゆる場面で後見役としての同行を拒まれるようになってしまったのだ。
しかし、40年も王国の宰相を務めあげた権力者が、いまさら一般の臣下と同列に落ちるのも屈辱である。しかたがないので宰相は、ローレリアン王子へ穏便に役目を譲ろうとする好ましい老政治家を演じる羽目になったのだ。
笑顔の下で腹を立てながら、宰相は芝居を続けるしかなかった。
「それはそうと、最近、殿下はお顔の色も、すっかりよろしくなられたご様子ですな。体調が回復されたことは、まことに喜ばしい」
にこにこと上機嫌で王子は答える。
「ありがたいことに、ここしばらくは、よく眠れるのですよ。心配事がひとつ、へったせいであろうと思っているのですが」
「きっと、年寄をやりこめた喜びで、胸がすく思いをされたからでございましょう。
わたくしと国王陛下がお若き王子殿下を扶挟申し上げようと、万全の態勢でもって花嫁選びのお膳立てをさせていただいたというのに、ガキ大将の悪戯と同じレベルの騒ぎで、台無しにしてくださったりして」
「いやいや、その件についてならば、申し訳なく思ってはいるのですよ?
しかし、わたしは今の自分の自由な立場を失いたくなかったもので。周囲から結婚を強いられるならば、どうしても妻は国内の女性のなかから決めたかったのです。
ですが、わたしが大怪我で寝込んでいるあいだに、いつのまにやら外国から王女方が呼び集められ、気がついたときには、のっぴきならない状況になっているのですからねえ」
「だからといって、名門侯爵家の姫君を手籠めになどしなくともよろしかろう。しかも、この老体に、後始末をおしつけられて」
「わたしがしたことは、いわば窮鼠猫を噛むといった、追い詰められての行動にすぎません。ネズミを追ったのは、宰相殿ですしね」
「御自分をネズミにおたとえになるとは、いかなる御謙遜か。しらじらしい嫌味にしか聞こえませんぞ。
殿下は鋭い爪と牙をかくし持つ、豹や虎といったたぐいの猛獣であらせられる。しなやかで優美な様子に見惚れてうっかり近づいたりいたしますと、一撃で命さえ取られかねません」
「物騒なことをおっしゃる。
わたしは仮にも聖職者ですよ? 誰彼かまわずに、攻撃などいたしません。
それに、わたしは宰相殿をたよりに思っております。これからも、さまざまに教え導きいただきたいと、心から願っておりますのに」
「この愚臣めに、何を教えろとおっしゃいますのか」
「そうですねえ。ふたを開けば鬼千匹といった状況の乗り切り方とか、千言万語で人を煙に巻く方法とか」
「あいにくと、わたくしは近々引退でございます。ありがたくて、たまりませんわい」
「なにをおっしゃいますやら。若者を教え導く立場の方に、引退もなにも関係ないでしょう。わたしが困ったときには、嫌でも相談に乗っていただきますよ」
「年寄りを死ぬまでこき使おうとは、ほめられた心がけとは申せませんな。自衛のために、我が隠居所は、人が容易に近づけぬ遠方の山の上にでも建てることにいたします」
「その足取りで山の上に住まわれるのは、無謀ではないかと思うのですが。
宰相殿。冗談ぬきで申し上げますが、謁見式のあいだに立っているのがお辛くなったときには、どうぞ遠慮なく、わたしの腕なり肩なりにおつかまり下さい」
「だまらっしゃいませ!」
一瞬立ちどまった二人は、にっこり笑って、たがいの視線をからませあった。
後ろを歩いていたアレン・デュカレット卿は、冷水を浴びせられた気分になってしまった。
この会話は小さな声で交わされていたから、すぐ後ろを歩いているアレンにしか内容は聞こえていない。二人に注目している貴族たちには、新旧の王国の指導者が楽しく語り合っているようにしか見えていないはずだ。
心の中で聖なる印字を切って、アレンは聖句をつぶやいた。
―― 天と地におわす神々よ。われを守りたまえ!
アレンの目の前にいる二人が、ネズミや猫なんて、可愛い小動物であるわけがないではないか。ましてや、虎でも豹でもない。
俺の経験上、断言するが、とアレンは思う。
国を統べる力を持つこいつらは、平気で嘘をついたあげく妖術までつかって人をだます魔王オプスティネの申し子だ。凡人が安直に近づいたら、だれでも魂を食われてしまう。大きく裂けた口で、ぱくりと、ひとのみに。