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真冬の闘争  作者: 小夜
第三章 秋の終わり
16/50

秋の終わり … 1


 その日の朝、王都プレブナンの周辺には晩秋の初霜がおりた。


 街のそこかしこは氷の輝きに覆われ、早朝から働く人馬の息は、白煙となって冷たい空気の中に命の息吹をけぶらせている。


 ローザニア王国の宮廷に侍従として勤めているジョシュア・サンズは、早朝から営業しているトレール広場の外側にあるカフェの野外席に座って、人や馬が吐く息で白くけぶっている広場の光景をながめていた。


 トレール広場の朝市は王都の名物のひとつである。


 王都に住む公称30万人の人間の胃袋に収まる生鮮食料品の流通を一手に引き受けているのは国が設置した卸売市場なのだが、王都の近隣に住む農村の人々が租税を納める基本となる土地台帳に記された収益以上の作物栽培に成功した場合、それを直接売ることは禁じられていなかった。商品となる収穫物を現金化したい農民は、こぞってトレール市場の朝市に集まるようになったのだ。


 聖王歴300年代に入ってから飛躍的に進歩している科学の恩恵を受けたのは、商工業だけではなかった。作物の成長や結実を良くする肥料の開発や、連作によって疲弊する土質を改善する技術の普及などによって、王都近郊の農民は少しずつだが豊かさを手に入れつつある。


 もっとも、それらの情報伝達は大きな街の近郊に限られていて、農民の識字率が低いうえに技術指導者がいない田舎では、まだまだ人々は貧困の中であえいでいるのだが。


 広場の露店では、新鮮な晩秋の農作物が山と積まれて売られている。


 いま美味しいのは、瑞々しく太った蕪やかぼちゃ。さまざまな種類のイモに、森の収穫物であるキノコや栗。それに、つややかな赤で、ひときわ視覚を刺激するリンゴだろう。


 露店と露店のあいだにある狭い通路には、新鮮で安い食材を手に入れようとする街の人々が溢れている。お客の足をとめようと、商品の名を連呼する呼び売りの声もにぎやかだ。


 いつかは、この国の貧しい地方にも、こうした活気が行きわたる時代がやってくるのだろうか。


 自分や仲間たちは、そういう時代を作るべく、野に散り地に潜んで、ひそかな活動を続けている。王政を廃し、貴族による社会支配を打倒するのが、彼らの活動の最終目標だ。


 自分の口からも白い息をひとつ吐き、ジョシュアは手元のカップを持ち上げた。熱いお茶を口にふくむと、シャデラ酒のふくよかな香りが鼻に抜けていく。


 朝市で新鮮な食材を買ったあと、シャデラ酒を少したらしたお茶を飲んで身体を温めるのは、王都の庶民の冬の楽しみのひとつである。


 ジョシュアもカップから立ちのぼる湯気を、心地よい気持ちで頬に受けとめた。


 おそらく、この市場に集まっている人々なら、飢えることはないだろうが。みなに、幸あれと思う。できることなら、あふれる食べ物など見たこともない人々にも、ささやかな幸せが訪れるように。


 自然と「また今年も冬がやってくるのだな」という、つぶやきがもれた。


 そのつぶやきを受け取るかのように、男の声が話しかけてくる。


「今年の冬の雪の具合は、どうなのでしょう? 雪が多いと、難儀ですな。王太子殿下は冬の渡り鳥を撃ちに行くのがお好きですから、御供する我々は凍えてしまいます」


 ジョシュアは心の中で、相手をののしった。


 彼は、これからやってくる冬の寒さで地方の貧しい人々にどれだけの死者が出るだろうかと憂えていたのに、話しかけてきた部下は、貴人の道楽につきあう己の身の心配しかしていないのだ。


 しかし、ここでジョシュアは、自分の正体を明かしてしまうわけにはいかない。苦労して得た王太子の侍従長の地位は、彼と仲間たちにとっては切り札にもなる、大切な武器のひとつだ。


 優しげな顔に笑みを浮かべて、ジョシュアは側を通り抜けていく給仕に多めの金をわたし、もうひとつシャデラ酒入りの熱いお茶を持ってくるように言いつけた。まだ王太子付き侍従長になってから日が浅いジョシュア・サンズは、なにくれとなく同僚や部下に気遣いをみせる、如才のない男だということになっている。


 相手の男に目の前の皿に残っていたクルミ入りのパンを勧めながら、ジョシュアはたずねた。


「無事に用事はすみましたか」


 おごりに気をよくした部下は、機嫌よくしゃべる。


「いやあ、大変でしたよ。商品に傷をつけたなって、店の用心棒に凄まれてしまって。

 ことを荒立てるわけにはまいりませんから、言い値の倍の金を払ってきました。

 実際、あの怪我の様子では10日は人前に出られないでしょうから、むこうだって商売に差し支えるでしょうしね」


 ジョシュアはよく晴れた早朝の空を見あげて、ため息をついた。


「最近の王太子殿下は情緒不安定がひどくて、どうにもこまりましたね」


「まことに。閨の相手がなにか気に入らない言動をすると、すぐに殴る蹴るの騒ぎを起こされますから、とうとう私どもは、街で女を調達しなければならなくなってしまった。

 しかも、高級娼婦に暴力を振るえば、たちまち殿下の所業が貴族や富裕層の平民に知れ渡ってしまいますから、わざわざ場末の娼館をあたって、殿下好みの女を探したりする始末です」


「あまり派手にやっていただくと、この界隈の娼館の女を買うことも難しくなってしまいます。

 それはいかにも、こまりますよ。

 トレール広場周辺の娼館より下のクラスの娼館には、病気持ちの女もいますからねえ」


「すでに、この界隈では、噂になっているのではないですか?

 覆面馬車で、娼婦をどこかの貴族の狩猟小屋に連れていく変な客がいると」


「まあ、そのへんは大丈夫だと思いますが。

 泊りがけの狩猟とみせかけて、森の狩猟小屋でささやかな浮気を楽しむ恐妻家の男など、世間にはいくらでもいるでしょう」


「だと、いいのですが。

 それにしても、ジョシュア殿は、なんでもよくご存じだ。

 我々だけでは、とてもこのような場所で商売をしている女を買うことなどできませんでした」


 ジョシュアは意地悪い気分で微笑んだ。部下は、暗にジョシュアの育ちが悪いことを皮肉っているのだ。本来なら、あんたみたいな田舎者は、侍従長になどなれないのだぞと。


 相手をやりこめることなど簡単だが、いまはまだ部下から恨みを買ったりするつもりはない。ジョシュアは相手が望む通りのことを、答えてやることにした。


「わたしは田舎育ちの不調法者ですからね。

 しかし、周囲からは、その野育ちのたくましさを買われているわけなのです。

 王太子殿下に大きな問題を起こさせず、機嫌よく過ごしていただけるように取り計らうのが、わたしに求められている役目です。

 わたしだって、国家のために一生懸命、働いているのですよ」


 なるほどと、相手はうなる。


「確かに、それもひとつの出世法かもしれませんな。

 兄君をおとなしくさせておくジョシュア殿の手腕が聖王子殿下のお目に留まれば、また新たなお役目に着くことも可能かもしれません」


「いやいや、すでに田舎豪族出身のわたしが、王太子付き侍従長の役を拝命していること自体が、分をすぎたことなのです。わたしはいまの地位で、十分に満足しておりますので。

 聖王子殿下にお仕えしたいなどといった、だいそれた望みは持っておりません」


「またまた、御謙遜を。できることなら聖王子殿下にお仕えしたいというのは、いまや宮廷に勤める者の夢ですよ」


 ジョシュアの部下は、カフェのテーブルの上に置いてあった新聞をとりあげた。新聞の一面には、ローザニア王国第二王子ローレリアンの肖像と、王子との婚約が決まったヴィダリア侯爵令嬢モナシェイラの肖像が並べて印刷してある。


「この銅版画は、なかなか良い出来ですな。

 聖王子殿下が、初めて新聞に肖像の掲載をお許しになったもので、御婚約が発表になってからすでに一週間たつというのに、どの新聞もいまだに一面の記事は御婚約関連の内容です。

 『ご成婚は国内外の情勢が落ち着いた頃を見計らって』

 『侯爵令嬢の教育係には厳格で知られるパヌラ公爵夫人が、みずから名乗りをあげている』

 『王妃陛下と侯爵令嬢の感動エピソード集』

 『侯爵令嬢の素顔 ―すみれの瞳の姫君と呼ばれるまで―』

 『聖王子殿下のご公務一日密着取材』

 『ヴィダリア侯爵家の系譜、大特集』

 毎日、毎日、よくもまあ飽きないものだ」


「確かに、そうですね」


 新聞を受け取って、ジョシュアも苦笑する。今日の新聞の一面見出しは、『お忙しいお二人が愛をささやかれるのは早朝の馬場で』だった。ほかに社会的な事件もあるだろうに、国民の興味は、すべてロイヤルカップルの動向にむけられているのだ。


 ジョシュアは、三面の片隅に載せられている記事が見たくて、早朝のカフェへでかけてきた。王太子の閨房での失態の後始末など、本来なら下っ端の仕事であり、侍従長であるジョシュアがわざわざ街に出てきてやることではない。


 部下の侍従は、ジョシュアが自分より身分の高い部下に気を使って、ついてきたのだと思っているようだが。


 そう思いたければ、思っていればよいのだ。


 命令されたことしかできない指示待ち人間のくせに、こいつは伯爵家の縁戚である自分のほうが、侍従長のジョシュアより偉いと信じている。上司であるはずのジョシュアに対して、態度も話し方も対等以上にする気はない様子である。


 しょせん貴族の男など、みんなこんなものだ。


 根拠のない自信ばかりが肥大している、鼻持ちならない愚か者。


 自分の力では何もできないくせに、威張り散らせる恥知らず。


 鼻で笑ってやりたい衝動をこらえながら、ジョシュアは新聞の記事に視線を落とす。


 王国の北の地、オトリエール伯爵領は、いまにも反乱が起こりそうな事態におちいっている。


 人を人と思わない傍若無人な振る舞いで、領民だけでなく王都の一般市民までも苦しめていたオトリエール伯爵は、最近、過去の所業がばれて王都へいられなくなり、追放に近い形で所領へ逃げもどっていた。そんな領主を、領民が歓迎などするわけがなかったのだ。


 新聞記事は、淡々と、事実を伝えている。


 どんな不作のときでも、伯爵は容赦なく地代を取りたてたこと。


 地代を払うために、身売りをした若い女たちの嘆き。


 飢えた村民を救おうとして私財をなげうったあげく、一家心中へ至った、あわれな村長がいたこと。


 伯爵領にある銅山の労働者の過酷な現状。


 短い文章の行間からは、虐げられた人々の怒りが感じられた。


 この文章を書いて王都へ送ってくるのは、ジョシュアの幼馴染であるジャン・リュミネだ。


 ジョシュアの胸の中に、喜びに満ちた暖かいものが湧き上る。


 文章を読むと、書いた人物の人柄は、そのまま伝わってくるものだ。ジャンの熱い想いは、いまでも健在だ。生まれた時から権力を握っている者による支配で国が動くのは、絶対にまちがっているという、固い信念は。


「ジョシュア殿はこのあと、森の狩猟小屋のほうへもどられますか?

 それとも、直接王宮のほうへ?」


 部下の問いかけを聞いて、ジョシュアは我にかえった。


 背中に冷たい汗を感じた。物柔らかな王宮勤めの侍従らしい、いつもの自分の仮面が崩れていなかっただろうかと、思わず部下の表情をうかがってしまう。


 ありがたいことに、物事を深く考えようとしない軽薄な部下は、ジョシュアの感情など、どうでもいい様子だった。


 ジョシュアが「わたしはこれから、カルミゲン公爵閣下の屋敷へお伺いするつもりです」というと、興味をかきたてられたらしく、身を乗りだしてきたが。


「へえ、宰相殿のお屋敷へ、直接ですか」


 ジョシュアはうなずく。


「王太子殿下は、次から次へと、わたしに難問をつきつけられる。

 今度は、北の隣国ノールディンのファニア王女へ、密書を届けろとお命じになられました」


「密書ですか」


「おそらく、くだらない恋文ですよ。

 しかし、わたしごときの力では、異国へ密書など送れません。

 そもそも、送っていいものかどうかの、判断もできませんし。

 宰相閣下のご指示を仰ぐのが、もっとも妥当かと思いますので」


 部下はうらやましそうに、立ちあがるジョシュアを見あげた。


「やはりあなたは、幸運な方だ。

 そうやって宰相閣下の覚えめでたくあれば、きっと聖王子殿下のお目にもとまることでしょう」


「まさか」と、ジョシュアは笑う。


「早朝から自邸に厄介事を持ちこむ男に、宰相閣下が良い印象などお持ちになるはずはありませんよ。

 しかし、もう書き終わって封までされた手紙を渡されたのでは、わたしにはどうにもしがたい。

 開封して中をあらためるかどうかの判断は、閣下にしていただくしかありません」


「御苦労なことだね」


「これも役目ですから」


 あいさつの会釈をかわして、ジョシュアは部下と別れた。


 部下は上司を見送る場面だというのに、椅子から立ちあがりもしなかった。


 晩秋の朝の空気は、動きはじめると、なお冷たく感じられた。


 上着の打ち合わせをしっかり閉じ、トレール広場の人ごみに入っていきながら、ジョシュアは鼻歌を歌った。


 もうもうと、自分の目の前に吐く息が白煙となってあがる。


 ジョシュアが歌う鼻歌は、庶民のあいだで流行っている愉快な流行歌だ。


 ―― 馬鹿は死ななきゃ~、なおら~な~い~♪


 面白いなと、ジョシュアは思った。


 庶民のあいだで流行る歌は、たいてい真実を皮肉った、現実的な内容なのだった。

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