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真冬の闘争  作者: 小夜
第二章 女の戦い
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女の戦い …12


 舞踏会に集った人々から挨拶を受けつつ会場の中を進んできたエレーナ王妃一行は、ゆったりと笑いさざめきながらサロンの中央までたどり着いた。


 3日前の婚礼で正式に国王の妻となったエレーナ王妃は、とても幸せそうに輝いて見えたし、王妃につきしたがっている貴婦人たちは、ラカン公爵夫人やパヌラ公爵夫人をはじめとするローレリアン王子派の大物ばかりだ。


 モナと友人たちは、その一行を見て、なんて絢爛豪華で見ごたえのある方々なのかしらと感嘆のため息をもらした。


 座っていた者たちは、いっせいに椅子から立ちあがって、王妃陛下へ晴れやかな礼をする。


「王妃陛下。サロンによい席をたまわり、感謝申し上げます。親しい人達に囲まれて、今夜の夜会をこんな風に楽しめるなんて、わたくし夢にも思っておりませんでした」


 笑顔でモナが申し上げると、エレーナ王妃も満面に笑みを浮かべた顔で答えた。


「お礼なんて、必要ありませんよ。

 王子との婚約がまとまったことで、宮廷人たちがあなたに対してどのような反応をするかは、だいたい予測がついていましたからね。なにしろ、わたくし自身が20年前に、同じ体験をしているのですから。

 宮廷内で高位の貴族の御婦人方が傍若無人にふるまうのは、ずいぶんと長く、この国に王妃や王妃に代わる女主人役を務められる女性が不在だった弊害なのです。

 今夜あなたへ不愉快な思いをさせてしまったのは、いわば、わたくしのふがいなさの証明のようなもの。

 20年前、わたくしが宮廷から逃げ出さずに頑張っていれば、もう少し状況は、ちがっていたのかもしれません。

 いまさら考えても、どうしようもないことですけれど」


 目を伏せたエレーナ王妃の表情は、苦しげな憂い顔に替わっていた。


 エレーナ王妃は、ローレリアン王子へ母親としての愛情を注いでやれなかったことに対して、罪の意識を持っているようだと、モナは以前から感じている。


 ここは、元気いっぱいに応じなければなるまい、と思う。


「まだ赤子だったローレリアン王子殿下に謀略の手が伸びて、王子殿下をお守りするために国王陛下とエレーナ様が辛い御決断をなさったからって、いったい誰が責めるというのですか!

 わたくしなんか、大感謝です!

 エレーナ様が王子殿下を王国の東の果てに逃がしてくださらなかったら、わたくしは殿下と、出会うことすらできませんでしたもの!」


 くすりと、王妃が笑う。


「そんなことはないと思いますよ。

 ローレリアンは、あなたに、ぞっこんですもの。

 遅かれ早かれ、あなたたちは、どこかで出会いましたよ」


 モナは、わざと口ごもった。


「それが、……どうにも、そう思えないんです。

 殿下は、わたしの、やたらと元気で何があってもめげない性格が、お気に召しているご様子で。

 いつまでも、そのまま変わらずにいてくれ、なんて言われてしまいました。

 わたしは、このままじゃまずいと思っていますのに」


 王妃や周囲にいた貴婦人たちが笑ってくれたので、「よし、あともう一息!」と、モナは調子づく。


「なにしろ、殿下と知り合ったばかりのころのわたしときたら、男の人と喧嘩するなんて毎日のことでしたし、雨どいを伝いおりて屋敷から抜け出してみたり、市場で買った果物を歩きながら食べたり、街の子供たちと半日遊んでしまったり……。

 でも、出会ったばかりのころの殿下は、そんなわたしを、おもしろい女の子だなと、笑って見てくださっていたんです。

 もし、殿下と出会った場所が王宮だったら、さすがのわたしも、本領発揮にまではいたらなかったと思います。ですからきっと、殿下に興味を持っていただくことすら、できなかったはずです」


 あらあらと言いながら、王妃の侍女エテイエ子爵未亡人ジャンニーナが話に割り込んだ。


「なにを言っているの、モナ。

 たとえ遊学中の学問都市での出会いがなかったとしても、王子殿下は必ず、あなたにお気づきになって夢中になられたと思うわ。

 だって、世界中を探したって、自分の知恵と勇気だけをたよりに、貧しい人達のなかに飛びこんでいって診療所を作ろうとしたり、王都に大火が起こったとき、暇を持て余して困っている貴族の娘たちを集めて、いっしょに現場へ飛びこんでいくようなお姫さまがいるっていうの?

 しかも、そのお姫さまは、できるだけ多くの人に仕事を作ろうとして、レース工場の経営までやってのける才女なのよ。

 あなたは自分がかなり特別な女性だということを、もっと誇ってもいいと思うわ」


 どっと、モナの友人や王妃の側近が笑った。


 彼女たちの周囲を遠目に取り巻いている貴族たちまでが、こっそりと笑っている。サロンを取り巻く貴族たちの輪は、明らかに少しずつ、縮まってきていた。


 ラカン公爵夫人レオナが、優しそうな顔を笑みにゆるめて話しかけてくる。


「モナシェイラ様は王子殿下に想われて、とてもお幸せそうですわね。結局のところは、それが一番大切なのだと思いますわ。愛は何物にもかえがたいものですもの」


 おっとりとしたレオナ夫人に話しかけられると、モナは自分まで優しい気持ちになった。


 レオナ夫人とモナは、今回の記念行事の一日目に行われた宮廷晩餐会で親しくなった。ローレリアン王子の側近の中で筆頭格の身分と資産を持つラカン公爵の夫人とモナを、いち早く顔合わせしておくために、近い席が意図的に割り振られていたのだ。


 そもそもレオナ夫人は、今回が宮廷への初お目見えだった。ラカン公爵は若いころに娶った内海の島国ミロノス出身の夫人を溺愛していて、結婚してから今日に至るまで、夫人を領地から連れ出したことがなかったというのだ。


 いまのモナには、そうまでしてラカン公爵が、宮廷人たちから奥方を遠ざけておこうとした理由がよくわかる。


 もし、なんの足掛かりもないままレオナ夫人を宮廷の人付き合いのなかに放りこめば、宮廷の女主人役の地位を脅かされまいとするアントレーデ伯爵夫人や他のご婦人方から、陰湿な攻撃を浴びせられてしまったに違いないのだ。


 夫人を溺愛しているラカン公爵は『わたしの妻は美人だ』とあちこちで言いまわっているが、実際のレオナ夫人は、とくに美女でもなく才気走った気配も感じられない女性だった。彼女には暖炉の前で子供の相手をしながら縫い物でもしている姿が、もっとも似合いそうである。


 だが、そうした優しげな外見も、宮廷貴族たちにとっては立派な攻撃材料となる。『あの程度の容姿でローザニア王国五公家当主の妻役が務まるとでも思っていらっしゃるのかしら』などと。


 ソファーに並んで座りましょうとモナに誘いかけながら、エレーナ王妃が、ふたたび語りはじめる。


「わたくしはね、モナ。

 いまになって国王陛下から王妃にと望まれたことは、神々から天命をちょうだいしたようなものだと思っておりますの。

 わたくしはこの国の王妃として、(いさか)いが絶えない宮廷の女たちの世界を、必ず変えるつもりでいます。

 宮廷人という生き物は、どこか人としておかしいの。

 生まれた時から貴族として、領民や使用人を下に見て生きてきたせいなのかしら。

 いつでも自分が一番で、あまり他人に敬意というものを持たないわ。 そんな人たちが我が物顔でいられる宮廷を放置すれば、将来きっと、国の土台を腐らせるもとになると思うのです。

 国民のすべてが祖国を愛して、自分にではなく未来の子孫へ、より良きものを残せるように努力する。

 そういう気風を、宮廷にも根付かせたいの」


 モナは驚いてしまった。エレーナ王妃が語ったことは、モナが心の中で思っていたことを、そっくりそのまま言い表したような内容だったので。


 前王弟の娘として生まれ、たおやかな深窓の姫君として育ったエレーナ王妃は、苦労に苦労を重ねた20年の歳月のあいだに強くなられたのだと思う。


 今夜、こうしてアントレーデ伯爵夫人や国王の妹たちから、サロンのもっともよい席をとりあげるというパフォーマンスをしてみせたのも、必ずや宮廷貴族の在り方を変えてみせるという、エレーナ王妃の決意表明なのだった。


 思わず、いつもの口調が出てしまう。


「すてき! わたしにも、エレーナ様のお手伝いをさせてくださいね!」


 エレーナ王妃の水色の瞳に、あたたかな光が宿る。


「手伝ってくださる?」


「はい! 一生懸命やりますから!」


 モナと王妃は大喜びで、たがいの手を取りあった。


 それを見て周囲にいた貴婦人たちはいっせいに笑いさざめいたが、一人だけ落ち着き払った態度の者がいた。


 咳払いをしたあと、彼女は言う。


「義理の仲のお二人がお親しいのは、大変結構なことであると存じます。

 ですが、わたくしに、ひとつ異論を唱えるお許しをくださいませ。

 宮廷貴族の誰もが、自分のことしか考えていない愚か者だというわけではございません。

 その点だけは、ご訂正願いたいものです、王妃陛下」


 エレーナ王妃は苦笑しながら、声の主を見あげた。


 いかめしい顔でしゃべっていたのは、枢密院議長パヌラ公爵の夫人デルフィーナだった。彼女は、この集団の中で最年長の自分が王妃のご意見番にならなければなるまいという、義務感にかられている。


 半白髪の公爵夫人は少々やせぎすで、頑固そうな雰囲気の持ち主だ。実際、頑固でもあった。彼女はいままで、宮廷人の権力争いを馬鹿げたものとして軽蔑し、超然とした態度で傍観者を貫き通してきた女性なのだ。


 やわらかく、王妃は微笑む。


「ごめんなさいね、公爵夫人。言葉が過ぎました。

 少なくとも、いまわたくしの周囲においでになる方は、みなさん公人としての自分の立場をわきまえて、正しい判断がおできになる方ばかりですね」


「さようでございます。

 それに、モナシェイラ様に手伝いをお命じになるのは、あまり感心できることではないと存じます。

 王子妃殿下にとって一番大切なお役目は、次代を担う跡取りを王家にさしあげることでございます。新妻としてのお勤めが、まずは優先されるべきかと」


 新妻の勤めなどと言われてしまうと、モナは気恥ずかしくてたまらない。思わず、裏返った声で叫んでしまった。


「あらまあ、どうしましょう! 今度はわたしのほうへ、お叱りの矢が飛んできたわ!」


 モナの友人たちは、モナらしい叫び声を聞いて、いっせいに笑った。


 しかし、まだモナとの距離をどう取るべきか決めかねているパヌラ公爵夫人は、かしこまって丁寧にひざを折る。


「わたくしごときが妃殿下となられるお方に、意見など僭越でございました。どうぞ、お許しくださいませ」


 モナは周囲へ聞こえるように、わざと大きな声で言い返した。


「いいえ。わたくしには年長の方の意見を聞かせてくださる友人も必要です。なにかこれと思うことがあれば、これからも忌憚のない意見を聞かせてくださいませ」


 ここは大真面目で応じるべき場面である。


 そう判断したモナの言葉遣いは自然と名門侯爵家の姫君のそれとなり、表情にも毅然とした気配が漂いではじめた。剣術や乗馬で鍛えられたしなやかな身体にも、油断なく周囲を警戒する野生の獣のようなしなやかさが表れる。


 サロンのまわりに集まっていた貴族たちは息をのんだ。


 ここぞというとき、モナの紫の瞳は希少な宝玉の輝きを放ち、南国の血筋を表わす黒髪は、これでもかというほど豪華に彼女の容姿を引き立てるのだ。


 そんなモナにじっと見つめられたパヌラ公爵夫人は、しばらく黙ったあと、ふたたび膝を折った。今度は軽やかな、あいさつのしぐさでだ。


「わたくしはたったいま、モナシェイラ様が王都の民から、なぜ『すみれの瞳の姫君』と呼ばれ、ローレリアン王子殿下から妃に望まれたのかを、理解いたしました。

 どうか、わたくしがモナシェイラ様にささげる敬意は、生涯にわたってつづくものであると、お信じ下さいませ」


「ありがとうございます、パヌラ公爵夫人。

 でも、わたくしへ誓ってくださるのは、友情だけで十分ですわ。

 わたくしはどうにも、宮廷の習慣のことについてはうとくて。

 公爵夫人には、わたくしのよき導き手になっていただければと思います。

 パヌラ公爵閣下は、エレーナ王妃陛下の叔父であり、ローレリアン王子殿下にとっては大叔父にあたられる御方。わたくしと公爵夫人も、いずれは親戚ということになりますもの」


「さようでございますね。モナシェイラ様と親族の縁をつなげられるのは、わたくしにとっても誇らしいことでございます。神々へ、心からの感謝を捧げたく思います」


 この時、パヌラ公爵夫人は『将来親族となるわたくしこそが、早くに母親を亡くしたせいで少々型破りな姫君になってしまわれたヴィダリア侯爵令嬢を、立派な王子妃に育てなければ!』と決意していたのだが、その義務感が発揮されてモナが慌てるのは、まだ少し先の話となる。


 モナのとなりに座っていたエレーナ王妃が扇を広げ、優雅に空気をあおぎはじめた。


「さあ、堅苦しいお話はこの辺で終わりにして、舞踏会の雰囲気を楽しみましょう。まだまだ夜は長いですよ」


 モナは王妃の扇を見て、口元をほころばせた。


「わたしがお持ちした扇を、使っていただいているのですね」


「レースを張った扇は、とても軽くて扱いやすいですね。

 わたくしは、やたらと華美な羽根扇があまり好きではないので、この贈り物はとても嬉しかったですよ。

 侍女たちに自慢して見せたら、みなが羨ましがって真似をして」


 王妃の侍女やモナの友人たちが、ほらとばかりに扇を開く。あたりには、まるで白やピンクの花が開いたかのような光景が広がった。


 エテイエ子爵未亡人ジャンニーナまでが、ほら見てちょうだいと、扇をさしだしてくる。


 黒い衣裳をまとった彼女が持っていたのは、黒いレースを張った扇だった。


 女たちは、ほうと、ため息をつく。


 その扇もまた、妖艶な美しさをもつ、夜更けの花のように見えたのである。






     **     **






 それからしばらく、モナと王妃を取り囲む貴婦人たちは、扇の品評会を楽しんだ。それぞれの扇には思い思いのデザインのレースが張られていたから、綺麗なものが大好きな女たちは、扇の交換をしては大喜びで笑いあう。


 その様子を遠目にながめていたローレリアン王子と側近たちは、たがいに満足の視線を交わしあった。


 女たちの喧嘩の行方を一番心配していたラカン公爵は、安堵の顔で息をつく。


「いや、驚きました。王妃陛下もモナシェイラ様も、さすがですな。

 わたくしどもがこちらで気をもんだことなど、まるっきり労力を無駄にしたようなものでしたぞ」


 ローレリアン王子は、からかいを含んだ口調で答えた。


「パトリック殿が、やたらと興奮していたのは、レオナ夫人が心配だったからではないのか」


 恥じ入った様子で、公爵は頭をかいた。


「ご明察の通りです。

 わたくしも、とうとう国家の役職をちょうだいする羽目におちいりましたので、これ以上、妻を領地にかくしておくことはできぬと、覚悟は決めていたのですが。

 しかし、王妃陛下とモナシェイラ様になら、安心して我が妻を仕えさせることができます。

 夫婦ともに、よき主を得て、わたくしどもは幸せでございます」


「世辞など言わずともよいのだぞ」


「いえいえ、わたくしは殿下にむかって、世辞など一度も申したことはございません。わたくしの口から出る言葉は、すべてわたくしの心から湧き出す誠の証しでございます」


「その言いぐさが世辞でなくて、なんだというのだ」


 王子の側近たちは、どっと笑った。


 だが、ローレリアン王子だけは、苦笑するにとどまっている。


「彼女たちが手にした扇は、どれも美しいな」


 はいと、側近たちはうなずく。


 王子は憂いを含んだ目で、サロンのほうを見ている。


「きっと、近いうちに、宮廷の女たちのあいだではレースの扇が大流行するだろう。貴族の女性がレースの扇を持つことは、王妃に対して叛意なしと示す、証しになるかもしれない」


「それのなにが、いけませんか?」と、ラカン公爵がたずねると。


「多くの女性が、いきなり王妃派に鞍替えすると、勢力を削がれた側は怨みを深くする。陰謀などというものは、積もり積もった怨みの感情から生まれてくるものだ」


「なるほど」


 王子は首席秘書官に目くばせした。


「カール。アントレーデ伯爵夫人、モローズ侯爵夫人、サンジュリ伯爵夫人。このお三方の動向には特に注意をむけるよう、密偵達には徹底した指示を出しておくように」


「かしこまりました」


 うやうやしく礼をする首席秘書官を見ながら、ラカン公爵は大く肩をすくめてつぶやいた。


「まっこと。げに、ややこしきは『女の戦い』ですな。

 これから何も起こらないことを、わたくしは心から、神々に願いますよ」と。

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