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真冬の闘争  作者: 小夜
第三章 秋の終わり
19/50

秋の終わり … 4

文章の切れ目がいまひとつすっきりしない場所だったので、冒頭の数行が前回分とかぶっています。間違いではありませんので、ご了承ください。

 ローレリアンは歩きはじめたばかりの赤子のころ、何者かに殺されそうになった。いくら調べても王宮の奥深くに入りこんで王子に重傷を負わせた犯人をつきとめることができなかったので、国王とエレーナ妃は息子の命を守るため、死んだと偽って国境の街へ彼をかくしたのだ。だから、ローレリアンの護符には、両親の名や名付け親の名が刻めなかったのだろう。


 自分の名前しか刻まれていない護符を見るたび、子供のころのローレリアンは、悲しい思いをしていたにちがいない。


 自分の両親は誰だろう?

 生きているのか、それとも、すでに死んでいるのか?

 なぜ、名前すら息子に明かせないのだろう?


 そういう疑問は、きっと幼いローレリアンの心を、深く傷つけていたはずだ。


 想像するだけで、胸が痛んだ。


 モナは、ローレリアンが育った王国の東の果ての街に、数年のあいだ住んでいたことがある。


 思いは遠く、かの地へ飛ぶ。


 聖王パルシバルがプレブナンへ王都を築いたときよりも、もっと前から存在していたという、古い聖堂の暗がりで。


 東の砂漠から吹いてくる、乾いた風にざわめく草原の片すみで。


 小さな男の子だったローレリアンは、この護符を握りしめて、何を神々に祈ったのだろう。


 この広い世界へ、たった一人で放り出されて。


 ローレリアンの指が、そっと、うなだれてしまったモナの頬にふれてきた。


「そんな顔をしないでほしいな」


 モナは何も答えられない。


 ちょっとばかり、わざとらしい元気さを見せながら、ローレリアンは言う。


「わたしは、この国の王子だからね。

 名付け親は、当然のことながら、プレブナン大神殿の大神官長だ。

 彼は、わたしが王都へもどってきたとき、すぐにたずねてきてくれた。よくぞ無事でと、わたしの帰還を心から喜んでくれたよ。

 その時、この護符のことも、ちゃんと覚えていてくれて、いまからでも両親の名前と大神官長の名前を刻もうと勧められた。

 けれど、わたしが断ったんだ」


 ローレリアンが護符を握りしめたので、金属の鎖が「ちりり」と小さな音を立てた。神官らしい手つきで、彼は聖具を握りしめた自分の拳にくちづける。


「この護符に、いまさら両親の名前を刻んだりしたら、わたしがわたしでなくなるような気がしたんだ。

 物心ついたときから神々の家で暮らし、神々と共に生きて、世界を生かす愛について考えてきた。

 それが、わたしだ。

 出生の経緯を明かされたあとも、いままで生きてきたわたしの過去は、何も変わらない。

 いつも孤独に打ち勝とうとして努力してきたから、いまのわたしが、ここにいる。

 この護符は、わたしにとって、懸命に生きてきた証しとなる、とても大切な宝物なんだ」


 両手をのばして、モナはローレリアンの握られた拳を、自分のもとへひきよせた。


 拳の中にある護符へ、モナも祈る。


 この小さな護符は、神々の意志を幼いローレリアンに伝え、彼の心を守り育ててくれたのだ。


 よくぞ無事で。


 生きて、あなたがあるべき本来の場所へ、もどってくれた。


 王都、プレブナンへ。


 わたしの、ところへ。


 護符を、たがいの手で包み、二人はささやきあった。


「あなたは、わたしの誇りよ、リアン」


「その言葉は、そっくりきみに返すよ、モナ」


 とても神聖な気持ちで、二人は口づけをかわした。


 もはや気持ちはひとつだ。


 あなたは、わたしの、運命の相手だと。


 しかし、王子と婚約者のあいだに、どんな会話が交わされているのか知る由もない新聞記者たちは色めきだった。彼らの目には、人目を気にせず親密な行為をくりかえすロイヤルカップルは、つきあい始めの高揚感で周りが見えなくなっている、若くて幸せで愚かな恋人同士にしか見えない。


 えっへん、おっほんと、パヌラ公爵夫人が咳払いをする。


 王子殿下にご意見など僭越ですが、人前でやりすぎでございますよと、教えてさしあげなければといったふうに。


 公爵夫人の咳払いを聞くと、モナの眉間には、たちまち険しいしわがよる。


 ローレリアンは苦笑した。彼の腕に中にいる婚約者は、すでに幸せいっぱいの若い女性には見えない顔をしていた。


「すごい顔になっているけれど?」


「ごめんなさい。不機嫌な顔を、あなたに見せたくないという気持ちは、わたしにもあるのよ。

 でもね……」


 大きなため息をもらしながら、モナはつぶやく。


「あのパヌラ公爵夫人の熱意って、どうにかならないのかしら?

 お妃さまになる勉強って、朝から晩まで、一心不乱にやらなければならないこと?」


「朝から晩までって、いったい何をそんなに……」


 驚いたローレリアンへ、モナは皮肉をこめた笑みをむける。


「今日の午前中は、王国の歴史を学ぶ講義を聴くことになっているわ。お昼ご飯は、テーブルマナーの教師といっしょに食べるの。午後は詩作の練習と、宮廷典範のお勉強。

 ねえ、リアン。

 これって、本当に全部、わたしがやらなければならないこと?」


 思わず、ローレリアンはうなる。


「講義の内容を決めたのは、だれなんだい?」


「公爵夫人は、宮廷のお偉方と協議したと言っていたわ。その席には、なんと、カルミゲン公爵閣下までおいでだったそうよ」


「宰相殿がか」


 なるほどと、納得がいくローレリアンである。宮廷人たちは宮廷人たちなりに、失敗を繰り返すまいという気持ちなのだろう。なにも教えられていなかった純粋無垢なアディージャ姫を王太子妃としていきなり宮廷生活に放り込んだせいで、起こった非劇の再現をふせごうと。


 ―― しかし、彼らはわたしの恋人を、いったいどのような女性だと思っているのだろうか。


 そういう疑問がローレリアンの心の中で頭をもたげ、ふつふつと、静かな怒りがこみあげてくる。


 ―― モナを何も知らされずに育った頭が空っぽの貴族の令嬢と同列に扱うことは、他国の王女との縁談を足蹴にしてまで彼女を妻にと望んだ、わたしを侮辱するも同然だぞ。


 宮廷外で育った異色の王子の心には、宮廷の常識に対する強烈な嫌悪感が、いまだに根深く残っていた。それはいまや、自分は美人で男の言いなりになる女にしか魅力を感じない宮廷貴族達とはちがうのだという、自尊心にまで育っている。


 生涯の伴侶にと望む女性は、彼女しかいない。


 聡明で、活力に富み、明るく前向きで、とても強いモナシェイラ。


 そっと、ローレリアンはモナの耳元で囁いた。


「今日予定されている講義で、きみが価値を見出しているものは、どれ?」


 モナも小声で答える。


「『宮廷典範』だけ、かしら。

 その決め事を守るかどうかは別の話だけれど、明文化された典範の内容を知らなければ、わたしは自分なりの方針を決めようがないもの」


「歴史は、きみの興味をひく分野だと思っていたが」


「あのねえ、リアン。

 わたしが何のために、アミテージへ3年もいたと思っているの?

 王国一の学問都市で、わたしは毎日を遊んですごしていたわけじゃないの。

 あれこれと忙しかったけれど、ちゃんと学問所にも通っていたわ。

 女は文系の学問所にしか受け入れてもらえないから、悔しい思いも、ずいぶんしたけれど」


「確かに、アミテージの学問所で学んできたきみに、いまさら教養としての歴史の講義は無意味だな」


「なんなら、今日の講義を担当している歴史教師の前で、ローザニア王国建国以前の小国乱立時代の出来事の分析を、各国ごとの視点で、やってみせてもいいわよ。

 わたし、その論文で学問所の先生から卒業の免状をいただいたの」


 王子は、にやりと笑う。


「それは面白い。やってしまえばいい」


 モナも、意地悪く笑い返した。


「止めないの?」


「無駄を排して合理的に物事を運ぶのは、とてもいいことだと思う」


 きっと、『まずは王国の開祖パルシバル聖王陛下の業績から』なんて、初心者向けの歴史の講義の準備をしてきた偉い学者先生たちは、腰を抜かして驚くにちがいない。


 愉快そうに笑ったローレリアンへ、モナは、さらに言う。


「ついでにお願いしちゃうけれど、その歴史教師との問答合戦は、ひと仕事終えてからでもいいかしら?

 わたし、午前中には、どうしても行きたいところがあったのよ」


「いいとも。わたしが許可したと伝えて、教師たちには待っていてもらうさ。

 歴史教師との問答合戦が終わったら、御妃教育とやらの内容も大幅に見直すよう命じるから、論戦も思う存分楽しむといい」


「すてき!

 それに、もうひとつだけ、お願いがあるの」


 可愛らしく、モナは恋人の顔を下からのぞきこむ。


「いますぐ、わたしを馬に乗せて」


「お安い御用だ」


 王子と侯爵令嬢が何をこそこそ話しているのか、不審げに様子をうかがっていたパヌラ公爵夫人は、「ひっ!」と小さな悲鳴をあげた。


 たったいま、王子殿下に乗馬の手伝いをさせるなと説教されたばかりだというのに、侯爵令嬢は王子が組み合わせた両手の上に足をのせ、軽々と馬の背に飛び乗った。横鞍に乗るときは介助者の男性と息をあわせて、女性は勢いよく馬の背に放り上げてもらうのだが、その息の合い方は心憎いほどである。


 しかし、しかしだ!


 一国の王子の手の上に靴を履いた足をのせるなど、パヌラ公爵夫人の常識に照らし合わせれば、とても許される行為ではない。


「モナシェイラさま~~~~~っ!」


 はしたないと恥じることも忘れた公爵夫人の絶叫が、近衛練兵場の馬場に響き渡った。


 耳をつんざく、その声に顔をしかめながら、モナは大声で人を呼ぶ。


「レミ!」


「いま、まいります。我が姫!」


 呼び声に反応したのは、近衛士官のスルヴェニール卿である。


 彼はすでに馬場の柵のそばから走って離れており、手綱を下士官に預けていた自分の馬へ飛び乗るところだった。


 馬に飛び乗るやいなや、スルヴェニール卿はモナに追いすがる。


 しばらく二頭の馬は馬場の柵を挟んで並走した。


 おまちくださいと、あとへつづこうとした公爵夫人が、やっと馬に乗って走りだしたところで、反対側の柵に行く手を阻まれたモナの馬が、華麗な障害飛越の技を見せつける。


 その手並みは、鮮やかの一言につきた。


 とても横鞍を使う練習をはじめてから、三日目の動作には見えない。帽子につけたカットワークの絹布とベルベットのスカートが、華やかに風に舞う。


 その場に居合わせた男たちは、誰もが感嘆の声をあげた。


 新聞記者も、たまたま今朝が早朝教練の順番にあたっていた近衛兵の一団も、馬場の下働きの男たちも、全員がである。


 しかし、邪魔な公爵夫人やお着きの侍女たちを置き去りにして駆け去る二騎の馬を見送りながら、ローレリアンだけは複雑な表情だ。


「レミとは、スルヴェニールの愛称か?」


 王子の護衛隊長『氷鉄のアレン』は、硬い態度を崩して失笑する。こいつめ、またやきもちかと。


「スルヴェニール卿の名前ですよ。モナシェイラ様付きの護衛部隊新設のとき、新任隊長のフルネームをチェックしなかったんですか?」


「わたしは命令書を見ていない。近衛護衛部隊の士官の任命権は国王陛下にあるからな」


「レミは、正真正銘、レミ・スルヴェニール卿の本名です。

 本人は女みたいな名前だからと嫌っていて、絶対に同僚や部下には呼ばせないんですが、モナ様には呼ぶことを許したようですね。

 彼はモナ様のことを本気で、騎士の誠をささげるにふさわしい姫君だと、思っている様子ですし」


 ローレリアンは心底嫌そうに言い放った。


「なにが、『我が姫』だ! 目くばせひとつで意気投合などして、いい気になりおって!」


 アレンは耐えきれずに、肩を震わせて笑った。口調も、砕けた友達らしいものになる。


「いいじゃないか。

 きっと、スルヴェニールは、命がけでモナ様を守るぜ?

 面倒くさいことが嫌いで直情的なところが、モナ様とは相性がいいだろうって、スルヴェニールを護衛隊長に指名したのはリアンだろ。

 あいつ、王子殿下から大切なお方の身辺警護を任されたって、めちゃくちゃ張り切っていたし」


「それはいいが、わたしだって、ただの若い馬鹿な男だからな。

 恋人が立派な近衛士官と目で会話するところを、しょっちゅう見せつけられるのは不愉快だ」


 アレンと副官のシムスは、あきれた顔を見あわせたあと、ふたたび派手に笑いはじめた。


「失礼ながら、殿下」と、シムスは笑いの発作にとらわれて波打つ腹をおさえながら言う。


「スルヴェニール隊長がモナシェイラ様のとっさの思いつきに難なくついていかれたのは、アレン隊長が書いてお渡しになった、機密文書のおかげです」


「なんだ、それは?」


 怒っていたローレリアンの顔が、たちまち不安げにゆがむ。


 アレンは澄まして言った。


「めでたく一部隊の長になったスルヴェニール卿へのはなむけとして、『ヴィダリア侯爵令嬢取扱いの注意点』という文書を書いて渡したぞ。

 俺は見習い時代、モナ様の従者をしていたんだ。モナ様のムチャっぷりについては、婚約者のおまえより、よく知っていると自負しているからな。

 ちなみに、文書の第一条一項は『令嬢の気まぐれに振りまわされることなかれ』だ。

 詳細が知りたかったら、写しを提出してやる。

 近衛護衛部隊上層部だけが見られる機密文書扱いの書類だが、おまえにも、かなり役立つ内容だと思うぞ。夫婦げんかした時なんかに、謝る手立てを考える参考書にでもすればいい」


 絶句した王子と、取り澄ました態度のアレンのそばで、シムスは派手に笑いつづけた。


 上司から、くだんの機密文書の写しを取っておくように命じられた副官は、その文書の中に書かれていた内容を、よく知っていたからである。

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